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Dec 2008

大晦日

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by 卓 坂牛

家族でred cliffを見た。三国志である。日本人二人が出演。諸葛孔明役に金城武、甘興役の中村獅童。中国語をしゃべっていたがうまいのか下手なのかわからない。画像の迫力はすごいものがあるが、これでもかというほどのしつこい演出(戦いシーンがとにかく長くて飽きてくる)が北京オリンピックの開会式を連想させた。今回の映画はpart1。part2は来年4月放映だそうだ。商売上手である。夜は兄貴家族、親父オフクロと恒例の会食。六本木も青山もまるでゴーストタウンのように人がいない。タクシーの運転手も今年は街に人がまるでいませんと驚いていた。

来年はいい年に

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by 卓 坂牛

今日は朝から我が家の大掃除。先ずは自分の書斎。ここに引っ越した時に本棚だけは注文作りつけで大容量のはずだが限界。減る量より増える量の方が多いのだからいつかはあふれる。そんな分かり切った現実の前に呆然とするのだが、とにかく捨てるべき本を探す。まず小説類。村上春樹を娘に渡したら「村上春樹は高2まで読まない」と宣言された。では2年後にどうぞと言って娘の本棚に(強引)。残りは数冊かみさんへ。段ボール一箱分くらい見つけ出し地下のごみ置き場へ運ぶ。さてこれからが問題。ヴァールブルクになった気分で本棚の分類を再考。テプラを片手に新たな分類項目を増やしたり、減らしたり。机の上に積まれた大量の未読本をなんとか机脇の本棚に。午前中一杯かかったがなんとか終わる。そして場所はバルコニーへ。プラントボックスを移動し(これがメチャ重い)、底にたまった土や枯葉を掃き出す。そして中性洗剤とデッキブラシで1時間タイル磨き。それほどきれいにはならないがよしとする。次は風呂場。ドアのガラリが腐っている。取り外しでゴミをとって塗装し直し。タイル目地をカビキラーでこする。浴槽はバスマジックリンをかけてスポンジがけ。このあたりでもう体力の限界。そのまま浴槽に湯をはって入浴。ああ今日もよく働いた。
着替えて忘年会に。奥山氏、塚本夫妻、萩原氏、柳澤夫妻、木島氏。柳の塩尻は着工したそうだ。めでたし。笑い話が尽きないがリーマンショックは少なからずそれぞれに影響があったようである。しかしそんな話も笑いのネタに。来年は物価降下が工費に現れるはず。12月には1割はさがるとか。ポジティブシンキングで逆境をはね返したいところである。

はかなさ

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by 卓 坂牛

松岡正剛『日本と言う方法』で仮名のことを読んだら興味が湧いた。かみさんの書架から古今和歌集を引っ張り出して読み始める。この程度の和歌なら注釈なしでもだいたいの意味は分かるし百人一首にのっているものもあるから身近である。文庫本で4冊もあり少々量は多いがずっと読んでいくと松岡が言うように「はかなさ」が美意識の根底に流れていることがよく分かる。気に入った和歌をいくつかノートに書き写す。最初の6巻は季節ごとの歌だが春と秋が多く2巻ずつ。万葉集と新古今の歌とも比べてみるとそのテーマもそうだが字も変化していることに気づくのだろう。
午後銀行行ったり郵便局行ったり、雑用を終わらせる。既に仕事は納めたつもりだったがやり残したこともあり事務所に。スタッフも数名来ていた。k-projectの担当T君は「現場に行って来ます」と出て行った。そうか現場は今日までである。九州の担当者と電話で話をして工務店に電話。まあこの仕事には振り回されっぱなしだが来年はうまくいくとありがたい。新年の祈願の一つである。年明けに大学へ出す書類を作り終えて帰宅。義姉が来ておりかみさんの着付けを手伝っていた。皆でピザをとって夕食。食後フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』上巻三笠書房1992を読む。アメリカ右傾化の一連の本を読んでいた時に買って読もうと思っていたのだが、上巻が絶版ので、古本屋に頼んでいたら今になってしまった。コジェーブの弟子だけあってヘーゲル解釈は入念(?)と誰かが言っていた。しかし読んでいるといささか牽強付会に聞こえる部分もある。

A0仕事納め

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by 卓 坂牛

今年最後のA0勉強会。坂牛チームは残りの一章。辺見チームはエピローグの読み合わせ。相変わらず難し文章である。4月頃には終わるだろうか?僕の英語力は学生時代から徐々に落ちて来ている。何と言っても単語を忘れている。書けなくなっている。英語はもとより漢字も書けなくなってきている。そこで来年からはcpuに頼らずなるべくいろいろなものを手で書くことを自分に課すことにした。手が衰えると脳も衰える(ような気がする)。勉強会は5時頃終え、事務所に山積みのお歳暮ビールでささやかな忘年会。A0チームの博士あるいは博士課程終了者全員(3人)は学術振興会から奨学金をもらっている。倍率10倍の難関なのに、打率10割。強打者揃いである。たいしたものだ。ポスドクでもらえる金額は助教並と聞いたがかなり良い。その上教員の研究費などに比べてはるかに自由に使えるようで羨ましい。金と言えば、『言葉と建築』が第三刷でまた少し印税が入るし、『人間主義の建築』も来春に出せればこちらも少し印税がはいる。それらを元手にA0のPR(public relation)を図りたいところだが、何か名案はないだろうか?皆の意見は先ずは出版とのことだが、このメンバーでどういう本が出せるだろうか?いい企画を考えたい。

東京は温かい

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by 卓 坂牛

6時の「ニイハオ」モーニングコールで目が覚める。軽く朝食をとり7時の迎えのタクシーでプードンへ。早朝は高速の渋滞がなく気持ちいい。しかしこちらのタクシーは寒いのに暖房をいれてくれないから凍えそうである。気遣いがない。8時半には空港に到着。プードンの新しい第二ターミナルはとてもきれいだ。第一と似たような波打つ屋根だがインテリアが洗練されている。余った元で少し買い物をしてからCA(China Air)に乗る。CAはANAと、MU(中国東方航空)はJALと共同運航している。多分それなりのサービス教育を日本の会社から受けているのだろうが、どちらもあまりいいサービスとは言えない。その上成田についてバゲージクレイムでアルミのスーツケースを受け取るとと見事にこぶし大のへっ込みが付いていた。派手に投げられたのだろう。まあ建築から、ホテルから、タクシーからいろいろなことががさつである。この調子だと文化は洗練されないぞ!!!タクシー、飛行機の中で松岡正剛『日本という方法=おもかげ・うつろいの文化』日本放送出版協会2008を読む。松岡は日本文化に二つの流れを見る。静かな日本と賑やかな日本。前者は俳句、和歌、能、日本舞踊、禅庭、数寄屋、などの省略の文化。一方後者は歌舞伎、東照宮、お祭の山車など華麗で過剰な文化。日本文化を縄文、弥生の二つの流れに分類対比するのは既に多くの人が行っている。僕の研究室で修士設計をやっているm君もそんな対比を読み換えて、「自然浸透型」と「自然表出型」なんて命名している。しかし松岡はこれらはどちらも日本の文化であり、実はその表層の対比の裏には共通の方法が隠れているという。そして話は古代日本に移り、倭の国から日本が生まれ、仮名の発明へと進む。今まであまり興味のなかった古代日本が現代文化と密接な関係を持って見えてくると急に興味深くなってくる。松岡は日本オリジナルで最も貴重な文化的発明はと聞かれたら迷わず仮名文字と答えるだろうと言っている。なるほど確かに日本人のこの不思議な輸入咀嚼文化の根っこがここにある。成田からリムジンで東京駅、丸善で来年用のノートなど買い帰宅。東京はだいぶ温かい。コートの下で汗をかく。

仕事納め

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by 卓 坂牛

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午前中はナカジとゼネコンの技術担当とクライアントと建物をくまなく見る。工場部分に屋根がつき、トップライトと横連窓から入る光で場内はかなり明るい。工場の床は基礎梁無の土間コン。下地の砕石の代わりにレンガ屑で締め固める。塗装色について少々悩む。柱梁の骨を少し出すか?鉄骨梁の色に合わせ少し落としたグレーとして壁面は少し薄めにする。事務棟のインテリアはコストダウンで木の使用予定をとりやめ、モルタルペンキ。ほとんどの部屋がこのモルタルペンキ。グレーを基調とするも部分的に深紅として外壁の赤い龍と色合わせするか?現場を回ると体の芯から冷える。気温は長野並みか?屋根に上ると雨水が凍っていた。午後は再度現場を一人で回りながら、意匠的な落としが無いか見て回るが、日本の仕事とは勝手が違うし、4000㎡だから現段階では分からないことも多々ある。まあ仕方ない。夜はクライアントと鉄板焼きを食べに行く。食べ放題飲み放題で138元。約2000円くらい。ホテルは中国で最近流行っている錦江之星ホテル、チェーン店。一泊コーポレート価格で2500円くらいのビジネスホテル。ベッドはダブルで部屋も日本のビジネスサイズの1.5倍はある。しかし浴槽はなくシャワーだけ。エアコンは普通の家庭用エアコンが直付け。寒いので一晩つけっ放しである。テレビは100局以上入るが英語とフランス語の局が一つずつあるだけであとは中国語である。明日は7時のタクシーでプードン空港へ向かう。僕の仕事納めである。ナカジとクライアントの担当Aさんは29日まで残って仕事。御苦労様。

アート・インダストリー

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by 卓 坂牛

5時にけたたましくなる目覚まし時計。寝ぼけた頭で家を出たのは5時半。成田に7時半。初めて乗るCA (china air)のカウンターは長蛇の列。8時40分発で上海時間の10時40分に着く予定が12時頃着いた。機内では遅れるなんてアナウンスは何もなく、入国審査も長蛇の列。ちょっと苛立つ。迎えの車に乗って現場に着いたのは2時半である。今年最後の施主定例に遅れてクライアントを待たせてしまった。いきなり会議で夜まで。ハードネゴだった。
車中、機中と辛美沙『アート・インダストリー』美学出版2008を読む。アートが商品としてどのように世界に流通し評価されていくのか?その実態を浮き彫りに。去年ヴェネツィアのグッゲンハイムでヨーゼフ・ボイスとマシューバーニーが2人並列に展示されているのを見たが、いったいどうしてこの2人なのかよくわからなかった。著者の説明はこうである。マシュー・バーニーはクレマスターシリーズ゙で一躍スターになったのだが、その後の拘束のドローイングは不評だったそうだ、その汚名を挽回して再度彼のポジションを確立するために、彼のギャラリーがこの展覧会を企画した。そしてボイスとバーニーを同列に位置付けることで再度バーニーの美術史上(市場)での位置を確立した。というわけだ。「美術史の文脈は自然に発生するものではない。作らなければならない。・・・・マーケットのないところに美術史など存在しない」と著者は言う。なるほどアートは本当にグローバル資本主義世界の中で立派な商品tとなってきたのであろう。もはや自動車や家電やファッションなどおよそ機能を超えたマスプロデザインアイテムと変わるものではない。いつか電通や博報堂がアートそのものを扱う日も近いし建築もそうなったっておかしくないかもしれない。

クリスマス・イブ

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by 卓 坂牛

8時に学生と論文打ち合わせを予定していたのだが、目が覚めたら7時45分。珍しく寝坊した。梗概を読みながら落とし所を学生、助教と3人で打ち合わせ。卒論に続き黄表紙にできそうだと助教のアドバイス。意匠系の新たな論文の書き方を開発したいところである。来年は2本黄表紙を出せるか?その後博士課程の講座会議。その後今年最後の講義と製図。終わって夕食をとり冬休みの宿題(私の)用の資料をまとめて8時半のアサマに乗る。サスキア・サッセン『グローバル・シティ』の続きを読む。この本の醍醐味はデーターの読み込みにありそう。本文はむしろ読まず、グラフや表を追っかけて行く方が分かりやすい。その数値の中に東京、ロンドン、ニューヨークの実態がおぼろげに感じられる。東京のバブル崩壊が金融収益の激減に表れていたりする。数字は正直である。東京駅からJR中央線。四谷から家への途中でコージーコーナーの店内を覗く。ガラスケースのケーキは既に完売。無いと欲しくなるのが人情である。家に一番近いローソンで売れ残ったケーキを一つ。帰宅後早速このブッシュドノエルを皆で食す。結構いけると満足げ。500円で買える幸せ。

ヴァールブルク

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by 卓 坂牛

昨日の雪交じりの曇天とはうって変わって今日の長野は快晴。10時ころのんびり大学に行き4年生の卒業論文の梗概を読む。7人の4年生のうち5人は設計で2人が論文。だから2ページの梗概の2ページとも埋まっているのは論文組の2人だけ。5人はコンセプト作りのための論文として半分だけが埋まっている。残り半分は設計図面が載るはず。3時ころ読み終わり2時間かけて一人ずつ説明しながら設計の進捗も見る。しかし見るべきものがない。あと1か月。できるかな?
その後昨日赤を入れたm2の梗概を渡し説明する。もちろんm2の方はハードルは高いので、どれもこれも真っ赤になっている。できる限り換える文章まで考えて赤入れしたが、全部は手が回らない。よく考えて直すように、という部分も多い。しかしそれが思ったように直らないのが例年のこと。どうしてだろうか?直す力が無いのか、直す気持ちがないのか?
夕刻読みかけの『図書館』の続きを読む。アビ・ヴァールブルグの書斎の話になる。田中純さんの書いた『アビ・ヴァールブルク―記憶の迷宮』にも記されていたが、彼は2~3日に一度書斎の本の並べ替えをしたという。そして、毎回その分類基準が変わったとか。基準を変えるということは自らの知のマップを常に最新の状態に更新するということでこれこそが知的創造において最も必要なこと。その意味でヴァールブルグの行為には頭が下がるのだが、そんな時間があったということが羨ましい。夜早めに研究室を出てリドリースコットのテロ映画をレイトショーで見る。最近テロをテーマにした映画を立て続けに4本くらい偶然見ている。まあどれもこれも同じような筋立てで。ラストはアメリカの横暴を皮肉る形で終わる。

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by 卓 坂牛

図書館建築勉強会に出席。丸善の方が米国図書館視察発表をしてくれた。しかし定量データーが少ないので建築を考えるうえでは分かりづらい。最後に発言を求められ、昨日読んだ本に書いてあった「本」の意義や、ライプニッツが語った図書館の価値(蔵書数や希少本の有無ではなく、その内容と来館者の質が重要)などをもとに僕なりの図書館の今後の改革像を多少披露。
12時に終わり走ってバス停へ松本駅スタバで軽く昼食。1時5分の特急しなので長野へ。2時半くらいからm2の修士設計の作品クリティーク。その後夕刻から修論の梗概を読み始めた。例年のことだがうんざりする作業である。しかしひとつだけ読むに値する梗概があった。その意味では例年よりましかもしれない。m2の分は赤を入れたので明日までに直させようと教員部屋を出たが学生部屋は真っ暗で誰もいない。階下に降りて製図室に入ったがいるのは2年生3年生だけうちの部屋の学生はも誰もいない???教師は孤独である。