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by 卓 坂牛
早稲田大学での最初の講義http://www.ofda.jp/w_lecture/2009/requirement/index.php。初夏を思わせる陽気である。講義は文化構想学部2~3年生が対象の演習である。全体授業の内容を説明し、建築家という人間が何を考えているかをてっとり早く説明するために自分の設計した住宅を10個見せた。早稲田の学生は人なつっこい子が多い。講義が終わると数名雑談をしにくる。
午後事務所で明日の出張に備えて予習。夕方若松均さんが片岡君を連れて来所。昨年見てこられたフィンランド建築(つまりはアアルト)のスライド会をしていただく。事務所のスタッフなど10名くらいでサナトリウム、マイレア邸、サイナトサロの役場、実験住宅、ヘルシンキ工科大学、アトリエなどを見る。彼によれば、役場や大学などは図式が強過ぎ、マイレア邸などはその点自然な生成感が感じられ好ましいとのこと。アアルトは基本的に内部から建築を考え結果として外観が立ち現れるところが特徴的だという。なにせ僕は見たことがないので体感的なアアルトを知らない。そしてそれはスライドを見せてもらってもなかなか分かることはできないのだと思う。アアルトを見終わりまだ7時半ころだったので、ここ数年で行ったイタリア、オランダ、フランス、スペイン、とスライドショーをしていただく。まるでエルクロを10巻くらい連続的に見るような感じである。ズントーの美術館に痺れた。その後伊藤君やスタッフと食事に行く、彼はアアルトを見てきているだけに2人がアアルトについて語ると、話が立体的に浮かび上がる。2時頃帰宅。
6時台のアサマに乗る。晴天だが早朝の長野はダウンを着ても未だ寒い。車中昨晩遅く届いたメールへの返信。社内販売のコーヒーを飲む。魔法瓶に入ったコーヒーの割に、300円は高いといつも思うのだが飲むと値段のことは忘れるし、ぬるくて不味いと感じたことは無い。車中岩崎稔、上野千鶴子、北田暁大、小森陽一、成田龍一編著『戦後日本スタディーズ③80・90年代』紀伊国屋書店2008を読み始める。内容はこのメンバーだが、政治的なものが多い。レーガン就任(81年)に始まるネオリベラルな流れが世界を包み込み、そして冷戦構造の崩壊がそれに拍車をかけた。こうした世界の一体化が80~90年代の先ずは世界的な事件なのだと思う。この時代は僕にとっては大学入学(79年)、社会人(86年)、そして社会人をやめる(98年)という、大人になってからの一区切りの20年間と言える。当時同じ世界の中で起こっていたことを振り返って歴史として眺めてみると、博物館の展示品をみるような客観的視線が芽生えるのが面白い。ゼミではこの本の次に「studio voice2006/12」90年代カルチャー特集を読む予定。世界的な政治の流れに加えにドメスティックには一般文化も建築も90年代は新たな時代でありかつ終わる時代でもあった。早朝事務所でT君と打ち合わせ、朝しか時間の余裕がないクライアントから電話、電話。そう言えばこれから始まるかもしれない仕事のクライアントである女性社長さんのメールも毎度必ず、23時台か6時台であるのが凄まじい。昼に行きつけのトンカツ屋に行くとばったり貝島父と会う。大京町に住む父君はふらり荒木町まで足を伸ばすとのこと。トンカツ屋で新宿区の景観ガイドラインをもらう。早稲田と東大と工学院の共同編纂のこのブックレットは実によくできており、新宿区を10地域に分割して、それぞれ地形、歴史、緑の観点からタイポロジー化しつつ、その味わい方が書かれている。ブックレットデザインはいま一つだが、切り口は明快。今度の小諸プロジェクトの参考にすべく、要点を抜粋して、学生にメール。
朝から各学年ごとに学科のガイダンスである。新しい2年生は今年から長野のキャンパス。入社式のようなものでまだ右も左も分からないようなきょとんとした目つき。3年は(僕の担任の学年)去年ずっと製図と講義を持ってきたので何となく慣れた視線である。4年は研究室所属を前にして、眼光鋭い。修士は既に付き合いも長いしなれなれしいのもいれば、だいたい来ないのも多い。
午後研究室の志望者の面接。続いて小諸市での某建物の基本構想案作りの打ち合わせ。隣の研究室と合同受託研究である。本当は実施設計まで行いたかったが、実施は地元の設計事務所にやらせたいとの意向で基本構想までである。しかし1000㎡の規模をこなしていくのだからそれなりの醍醐味があるし、小諸の歴史的街並とどう対峙するかは興味深いテーマである。終わって、面接した11人の研究室入研希望者を6名の定員に絞る。すでにもらっているポートフォリオでデザイン力。やはり既に貰っている志望動機や院での研究テーマなどから僕の研究室との整合性。卒業後の希望から建築設計者としての意志。過去の製図関連の成績から建築力。などを総合的に判断。書類は3月中にもらっていてだいぶ悩み、そして今日面接もしたものの、やはり悩む。終電で帰る予定が決めきれず、終わってみれば12時近い。
メール恐怖症ぎみである。コンピューターのメールを携帯に飛ばす設定としているために四六時中追っかけ回されている(という気分になる)。特に忙しい相手は気が付くと送ってくる。これがつらい。まとめて送ってくれれば考えること(あるいはスタッフへの指示)は一回で済む。4回くれば4回考え4回指示しなければならない。だがそのタイミングで両者が連絡を取り合えるとは限らない。でも相手は「伝えたぞ」という気になっている。その気になっていると言うことを想像するとこちらも焦る。つい皮肉っぽい返答をすると相手は気分を害する。電話ならそういうジャブは何気なく織り込むことができてもメールだとそんなレトリックを使ってられない。かと言って忙しい相手だと電話が通じない。通じると会議だったり、新幹線のなかだったりする。ふー困った。
夕刻バスで長野へ。車中、丸山真男『日本の思想』岩波新書を読む。この本、初版は1961年で僕の持っているのは2008年の89刷である。こう言うのを名著というのだろうか?明治開国における西洋思想受容に迫られた日本における基軸としての天皇制が語られる。このあたりは微妙な問題なので僕がいい加減に丸山の主張を記すことはできないが、開国と同時に日本が寄り縋る基軸を求めたとしても不思議ではない。西欧文化は科学的論理と抽象概念に基づくのに対して、日本のそれは以心伝心で情緒性に満ちている。この背反性ゆえに西欧文化は咀嚼され内面化されることなく、別モノとして堆積したという。この状況は天皇制の影に隠れ露わになりにくかったが、戦後の第二の開国時には天皇制という基軸を失い、この相反性はより一層深刻に露呈されたという。その当時の知識も無ければその時代を生きていない僕には客観的にことの真偽を判断できないし、実感もできないが、想像には難くない。最近戦後論が盛んで、先日読んだ吉見氏のポスト戦後社会も岩波新書のシリーズの1冊。また今年のゼミの輪読では紀伊国屋から出ているその手のシリーズ(3巻本)の80年、90年代論を読もうとしているので、さしあたってその筋の基本的名著を読んでみた。文体は古風だが内容はさすがに89刷なだけあって読み応えがある。
日建時代の直属の先輩から電話があった。彼は僕より先に日建から独立していたのだが、大病を患い、病気と共生しながら生きていた。独立後は児童養護施設設計の第一人者となっていた。最近は連絡がなく、知らせがないのは元気な証拠と早合点。一昨年また別の大病を患い、もう設計をする気力が失せたので自分のクライアントを引き受けてほしいとのことだった。日建初期の師匠であり、横浜博覧会住友館を一緒に設計した先輩であり、その昔猫をもらった猫友達であり、少なからずショックだった。早速お会いして話を聞きコーヒーを飲んだ。病気なのにショッポを吸っていた。相変わらずである。出会った20年以上も前、お互いの子供はまだ幼稚園と赤ん坊。それが今では大学生と高校生。今日は双方の入学式であり、両方とも受験とは無縁の付属からの進学だと分かった。
ところで最近僕の周りにはこうした無試験進学者が多い。彼の娘は付属からK応経済。親友Mの息子はOA入試で早稲田の政経。甥っ子は学院から早稲田の理工。楽して入学(と言っては失礼だが)はもはや当たり前の時代かもしれない。しかし楽を喜んでばかりはいられないようだ。
最近読まされた(大学にいるとそう言う本を読めという輩もいる)和田秀樹『新学歴社会と日本』中公新書ラクレ2009(全体の論調も筆者の主張も好感が持てないところは多々あるが)によれば無試験入学者はもとより、受験しても数学が科目にない私立文系、さらに言えば、早慶以外の私立(それなら地方国立はどうなのか?と思うがそのあたりは言及されていない)学生は、社会に出て大変だと言う。その理由は大学付属から来た学生のレベルは恐ろしく低下し、数学ができない学生はたとえ文系といえども役に立たず、少子化時代にあっても定員を増やす早慶は数少ない優秀な学生を根こそぎ捕獲してくからだと。
ことの真偽はおくとして、掲載された統計データーを見る限り、先ずは明らかに数十年前より今の学生が勉強しなくても大学に入れているようだ。著者曰く、20年前に法政に入る力があれば現在軽く早慶あるいは旧帝大には入れるという。なるほどそうかもしれない。加えて日本はその昔から世界的に見て学歴社会だったためしはなく、現在、世界的に見てこれほど学歴が等閑視されている社会はない。しかし今後社会がグローバル化(学歴化)するのは必然でこの状態は続かない。加えてこれからはtoeflに相当する数学の試験も行われ、そのテストでの高得点が幹部候補生の必須条件になるだろうとも言われているとのこと。
著者の意見に全面賛成するつもりはないものの、教員としては自分の送り出す学生が社会で通用するようにせねばと冷や冷やする。信大生は日本の平均的大学生である。それは入学までに行った努力が平均値であるというような意味においてである。平均ならいいじゃないかと思う反面、就職で味わう苦渋を思うと少々考える。幸い我々の目指す職場は学生を学歴ではなくその実力で判断してくれている。入学時までの努力ではなく、6年間の切磋琢磨が評価される数少ない職場なのだと思う。東大医学部出身は無条件に取ると言う会社とは違う(某経営コンサルの会社はそう言うとり方をするそうだ)。その意味では大学での教育にそれなりのやりがいがあるはずだし僕の部屋は少なくともそうありたい。
朝二つの美術館を巡ってきた。4つ見たい展覧会があったがとりあえず二つでへばったhttp://ofda.jp/column/。ミッドタウンのあたりは桜が満開。でも人出はそれほどでもない。皆皇居あたりに出かけているのだろう。
最近いろいろなことで考え事が多い。昔はあまり考えずに行動していたのだが、、、、こう言うのを下手の考え休みに似たりというのだろうと、友人に語ると一冊の本を貸してくれた。新野哲也『頭がよくなる思想入門』新潮選書2000.タイトルには頭がよくなるとあるが別にIQをアップさせるようなものではない。世の中で「賢いねえ」と言われる人の性格や頭の動かし方が書かれた本であると言う。別に賢くなりたいわけではないのだからと遠慮すると、まあ読めと言われた。読んでみると独断と偏見に満ちているような気もするのだが、だからこそなんだか坊さんの説教を聞いているようですっきりした。以下なんとなく頭に残った言葉。
・直感と理性いう思考プロセスにおいて、直観を軽視するな。
・ロゴスとパトスは思考の両輪。
・「人が考えるのは狂っているからだ」(丸山圭三郎の言葉)。
・「思考」「感情」「直観」「感覚」をバランスよく一日の中に割り振れ。
・喜怒哀を包含した文章が人を納得させる。
・思考ではなく、意志と真剣な心が仕事を効率よく、実りあるものとする。
・無意識から湧きでる心を聞け。
つらつら読むと考えすぎの最近の脳みそがリラックスし、ほぐれてきた。気分がよい。
大学に勤めるようになってすっかり運動不足になっている。運動をしないとフィジイカルに体がダメになるとともにメンタルにも弱くなる。脳みそだけでも勝負力を維持したいと林成之『<勝負脳>の鍛え方』講談社現代新書2006を読む。人間の体が動く原理は反射神経と運動神経だけではなく、記憶と体の動きのシミュレーションとそのイメージづくりによるところが大きいことがよくわかった。その昔スキーの回転で旗の位置を全部覚え自分の滑りを頭の中で作っていたことを思い出した。
最近多量に買いだめした新書、文庫を乱読している。丸谷才一『思考のレッスン』文春文庫2002を読む。 ・昨今の批評では文章スタイル、趣味について論じたものがないということを嘆く。なるほどそんなことをおっしゃる人がまだいるのだとびっくり。 ・丸谷が最も影響を受けた3人は、バフチン、中村真一郎、山崎正和だという。人の尊敬する人を聞くとなんとなくその人が分かるようで面白い。丸谷は山崎をこう評する。あれだけ理路整然と周到に文学を語る人間は、文学を分からない場合が多いのだが彼は文学的感受性が豊かである。なるほど、数多くいる評論家と名のつくような人間で山崎は実に分かりやすいしいつも瑞々しい。 ・思考するためには読書せよ、しかし面白くないと思ったら読むなという。では何を読むべきか?偉い学者の薄い本を読めと言う。逆に偉くない学者の厚い本は時間の無駄。確かに確立的には正しそうだ。また好きな書評家を持てと言う。僕も新聞の何人かの書評家が評価する本はすぐに買うことにしている。そしてだいたいあたる。また時間がある時は本を読むなという。本は時間がない時に知識を詰め込むための道具であり、まとまった時間が取れるときは考えろという。考えて何をするべきかを決めていく。そうするとまた何を読むべきかが生まれると言う。確かにそれは正しい。この本の一番の教えはそれである。午後来客。
午前中研究室の雑用を片付け午後のアサマで事務所に戻る。国交省から建築士法変更に伴う諸手続き、新たな資格、設計料基準等の説明パンフレットが届いている。去年も似たようなものが郵送されていたがヴァージョンアップされているのだろうか?一応きちんと読んでみる。一つ全く理解できないことがあった。今後3階建以上かつ5000㎡以上の建物の設備は一級建築設備士でないと設計ができないのだが、その一級建築設備士は建築設備士の意見を聞くように書かれている。どうして一級建築設備士が建築設備士の意見を聞かねばならないのか謎である。それは会計士が税理士の意見を聞けと書いてあるようなものである。設備業界では建築設備士の資格が中に浮いて(権利上やれる仕事が減って)文句続出だとか。それを反映してこうなったのだろうか?つまり、一級建築設備士は自らの仕事を設備士に外注してもいいよという抜け道を作ってあるということなのだろうか?
夕刻帰宅。家族で夜桜を見に千鳥ケ淵にでかける。金曜の夜で温かいこともあってこのあたりはすごい人である。神社の境内はサラリーマンで足の踏み場もない。
今年度最初の学科の会議と工学部全体の教員会議。最初だけあって出席率がいい。会議室が満席状態。こんなに先生いたの?という感じである。今日はひどく寒い。昨晩から冷えて冷えて今朝は雪が舞っていた。毎日寒かったり温かくなったりして月末には桜が咲くだろうか?
4月1日。世の中では入社式が行われる。大学では辞令式が行われる。学長から辞令をもらったばかりの新学部長から辞令をいただく。
長野に来る車中茂木健一郎『化粧する脳』集英社新書2009を読む。著者がカネボウと化粧品研究をしたことが下敷きになっている。その中に面白い調査結果があった。すっぴんの場合、鏡に映る自分(鏡像)と本当の自分(正像)ではどちらが「自分らしい」と感じるかという問いに「鏡像」という答えが多かった。一方化粧を施すと答えが反転し、正像と言う答えが返ってくるとのこと。つまり化粧を施した顔と言うものはそもそも自分が見るものではなく人に見られることを前提としているというわけである。つまり化粧とは一種のコミュニケーションツールであり、ファッションやもっと言えば建築と同様な役割を持っているわけだ。
辞令式の後、研究室でかづきれいこ『かづきれいこのいきいきメイク』ちくま文庫2002を読む。著者とは直接お話したことはないのだが昨年度まで早稲田大学で担当していた「晒す覆うの構造学」という授業を共同で教えていた先生の一人。ついでに著者のメークサロンは我が家の目と鼻の先にある。もともとけがをした人などのフェイシャルセラピストとして有名な方である。彼女がメイクを始めたきっかけは自身がASD(心房中隔欠損症)という病気のため顔色が悪く性格まで寒々しかったからだと言う。つまりは性格を明るくするための化粧である。そして今や全国に生徒が数万にいるという。なるほど人の心とは実に様々な要因で変化する。化粧もその一つであることは間違いない。表層の覆いと内面の覆いは他者を軸にして常に微妙な緊張関係の上にある。