午前中事務所で打ち合わせ。午後クライアント宅に打ち合わせに行く。場所は門前仲町。地下鉄の駅から川を暗渠にした公園を通っていく。少し早く着いたので公園のベンチで時間を潰す。このベンチからクライアント宅が見えるのだが、クライアントとそのお母さんが家の前にたくさんの鉢を出して水をやっているのが見えた。なんとも下町っぽい。打合せが終わり、日本橋から新橋に出て人と会う。新橋の立ち飲み屋に連れて行ってもらう。8畳くらいの狭いスペースに15人くらいが満員電車の如くひしめき合っている。立ち飲み屋と言うとただ飲む場所かと思いきや料理がうまい。魚がうまい。9時からイタリアンを予約しているのでと言われ、そこを出て2軒目に連れていかれる。なんとここもイタリアンの立ち飲み屋であった。流石に足が疲れたので困ったと思ったら奥に少しだけテーブルがあった。聞くともう少し先ににフレンチの立ち飲み屋もあるそうで、3軒とも同じ経営者だとか。凄く流行っている。
午前中補講、午後製図。四年の製図の中間発表。夕方設計プロジェクトの打ち合わせ。だんだん難しい局面になってきた。捨てた案を復活させるべきか?終わって21時のアサマに乗る。車中切通利作『情緒論』春秋社2007を読み始めたと思ったら眠りに落ちた。途中何度か目が覚めたがまた眠り,気が付いたら東京。こんなこともある。それほど疲れていたわけでもないのだが。先週の土曜日から久しく東京をあけていた。出かけた日は寒い日だっが戻ってきたら空気が生温く湿っている。外堀の水が蒸発して四谷に充満しているようだ。
午前中某市の建築部長とお会いする。市の活性化をかけた一大改革の話を聞く。市庁舎、病院の移転。駅の改築、図書館併設。どうしてこの時期にそんな話が持ち上がるのかというと、政府が発動した景気対策の資金が地方へかなりの額回るからであり、この資金を元手にということらしい。そしてそれに乗り遅れればもはやこの市の再建は不可能と言う勢いであった。もちろんそれを基礎にという話は分かる。しかし、町づくりのヴィジョンもなく、生活の提案もなく、不要かもしれないが、マスタープランもない状態で単体の建築を作らざるを得ないという焦りだけが見て取れる。政府のバラマキ資金が経済復興だけを目的に短期的な視野で行われている姿が実感される。まさに昨日の本の感想を今日裏付けたようなもの。地方の価値を具現化するのには時間がかかるはずなのに、とりあえず在任期間にできることをやろうという発想が気に入らない。そうした発想で地方が本当に豊かに(文化的にも)なるとは思いにくい。地方自治の構造的改革が必要と思われる。地域の大学にいる以上できる限りのことはしたいとは思うのだが、、、末永くお付き合いすることを約束しお暇する。午後の製図を終え夜は研究生T君の実家設計のアドバイス。今日は模型がたくさんある。案は少しずつ面白くなってきている。やはり院を出ると一皮むけるのかもしれない。修了後すぐ自分の設計ができるのは羨ましい限りではあるが、若いころの設計は自分の原風景になり一生つきまとうものだからそれなりに心してかからなければならない。終わって中国の事務所に勤めたK君の一時帰国を祝い研究室の皆で夕食。軽く一杯。中国事情は知っているつもりだが、いろいろまた楽しい上海の話を聞く。
会議、講義、会議、ゼミ。夕食後、『グローカリゼーション』の続きを読む。岩井美佐紀「東南アジアのグローカリゼーション」の中にこんな文章がある「グローカリゼーションとはまさに多元的価値の共存をめざす地球規模の模索である」この言葉に異論はない。しかし問題はその多元的価値が逆に世界に(とは言わないまでも少なくとも国内広汎に)通用するものでなければなるまい。そして価値が通用するかどうかはその価値の本質に加えてその価値のプロモーションにかかわるものと思われる。しかるにそのプロモーションは誰がやるのだろうか?行政か?市民か?npoか?
又そうした価値を維持していく姿勢としてこんな言葉も見られる。「グローバル化に対する反発から、ナショナリズムや伝統回帰などの非合理的な感情論に絡み取られることなく、ローカルな生活基盤に根ざしながら常に進化していく意識が共有されなければならない」この言葉にも異論はない。ただし、ここで言う「進化」を可能たらしめるためには経済的、文化的自律が不可欠と思われる。そして日本に即して考えるなら現状のネオリベラリズム的競争政策はこの自律を促すどころか挫折への道を用意するのみである。確実に地方には地方の価値が存在するのだが、その価値を誇りを持って主張する余裕がないのが現状だ。明日の食扶持に追われている。地方の行政や経済団体の様子を垣間見るにつけ感じるところである。彼らが多様な価値を再認識しそれを維持する矜持を与えるのが国の役割ではなかろうか?その昔とある間抜けな首相が地方に金をばらまいたがそういうイベント的発想ではなにも生まれない。価値を誇り、プロモーションし外に通用するものを作るには時間がかかる。長いヴィジョンを持った国政は次期政権に期待できるだろうか?
朝の電車で甲府へ向かう。ゼミ本である『studio voice』2006年12月号「90年代カルチャー特集」を読む。だいぶ前からかなり時間をかけて読んでいるのだが、次から次に登場する固有名詞の群れになかなか進まない。その上このvoiceは字が小さくて、赤い字だったり黒字だったりするもんだからひどく読みにくい。しかし、若い女流写真家、j文学、dtpグラフィックなどと馴染みのある分野が出てくると、ああ90年代はこれだったなあと思いだしながら最近のこととは言え妙に懐かしい。松本であずさに乗り換え甲府に11時に着く。駅の脇にある城址に登り市内を見渡す。先ほどプラットフォームからは巨大に見えた丹下さんの山梨文化会館もここからだと空しく小さい。丹下さんのこのころの建物は大きく見えないと価値が半減する。城址の芝生広場に大の字に寝っ転がって空を見ているうちに睡魔に襲われる。久しぶりの幸福感。雨粒が顔にあたり目が覚めた。その昔ラショードフォンへコルビュジエを見に行きワインとパンでいい気分になり駅前の芝生で寝ていた時も雨が降って目が覚めた。
駅で昼をとり、さあクライアントのところへ向かおうとしたら携帯の着信履歴にクライアント名前を発見。あわてて電話をすると急性胆のう炎で入院したので病院に来てほしいとのこと。敷地で東京から来ていたスタッフのYさんと会い、関係者の車で病院に向かう。午前中手術をした体なのに3時間こちらのプレゼンをしっかりと聞いてくれた。最初のプレゼンだし、分からないことだらけの施設であることを考えるとまあまあの収穫か?しかしまだ五里霧中である。
駅前カフェで電車の時刻までYさんと打ち合わせ。彼女は東京へ僕は長野へ向かう。車中神田外語大学国際社会研究所編『グローカリゼーション―国際社会の新潮流』神田外語大学出版局2009を読む。グローバリゼーションは90年代からの異常な世界変動だけではなく近世以来、そして20世紀にはいり加速度的に進んできた事象であることを再認識。特に日本の建築においては、90年代グローバリゼーションの2大要因と言われる東西冷戦の終焉とIT情報革命からドラスティックな影響を受けているとは思いにくい、やはりモダニズムに端を発するインターナショナルスタイルの残滓が未だにゆっくりとしかし確実に全国を犯している。それはグローバリゼーションと言うよりはナショナルイコーライゼーションである。建築デザインがグローバル化しているなんて言うのは東京の一角ぐらいの話、日本のほとんどの都市で起こっていることは未だに100年前のモダニズムである。さてグローバライゼーションと言えば、大国があるいは大企業が自らの戦略をグローバル市場に浸透させることだと言われてきたが、経営論においてはそれが変化してきているらしい。それは少数国に集中する知識やノウハウが世界規模で流動化し地方化し顕在化する。それを少数国はその顕在化した知識ノウハウを資源として学習して進化すると言うものである。そんな理屈が現実的かどうかはおいておき、日本での建築に即して考えるなら、少数事務所やゼネコンの知識とノウハウを日本中に浸透させるのではなく、その知識が地方に流動化し地方なりの味付けの元に顕在化したそれを再度学習し進化させるということになるのであろう。言うは易し、行うは難し。いったい地方に顕在化する知識やノウハウとは何なのか、甲府でそんなものを見つけられるだろうか?いくつか地方都市でものを作る可能性が出てきた今イコーライゼーションは前景化してきた。
今日はひょんなことから信大繊維学部の農場で羊の毛を刈ることになった。上田のキャンパスから少し離れた景色の素晴らしい山裾にこの農場はある。因みに農場の隣には伊東さんの設計した大田区の保養所がある。長野の中でも有数の美しいランドスケープである。30名くらいが5チームに分かれて羊の毛を刈る。大型のバリカンで20センチくらいに伸びた毛を刈り取るのだが、バリカンの角度を間違えると皮膚を傷つけてしまう。そのためにヨードチンキも用意されている。刈り方が上手ならば羊も安心して静かにしている。そうするとまた上手に刈れる。けがをさせると羊も不安で暴れる。悪循環である。実はこの毛刈りは小諸に移転を計画する会社の社長が企画したもの。終わって社長の話をいろいろ聞く。そして現在移転を検討中の敷地へ車で案内してもらった。ほー長野にもいろいろな場所があるものだと感心した。
大学に戻り難波功士『ヤンキー進化論』光文社新書2009を読む。この本ではヤンキーとは階層が低く見られ、性的役割については保守的で、自国や地元を志向するものと定義されている。もちろんツッパリであるというのが先ずは根底にある。それにしても結構定義の幅が広い。しかしこの幅の広さがヤンキーが絶えない理由だと書いてある。ゼミで90年代論をやっているが、ヤンキー文化は少なからずこの時代にも影響を及ぼしている。たとえばVシネマなんて言うものはヤンキー文化の落とし子であろうし、チーマー現象も暴走族の違う形の現れだと説明されている。しかしいつの時代にでも悪がきは棲息するだろうし、その中には性的にコンサバでナショナルな奴らはいるのでは(あくまで勝手な想像だが)、であるなら、それらを全部ヤンキーと呼んでしまうと有史以来どこにでもヤンキーは生きていたのではと思えてしまいそうだが。
それにしてもこの本を読みながらyou tubeで懐かしい暴走族の映像を見ていたら、アフロの髪の毛が羊に見えてきてしまった。
午前中早稲田の講義演習。今日は学生の発表。一人10分パワポを使って、町で見かけた男性性⇔女性性、あるいは消費性⇔永遠性を語ってもらった。去年に比べおとなしい。というか見る目が陳腐。終わって事務所に戻り一休み。3時に渋谷グランベルホテルでucla時代のクラスメートEdmund Einy夫妻とおち合う。卒業してから日本でもL.A.でも会っているがそれでも10年ぶりくらいである。全く変わっていない。こちらはだいぶ変わった。Edmundはヨーロッパからの留学生が大半を占める僕らのクラスで数少ないL.A.育ちのアメリカ人。卒業してからはいくつかの事務所で仕事をして現在はGKK、LA(40人程度の事務所)のdirectorになっている。事務所ではスクールやシティホールの設計が多く、事務所の仕事とは別に夫妻で住宅の設計などしてGAhousesに3回くらい掲載されている。
インフルエンザは大丈夫?と聞いたら、情報は常にexaggerateされる。成田では45分間飛行機の中に閉じ込められ書類を書かされたと愚痴っぽかった。夫妻をリーテム東京工場に案内する。僕も久しぶりに見るのだが、ガラス皮膜は顕在だが全体にだいぶ年をとった感じである。アメリカではリサイクルはかなり遅れていてゴミの分別収集などしていないそうだ。しかしサスティナブルな建築はおお流行りでみんなしてgreen greenだと笑っていた。ホタルイカで夕食をと思い電話をしたが今日はお休み。仕方なく東京駅周辺で夕食。食事中彼らが作った見学リストを見せてもらった。100近い建物の建築家と住所がリストアップされ、それらはマップ上にマークされていた。凄いリサーチ。注目は妹島、伊東、のようである。日本の建築家でもっとも有名なのは誰かと尋ねられたので、やはり安藤だろうと言うと「still?]と驚く。「今やテレビのワイドショーにも登場するよ」と付け加えると「それはアメリカで言えばゲーリーだね、彼を知らない人はいない」と言っていた。東京駅で別れ事務所へ戻る。明後日のプレゼンのマテリアルチェック。
昨晩丸善で一冊だけ宅配に回さず持って帰った本をベッドで読み始めた。今野浩『すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇』新潮社2009なる本である。「頼まれると断れず、次々と降りかかる膨大な雑用に疲弊し、ポスト争いや「調整」に翻弄される日々―。成果として論文の数を問われるものの、本業である研究に没頭すること自体がいかに難しいか。元東工大教授が、共に勤務した研究者の半生を通じて明かす、理工系大学の実態」という帯の言葉に惹かれて思わず手に取ってしまった。そして読み始めたら止まらなくなった。著者は数学者だが、教育統計学が専門のため数学科ではなく文系の学者が集まる一般教育セクションに配属された。ここはその昔から文系一匹狼の棲息地である。著者在職中は江藤淳、永井陽之助、吉田夏彦など蒼蒼たる有名人が居並び、一匹狼であるがゆえに全くまとまりを欠いていたとのこと。僕が在学中も、あのセクションはテレビに登場するスターが集まり、組織としてどうなっているのか不思議だったがやはり、という感じである。さてそれは余談で本筋は金融工学を日本に産み落とした著者が、自分の講座に迎え入れた天才助教を育て上げる中で味わう大学という政治組織の裏の実態である。大学組織に自ら所属しているので裏の実態を知らないわけでもないけれど、たたき上げではない私のようなものには助教から教授への長い道のりは計り知れない。しかし民間企業のピラミッド組織では昇進する人数が徐々に減るのに比べて大学は実力とポジションは比較的整合しているように思う。それにしても年間4000時間働き、学生との共著論文は自分の業績とすることを潔しとせず、癌で全身転移した後もその事実を知らず働き続け、教授昇格とともに42歳で夭逝するなんていう学者がいるとは想像もしなかった。大学で働き始めた時、大学は民間より働かない場所だと感じたし今でも感じているのは建築なんていう異常な職場から来たからであろうか?民間一般と比べたら大学も働いているのだろう。という程度に思っていたのだがこんなバケモノみたいな人がいるのである。寝不足気味で事務所に行き昼にクライアントとランチミーティング。事務所に戻り、雑用書類の山を片付け、中国と電話でやりとり、アルゼンチンとメールでやりとり。アルゼンチンからは返事がすぐ帰ってくる。こっちの午後は向こうの午前である。
朝一、車で小諸に向かう。高速から小諸の町を見ると千曲川から浅間に向かって標高差2000メートルに分散する町が見渡せる。こう言う地形はそう見られるものではない。学生を含めて総勢10名でプレゼン。街区分析、導入機能コンセプト、ヴォリュームスタディ。約2時間。強い反対も賛成もなく、少し拍子抜けな感もあったがまあ初回としてはこんなものだろう。相手の希望が少し分かったが、その希望が必ずしも適当かどうかは再検討である。お昼に大学に戻り午後は4年生の製図。夕方のアサマで東京へ。車中五十嵐太郎編『建築と植物』INAX出版2008を読む。ヴェネツィアヴィエンナーレのコミッショナーがコンペだったことを知る。しかも最後に残ったコンペティターが八束さんだったとは驚き。丸善で本を物色し宅配。事務所に戻る。日曜日のプレゼン資料を見る。難しい。変数が多くどこを固定してかかればいいものやら。
午前中ゼミ。院生の修士設計のためのコンセプト序論を聞く。午後は3年生の製図。夜は研究生の実家設計へのアドバイス。終わって事務所から送られてくる図面と模型写真を見る。このあたりで力尽きたのだが、そこへ中国から現場写真とその報告が届く。細かいのでプリントアウトしないとよく分からない。朝からずっと人の書いた図面や模型や写真と睨めっこ。集中力には限界がある。そんな状態で学長裁量経費で始めてしまったレクチャーシリーズのスケジュール調整を考える。考えているのだが4人のレクチャラーの配置が頭の中で錯綜。とりあえず成実さんにメールして7月に可能か打診。明日は7時45分に車で小諸へ。某プロジェクトの第一回目のプレゼンである。研究室で受けたものなので発表は学生に任したが、さあうまくいくだろうか??