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Nov 2008

90年代の始まり

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by 卓 坂牛

午前中推薦入試。例年と同じくらいの受験者数だった。天気も良く特に問題もなく終了。午後はゼミ。途中で数回会議に顔を出す。試験官で神経を集中しその頭でゼミは少々つらい。夕食後作日から読み始めた接続詞の本を読む。なるほどと思うことしきり。本に飽きると研究室の本棚を眺める。その一角には恩師ディビッド・スチュワートがこの春退官した時に送ってくれた洋書が詰まっている。そこから特に意味もなく一冊引っこ抜いて眺める。‘COLUMBIA DOCUMENTS OF ARCHITECTURE AND THEORY`VOL1を手に取る。このシリーズの創刊号で1992年出版。目次は巻頭論文がジャックデリダ、二つめがエリザベス・ディラーとリカルド・スコフィディオ、ピーター・ライスはUNSTABLE STRUCTURE、マーク・ウィグリーはHEIDEGGER`S HOUSE そしてジョバンナ・ボリドーリはTHE ITALIAN HEIDEGGER;PHILOSOPHY,ARCHITECTURE AND WEAK THOUGHTという論文を書いている。タイトルだけ見ていても、ポストモダンんの終焉そして90年代の始まりを感じさせる。そして篠原一男のTHE NEW MACHINE;ABSORBING CHAOSという論文が目にとまる。論文と共にコロンビアでの展覧会風景写真が掲載されている。1991年篠原の展覧会がコロンビアで行われていたというのは知らなかった。論文はカオスについてのアンソロジー。`I`という主語がやたら目につく文章である。篠原らしい。カオスのアンソロジーといのも時代を感じさせる。90年代が現在につながっているのは確かであろう。そんな時代に篠原がいてハイデッガーが重要な役割を果たしているということを再認識する。この偉大な哲学者の息の長さに驚きを隠せない。

On
by 卓 坂牛

大寒波がついに来た。白馬ではすでに駅前が積雪20センチくらい。長野市内も小雪がちらつく。朝一で博士課程の論文予備審査資格判定会議。今年は建築学科で4名の博士論文を審査することになる。午後3年生m1を対象にした就職ガイダンス。就職委員の主の先生は交代するのだが、副の私は設計担当として当分この役を免れることはなさそうである。夕刻学会の卒業設計展(全国巡回中で現在信州大学で展示中)を拝見。京都の人たちの独特の表現力に目を見張る。cgばやりの昨今手の味を前面に出している。あまりの量なので内容をよく見る時間はない。その後製図第二の提出作品を並べてもらい金曜日の講評会の発表者25名を選ぶ。上位15名くらいは簡単に選べるのだが20番目から30番目くらいはどんぐりの背比べ。講評会には慶応の福屋粧子さんに来ていただく。塩尻のコンペでヒアリングに残った方である。妹島事務所出身でボス譲りの爽やかな作品だった。講評会が楽しみである。夕食後帰宅。風呂で石黒圭『文章は接続詞で決まる』光文社新書2009を読む。僕自身接続詞は最も重要な品詞であろうと思っている。それはアメリカに行った時さんざん接続詞の使い方を教えられ、日本語もそうあるべきだと思っていたからである。我意を得たりという気持ちで読み始めた。ただ僕は文章の論理性にとって接続詞が重要であると思っていたのだが、どうも接続詞にはそれ以外にも多くの役割がありそうである。

知行合一

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by 卓 坂牛

午前中は事務所で雑用を終わらせ、午後k-projectの現場週例。建て方も終わりサッシュもはいりガラスも付いて、トップライトがつけばもう雨の心配もない状態。だがこのトップライトはガルバリウムの板金。かなり慎重にやらないと漏水の原因となる。現場所長と施工図を見ながら心配部分の対策を話あう。夕刻事務所にもどる。ccのメールを見ていると中国の現場は変更工事の金の始末に追われ肝心の建築の指示がままならぬようで心配である。数回国際電話で様子を聞いたり指示したりである。今日は他のスタッフが休みなので早めに長野に向かう。車中『学問の下流化』を読む。著者竹内洋は佐藤優と対談し、佐藤の知行合一的態度に感銘を受ける。その上で丸山眞男、大内兵衛を例に出しこう説明する。彼らは東大教授というエリートではあったが思想を行動に移したがゆえに特高に逮捕された経験を持っている。だからこそ(知行合一)机上の空論を振り回す空虚な知的エリートとは一味違うと。つまり高等知識人は臭い飯を食うことで一人前になれるのだと説く。そして、それはヤクザとよく似ているとも。どっかの雑誌に軽く書いた一文ではあるがぼくはこう言う話は嫌いではない。つまり要領よく目先の利益に流されて生きるのではなく信念通して臭い飯食う方が最後に得るものが大きいということだ。そしてそういう人間の方が竹内同様僕も好きだし、信頼する。

下流化

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by 卓 坂牛

市役所主催で景観賞受賞作品めぐりというイベントがある。20名くらいの希望する市民と半日建物めぐりをする。午前中そのツアーの講師を行った。建物は夏に現地調査をしたものですべて見たものである。5つの建物をめぐり12時に市役所に戻り、自転車で大学へ。昼食後八潮の打ち合わせや修士論文の相談など。その後教員会議。会議後アサマで東京。車中鈴木謙介『サブカル・日本の新自由主義』を読み終えた。しかしどうもこの本は何が言いたいのかよくわからなかった。こちらは新書のつもりで気軽に読んでいるのだが、いつのまにか社会学知のマップ上を右へ左つれていかれるのでついていけなくなるのかもしれない。ただ結論的に書かれていることは納得した。それは現代がチョイスの少ない時代になっているという点である。それを新自由主義と呼ぶのかどうかはよくわからぬが、いずれにしても合理的競争社会が前提化されていてそこから落ちるのかへばりつくのかという二者択一になっていることに問題があるという指摘は妥当な気がした。
その後竹内洋『学問の下流化』中央公論2008を読む。下流化という言葉が流行っている。まさかこの人までこう言う流行語に流されるとは思っていなかったが、出版社の意向なのだろうか?

中学の担任

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by 卓 坂牛

今年の夏に中学時代の担任の先生が亡くなられた。とても個性的で人気があったため、先生に担任された13年間4つのクラスがいっしょになって新宿三井倶楽部で偲ぶ会を催すこととなった。先生の名は中川浩一。その名は知る人ぞ知る地理教育学者であり、鉄道学者でもある。我々の担任を最後に母校を離れ茨木大学の教員となった。
本日の最若輩の代の幹事である私とかみさんは受付などやりながら定刻に会場に入って司会の挨拶を聞いていた。周りは大先輩。隣の人の名札に目をやるとあの岩井克人氏であった。父親が経済学者であるにもかかわらず、数学嫌いの私にはどうもこの学問は馴染めないものがあったが岩井氏の著書は数冊目を通したことがある。著書のみで知る有名人が同じ先生に教えを受けていたというのは嬉しいような不思議な感覚である。出席者すべての名を知る由もなし、きっと著書やテレビで知る人が他にも多数いるのだろう。
各学年から先生の思い出話を聞くにつけ、恩師の面白さや人間臭さを知ることとなるのだが、先生は地理の教師であると同時に鉄道オタクであった。僕が信大に来て、とある先生に僕の母校の名を告げた瞬間に鉄道マニアのその教授の口から中川浩一を知っているかと問われたくらいである。彼の授業は今でも覚えているが、ヨーロッパの鉄道時刻表を渡し、一か月の旅のスケジュールを作れというものであった。地図と時刻表が彼の教材だったように覚えている。
しかし博学の彼についてさらに驚いたのは帰宅後wikipediaで彼の名を引くと夏目漱石研究者と書いてあったことである。本日のスピーチでそんな言辞は一言もなかったと言うのに。
偉大な先生に若き日に教わったことに感謝するとともに心から師のご冥福をお祈りしたい。

善光寺で中学生と建築の勉強

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by 卓 坂牛

11月15日
午前中は研究室で読書、スケッチ。12時半に善光寺のとある宿坊へ。理学部による女子中高生に科学の楽しみを教えようという企画の一つを善光寺で行うことになった。谷口吉生の東山美術官、林昌二の信濃美術館を見て宿坊に泊まり二日目は善光寺を見て実測もしようというようなプログラムである。本当は夏休み中にやる企画なのだが、その時は応募者が少なく成立しなかった。今回はやっと参加者5名ありやることとなった。しかしふたを開けてみるとキャンセルが二人。結局3名の参加者。それでも宿坊でささやかなレクチャーをして二つの美術館を見て回った。参加者は中学2年生ということで娘の一つ下。そう思うと話はしやすい。建築の成り立ちを説明したがわかっただろうか?
4時過ぎのアサマで東京に戻り二子玉川に向う。恩師ディヴィッド・スチュワートの東工大での再雇用(designated professorと言っていたような)をお祝いして彼の新居にお邪魔する。奥さんが「図書館のような家」というだけあって本がきれいに壁、壁にはまっている。まあセンスがいいこと。建築雑誌というよりは女性雑誌に登場しそうなインテリアである。

撮影会

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by 卓 坂牛

早朝雑務を片付け、デザイン論講義。今日が製図提出のせいか欠席が多い。その上徹夜明けなのかみな深い眠りに入っている。午後製図。先ずは図面提出。去年より図面の提出と模型の提出を1週間ずらして模型をきっちり作らせることにしている。提出確認後模型写真の撮り方講習会。taがパワポを使って説明。そして実践練習。どうも学生の持っているカメラはマニュアルモードがないので絞り優先で撮れないことが判明。これだとマクロな写真はうまく撮れないのだが、まあそれでもディライトの当て方、バックの作り方、三脚の使い方など、やらないよりはましだろう。デザインに飢えている子たちは率先して自ら撮りtaに質問している。いいことだ。研究室のコンペに勝つためには2年生のうちからとにかく教育あるのみと先日反省。全日本をワールドカップに送り出すためにJ1ユースを強化するのと同じである。夕食後事務所から送られてくるメールチェック。また設計変更依頼が来ているようである。日建時代もあった。ディクテーターオーナーの場合よく起こることではあるが、、、トホホ。
今日は金曜日だが明日も長野で仕事のため帰京せず。研究室で読書。鈴木謙介『サブカル日本の新自由主義』ちくま新書2008を読み始める。若くして5冊目の本を上梓し、名実ともに日本の第一線社会学者の風格あり。

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by 卓 坂牛

7時半のアサマに乗る。眠い目をこすり『額縁への視線』を読み終える。著者の小笠原尚司は額装者。額を入れる対象とかけられる場所を見据え額のデザインをする。額は対象にとっては領域を確定するものだし、かけられる環境の中では家具のようなものだと言う。しかしそういう意識のお客さんはあまりいない。そうした中では書道家は額に対する意識が比較的高いと言う。なるほどかみさんと絵を見に行くとすぐに額を見ろ見ろと言うし額を観賞している。書家にとっては白い紙を限定する何かがとてつもなく重要なのである。7時半のアサマは長野に9時少し前に着き、大学に9時に着く。研究室でメールチェックして10時からキャンパスマスタープランの会議。今日で工学部の意見収集は終わりにして12月の全学部の意見を評価する総括会議へのまとめをしたい。幸い工学部長の意見を含めおおむね出し切っていただいた。こういうとき蛸足大学は楽といえば楽かもしれない。一キャンパス一学部だから利権争いが起きにくい。とは言え信大も本部キャンパスは学部が混在。ここは一筋縄ではいかない。
午後からm2のゼミ。笑って楽しいなあと言っていられる時期ももう終わり。でも今年も去年同様放任を貫き通す。学生諸君自力で頑張りたまえ。このあいだバートレットの校長先生も言っていた。学生は放っておいた方が伸びると。後は適度に意見するが手取り足取りやる気はない。
夕食後八潮のプレゼンへ向けての打ち合わせ。うちの学生はプレゼンがいつまでたっても上達しない。論文と違ってこちらは下手しても落第するわけでもなく、頑張れよと放っておくと彼らは本当に何もしない恐怖がある。そう思って一緒に考えていたら10時になった。

変更

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by 卓 坂牛

昨日起工式を終えたというのに、設計変更の依頼がきた。今日杭工事だというのに通り芯の変更が必要になった。杭工事は一部ストップ。その昔日建時代、工事着工後に階高の変更を依頼されたことがある。この時は大変だった。ぎりぎり梁成は変わらなかったが建物高さは変わり、構造計算はやり直した。もちろん確認は出し直しだった。通り芯変更は幸い大スパンにかかわらなかったのだが、それでも計算をやり直し、プランのおさまりを考えていたら半日過ぎる。週末のパワポを作り、12月のシンポジウムのパワポを作り、そして明日の会議の資料を作り印刷。

2年間横ばい

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by 卓 坂牛

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九州も寒い。早朝の温泉につかり朝食後敷地へ向かう。小さな建物だが、起工式は本格的である。出席者も30名近かった。今年3つ目の起工式。起工式後、直会会場に移動。模型を設置。最初に一言あいさつ。木が低く少ない。でこぼこした山が多い。など感覚的な話だが九州の山は長野のそれとだいぶ違うこと。数十年前に一時働いていたスイスと似ていることなどをお話しする。
起工式、直会と今までお会いしたことのないご老人がいらっしゃっることに気づく。ごあいさつするとどうもこの建物の風水を見た方のようだった。風水師といわれる人に初めてお会いした。関係者はみな「先生、先生」とあがめている。その方が、どれ手を出してごらんと言うのでお見せすると3分くらいじっと見てからこう言った。「これから、、、、2年くらいは横滑り、、、、、(ゴホ、ゴホ)、、、、でもそのあと、、、、美術館のような、、、、建物を設計して、ク、ロ、カ、ワ、のように、、、」。2年間横滑りとは、まあ可もなく不可もなくということのようだ。その後黒川(黒川紀章)のようになるとおっしゃりたいようだった。もちろん僕にそんな力はないとしても美術館を設計する機会があるならそれは嬉しい。それはコンペだろうか??
午後工務店とサブコン、クライアントなどを相手に、12時半から5時までびっしり打ち合わせ。だいぶ話が明快になってきた。工務店の車で空港まで送ってもらい最終で東京へ。帰宅後メールチェック。研究室から「浅草ダメでした」というメール。月曜日連絡がこない時点でああだめだなと思っていたが、今回は悔しい。いままではこれが研究室の力と他人事だったが、、、、通った案を見たいものだ。研究室通算6戦全敗。何敗するまでやるか?風水師に言われた2年間横ばいとはこういうことか。