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Jan 2009

咳が止まらず

On
by 卓 坂牛

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咳が出る。朝食後またベッドに戻り水村美苗『日本語が亡びるとき』筑摩書房2008を読む。著者は去年亡くなった中学の担任教師の偲ぶ会に来られた先輩の奥さん。もちろんその先輩、岩井克人氏の奥さんが水村氏であることをその時知っていたわけではない。岩井氏が近しい人であることに驚き、昔読んだ彼の著書を検索した時にwikipediaに「奥さんは水村氏である」という風に書かれていたのを目にし、この岩井氏の奥さんがどんな人か興味をもっていたところ、その二日後に朝日新聞の書評にこの本が出ていたのを目にしたわけである。本との出会いとはかくも偶然の積み重ね。アメリカ生まれのアメリカ育ちなのにアメリカが好きになれず、ひっこみじあんで日本文学ばかり読みイェールでなぜかフランス文学を学び、プリンストンで日本近代文学も教える才女。久々に文学者の文章を読んでああなんて文章が上手なんだろうと感激する。言葉が生き物のように溌剌としている。
午後事務所に行きコンペのモックアップを少し精度を上げて作る。6時頃スタッフミーティング。内容を説明。その後事務所にいるスタッフ全員を誘い、近くのライブハウスで友人のブルースライブを聴く。プロの前座なので7時から30分だけ。スタッフは事務所へ。僕は家へ。咳がとまらない。

修論受領

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by 卓 坂牛

昼からコンペの打ち合わせして、新幹線に飛び乗る。車中ジンメル川村二郎編訳『ジンメルエッセイ集』平凡社1999を読む。読みたいのはこの中の「アルプス」と「廃墟」。「アルプス」は美の要素としての大きさに注目する。その意味では崇高論である。風邪のためかアルプスを読んでうとうとしていたら佐久平である。今日は空気が澄んでいて佐久平の高原が実に美しい。しかし佐久平が美しく見えるのもほんの1分くらいである。その間だけ新幹線脇の防音パネルがないのである。駅を出て少し進むと防音パネルが窓高さに出てくる。そして高原は見えない。この高原の雄大さはまさにジンメルの言うところの大きさである。一度新幹線からではなくこの大きさを味わってみたい。4時に研究室、修士論文を受け取る。主査7つ副査が12。計19の修士論文である。1000字梗概を先ずは全部読んでみる。読んで大体分かるもの分からないものさまざま。自分の部屋のものを他の部屋のものと比較してみる。どうも体裁が悪い。歴史の論文の方が資料の扱いとかコピーとか図版とかしっかりしていて見栄えがいい。意匠の部屋であるうちの方が体裁が悪い。困ったものだ。今年は量が多すぎて少し時間をかけないとどうにもならない。帰りのアサマでラスキン内藤史朗訳『芸術の真実と教育』法蔵館2003を読む。この本は三巻本。僕の読みたいところはどうも第二巻のようだ。

余剰の獲得

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by 卓 坂牛

1月29日
朝一で現場。塗装工事がだいぶ進む。シナのオイルステインの天井がきれいに仕上がっている。白い塗装がはいると今まで暗いと思っていた部屋もぐーっと明るくなる。
風邪が全然良くならず再度医者へ。「インフルエンザかなあ?」と何気なく言うので、こっちはおたおた。鼻の粘膜をとってインフルエンザ検査をしたが、そうではないようだ。ほっとする。なんでよくならないのでしょう?と聞いたら「安静にしてないからです」とけんもほろろ。まあそうだ。悪化するといやなので昼を食いがてら家に戻りしばし横になる。夕刻事務所に戻りコンペの打ち合わせ。大学で作るイメージと事務所でそれを具体化していくその相互刺激的な進め方はそれなりにいい。
早めに帰宅夕食後すぐベッドに入り『できそこないの男たち』の残りを読み切る。なんでメスしかいなかった生物の世界にパシリ役としてオスが登場し、今はこんなに威張っているのか?最後に著者はこんな問いをたて自ら答える。それはメスがよくばりだったから。というのが著者の推論。パシリ程度にしておけばよかったものが、もう少し使ってみようと欲張った。獲物をとって来させよう、家を作らせよう、なんて考えた。オスはメスを喜ばせようと必死。しかしそのうちとった獲物を全部上げなくてもメスは喜ぶことを覚えた。そこで余剰を隠し持ったのである。そのうちその隠された宝をめぐって抗争が起き。余剰を獲得したものが偉くなると言う社会ができてしまったのである。なるほど。もともと生物は子孫を残すために生きていたのが、人間社会はそうではなくなった。だから現代のメスはこの役割を変えようと必死である。子育てを旦那にまかして、余剰を獲得しに社会に出て行こうとするのである。そうそうに均等な世界ができるのではなかろうか?とはいってもまだまだ子孫の問題は大きいのかもしれないが。

デフォルトは女

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by 卓 坂牛

午前中須坂に出かけ蔵の町並みキャンパス運動の推進協議会に出席。製図第二の敷地は須坂市にしてあり、その優秀作品も展示されている。須坂の蕎麦やで昼を食べる。美味しい。同僚のy先生はいい店をいろいろ知っている。午後研究室に戻り、雑用に追いまくられながら、4年の梗概チェック。昨日送った原稿を読みなおし、やはり直したいところが出てきたので再送。コンペの打ち合わせ、ストローでできた模型が面白い。新しい仕事の話が事務所から送られてくる。青山の事務所2層分1000㎡のリノベーション。つまらないと思いきや送られてきた図面をみて腰を抜かした。オフィスビルの9階と10階なのだが、10階フロアに10メートル角の吹き抜けが二カ所あり螺旋階段がついているのだ。こうした作りはまあ貸しビルでは考えにくい。いや本社ビルだってこんな上層階でこんな吹き抜けとらないでしょう。区画が面倒だし。まあ話を持ってきた人と今日は話ができないので細かいことは明日だが、とりあえず日建の同僚でリノヴェーションのプロがいるので電話する。一体設計料はいくらもらうものか?設計期間はどのくらいみるのか?施工期間はどのくらいかかるのか?工事費はいかほどか?教えてもらう。流石やり慣れている人は何でも知っている。
終わってそそくさと駅へ。今日はバスで帰る。車中福岡伸一『できそこないの男たち』光文社新書2008を読む。福岡氏は『生物と無生物のあいだ』の著者である。男を作る染色体遺伝子発見の歴史。これはなかなか根気がいる読み物だが、生物嫌いの(というか生物の点が悪かった)僕でも面白い。彼は言う。生物学的発見の手に汗握るドラマチックなストリーを全部捨象した結果を羅列したのが学校の生物だと言う。まったくその通りである。彼の巧みな話術で仕立て上げられた生物の話は推理小説のごとし。ところで、生物学的に男女のデフォルトは女なのだそうだ。男は間違ってできてしまったもの。だからこのタイトルなのである。

POPEYE

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by 卓 坂牛

25日締め切りと言われていた原稿を2日遅れてやっと送る。気分が楽になってコンペの打ち合わせ。形を出すか出さないか、戦略的なポイントではあるが、ミーシアンを超えたユニヴァーサルにしたいところ。ジャイアントファニチャーはスタッフが皆どうも乗って来ない。やめるか??技術的に困難だと言いたげである。そうかもしれないが、、、
今日はヨドバシに用事があったので、用事を済ませそのままバスで長野に向かう。久々のバスである。横川のサービスエリアでジュースを飲んでいたら森山邸をバックに爆笑問題と西沢立衛がテレビに映し出されていた。森山邸の路地は結構せまい感じである。バスの中で難波功士『創刊の社会史』ちくま新書2009を読む。この人の広告の本をかつて数冊読み面白かったのでこの本も思わず丸善で購入。自称創刊フェチの著者は僕の二つ下。そのせいで集めている創刊誌はだいたい聞いたことがある。その中でもPOPEYは兄貴が創刊から10年くらいは欠かさず買っており僕もよく読んでいた。創刊の76年僕は高校2年生。創刊号の特集はFROM CALIFORNIAでULCAのキャンパスがレポートされていた。今でも忘れないUCLAの学生ファッション。素足にニューバランスのジョギングシューズ。白地で紺色のUCLAのロゴの入ったジョギングパンツ。白襟海老茶のラグビージャージ。そして紺色のダウンベスト。来ているのは皆ハリウッドスターのようなブロンズの白人の男女である。砂漠気候のロサンゼルスは冬でも昼間は20度近いが夜は一桁なる。一日の寒暖の差が激しいくTシャツの上にダウンというのは極めてポピュラーなスタイルとなる。70年に創刊されたANANがフランスかぶれの女性ファッション誌であり、POPEYEはアメリカかぶれの男性誌であった。大衆消費社会全盛時、未だに外国コンプレックスの抜けない日本人の悲しい嵯峨をついたカタログ雑誌だった。それから約10年後、UCLAに留学した僕の目に映ったキャンパスはまさにPOPEYEそのままで映画セットのようであった。建築ではアメリカ人に負ける気はしなかったが格好良さでは勝てる気がしなかった。

つかれる

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by 卓 坂牛

午前中会議。午後また会議。重要なこともあれば取るに足らぬこともある。まあこれが会議の宿命なのだが、、、、、一体会議という制度はどうしたら効率よくそして実効性の高いものになるのだろうか??その後修論の1000字梗概のチェックをしたりコンペの打ち合わせをしたり。僕も修士の時1000字梗概を書いた。手書きの下書きに坂本先生の赤が入った現物がある。それは徹底した推敲の末書かれた。そして10字ほどの修正が加えられた。先生のチェックは後にも先にもこれ一回だし、その文章で僕の論文の概略は分かる。しかるに今日もらった梗概はもう何回目のチェックだろうか?4回目くらいのものでもまだ赤を入れる必要がある。もちろん今日が最初のチェックのものはほとんど日本語の体をなしていない。英語を読むよりはるかに苦痛である。英語はまだ考えればわかる。考えても読解できないこの文字群は何語と解釈すればよいのか?僕は思う。学生は能力がないのではなく甘えているのである。何度か出して僕が赤を入れ続けているうちにいつしかまともな文章になるだろうと考えているのである。そこで僕は決めた。来年はもうこの甘えに付き合わない、、、、、来年の4年入研希望者はかなり多いと聞く。毎年この時期になると思う。とにかく国語ができるやつが来ないことには指導は不可能であると。また、昨日のように負けたコンペの結果を見ると思う。スタッフが良くないと事務所はつぶれる、研究室も同様で設計ができないやつは要らない。研究室に誰もいないと思う。学校に来る奴だけに机を与えようと。ゼミで飛び交う程度の低い言葉を聞いていると感じる。入研希望者に知能テストをするかと。さて一体何が最も重要なのだろうか??(全部重要なのだが)!!帰りのアサマでゲルノート・ベーメ梶谷真司他訳『雰囲気の美学―新しい現象学の挑戦―』晃洋書房2006を読む。この本は残念ながらひどく読みにくい。編訳者が3人いて翻訳者が11人もいるからなのだろうか?まあ、我々もそうならぬように気をつけなければ。
今日は朝から晩までひどく疲れることばかり。帰宅して声も出ずにこの文章を打っている。

浅草の結果

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by 卓 坂牛

昼からA0勉強会。少しずつ前進。まだ数か月かかりそうである。春の出版は厳しいか?夜浅草コンペの第二次審査通過者の展示を見に行く。2次に残るだけのことはある。皆それなりに力作だ。プレゼンのレベルも高い。隈案の造形力は見事。馬鹿にできない。乾案はヴィジュアルなプレゼンで押し通しているわけでもなく徹底的に内部から外部まで考え尽くされている。揺らいだ構造は佐藤さんだがこれも説得力がある。三浦案も構造は佐藤さん。pcをレンガのように積み上げてロッドで緊結。一見外観だけのように見えて動線から外部までやはり考え抜かれていた。伊藤案は曲線のルーバーが重層されている魅力的な造形。中井案はスパイラルで模型写真にインパクトあり。下吹越案はスラブがずれながら重層されていて造形的インパクトはあるし構造的リアリティも高い。木下案は行燈を模した外観。美しいパースである。
これらの中から選ばれた二つ(隈、乾)は極めてレベルが高く異存はない。しかし最優秀の選定理由にはやや疑問を感じなくもない。審査評にはこの不思議な造形に抗しがたかったというようなことが書かれていた。分からないでもない。しかしトータルな建築の豊かさということで言えば乾案に軍配があがるのではないだろうか?ポピュリズムに堕した感がある。
さて我々の案は一体どのレベルなのだろうか?これらの一角を担ってもおかしくないような気もした。考え方としては対抗できる。ただやはり一枚の絵の訴求力では負けていた。やはり最後の詰めが甘いのかもしれない。次への反省材料である。

原稿

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by 卓 坂牛

ここ数日喉が痛く心配なので朝一で近くの内科に行き薬を処方してもらう。インフルエンザではないようである。風邪薬を飲むと眠くなるのだが、原稿を書くためのメモを作る。昼はかみさんと荒木町のイタリアン「エドキアーノ」にスパゲッティを食べに行く。ついでに事務所に寄って原稿に必要な本をとってくる。スタッフによるコンペのスケッチが置かれていたが、今日は原稿に集中するのでこれは見ずに帰宅。文章の組み立てを3つ作りどれで行くか考える。気に入った一つをベースに一気に打つ。ディテールは後から検証するつもりでとにかく最後まで打つ。6枚程度と言われていたが8枚程度の量となった。多い分にはお好きなだけと言われたのでまあいいか。薬のせいかぼーっとするので今日はもう終わりにしよう。明日の勉強会の予習は明日。

柳澤氏来校

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by 卓 坂牛

午前中デザイン論の最後の講義。レポートの書き方の説明後時間があったのでリーテム東京工場の芦原賞受賞講演のパワポをつかって自作紹介。学生にはこの自作紹介がとても楽しいようだ。午後は製図第二の講評会。今日は柳澤潤氏にゲストで来ていただいた。先ずは彼に1時間のショートレクチャーをしてもらう。東京建築士会の住宅賞を受賞した「みちの家」から昨年末着工した塩尻の図書館などなど紹介してもらう。小さいものから大きいものまで徹底して道と壁柱を一貫したコンセプトとして貫いているのはお見事。講評会は僕が昨日選んでおいた28作品を発表してもらう。年々力がついてきているような気がする。柳澤氏からも「他大学に比べて一歩先を行っている」というような嬉しい言葉をいただく。しかし僕から言わせればまだまだ井の中の蛙。ビギナーズラック。この春休みにオープンデスクなどで勉強しないと、あっという間に低空飛行することになろう。講評会後セントラルスクエア(オリンピックの表彰式場)そばで懇親会。こうした懇親会で美味しいものに出会ったことはなかったのだが、今日はうまい。みそ仕立ての白子鍋と刺身がいけている。覚えておこう。最終で柳澤氏と東京へ戻る。塩尻のコンペ後から着工までの悪戦苦闘の話を聞く。技術的問題、市への説明の問題、構造評定の問題など。この建物の特徴は何と言っても構造である。厚さ20センチ長さ12.5メートル幅約1メートル程度の鉄板付きPC壁柱100枚近くで建物を支持するのである。スタッド付きの鉄板加工は松本で行い。それを埼玉のPC工場に運び12.5メートルのPCをつくり一枚ずつトレーラーで塩尻に運ぶと言う。建て方終了時は壮大な光景だろう。その時は是非見学したいものだ。長野にも久しぶりにいい建築ができる。

過剰の表現とは

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by 卓 坂牛

午前中修士の2次試験。午後コンペの打ち合わせ。その後4年、M2の様子を見る。夜学生たちとスパゲッティを食べに行く。食後昨日読みかけた岡真理『記憶/物語』岩波書店2000の続きを読む。再現不可能な出来事の過剰を我々はどう扱うのか?岡さんはホロコーストや従軍慰安婦の問題などについてその出来事の過剰さに言及し、それを我々は再現しなければならないし、分有しなければならないと言う。そうだと思う。しかしその方法は表現者の主体が出来事を「まとめる」という方向性ではなく、出来事が主体を「まとめる」という方向性でなくてはならないと言う。さてその場合どういうことが起こるか?出来事の過剰が主体の正常な抽象化を妨げる、あるいは狂わせる。その結果その主体の精神の疵としてほとんど無意識のようにその疵が表出される。そうした状態の中に受容する方は出来事の過剰を感得するのであろう。というのが岡さんの主張である。美しい情景を話して聞かせようと躍起になっている人間がいくら言葉を尽くしても伝えられないのに、例えば、ふっとした言葉の間に見せた遠くを見つめる透明な眼が多くを語ったりする。ちょっと次元は異なれど、表現と言う意味では建築にも似たようなことが起こり得る。建築も一つの出来事である。それは建築家と敷地との出会いであり、クライアントとの出会いであり、あるいは要求との葛藤からひらめいた自らの思考との出会いでもある。それらは一つのあるいは複数の出来事であり、その出来事の翻訳化された再現なのだと思う。そしてこうした出来事もホロコーストと比べるべくもないとしても、それでも過剰であり再現不可能性を持っている。しかし表現者はそうした過剰を表現するしかないのである。そしてその過剰を表現するためには主体が出来事を「まとめる」のではなく出来事が主体を「まとめる」のでなければなるまい。そのためには出来事に自らを晒し、こちらから「まとめ」にはいるベクトルを捨てなければならない。自分をして出来事を語らせる。そうした姿勢の結果として絞り出す何かが今アクチュアルな表現なのだと思う。