Archive

Oct 2008

イアン・ボーデン

On
by 卓 坂牛

8時からコンペの打ち合わせ。建築のコンセプトは形になったのだが、建築を作るためのコンセプトがまだ理解されていない。そこで止まっているのだが、、、、どうしようかな?2コマ目は講義。研究室の院生が言うには2年生にとってこの授業はちょっと難解。彼自身2年の時に聞いた時はよく分からなかったという。そうだろうか??しかしそれを聞いたら講義恐怖症になりなんでもかんでもひどく簡略化して話していることに気付く。今年からは教科書(『建築の規則』)もできたので理解が深まるといいのだが。午後は製図。今年の2年生はいかほどか?こっちがわくわくするものがたくさん出てきて欲しいのだが、、、まだ2回目なのでよく分からない。研究室で雑用を終わらせ食事をしてからアサマへ。車中イアン・ボーデン『スケートボーディング、空間、都市‐身体と建築』新曜社2006を読み始める。分厚い本だが、内容はそれほど複雑ではなさそうである。彼はロンドンで修士をとってからロサンゼルスのuclaも修了している。どうもそこにいたのは僕が修了した直後のようである。そこで彼はスケーターになった。そしてルフェーブル研究家のソジャの講義も聞いたそうだ。それが直接の原因かどうか知らぬが、ルフェーベリアンとなってこの書となったようである。

all aout Sakamoto Kazunari

On
by 卓 坂牛

昨晩は遅かったのだが早々に目が覚めてしまう。大学関係のメールのやり取りをしてから事務所へ。郵便を出したり、新しい事務所レイアウトの図面を見たりした後、研究室から送られてきたコンペ案を見る。徐々に近づいているのかもしれないが、まだ全然。昨日坂本先生も言っていたが、「あ、これで行けるな!」と思う瞬間は直感的なものである。その瞬間はくるのだろうか?
午後建築noteの最新号が届く。編集、取材に協力した坂本先生の特集が載っている。題してall about Sakamoto Kazunariこの特集の圧巻は見開き一面の坂本先生のアップの写真。人物専門の写真家が撮っただけあって先生の眼光の鋭さが余すところなく再現されている。そのページの先生の紹介文からその後の槻橋さんとの鼎談、巻末のインタビューまで一日かけた取材記事である。ぜひ店頭で手にとってご覧あれ。なかなか見ごたえ(読みごたえ)あるものになっている。午後スタッフと少し打ち合わせをし、夕刻長野に向かう。

シンポジウム

On
by 卓 坂牛

今日は夕方6時から坂本一成展のシンポジウム。奥山さんの司会で八束さん、坂本先生と何かを話す。東工大のある大岡山へは事務所のある四谷から南北線で一本。電車の中で今日は何を話そうかとメモをとる。しかし僕が何を話そうと恐らく、八束さんはマイペースで坂本先生を歴史的なドラマの中に位置付け、そして坂本ストーリーを築くだろう。それとどう噛み合うものか?いくつかのテーマとそれにまつわるエピソードを考えているうちに大岡山に着く。駅前広場で佇んでいると信大の学生に会う。はるばる東京までごくろうさん。しかし、かけた時間と金に値する何かがあるだろう。
会場は定員の倍くらいの人数でごった返し、入れない人がロビーにあふれている。会場内も通路と言う通路は立ち見や座り見である。話は予想通り八束さんの歴史的なアナロジーが展開される。僕は僕でそれに応答するわけでもなく、坂本一成にどうしたら肉薄できるか、あるいはこの若い聴衆に坂本一成を理解させるためにはどうしたらよいのかと考えて微妙に単独行動であった。それなりに坂本先生を批評するかたちにはなったのではと楽観的。終わったあと堀池さんにもっと語らなくてはと言われたのだが、まあ八束さん相手にそうもいかない。
終わって司会の奥山さんと、八束さん、坂本先生、天内君、ギャラ間の遠藤さん等と夕食をとる。八束さんとは11月の青学でのシンポジウムでお会いすることを楽しみにお別れする。その後天内君らともう一杯。現代建築論に花を咲かせた。楽しい夜だった。

ヴァーチャル空間

On
by 卓 坂牛

午前中キャンパス計画の会議。昼食後雑用をいろいろ終わらせてアサマに乗る。車中クリストファー・ホロックス小畑拓也訳『マクルーハンとヴァーチャル世界』岩波書店2005を読む。薄い本なのですぐ読める。巻末の吉見俊哉の解説にヴァーチャル世界の大学教育が書かれていた。ネットが知の取得を容易にした一方で、学生(あるいは教師も)無意識的、意識的を問わず論理の剽窃を容易にしてしまった状況を述べる。しかしそれでもネットにおける知の可能性があるのでは?として自らの大学での事例を紹介している。それがなかなか面白い。授業タイトルは「吉見俊哉を打ちのめせ」である。内容はこうだ。授業の数日前までに教師はその授業で対象とする自分の論文を提示する。受講者はやはりネット上のスレッドにその論文についての批判を行う。それは事実誤認から論理の立案の方法までどのようなことでもよい。そして、このスレッドに書き込むということは既に書かれた内容に反応して、それ以上の批判を試みたり、それに影響をうけて逆にそれとは違う批判を試みるなど、バーチャルな相互関係が生まれるという。そしてこの批判をまとめて担当学生が代表して授業で吉見俊哉を批判し教師はそれに抗するのだそうだ。
これはなかなか面白い。そしてこの方法は僕が4年前から信大をはじめ、東大、早稲田で行っている「建築の規則」や「建築の条件」の講義方法と近い。これらの講義では講義ごとに簡単な議論のテーマを与えブログ上でそれにコメントさせるのである。その狙いは吉見と同様で、人の書いた内容を見ることにある。ひとが何を考え、それに反応したり、それを避けたりすることが、ヴァーチャルな空間の中で達成できるのである。90分の授業ではなかなか時間的にできないことがここではできるし50名近い学生がそれを短時間で共有できる所にヴァーチャル空間の可能性はある。

秋雨

On
by 卓 坂牛

午前中は後期最初の学科会議。たまった案件が多く昼ころまでかかる。午後はm2のゼミ。論文は一人で残りは設計。設計の学生たちはコンセプトづくりに懸命だが早く設計にとりかかって欲しい。毎年最後時間切れで後悔している学生ばかり。早く始めるのが勝ちなのだが。夜は研究室の後期へ向けての飲み会ということなのだが去年もやっただろうか?記憶にない。
今日は朝から雨。大雨になったり小ぶりになったり。秋雨か?こうして日毎に寒くなると思うと気が重い。

作曲家の諦め

On
by 卓 坂牛

今日はゆっくり自宅で読書。読みかけの『斜めにのびる建築』『自民党政治の終わり』を読む。斜めの機能は身体感覚、自然、そして動線建築というところのようだ。昔、修士論文で芦田君が研究していたことを思い出す。午後大澤真幸編『アキハバラ』岩波書店2008を読む。この事件は犯罪の悲惨さを超え、さまざまな問題を提起しているようである。この本ではそうした問題の周縁(あるいは核心)の現れ方を10名くらいの論客が語っている。中でも和田伸一郎の論考は興味深い。人々が被るさまざまな問題はそれが内にこもる場合と外に発散される場合がある。問題が犯罪に向かう筋道は前者の場合が多い。これを後者のルートへ結び付けられないかと著者は問う。つまり一人の問題を人々の間で共有できないかと?そしてその環境として、「道」というものを提起する。既成の概念で言えばデモのようなものなのかもしれないが、違う方法もあるかもしれないとイマジネーションを掻き立てられる。
夕刻事務所に立ち寄り、その後長野へ。車中雑誌『談』#82「音はどこにあるのか」を読む。小沼純一×渋谷慶一郎の対談が面白い。渋谷は電子音楽をやる理由の一つとして演奏家が自分の欲する音を出せないという諦めを語っていた。建築家も施工者が自分の欲しい形を作れないと諦めることがないではない。しかしそういう場合にドローイングアーキテクトになればいいと諦められない。し、もしそういう道が作曲家のように簡単に用意されていたとしてもたぶんこの面倒くさい共同作業を放棄はしないだろうなあと感じた。

八束さん

On
by 卓 坂牛

朝新宿に行ってブランチと買い物。昼から事務所で工務店質疑のチェックなどしているうちにA0メンバー来所。とろとろ進んできたがやっと今日で僕の班は9章conclusionが終わる。しかしまだ序章と8章が残っている。なんとか来春までには終わらせたいところなのだが。焦っても体に悪いから淡々とやろう。
黒石さんから青学のシンポジウムhttp://sensing-cities.com/ja/timelineの企画書がメールされてくる。ご一緒するのが今村さんと八束さんであることを知る。八束さんとは来週も坂本シンポジウムでお会いするので連続である。お手柔らかにというところである。八束さんにはその昔学生時代、製図第三でエスキスしていただいた。非常勤講師磯崎新の助手か代理で毎回東工大に来られていたように記憶する。そしてエスキスでは学生の作る案のオリジナルを探しあてては「それは〇〇年に△△が作ったものと同じである」と、その知識量で学生を圧倒していた。もちろん僕もそうやってやり込められてぐーの音もでなかったわけである。そんな方とシンポジウムをするのはどうも想像できないのだが。

後期初日

On
by 卓 坂牛

早朝学生が進路の相談に来る。30分ほど話す。聞いていると悩んでいることが微笑ましいのだが、相手は真剣。僕も学生ならこういうことに頭を痛めていたかもしれない。2コマめ後期最初の講義。講義室に行くと天井からぶら下がるプロジェクターが新しい。僕のノートパソコンも新しい。それが理由かどうかわからぬが講義用のパワポが映らない。10分格闘したが映らないのであきらめてひたすら話す。そしてちょっと板書。しかしパワポを使うより学生の顔がよく見えてこれもまたいいなあと感ずる。午後は製図の初日。敷地へ行く。今年は須坂の山の麓。自然があふれる新興住宅地である。敷地としてはなかなか面白い。1区画売れ残っていたが400㎡で2000万程度である。坪17万く。敷地説明を終えて大学に戻りコンペの打ち合わせ。やりたいことがあるのだがやり方が見つからない。ずーっと考えているのだが???最終で東京へ。

戸田君の仕事

On
by 卓 坂牛

朝8時からk-projectの施主定例。現場は基礎配筋がほぼ終了している。台風一過の快晴で短時間に終了。8時に現場はさすがに応えるが、出勤前にやりたいという施主の意向で仕方ない。事務所に戻り九州プロジェクトのインテリアのスケッチ。大空間のインテリアをただ単一素材でやるのではなくもう少し変化をつけてみたい。空間の大きなスケールが分からなくなってしまうような作り方はないだろうか?あるいはその逆のような。
朝早く起きたからなのか、昼が少なかったからなのか夕方になったらエネルギー切れ。四谷で夕食をとって夜のアサマに乗る。車中、戸田穣君から送られてきたクロード・パラン戸田穣訳『斜めにのびる建築』青土社2008を読む。戸田君は『言葉と建築』の共訳者であり、現在パリで勉強する学徒である。素敵な装丁の本に仕上がっている。先ずは訳者による解題があるのでそこから読み始める。彼によればミースを含めてモダニストとは過去との断絶を引き起こした革命家ではなく、水平垂直建築の過去を結晶化させたに過ぎない。真の革命家は斜めを生み出したパランであり彼こそが現代建築の潮流の契機を作りだしたのだという。まあだいたい同感である。そのあたりは拙著『建築の規則』の斜線性のあたりにも詳しい。訳ができたのはだいぶ前だったようで出版の機会に恵まれたのは嬉しいことである。

坂本個展オープニング

On
by 卓 坂牛

九電工が午前中来社。久々に設備設計をプロにお願いしている。自分たちでやるよりは安心できる。午後リーテムに打ち合わせに行く。社長の時間がとれるか不明だったが、なんとか少し打ち合わせることができた。外装の色を相談。やはり200メートルの帯は赤にすることに決まる。事務所に戻りサッシュの打ち合わせ。
乾さんから届いた本を持って坂本先生の展覧会のオープニングに向かう。電車の中で本を読む。なんだかとても、しみじみと言いたいことが伝わってくる。これから向かう坂本先生の展覧会のテーマは日常の詩学なのだが、乾さんの目指すものは日常性のほんの少し先のようである。この本はコンセプトブックでもないし、作品集でもない。プランが載っているでもなく、竣工写真が見られるわけでもない。ボヤーとしたイメージとその時の乾さんの気持ちだけが書かれている。建築家の書いた本としては理顕さんのもの以来久しぶりによく伝わる本である。
パーティーはすでに始まっていた。そこで乾さんに会い本の御礼。八束さんと会い来週のシンポジウムのごあいさつ。「話すことがないなあ、坂牛君と坂本先生の話を聞いているよ!」と言われ戸惑う。千葉さんに本のお礼をされる。こちらも、オープンハウスの招待をもらいつつ行けないことを詫びると、「薄利多売で」と謙遜。大学での兼業の話を聞く。東大の先生はこぞって申請中とのこと。千葉さんが取ったら僕も取ろう。槻橋さんとあいさつ。建築ノート坂本特集の労をねぎらう。石黒さん、若松、日建の原田、杉山君らとお話。橋本文隆さんとは林さんのところでもお会いした。再び付属同窓会館の話。スチュワートさんに再就職のお祝いをする。
展覧会自体はなかなか素晴らしい出来だと思う。なにせヨーロッパ巡回展の展示品をそのまま持ってきただけあってコンテンツが充実している。迫力である。2次会に誘われる。坂本世代の御歴々(腐れ縁)。理顕さんとは塩尻コンペ以来だが、中国の話をいろいろ伺う。富永さんからは法政の話を聞く。伊東さん、小泉さん、金箱さん、小島さん、奥山さん、塚本さん。飲みたい気持ちはやまやまだが、明日早いのでお先に失礼して帰宅。
来週10月8日18:00からこの展覧会の企画で坂本先生、八束はじめさん、私でシンポジウム(司会奥山先生)を行います。興味のある方は是非東工大百周年記念館までご来場ください。詳細は下記ウェブサイトをご参照ください。http://www.libra.titech.ac.jp/cent/event/11thEvent.html