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Apr 2009

グレー攻撃

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by 卓 坂牛

仕事でも、人間関係でも、世界の事件でも、当たり前だが、自分の期待する展開がある。この件はこうなると嬉しいなあと思うことがある。しかし世の中そんな思いどおりになることばかりではない。確率的に半分くらいは想定外に展開する。分かっちゃいるがそうなると気分が晴れない。平均すると年に十回くらいはこのグレー攻撃にやられる。つまり月に一回弱起こる。しかし、今日はそのできごとが三つ一遍に身に降りかかった。なんとも痛ましい。口頭、電話、メール。ものの一時間の間に見事に集中して起こった。神を恨む。まあ一日一つずつ発生するより気分は楽かもしれないのだが。
そういうグレーな気分で東京から8時半のアサマに乗った。するとこともあろうにこういう時に限って悪いことは重なる。大宮で線路に人が降りてどっかに消えたとアナウンスされた。この人が見つかるまで発車できないという。まあそうだろう、それは仕方あるまいと最初は思ったが、このアナウンスが五分に一回、十回は放送されただろうか?出発したのは9時40分。やけ酒でも飲んで気を晴らせればそうしたいところだが、気分の悪い時に酒を飲むとさらに気分が悪くなるのでそういう逃避行動には出ない。そういう場合はこれも一種の逃避だが、本を読んで気分を変える。『人間の測りまちがい』の続きを読む。この本は生物学的決定論を覆そうと言う試みのようであり、その手始めにダーウィン以前の人種多起源論を紹介する。19世紀の中ごろまでは白人と黒人は違う生き物(人種多起源論)という説をハーバード大学の教授が真面目に語っていたという話で始まる。いきなり目から鱗である。モンゴロイドは検討の俎上にあったかどうかは記されていないが、あったらやはりコーカソイドとは別の生物にされていたのかもしれない。おー怖い。

春だが寒い

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by 卓 坂牛

最近寝るのも早いが目覚めるのも早い。朝食まで恩田陸の『ねじの回転』を読んでいた。上巻の3分の2を読んだところで食事。読み終わらないので本は娘に返して、残りのストーリーを教えてもらった。2.26j事件だけを文庫本2冊で語ると言うのもなかなかの力技である。食後、同級生のお医者さんにブログのコメントで勧められたスティーブン.J.グールド鈴木善次・森脇靖子訳『人間の測りまちがい(上)』河出書房新社( 1996 )1998を読み始める。まだ序だがおもしろそうである。特に知能指数の話は早く読んでみたい。午後事務所。打ち合わせ。スケッチ。スケールが1/200になってだんだんと実感がわいてきた。連休中にもう少し進化させたい。夜は近所にできたホテルに入ったサルバトーレにピザを食べに行く。このホテル三井系のビジネスホテルだが1階の階高がとても高く足元だけはビジネスを感じさせない(これは三井のマンションにもつながる方法なのか?)ホテルの地下にはになかなかのワインバーがあり販売もしている。質、量ともにこのあたりではかなりの充実。店を出ると外は急に冷え込んでいる。昼夜の寒暖の差が激しいこのごろである。

学校嫌い

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by 卓 坂牛

ゼミと製図を終えて夕方のバスに揺られ帰宅。車中奥地圭子『学校は必要かー子供の育つ場を求めて』日本放送協会出版1992を読む。著者は22年間公立小学校教諭を務めて退職しフリースクール(登校拒否児童が勉強する場所)を作り20年という人。その道の草分けである。子供の自治と自由と個の尊重をポリシーにし、カリキュラムから会報誌まですべて生徒が決めて作る。そうやってできたカリキュラムに対しても出席は自主性に任すと言う。22年間の教諭生活で学校がどんどん管理化され効率化されるそのざまを見続け、タイトルである学校が必要かという疑問にぶち当たったようである。
こんな話を聞くと人ごととは思えない。大学でも似たようなことが起こっているからである。われわれのところでも学生だけではなく先生も含めて相談を受けるセラピストとして専任の教員を4月から雇用した。大学側からあまり詳しい説明はないものの、なけなしの金をはたいてこうした方を雇うにはそれなりの事情があるからである。僕の目が届くところでもそういう問題を感じないわけではない。そしてそういう学生たちに我々の学生時代の気分で接するのもはばかられる。僕らの時代は単位を落として下に行く奴はまあいたかもしれないが、大学が好きになれず来られなくなるものはいなかった。だいたい大学なんて言うところをたいそうなものだとは思っていなかったし利用するところだと思っていた。嫌いな学科やつまらないけれど取らざるを得ない単位はいかに楽してとるかを知っていた。それでもうまくいきそうもない奴らはギブアンドティクでレポートなどかきあっていた。まあ簡単に言えば大学に管理されてなるものかと思っていたし、大学なんてなんぼのものよと思っていた。でも今はそうでもない。大学に押しつぶされそうな子たちが散見される。それはいまどきの学生がか弱くなったということでもなく役所、大学、親がどこが始発と言うこともなくみんなでお互いの首を絞め合いながら知らぬ間に管理強化しあっているのである。まあここまで言っといて無責任だが、だからと言って自分が、何かを直接的に行動に移せるわけでもない。しかし少なくともそう言う学生にはそれなりの対処をしてあげたいとは思うところである。

自転車

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by 卓 坂牛

バスに揺られて長野に向かう。快晴の関越で車窓からの景色をじっくり見たのは初めて。いつも夜だったり雨だったり。しかも新幹線とはルートが違い険しい山の間を通り抜けていく。この景色はなかなか見ごたえがある。
大学に着くと学生部屋に呼ばれた。何やら異様な雰囲気である。入ると研究室の学生がほぼ全員こちらを向いている。普段の恨みを果たすということか?と思う間もなく正面に自転車が置いてあることに気付く。ん?研究室に自転車?と思う間もなく「おめでとうございます」という言葉。誕生日プレゼントというわけである。
「まじか?」と思わず照れ隠しの言葉。さてこのあまりに嬉しい事態にどう対処したらいいものやら?とっさにいろいろな思考が頭を駆け巡る。
一体教師が学生から金品に相当する物を受け取ってよいのだろうか?もしこれによって教師が学生に利益供与した場合これは立派な贈収賄罪にならないのだろうか?やはりこれは受け取ってはいけないのではなかろうか?と思ったがやはりそんな堅苦しいことを考えるアホはおらんと思ってその考えは頭をもたげた。次にこのことが世に知られるとまずいことになるのではなかろうか?と不安になった。特に友人である某大学の某などにまかり間違っても知られると、あいつは全く持って学生に人気がないから嫉妬してどこかに告知されるかもしれない、家族に知られると、妬まれてご飯を作ってもらえないかもしれない。などと思ったものの喜びを抑えきれず、こうしてブログに書いてしまった。次に昔買った自転車が思い出された。僕が成人以降に買った最初の自転車である黄色いマウンテンバイクは歌舞伎町に飲みに行った時盗まれた。もちろん鍵はしっかりしていたのだが。そして仕方なく無印良品のマウンテバイクを買ったら盗まれた自転車は大久保で見つかった。無印は友達に安く売った。長野で買った無印良品のママチャリはキャンパス内で盗まれた。出てくるだろうと次を買わないでいたら予想通り見つかった。さて2度あることは3度ある。これも同じ運命を辿るかもしれない。やはり油性マジック白でしっかりと住所と名前を書くべきか?ついでにくれた学生全員に名前を書いてもらおうか?と思ったがせっかくの黒光りしている美しい姿に疵をつけてはいけないと思いこの計画は半年くらいたって輝きが薄れた頃に行うこととした。
興奮冷めやらぬ午後、講義とゼミ。今日は仲正昌樹の『現代思想入門』を読む。ビギナー本をゼミで使うなんてとお叱りを受けそうだが門外漢が、ある知識の全貌に触れるには仕方ない。前回の西洋哲学史とあわせてとりあえず、大きな流れがつかめたのでは。今日は早めに帰宅して恩田陸『ねじの回転』という小説を読む。これは一昨日娘から「これ読んでみて」と渡された本。時たま、これどう?と渡されるのだが、なかなかストーリーの好みは異なるものだ。正直僕には難解なものが多い。しかしまた違った世界が開けることもあり面白い。近いけれども遠いと言う意味で僕にとって娘は興味深い他者である。

レイクタウン

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by 卓 坂牛

昨日のどしゃ降りとは打って変わって快晴。天気に誘われて思わずジョギング。四谷を通り越して少し行ってから左折して一番町のあたりまで行く。昔このあたりにはクライアントだった東京湾横断道路株式会社がありよく来たものだ。一番町から外堀の方へ。飯田橋と市ヶ谷の間に出る。堀の脇の細長い公園を四ツ谷に戻るように走る。四ツ谷駅にはpaulという美味しいパン屋がありパンを買って帰る。30分走ると結構汗をかく。昼に家を出て八潮市に向かう。八潮の先生達と学生数名、建築noteの取材スタッフの方そして市の職員3名で今後の取材会議。5月9日は市長の撮影。アメリカからカメラマンがやってくる。どんな絵になるのか楽しみだ。
会議終了後皆で近くにできたイオンレイクタウンという日本で一番でかいショッピングモール(と誰かが言っていたが、、、)に見学に出かける。もちろんショッピングモールを核とした住宅地開発でもある。そこに調整池を兼ねた人工池がありこれをlakeと呼んでいるわけである。武蔵野戦にはこのために越谷レイクタウンという駅までできた。どのくらいでかいかは駐車場の駐車台数を聞けばわかる。その数8200台。駐輪場6200台。日本の商業施設でこの規模の駐車場を持つものがあるだろうか?誰か知っていたら教えてほしい。そしてショッピングモールは歩いて端から端まで約1キロ以上。歩いて約30分というところ。加えて、それが3階建だからきちんと全部見ようとすれば、2往復しなければならずそれだけで2時間である。加えてモール脇にアンカーテナントでジャスコ、マルエツ、ツタヤ、ヴィクトリアなどなど、そしてシネコンである。一番最近見たこの手の施設は豊洲ららぽーとだが、直観的にはあれの3倍という感じである。
それにしてもやはり土地が有り余っているからと言ってこのての20年前のアメリカのような施設の開発を日本でやってもいいのだろうか?と疑問を感じる。確かに今はこの施設の周りには何もないのだが、これから住宅地開発しようとしているのである。住宅地の脇にこの巨大なくじらのような殺風景な外観がごろりと横たわっているのはあまりにナイーブな姿では?ur(この開発を主導していると思われる)よこれでいいのか?と問いたくなる。とんでもない量の人の中を往復して皆ちょっとふらふら、ビール二杯分は歩いただろうということで北千住で焼肉を食す。

脳か精神か?

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by 卓 坂牛

今日の上海は快晴。7時にホテルを出て8時半に空港へ。9時55分のCAに乗る。CAは行きも帰りも常に満席。機中、杉山登志郎『発達障害の子どもたち』講談社現代新書2007を読む。これまで何冊か読んできた子どもの本の著者は文系だった。つまり心理学や社会福祉が専門。一方この本の著者は医学系である。誰かの本に書いてあったし大学の同僚先生も教えてくれたことだが、こども問題は文学部(心理学科)、教育学部、医学部で研究されている。そしてその横のつながりはさほど密接ではない。つまりはそれぞれの分野がそれぞれの考えを作り上げているようなのである。
医学系の著者によるこの本を読むと発達障害というテーマで受精つまりは先天性の問題も話題となっている。これは今までの本ではあまり見られない(あるいは研究しようもない)。また知能指数が障害分類に幾度も登場するのは医学だからなのだろうか??さらに医学においても精神と脳では違うのかもしれない。因みにこの本の著者は精神である。
成田に着いて事務所に向かうまで週刊誌を買って読んでいたら、精神科医の斎藤環が脳科学の茂木健一郎に送った書簡に返信が来ないことをぼやいていた。斎藤いわく「脳の機能によって人間の社会的行動を説明できるというのは現時点では『トンデモ脳科学』だと私は考える」と書いている。ここでの分野の対立は人間の行動全般だが、こどもの行動ももちろん含まれるだろう。脳か精神か?医学か心理学か?理論か臨床か?専門家たちにもこうした対立があり定説が成立しにくいとなれば、門外漢の我々にはそうやすやすとこの複雑な関係の上にのっかている知見を理解するのは難しい。
事務所に戻りチルドレンセンターの打ち合わせ、1/300のブロックスケッチをもとに議論。まるっきり別案を考えるか、同じ案で形体や構造の代替を考えるか、スケールアップして詳細を詰めるか考える。今後の展開のために先ずはスケールアップを一度しておくことにする。今日はbirthdayそそくさと帰る。

予備検査

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by 卓 坂牛

朝から現場検査。先月のスケジュールでは今日は事務所完了検査だったのだが、その状況ではない。設備はついているがまだ動かないし、建物はまだ塗装中、外構の土間コンが一部未了などなど。ということでこれは予備検査である。お昼をはさみ終わったのは2時。もちろんこの規模の検査では早い方だが、未了工事がこれだけあるのに(つまり見る場所が半分くらいしかないのに)これだけ時間がかかるのはダメが多いということである。修正点の読み上げも量が多いので後日書類で行うこととしてスケジュール会議。ゼネコンは工事終了は5月15日と宣言するが、疑心暗鬼である。ホテルに戻る車から工事中の高層ビルや新しいホテルが見える。ここでも同じことが起こっているのだろうか?
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現場で飯を作って食べる塗装工彼らは現場の中に簡易ベッドを持ち込み寝泊りしている
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従業員食堂:一見終わっているが床はペンキだらけ。養生はしない。垂れたたペンキはこすり落とす。
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食堂に並ぶ窓から工場が見える:ガラスはところどころ未装
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エントランスホール階段を上がったロビー:ここも石の上にペンキはかなり垂れている
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エントランスピロティ:土間コンがまだガラスは一部割れている:割れたガラスは取り換えればいい

上海は暑い?

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by 卓 坂牛

成田イクスプレスの始発に乗り8時55分のチャイナエアで上海に。機中森茂起『トラウマの発見』講談社2005を読む。トラウマの発見はロバート・リフトンによるベトナム戦争帰還兵の調査によるものであることを知って驚いた。リフトンの著書は原爆やオオムなどの日本での大事件を扱い日本では馴染みのようだが、僕が初めて知ったのはThe Protean Selfという著書だった。それは変幻自在な自己がこれからの時代に必要であると説いたもので拙著でも少し取り上げていた。既知の人が別の偉業を達成していたのを知るのは驚きである。
いつも遅れるこの飛行機が今日は定刻に着く。毎度30分以上遅れて迎えの車を待たしているからか、今日は誰もいない。道が混んでいたとかで30分遅れでピックアップしてもらう。上海は寒いと思って鞄の中にはダウンジャケットも入れてきたが、開口一番「昨日は27度」と言われびっくり。東京より冬は寒く夏は暑いということか。現場に2時頃到着。だいぶ出来てはいるものの、まだ一か月くらいかかりそう。養生が悪く、仕上がった床のいたるところにペンキが垂れている。その昔日本の現場で出稼ぎに来ていた中国人が同じことをしていた。これは中国では当たり前なのか、ここの現場がひどいのか???一通り見て修正点を書きとめる。細かい指示は明日の朝から行うことにする。夕食は近くの有機栽培農場のレストランに行くことになった。行ってみるととにかく巨大。敷地がどこからどこまでか分からない。その中に巨大な温室がいくつもある。その中で野菜が栽培されているようである。さらに牛、豚、がちょう、あひる、などが飼育されていてこれらが調理されて出てくる。さらに農地のあちこちにコテージがある(宿泊用)。農地が観光地化している。料理は農村料理でかなりあっさりしていて食べやすい。食後レストランを出ると急に風が吹き荒れ寒くなってきた。明日は大雨だとか。

眠りに

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by 卓 坂牛

午前中小諸プロジェクトの打ち合わせ。導入機能にこれっと言った決め手がない。全体のヴォリューム配置を5案程度に絞り模型作成へ。午後4年生の製図。どういうわけかこの製図は教師人が3人にTA2人。対して学生15人。エスキスもかなりじっくり語ることとなる。語りすぎて学生の創造性を潰してしまうのが恐い。終わって駅へ。電車の時間が迫っており駅まで爆走。自転車置き場から電車まで走って走って飛び乗る。血液が逆流しそう。意識朦朧となりそのまま眠りに陥る。軽井沢で目が覚め本を読む。山野良一『こどもの最貧国・日本-学力・心身・社会におよぶ諸影響』光文社新書2008.著者は北海道大学を出て神奈川県庁で福祉行政を行い、3年間ワシントン大学でソーシャルワークを学びそして児童保護局で働き帰国している。それだけの知識と経験をもとに書かれていることのほとんどを先日聞いたクライアントの話がカバーしていたのには驚いた。事務所に戻りマテリアルサンプルの打ち合わせ、チルドレンセンタ―の構想案の打ち合わせ。こつこつ積み上げたような方法で行くしかないのか、もう少し柔らかい形体操作があるのか????10時頃帰宅。明日の上海行きのパッキング。そう言えば成田イクスプレスの予約を忘れていた。

パーソナリティ障害

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by 卓 坂牛

朝ゼミ、午後製図。体力がいるなあ。その昔明治大学で非常勤講師をしていた時、当時明治で教えていらっしゃった香山先生が退任された。その時の理由が「製図は戦い。しかし自分にはもう戦う体力がなくなった」だった。確かに製図は戦いかもしれない。学生の持ってきたものにとっさに何かを言わねばならない。それは瞬時の判断力であり、まさに戦いさながらである。
夕食後読みかけの『パーソナリティ障害』を読み終える。世の中には人格障害なるものが14種類あるという。一個一個事例を読んでいくと、こんな人間は周りに結構いるような気になる。つまり人間は程度の差こそあれ、人格障害の素質をもっているのではないかと思うにいたった。クライアントである社会福祉法人の理事長に先日聞いた。「誰でも入れる保育所と養護施設が同じ敷地にあるのはどうしてですか?」と。すると「保育所に預けられる子供は可哀そうなことに親のスキンシップや対話が減り、多かれ少なかれ養護施設に預けられる子供同様の心の痛手を負うことになる」と言うのである。病と病でないことの境界線を引くのはとても難しい状況にあるという。そして現代社会が要求する夫婦共稼ぎがこうした状態を生み出しているのだから、心の病は現代が必然的に生み出す疾病であると言う。人格障害はこうした施設の子供に胚胎する心の障害である。そしてその症例が健常者と言われる人々にもその萌芽が散見されるのであれば、それはまさに理事長の言うことを裏付けるだけではなく一億総精神病時代なのかもしれない。