On February 8, 2009
by 卓 坂牛
事務所で雑用。誰もいない事務所は寒い。亀沢町のコンペのデーターをダウンロード。1月,2月にコンペがた立て続けにあるというのも珍しい。締切は3月頭だから結構厳しい。しかし「北斎の町亀沢」はその昔菊竹さんが審査委員長でアーバンデザインのコンペがあったところ。そのコンペで僕らは実質的に最優秀賞をいただいた(最優秀該当なしだったが優秀賞数点の中では一番いい評価だったと勝手に思っている)。というわけで町の雰囲気は知っているつ。その時のアイデアが役立つだろうか?
午後帰宅して一人でランチを作って食べて、さて、谷川さんから頂いた『シュルレアリスムのアメリカ』みすず書房2009を読み始める。シュルレアリスムのまとまった本を真面目に読むのは初めてである。いきなり序章のタイトルが、ブルトンVSグリーンバーグ。いったいどうして?「・・・・つまるところ、本書はブルトンとグリーンバーグの言説を両軸として構成されるシュルレアリスム美術論であるといっていい・・・」ということだ。ちょっと乱暴だが20世紀美術はつまるところモダニズムとその他という2項対立図式におさまるということなのだろう。そして「その他」は「その他」で網の目状につながっている。本書はそんな網の目めぐりなのかもしれない。すでに1章は「ブルトンとピカソ」と題してプリティヴィズとの関連が語られる。参照されているウイリアム・ルービン『20世紀美術におけるプリミティヴィズム』淡交社1995はなかなか良書のようだ。ネット古本屋に注文した。
On February 7, 2009
by 卓 坂牛
午前中国立新美術館に行って加山又造展と文化庁メディア芸術祭を見たhttp://ofda.jp/column/ 加山の日本画はしゃれている。顔料にも工夫があり、ものによっては工芸のようでもある。ロビーでサンドイッチを食べながらコラムに感想を書いた。いつも思うがここの食べ物は高い。帰宅後石原千秋『秘伝大学受験の国語力』新潮選書2007を読む。この本は大学受験の参考書ではない。受験国語の変遷を見ながら国語の変化を追うものである。明治35年の一高の入試問題が載っている。これはすごい。全く分からない。ジャンルは3つ、国語解釈、国語文法、漢文解釈。全部で3時間。文章を読ませ、それについて設問があるわけではない。どれもいきなり次の文章を解釈せよとか次の熟語の読み方と意味をかけなどである。国語の問題は今でこそ(僕らの時にすでにそうだったが)答えは問題文章中にあるというのが鉄則だがその昔答えは問題分の中には無かった。いや正確に言えば、問題文章なるものがそもそもなかった。つまりすべては暗記なのである。それは古文であり漢文であり文法であり漢字である。それが徐々に変化する。昭和初期の国立大学の文系、理系の現代国語を見るとこれは読む文章なるものがある。しかし国語の素養と呼ぶべき暗記的知識もないと答えられない。さて、それがマークシートになるとかなり変わる。2003年のセンタ試験が載っていた。第一問は評論文である。やってみた。答えは確実に文章中にある。必要な力は二項対立整理力と、複数概念を束ねて抽象度の高い概念にまとめる力。さて第二問。これは遠藤周作の小説。著者に言わせると小説の読解は評論に比べ訓練を要する。評論は論理性なので数学的であるから答えはルールに従い自動的に出る。一方小説は論理性ではない。そこで言わんとすること(世界観)を推理しなければいけない。しかるに勝手に世界観を作り上げると正解に行きつかない。そこで求められるのは学校的倫理感だという。回答者はこの手の問題を数多くこなし、学校的倫理観の常識を身につけその世界観の中で問題文の言わんとするところを推理せねばならないのである。やってみるとあやしいところがいくつかあった。僕には学校的倫理感が欠如しているからであろうか?いやはやこんな力を問うということに何の意味があるのだろうか?なんだかおかしい。
On February 7, 2009
by 卓 坂牛
本日は卒論発表会。朝8時半から始まり一人7分。終わったのは5時。面白い視点もいろいろあった。卒論としての形式や体裁とオリジナリティを両立されるのはなかなか大変だが、そう言う意味で優れたものも一つ二つ見られた。終わって成績をつける。さて帰ってコンペの最後を見るか、もう少し待ってデーターをチェックするか?事務所に電話。30分したら送るとのこと。学食で夕食をとって戻ってデーターチェック。最後の修正を指示。7時のバスに乗るべく駅までちゃりんこ、平安堂に駆け込み平積みの一冊を買う。扇田孝之『東京発信州行き鈍行列車30年―まちの味わいいなかの愉しみ』現代書館2008。帯に上野千鶴子の推薦があったのが目についた。東京で30年生きた人が人生の後半を大町で30年生きたその差を書いた本である。東京と田舎の差のいいところ悪いところが書かれている。彼の視点は公平だが僕には田舎の辛いところの方が気になる。東京に着く前にコンペの最終シートが送られてくる。まあ最後はこんなものかな?
On February 6, 2009
by 卓 坂牛
朝、事務所から送られてきたコンペのシートをチェックしてメール。4年生は明日卒論発表会。前回の練習で5分に収まらなかった人の分だけリハーサルを聞いたのだが、やはり5分に収まらない。明日はなんとかなるだろうか?午後から3年、m1のガイダンス。就職やら、研究室所属やら。空いた時間に修論を読む。夕刻また送られてくるコンペの修正シートを見る。なかなか時間がかかる。CGにたくさん注文を出しているのだがなかなか直らない。夕刻留守電に某設計事務所から就職エントリーのお誘い。と思ってホームページを見たら〆切が明日ではないか。誘うならもっと早く、、、、夜またコンペシートが送られてくる。まだまだ。締切は明日の消印。もうひと頑張り。
On February 4, 2009
by 卓 坂牛
朝一で現場。家具工事と塗装工事が追っかけっこ状態。外部足場がとれた。外装のディテールはもうひと工夫あったようにも感じる。事務所に帰る途中新宿の柿傳ギャラリーで「和菓子のかたち展」を覗く。5人のクリエーターによる新しい和菓子のデザインということで今村創平、西森睦雄、橋本友紀夫(インテリアデザイナー)、松下計(グラフィックデザイナー)、皆川明(ファッションデザイナー)による和菓子のデザインの展覧会。制作は「とらや」である。その昔建築家によるマカロニのデザイン展覧会というのがあったけれど、それに近い。越境して他人の庭を荒らすというのはなかなか小気味良い経験であろう。そして見る方はそれを期待している。つまり適度にorthodoxyをぶち壊してくれることが愉快なのだと思うが、それにしてはどれもプロのように上手でありやや期待外れ。今村君のだけが和菓子っぽくなくて楽しめたhttp://www.kakiden.com/gallery/2009/0203.html 。会場でばったり山本想太郎君と会う。Detail廃刊を二人で嘆く。
10+1のウエッブサイトに僕の原稿と一緒にアップされる予定だったアンケート(80年代の記憶に残る書籍と展覧会)が遅れてアップされているhttp://tenplusone.inax.co.jp/archives/review/topics/0901/enquete/ 。五十嵐さんが私同様、石上さんの本を挙げている。彼がプロデュースしたようなものだから当然か?クロード・パレンの『斜めに伸びる建築』を挙げている人が数名いた。しかし翻訳されていないがパレンとヴィりリオの編著である『function of the oblique』の方が内容は濃い。倉方さんが菊竹さんの復刻版『か・かた・かたち』を挙げていた。これは日本建築史上の数少ない建築論だと思う。今村君がヴィドラーの新刊を挙げていた。納得。これはきっといい本に違いない。更に彼は建築と全然関係ないが、水村美苗の『日本語が亡びるとき』も挙げている。海外経験が多少あってアンテナが向こうを向いている人はこの本に少なからず心乱される。槻橋さんは拙著を選んでくれている。ありがたき幸せ。コンペのドラフトをチェックして夜のバスで長野へ。
On February 3, 2009
by 卓 坂牛
博士の2次入試を終えてキャンパス計画の会議。結構かかった。終わって部屋に戻るとm2の梗概のプリントアウトを学生が持ってきた。5日が提出。その前に一度見ておくべきかと思い一応チェック。もう文章はいいと思ったがやはり分からないところがあるのを分かったふりをするわけにもいかず、「分からない」と赤を入れる。問題は写真や図版。やはりまだpoorだな。意匠系の部屋の梗概は内容もさることながらパッと見のヴィジュアルが大事なんだけど。
終わって7時のバスに乗る。最近バスですね。車中、多木浩二、藤枝晃雄監修『日本近現代美術史事典』東京書籍2007を読む。この本、事典というタイトルだけれど読み物である。この監修者であるから東と西と漏れなく書かれているように感じられる。幕末からハイレッドセンター(60年代)まで一気に読んだ。こういうのは初めて読んだのだが、断片的な展覧会の記憶が時間軸の上に整理整頓された感じである。
On February 2, 2009
by 卓 坂牛
午前中学科会議。午後長野市の委員会に出て夕刻学部生の発表会の予行演習を聞く。日曜日に練習しておくように言ってあったのでそこそこ形はできているが、論文系の発表で5分はかなり厳しい。相手に語るように話さないと分かってもらえない。棒読みだと伝わらない。
どうも昨日読み終えた『日本語が亡びるとき』がずっしりとボディーブローのように効いている。水村の論旨は昨日書いたとおりだが、国語を守れという最終結論にたどり着くまでに彼女はかなり遠回りをする。その遠回りのポイントは次のような点だ。世界にある言語は普遍語、地方語、国語の三種類。彼女の分析では普遍語とは西洋ではラテン語であり東洋なら漢語。そして地方語はもともと話し言葉であり普遍語が翻訳される時に生じた言語に過ぎない。西洋ではラテン語が翻訳されて、英語、ドイツ語、フランス語が生まれた。日本語は漢語が翻訳された時に生まれた。そして西洋ではラテン語の衰退とともにこれら3つの言語が暫定的に普遍語の地位を築き、明治維新後日本はこれらの言葉を必死に翻訳し新たな語彙を生んだ。旧制高校が語学学校だったのはそう言う理由からだ。そして現在世界の普遍語は英語一つになりフランス語もドイツ語も日本語と同じ地方語となったと著者は言う。日本語はフランス語と同等だと喜ぶべきか、それともやはり地方語に過ぎないことを悲しむべきか?僕は残念ながら後者である。水村は多分英語をネイティブ並に使えるからこういうニュートラルなことを平気で書けるのだろう。僕はたどたどしい英語を恥を忍んで必死に使いアメリカで大学に行った。そして同級生のヨーロッパ人を見ながらああヨーロッパに生まれていればこんなに苦労せずに済んだのにと我が身を恨んだのだが、またあの苦い思い出を蒸し返された。そしてやはり日本人は世界の田舎者であり、どんなに背伸びしても世界人にはなれない。いくらオリエンタリズムを恨もうと、それは仕方ないことかもしれないという諦観につながるのである。そう悲しむ裏にはもちろん日本と言う狭い世界の中だけで生きていくつもりがない、あるいは生きていけないという覚悟があるからである。そしてそう思っている人間にとって日本人に生まれたことは生まれた瞬間にハンディを負っていることになる。もちろん誤解なきように言うが僕は日本文化を素晴らしいものだと思っている。それはずっと継承されるべき世界の宝である。しかしそのことと僕らが世界の中で生きていくことは別問題である。この年になってこのことを再度考えさせられると憂鬱である。娘がよくハリウッド女優をテレビで見ながら、「ああ私はなぜ日本人に生まれたの?」と冗談半分に嘆息を漏らすが、もはや外観の差が東洋人を劣位に置く時代ではなくなった。しかし言葉の問題は決定的である。これはそう簡単に乗り越えられる問題だとは思えない。
On February 1, 2009
by 卓 坂牛
午前中娘と英語の勉強するのと(これは英語を教えると称して忘れかけた単語を思い出す作業である)午後オペラシティに展覧会を見に行くhttp://ofda.jp/column/ 以外は家の中でも、長野に来るバスの中でもずっと昨日読み始めた水村美苗『日本語が亡びるとき』を読んでいた。久々に著者を感じ、その人が真剣にこちらを説得しようとしている文章と言うものに接した気がした。著者の言わんとすることを簡単に言えば以下のようなことになる。世界は英語を普遍語とする時代に突入し、それにインターネットの普及が拍車をかけた。しかるに日本人の英語力は悲しいほど低い。そしてこの免疫力の無い日本に英語が浸透してきた時に最大の問題は英語強迫症による国語の過小評価である。いつの間にかずたずたになった日本語の前で英語もろくに話せない日本人がおたおたしているだろう。と著者は嘆息をもらす。まったく同感である。ナイーブな日本愛好家とは違い著者はこよなく日本を愛しながら目は世界を見ている。
10+1のウエッブサイトに「過剰の現れ」という論考をアップしたhttp://tenplusone.inax.co.jp/archives/2009/01/30140718.html 。興味のある方はぜひご一読を。去年の気になる建築論について書いてほしいと荻原さんに頼まれたのだが日本に建築論は少ないのでマニフェストや作品集まで広げて書いてみた。吉本ばななのから始まり最後は乾さんへと続くはなしである。こういう文章もしっかり英文併記で書くべきなのだと水村さんの本を読んで思うようになった。日本語で書いているうちは、国外には存在しないのも同じである。