On March 12, 2009
by 卓 坂牛
このところ温かい日と寒い日の温度差が5度くらいあろうか。今日はひどく寒い。三寒四温である。こんな日に長野に向かうのは勇気がいる。寒くならないうちになるべく早く出たいのだが、なんやかんやと事務所の雑用に追われ結局乗れた電車は9時過ぎ。車中『鄧小平』の残りを読む。毛沢東とともに中華人民共和国建国の立役者であったのも束の間。毛沢東と対立し地方で労働者として教育される。そして3年後毛沢東に反省の書簡をしたため、それが認められ再登用。しかしそれも束の間、文化大革命で再び失脚。その後また復活。再度天安門事件で影の指導者と疑われ軟禁。毛沢東死後中央政権に戻り毛沢東派の華国鋒としのぎを削り勝利。不撓不屈の人生である。もちろん中華人民共和国の基礎は毛沢東原理の上に築かれているとしても現在の資本主義的社会主義路線を敷いたのは現実主義の鄧小平であろう。資本主義国がこの金融危機で社会主義化していると言われているが、残る社会主義国はますます資本主義化していくのかもしれない。そうなると世界の国の体制はある共通な枠の中におさまるような気にもなる。昨日の話が思い出される。
On March 11, 2009
by 卓 坂牛
「サッカーと金融を語る」という会に誘いを受け行ってみた。演者はクラブの先輩で某銀行の頭取。年齢はちょうど僕の一まわり上。タイトルが不思議だが、サッカーに必要な技とメンタリティが金融を扱う上でも重要だということだった。多少無理やりと言う感もないではないが、、。この人の話によれば僕らの高校が日本サッカー創始の場所。だから当時は(と言っても我々と12年しか違わないのだが)都内でサッカーやっているところも少なく東京都優勝は当たり前。その上全国大会でも4位だったとか。素晴らしい。話が金融に転じ、今回の問題がかつての金融危機と異なる点としてグローバリぜーションを指摘していた。つまり今回の危機は世界が一つの国であるかのごとく発生し連動しているというのである。そこで、この危機を乗り切りるためには世界が一つのチームであり、各国が1チームのプレーヤーであるかのごとくふるまうことが必要だと説くのである。なるほど。
さてこの講演会は我々の高校obが毎月行っているとか。すでに884回めというから7~80年続いているようだ。こりゃ驚き。誰が企画運営しているのか知らないがその持続力に頭が下がる。加えて演じる人が尽きないというのも凄いものだ。しかも今日の出席者は100名近いのだが、年齢的には僕は下から5番目。年をとっても皆元気なのには驚かされる。
なんだかパッとしない天気である。降りそうで降らない。横浜にダンスを見に行く途中、K-projectの現場に立ち寄る。明日役所検査だがまあなんとかなりそうである。よかった。因みに15日(日)オープンハウスの予定。現場をあとにして横浜レンガ倉庫へ。レニバッソによるエレファントローズを見る。去年の10月公演の時は前日友人が10人以上我が家になだれ込み、泊まった一人と次の日のんびりと飯を食っていたら公演のことをすっかり忘れた。チケットは持っていたのに。その前に見た時はインプロビゼーションを方法的に確立していたが、今日の演目はそうした規則性は感じられない。しかし運動の相互関連性や、映像、音楽との合体であることは前回同様である。そしてその動きは先日見たクラウド・ゲイトの「緩」に対し、より「急」でありスピードによる緊張が感じられた。僕はどちらかというと後者が好みである。研究室の学生と会う。2人はレニバッソの主宰者北村明子(彼女は信大の准教授でもある)の講義をとっていた。僕の研究室の学生には北村さんの講義をとるように勧めているのだが人文は松本でちょっと遠い。しかし都会じゃ1時間かけて大学に通うなんていうのはざら。世界的なダンサーの講義を15回ただで聞けるなんて魅力的だと思うのだが。学生と中華街でビール。東京建築コレクションで研究室の神山君が古谷賞、木村賞を取ったと言う速報に盛り上がる。
7時に車でプードンに向かう。クライアントの中国支社長に送ってもらう。彼は北京出身なので北京に是非来いと誘われる。北京は文化の町、上海は商売の町。日本で言えば北京は東京で上海は大阪だと言う。しかし文化の町といえども中国共産党が北京を首都に制定して町づくりを行った時、歴史的町並みの8割は破壊してしまったとか。なんと残念なことか。その意味で歴史的街を残し新都市を作った中国都市が少し小さいが蘇州だそうだ。北京はもちろん、現場のある大倉からすぐ先の蘇州にも行っていない。上海にこれだけ通って、どこも見てないのはもはや忙しいでは許されまい。これは日程調整の面倒を回避する怠惰である。
機内、読みかけの竹田青嗣『人間の未来』を読む。近代社会の基本を作ったのがホッブス、ルソー、ヘーゲルであり、ヘーゲルへの現代的批判は十分承知した上であえて「自由の相互承認」というヘーゲル概念の有効性を説いている。年初にフランシスフクヤマの『歴史の終わり』を読んでからヘーゲルへの評価は僕の中では高く、竹田の意見も理解できる。
今日の東京はぽかぽか陽気。極寒の上海から帰ってくると日本は春。リムジンで東京駅へ。八重洲口へ着いたので八重洲ブックセンターによって帰宅。さっさと風呂に湯をはり湯につかりながら読書。中国行けば中国への興味が高まるわけでブックセンターで買った矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003を読む。
午前中現場を隅々まで見ながら気になることをナカジに伝える。言ってももうどうにもならないことからこれからやることまでいろいろあるのだがとにかく可能な範囲で反映してもらう。昼は初めて現場飯を食べる。いつも車で近くのレストランに連れて行ってもらっていたのだが、現場の昼食というものをいつか食べたいと思っていた。願いかなったり。そしてこれが実に美味しい。
午後は朝見てチェックした内容をゼネコンに指示。電気サブコンが食堂につける照明の提案器具をもってきた。大きな段ボール箱を開けてできたのがこの写真の器具。白熱灯の巨大ヴァージョン。フェイクだけど結構笑える。これが天井に24個ぶら下がる。居酒屋のようだろうか?今日は昨日までの長雨がやっと上がり晴れ、昼間は暖かだったのだが夕刻はまたぐっと冷えてくる。夜は北京名物の羊のしゃぶしゃぶを食べる。脂っこい中華に飽きたらしゃぶしゃぶはほっとする。夜メールを開くと事務所からメール。パートナーの伊藤君がとある建築賞を受賞したとのこと。やったー。
また1時間遅れ。10時45分上海プードンに着く予定の飛行機が着いたら12時。前回は2時間遅れ。現場に早く着くべく始発のNXで来ているのだから定刻通り運航しておくれ。機内でIker Gill ed. `Shanghai Transforming` New York 2008 を読む。読むと言っても内容はほとんどが統計グラフ。しかしこのグラフがデザインされている。加えて10名くらいの建築家、都市計画家などのエッセイがのっている。これを見ると上海の建設延床面積は2000年342,060,000㎡、2005年が641,960,000㎡と約倍、すごい伸びに驚く。そこから5年はどうなっているのか分からないが。そのうち住宅建設床面積は2000年が48,040,000㎡、2005年は82,570,000㎡とやはり約倍。一方登録人口はというと2000年が1320万、2005年は1360万と40万しか増えていない。2001年から2004年までの各年のデーターが無いので何とも言えないが、人口の増え方に対して建築の増え方が激しい。浮遊人口や外国人が大幅に増えているのか?作るのと同じくらい壊しているのか?いずれにしても都市の新陳代謝が激しい。ヴェンチューリのエッセイを読むと、彼はローマ、東京とともに上海は好みの都市。その理由は歴史的に異なる時間が並置されているから。これも新陳代謝の堆積の結果だろう。
空港から迎えの車で現場へ。上海は例外的な冬の長雨で現場はぐちゃぐちゃ。着くなり工場の床のコンクリートの伸縮目地の話で悩ましい問題。現場を見る。かなり冷え込む。体が凍りそうである。金箱氏に電話で幾つか質問。夕刻やっとつかまり方針が出て一安心。
早朝2時間仮眠、コンペ最後の印刷物に目を通し大学へ。鞄に入っていた週刊新潮の書評におもろい本を発見。斎藤由香、北杜夫『パパは楽しい躁うつ病』朝日新聞出版2009。早速東京駅の本屋で買ってアサマに飛び乗る。斎藤由香は週刊新潮に「トホホな朝ウフフの夜」という連載を持っている自称窓際OL。ただのOLのコラムにしてはかなり長く続くと感心していたのだが、、、北杜夫の娘とは知らなかった。この親子は相当仲良し。父が躁鬱になろうと娘はそうした父をまるごと引き受けている。なかなか素敵である。最後に、北杜夫の兄、精神科医齋藤茂太の言葉が語られる。「僕の病院に来る患者さんはみんな120%頑張った患者さん・・・60%で満足するかどうかが幸せな気持ちを充足するんですよ」確かにね。私のそばにも60%の人がいる。自称天才のこの人は努力と言う言葉を知らない。私に向って「努力型のあなたは偉いが、体を壊す」と警告する。こういう人がそばにいてくれてほっとする。週刊新潮では福田和也の時評もよく読むがこの号では『R25の作り方』が取り上げられている。しかし読んだらほとんど内容紹介。これなら僕のブログと大差ない。もうちょっと辛口で行っていただかないと福田ではない。手を抜くな。
大学で会議その他雑事を済ましてアサマに。Cpuを開くと学内gp採用のメール。ほっとする。睡眠不足の時に限って電車で眠れない。竹田青嗣『人間の未来』ちくま新書2009を読む。哲学でも読めば眠れるかと思いきやどんどん目が冴える。不思議なものである。東京に着いてオーチャードホールへ。台湾のダンスカンパニークラウド・ゲイト(cloud gate)を見る。マース・カニングハムらに師事した台湾の天才的振付師リン・ファイミン率いるカンパニーである。ダンサーに書道をやらせその呼吸を身につけさせているというだけあってタイミングが絶妙だ。しかし今日はあることを思った。久しぶりのダンスだから仕方ないのだが、かつて見たどれかとあまり区別がつかないということに気づいた。それは振り付けの言葉を知らないからなのだと思った。動きをネーミングして記憶できないでいるから動きの差を識別できないのである。僕らはだいたい、音楽でも絵でもまあもちろん建築でも技法をあるいは表現のヴォキャブラリーを言語として知っている。ダンスと同じ体を動かすことなら例えば運動を考えてみればいい。シュート、トラップ、パスなどやはり動きに名前が付いて言葉によって分類し、記憶している。ところがダンスは分からない、足を上げる、手を回す、首を振る、程度の識別だ。これでは微差は認識できない。今月はあと二つダンスを見るので、名前なしで何とか動きを比較できるようになれるかもしれないが。
6時に家を出て駅まで自転車。朝早いこともあって耳が凍りつきそうに寒い。6時37分の長野始発のアサマに載ってディズニーの本を読む。大宮で睡魔に襲われ終点まで熟睡。一度帰宅し歯医者によってから事務所に。コンペの最後の追い込み。文章を練りながら。全体にあてはめ、量を見ながら推敲。空いた時間に今月末行う研究発表会の報告書の表紙を作って事務局に送る。ファイルをダウンロード 。その後は竣工間際の住宅の考え方を整理。文章にしてみるとやっとやりたかったことのもやもやしていたものに薄明が差し込む。先日お会いした女性社長からメール。予定していた敷地になにがしかの瑕疵があったとのこと。ショックを受けている様子だが、なんとか別の土地を探し、ゴールの時期は変えたくないと力強いお言葉。ガッツを感じる。久々に朝までコンペの最終稿に朱を入れる。
午前中はずーっと会議。午後は推薦書を書いて、コンペのドラフト見て、構造、設備の意見を聞いて、レポート採点して、コンピューター入力。などなど。その後アラン・ブライマン能登路雅子監訳『ディズニー化する社会』明石書店2008を読む。ディズニーに関する書籍は数多くある。僕自身新書を数冊読んだことがある。日本に多くあるならアメリカでは言うに及ばず。そうしたディズニー研究はディズニー物語の作られ方に関するものが主流だと言う。つまりは残虐な童話がいかに無菌化されて現代のお子様向けに作り直されているかという視点である。著者はそれをDiseneyficationと呼ぶ。一方彼の狙いはディズニー文化が単にディズニーランドを作る手法に留まらず経営管理などのビジネスの手法として汎用性を持つことを検証する点である。こうしたディズニー文化創作手法の汎用化を著者はDiseneyficationと区別してDiseneyizationと呼ぶ。そしてその手法としてあげられるものが4つ。テーマ化、ハイブリッド消費、マーチャンダイジング、パフォーマティブ労働である。ディズニーに絡む仕事をした時のことを思い返すと、これらの手法に思い当たる。ディズニーランドの横に建っているイクスピアリはホテル・シネコン・物販・飲食なるハイブリッド。マーチャンダイジングとはロゴやキャラクター管理を徹底化して、それらを商品化販売することだそうだが、そのためのキャラクターの形状管理はとても厳しい。そしてパフォーマティブ労働。彼の地では働く人を役者に仕立てキャストと呼ぶ。つまり役者である。そうやって働くことの意欲を掻き立て人気を高め倍率ををあげて人を厳選する。などなど。そう言えばそうだと思い当たることしきりである。
夜、とある会合。そのまま東京に帰るつもりだったが、忘れた携帯を大学にとりに行っていたら帰れなくなった。夜中、中国のナカジからコンペドラフトの実にきめ細かなチェックがメールされてくる。ありがたい。