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Jan 2009

目黒美術館

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by 卓 坂牛

朝一で目黒美術館の石内都展を見に行った。「ひろしま」はだいぶ前にテレビで見ていたし、カタログも買って眺めていた。あらかじめかなり内容を知っている展覧会を見るのも珍しい。写真の展覧会はあたりはずれが多く(それは展示されているものがいい悪いではなく、僕の写真を見る感性の許容範囲が狭いということなのだと思うのだが)今日は妙に緊張して会場に出向いた。もちろん当たりだといいなあという期待をこめて行ったということだ。結果はとても考えさせられる僕にとっては良い展覧会だったhttp://ofda.jp/column/。最終日ということもあり石内さん本人がいて僕のすぐ脇でお客さんとずっと話し込んでいた。
午後は大学の書類作りと読書。小穴晶子『なぜ人は美を求めるのか』ナカニシヤ出版2008を読む。美学入門書ということで洋の東西を問わず基本的なことが書いてある。のだが、天内君も言っていたが、近代美学(カント)に触れられていないのは理由あることなのだろうか?この本もナカニシヤの津久井さんが担当されたようである。懐かしい。

大多喜町

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by 卓 坂牛

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コンペの敷地である千葉県の大多喜町に行く。電車で行くものと思っていたが、調べると高速バスが早い。電車よりバスが早いとは???なぜかよくわからぬまま東京駅からバスに乗る。アナウンスが流れこのバスがアクアラインを通り、東京湾を横断することを知る。であれば早いはずである。そしてこの自らデザイン監修したアクアラインに開通後初めて通ることを知りちょっと興味深い旅となった。東京駅を出発して川崎まで湾岸の高速道路を地上と地下を交互に進む。そのためかどこからアクアラインに入ったのかが分からぬまま10キロのトンネル。光が見えたところはすでに海ほたるを過ぎた橋脚の上。後方に過ぎ去った海ほたるはどこだろうなんて目を凝らしているうちに木更津であった。ここから1時間房総半島の中央めがけて進む。このあたりはその昔数回ゴルフに来た場所であり、そしてそこはとんでもない山奥だった記憶がある。記憶通り大多喜町はひなびた集落。町の中央まで歩き、そこで昼飯、スタッフに美味しいものを探しておいてと頼んでおいたら、ソバかとんかつだとか。別に名物と言うわけではなく、それしかレストランがないということのようだ。ソバを選ぶ。結構うまい。満足。駅前で鯛焼きを食べそしていざ町役場、土曜日だが職員が数名。お願いして屋上をみせてもらう。今井兼次独特のガウディに影響されたと自ら語るタイル細工の壁面を見る。この役場ができた1959年に僕も生まれた。僕と同じだけ生きてきた建物だと思うと感慨深いし、その年に今井がモダニズムに対抗してガウディの影響を明示しながらこの建物を設計したその反骨精神に頭が下がる。役場が見下ろせる丘の上にある大多喜城の復元まで登り町を一望。低い山並と林の連続。長野でもない、武蔵野でもない、房総のランドスケープを感じた。

分かること

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by 卓 坂牛

午前中デザイン論の講義、午後製図。昼休みはm2や4年の梗概を読む。あまりに分からないので帰りがけ丸善に行って、(いつもならアートや哲学に行くのだが)、今日はハウツー本のコーナーに行く。先ずは短時間で梗概を読む力がないのだろうか?と自分を疑い、川辺秀美『カリスマ編集者の「読む技術」』洋泉社2009を。更に自分はいつも「分からない分からない」と言うのだが、ではいったい「分かる」とはどういうことなのか?ということを知るために畑村洋太郎『「わかる」技術』講談社新書2005を買った。書店の喫茶に行って斜め読み。えてしてハウツー本と言うやつは欲しい知識が得られないものだが、ひとつ分かったことは、(これはアメリカのreading授業で教わったことでもあるが)本を読むときはanticipationが不可欠ということ。つまり何が書いてあるかをあらかじめ予想してかからないと理解不能になり得るということである。川辺の本にはそう言う実例がいろいろ載っていた。クリーニング屋さんの会話とか、出版業界での会話など。言葉は簡単だが、ある種のジャーゴンが含まれているので状況を知っていないとそれらのジャーゴンの内容を推測できないのである。梗概も数が多くなると僕の知らない言葉も出てくる。それは僕にとっては一種のジャーゴンでありそれを推測するには予想が不可欠ということだ。もちろん予想したからなんでも理解できるというようなことなら苦労しないのだが。さらに分かるということはどういうことか?一つの教えは身近なところに話が敷衍出来る場合分かりやすいということ。つまり観念的な言葉が羅列されているものでもそれが具体性を帯びる場合は読者のイマジネーションに接続しやすいということだ。つまり思惟的な文章の分かりやすさはそうした言葉を選ぶセンスにかかっている。まあ現状は言葉の選択以前でもあるのだが。

背中

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by 卓 坂牛

昨番の背中の痛みは半端じゃなかった。とっさに「が〇」の2文字が頭をよぎり、精密検査の4文字が浮かび上がり、放射線科の先生となった才女Wに電話。お医者さんは早い。8時ちょっと過ぎに病院にいらっしゃる。「寝ると背中が痛い。MRIを撮ると解明できるのでは???が〇の可能性は???」「が〇なら一日中痛い。MRIは意味なし」と言われ可能性ある病気の病名を告げられ、これなら薬を飲めば治ると言われ、先ず内科。さすが才女W淀みなく理路整然と電話問診での指示であった。最悪の可能性を否定されたので気分が良くなり現場に。少し遅刻。徐々に内装の細かいつめとなってきた。昼事務所に戻り忘れかけていた背中、、、を思い出す。てっとり早く薬をもらう方法はないか?そこで内科ではないが、(小児科だが)やはり級友に電話。というわけで朝W氏に言われたことを告げ、、、「薬処方してよ」と言いたかったが見ていただいてもいないのにそんなこと頼むのはさすがに失礼。と思い返し、どう思う?と聞くと、「筋肉痛じゃないの???」と言われた。「でも筋肉自体は痛くないんだよ」と言うと、「君が背筋と思っていない背筋が痛いという可能性もあるでしょ?」と鋭いことを言われ、連休明けまで様子見たら?とさびしく突き放された。それならそれが一番助かるが。

次はあんこう

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by 卓 坂牛

東京も寒い。今年最初の事務所出勤。仕事始めは数日前なので事務所自体は少し温まっているようで一安心。年賀状の整理。もう今日で最後だろうか。パートナーと1月のコンペの話題。柏崎のホールか?大多喜町の庁舎か?庁舎は今井兼次設計のdocomomo建築をリノヴェーション、増築するもの。プログラムは後者がいまどきのテーマだし、おもしろそうである。が審査委員が、、、、建築家は二人、古谷さんもいるのだが、委員長ではない。大半は町の人たち。浅草のコンペに感じられたことだが、どうも町の人の力が大だと選択される案がポピュリズムに流れる。それが事前に分かると、どうしても建築家のポリシーのぶつかり合いではなく、審査委員の嗜好の読み合いになる。それはちょっと勘弁願いたい。とは言うものの、やはりプログラムの面白さには勝てず大多喜町をやることにする。事務所+大学m1精鋭部隊で行こう。
最近連夜寝ると背中が痛く寝付けない。この痛みを取るべく八潮の人たちとの新年会の前に店のそばの浅草ロックス7階のスパに寄る。スチームサウナのタイルのベンチの上に仰向けに寝ていたら少し気分がよくなった。
八潮の人たちは皆大学の先生。1月の大学は卒論、修論で修羅場なのだが、それでも国際コンペをやっている研究室もあり感心した。この時期平気?という心配の声などどこ吹く風。この時期何を焦ったところで何も変わらないとどっかり構えている。ご立派。東北から、神奈川から、遠路はるばる御苦労さま。論文無事通したら2月末には日立であんこうを食うスケジュールを決めて解散。

ニコッと笑うオヤジ

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by 卓 坂牛

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Robert Frank “Hotel Lobby -Miami Beach” The Americans
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足のお皿を手術してからランニングもままならず、大好きなサッカーも出来なくなった兄は一眼デジカメに夢中となる。今日帰宅すると年末年始に会食した時の写真1ギガ分のDVDが届いていた。無精者の兄貴がこうして送ってくるところをみるとよほど撮った写真を見せたいということだろう。
その中の一枚「オヤジとオフクロ」。なかなかいい写真である。しゃべっては怒声をあげるオヤジが珍しくにこっと笑う。ロバートフランクの写真集Americansの中の一枚hotel lobbyに映る、いかついオヤジとやさしそうなオフクロの写真を思い出した。実はこの写真は僕の建築の規則「包容性と排他性」の講義で最初に映す写真である。建築にもこんないかついオヤジとやさしいオフクロがいるよという話である。その講義の結論はこれからの建築は強いオフクロたれ。であるが、ニコッと笑うオヤジたれというのもいいかもしれない。

極寒の地

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by 卓 坂牛

大学仕事始め。年を越したら長野は半端じゃなく寒い。一昨日読んでいたペンギンの話は南極での観測がメイン。読みながら極寒の地を想像し震えていたが、昨晩は暖房つけっ放しなのに震えた。これから2か月、僕にとって長野は死の季節である。朝から会議に加えて少し重い宿題。しかし今年はこういうことを上手に利用して長野での生息領域を拡張することにしたので、重いと思わず積極的に利用する。10時から学部長の年頭挨拶。日建時代の社長挨拶を思い出す。社長挨拶は冬休みに根をつめて考えたであろう思考の軌跡をそれなり感ずるものであった。それに比べると工学部長のそれは気軽なものである。まあ大学というものは組織力で戦うようなものではないのだから当たり前ではあろう。しかしこれからは大学とて一企業として戦う側面も出てくる可能性もある。そうなっては欲しくないが。
午後4年m2の梗概修正をまとめて目を通す。うーんまだ真っ赤にしたくなるものが散見される。こっちも向こうも大変だなあ。でもまあやらざるを得ない。設計はだいぶ形が見えてきた(今頃かよ??)。見えてくるとこちらも言いたい。「言ってることとやってることが違うだろう?」「やろうとしていることがすでに矛盾しているだろう?」などなど。あと三週間で完成するのだろうか?坂牛研の最初の修士設計の時は年が明けたら模型の3分の2くらいはできていていたように記憶しているのだが?記憶違いか??

美術史

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by 卓 坂牛

「建築史で語られる建築は教会か宮殿」とは誰もが言うこと。だから建築史からはみ出た建築がたくさんあり、それが実は凄いと口では言う。バーナード・ルドルフスキーの『建築家なしの建築』なんていう本の魅力を知った顔して語ったりする。でも自分は本当にそんなヴァナキュラー建築を知っているのだろうか?と少々不安。そんな不安を一層高めてくれるのが、佐藤道信『美術のアイデンティティー』吉川弘文館2007。著者曰く、美術史なるものは市民革命後の近代社会が過去の宮廷コレクションと教会文化を陳列し、さらには自国の帝国的権威を誇示するために作られたmuseumという制度の基礎を作る学なのであると言う。ということは同じ様に建築史も多かれ少なかれ(museumという制度の中にははいらねど)、自国の遺産を誇示するための分類指標であると考えて間違いなかろう。であれば権威に裏付けられたものしかここには登場しないのはやむを得ぬこと(もちろんこうした美術史は19世紀までのものでありモダニズムはそもそも教会も王権も基盤としていないのだからその分類指標も全く別物になる)。僕らはモダニズムより前の世界の建築(日本はまだ身近なので)の本当の姿を知らない。と謙虚に受け止める方が多分正しいのだろう。この美術史という制度はあまり信用しない方がいい。

写真

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by 卓 坂牛

昨番は姪っ子が泊まりに来た。今朝僕の部屋にやってきて、読み始めた本:アン=セリーヌ・イエガー著小林美香訳『写真のエッセンス』ピエ・ブックス2008を横取りして眺め始めた。小学三年生の彼女のお父さんは舞踏を取り続ける写真家である。さすがだなあと思っていると、トマス・デマンドの模型写真がお気に入りの様子。「これは模型写真なんだよ」と教えるとうなづきながら「まるでチョコレートのようね」と言う。確かにそう見える。さらにとある肖像写真を見ながら「この写真は何を伝えようとしているのだろうか?」とつぶやいた。これにはびっくりである。何時も父親が写真を見ながら「これは何を言おうとしているだろうか?」と聞くのだとか。午後事務所に寄って少し仕事。数名仕事をしていた。今日は正月、二日とは違ってかなり寒い。事務所の中も冷え込んでいる。やることを終わらせて早々に退散。風呂につかりながら佐藤克文『ペンギンもくじらも秒速2メートルで泳ぐ』光文社新書2007を読む。水中動物に測定器をつけて体温、水温、深度、加速度などを測定する。こうしたデーター取得に基づく生物学はバイオロギングサイエンスと呼ばれ、生物研究のフロンティアなのだそうだ。観測するなんていうことは小学校の理科程度のたいして知恵も能力も不要な学問の基礎のように思われるが、南極の海中でしかできないこととなった瞬間それはとんでもない高度で国家的(大学的?)科学になるというのも不思議なものかも(言い過ぎか?)?

2日恒例

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by 卓 坂牛

夕方まで昨日読み始めた『歴史の終わり』下巻を読む。夜は1月2日恒例となったかみさんの兄姉その家族との会食。今年は渋谷の中華料理。渋谷ハチ公前あたりはすでに混雑し始めている。副都心線ができたおかげで渋谷まで10分で行けるようになった。なんのためにできた電車かいまだによくわからないが、とりあえずわずかだが便利になった。中華の後は子供も多いのでボーリング。10年ぶりくらいだろうか?2ゲームしかやっていないが腰が痛い。