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Jun 2009

アメリカの講評会

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by 卓 坂牛

朝、現地審査の講評を書いていると、隣の研究室の博士課程中国人留学生、李君がやってくる。副指導教官である僕にレポートを提出することになっている。その中間チェック。日中近現代建築における伝統主義の現われ方を比較せよというテーマである。彼の故郷大原の市内の写真を見せてもらう。わっ!高層ビル群!人口300万。名古屋より一回り大きな市であるから、不思議ではないのだが、、、、中国はこんな市がたくさんあるのだろう?計り知れぬ国である。
9時からゼミ。今日は発表者が少ない。終わって、研究生が提出したSDレビュー作品を見せてもらう。いい線行っていると思うのだが、こればっかりは分からない。午後3年生の製図。先日ブログに書いたからか?今日はエスキスを周りで聞く学生がけっこう居る。結構なことだ。夕刻小諸の打合せ。長引いて夕飯を食べ損ねた。木質バイオマスのポンチ絵出すのが今日までだったことを思い出す。イラレで描きメール。こんなのでいいのだろうか?終わって事務所からメールされている模型写真やら図面をプリントアウト。ちょっと面白い、、、、外は雨が降り出した。夕食は今日はなしか?『現代アートの舞台裏』を読み続ける。今日はカル・アーツ(カリフォルニア芸術大学)の話。アメリカで芸術家になるためには一流美術学校のMFA(芸術修士)が必需品。LAならカルアーツ、UCLA, アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン、USC,オーティス・カレッジ・オブ・アートなど。そして学内の授業では講評会が最も重要だそうだ。このあたりは建築と似ている。とは言え大きな違いが一つある。それは講評するのが先生ではなく学生だという点。その上、教師によっては、発表者(作品制作者)にはしゃべらせず、作品のみが提示され同級生によって八つ裂きにされるという過酷な講評会もあるという。建築でも人数を絞ってこういうのをやってもいいかもしれない。まあ2~3年生では無理だろうが、4年や院生が講評者になるというのはありかもしれない。

力が抜ける

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by 卓 坂牛

今まで打ち合わせに出てこなかった施主の長がでてきて話をひっくり返すということは日建時代には数回あった。どうして担当者は話を上げておいてくれないのかと恨めしい気持ちになったものだ。こういうことは大会社相手だと起こりうる。日建やめれば必然的に小さなクライアントで、こういうことは起こるまいと思っていたのだが、、、、、本日までずっと事務局という方々を相手に話しを進めてきたプロジェクトの打ち合わせに、今日始めて組織の長が出て来られた。初めて見る図面と模型に多少の驚きを示した後、体を90度回転して、部下達にどういう指示をしてきたのか?と苦言を呈した後、こちらに向き直って多少のお世辞を言って出て行かれた。ああ昔と同じだなあと少々がっくりしてしまった。一体我々の作っているものは理解されているのか?喜ばれているのか?納得されているのか????力が抜ける!!!。
午後講義とゼミ。ヴェンチューリを読む。夕食後、大学院希望者と面接。4年生のエスキス。事務所から送られる図面のチェックとコメント返信。なんだか疲れた。午前中の出来事がボディーブローのように効く。まあ一日寝れば忘れるだろうけれど。
サラ・ソーントン(Thornton, S)鈴木泰雄訳『現代アートの舞台裏』ランダムハウス講談社2009を読む。最初の章はニューヨーク、クリスティーズのオークション舞台裏。せりを行なうオークショニアはせりのリハーサルを何度も行い、おまけにそれを多くの人間がチェックするそうだ。いかにして高く買わせるか、いかにしてオークションをショーとして成功させるか念には念を入れるわけだ。それにしても未だに数億の値が付くウォーホール、もはや落札されないリヒター。アート作品は株となんら代わりない、人の信用で上がり下がりする生き物である。

軽井沢

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by 卓 坂牛

午前中のアサマで軽井沢に向かう。車中、大江正章『地域の力―食・農のまちづくり』岩波新書2008を読む。量販店の進出で壊れかけた商店街の再生の事例が出ている。そこにこんなくだりがある。「商店街はまちに根を張っている植物で、大型店やチェーン店は獲物を求めて生きる動物です。動物が来て食い荒らし植物を枯らして去っていけば、まちは荒廃します」。そこで動物に食われない植物の育て方がここでは提示されている。結局動物は植物が無くなれば違う場所に移動する。まあ身勝手なものである。しかし行政が動物を招いたこともあっただろうから、動物だけの責任でもない。強い植物を育てようとしてこなかった行政の無能ぶりが今露呈しているとも言える。
11時に軽井沢着。やはり軽井沢は涼しい。学会選集現地審査。3つの建物を見せていただいた。力作である。いろいろとこちらも勉強させてもらった。11時から見て、終わったら4時。再びアサマで長野、研究室へ。明日納品するプロジェクトの最終成果品のチェック。原稿は未だ真っ赤。模型は大分出来ている。

反省

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by 卓 坂牛

情緒障害児短期治療施設の見学に戸塚に行く。クライアントと一緒に向かった施設は50人収容する大舎制である。L字形のパノプティコン形式のものであった。クライアントの目指す小舎制のものとは根本的に異なるものではあるもののこの手の施設の必要機能が理解できた。なるほどこういうことなのか。法が定める機能の意味が理解できた。設計は山下と聞きなるほどそのドライな作りが大手事務所らしい。でもこれではだめだなと感じた。
戸塚から東京へ戻り、朝日の友人と何度か延期になった夕食を共にする。6時に東京で会う予定が、夕刊のトラブルで7時になると言うことで一度帰宅。メールのやり取りをしてから再度出かける。とんかつを食いながら教育論。彼は早稲田卒。僕が早稲田の文化構想学部で教えてることを話すと、面白いことだが、それはカルチャーセンターのようだと批判された。大学とはとんでもなく難しい古典を読む場所ではないかと言う。それはその通りである。もちろん僕も自分の大学ではそうしている。でももっとそうすべきだろうかと少し反省。ゼミでもついポピュラーな本をとりあげるのだが、確かにそんな本はいつでも読める。もっと大学でしか読めないとんでもなく面倒臭い本を取り上げるべきだろうと反省。後期はそうしよう。

k-project再訪

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by 卓 坂牛

午前中早稲田。今日はグローバリズム⇔ローカリズム、主体性⇔他者性の発表。いつも発表者の学年を気にしてなかったのだが、今日は3年生がいることに気付いた。そして3年生は2年生に比べ格段に大人っぽい。今日は3年生が二人いて一人は安藤忠雄論を通してグローカリズムを展開しもう一人はカフェ形態を通して主体性について話をした。なるほどと思うことしきりである。
午後K-projectの補修工事にうかがう。竣工後初めて。「おかげさまで●●●」といくつかお褒めの言葉をいただいた。出来た当初はいろいろ苦言を呈されていたので、少々安心した。綺麗に使われている。ものは確かに多いのだが上手にレイアウトされている。生きられた家になってきた。しかしまだ二階の廊下にはダンボールが山積み。jtの取材は未だ無理か?
夕方事務所に戻る。打ち合わせ。いつも早稲田の講義の後はぐったりするのだが、今日はあっち行ったりこっち行ったりしているわりには、体力は残っている。模型がいろいろ大分新しくなる。ナカジのスタディは早い。さてどう展開するか?明日は養護施設の見学。今日よりも暑くなるとか?

怒!!dynabook

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by 卓 坂牛

朝からクライアントのオフィスに缶詰。飯も食わずに3時まで。やはり来月あたまに出張は避けられない。手帳を見ると、その日にクライアントが来所することになっているではないか?最近この手の未定予定のところに別の予定を入れることが多い。そして未定予定がやっぱりその日と決まりあわてる。クライアントに電話をして平謝りで日程調整をお願いする。遅めの昼飯をとって事務所に戻る。調子悪いパソコンはやっぱり直りそうも無い。リカバリーするためにデーター移動。まだ買って1年経ってないのに年初にハードが飛んで今回は打っても打っても字が出ない。サービスセンターに聞くも、症状を話すとあっさり「リカバリーしてください」と言う。電話オペレーターに罪はないだろうが東芝には罪がある。もうdynabookは買わない。そんな決意は東芝にとって痛くも痒くもないだろうが、、、、、コンピューターが壊れようが仕事は待ってくれない。データー移動の合間に打ち合わせ。終わってまたコンピューターと睨めっこ。この時間返せ東芝!!!

レクチャーシリーズ第一回

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by 卓 坂牛

朝スケッチ。昨日同様早朝ベッドで思いついたことを描くが毎日うまくいくとは限らない。今日は進まない。10時頃修士入学希望者と面接。終わってサンドイッチを食べながら描きかけのスケッチにけりをつけてスキャン。隣の研究室にはA3スキャナーがある。データーを事務所に送り模型の指示。午後製図第五のエスキス。もうここまでくればエスキスっていう段階でもあるまいと思う反面、実際見ると、「おいおい終わるのか?」とも感じる。数十年前雑誌に載った自分の卒業設計のコメント見ると制作期間2か月と書いてある。こちらは約3か月半。こんなかけてやるものでもないのかもしれない。4時にリーテム中島社長が来校。異分野レクチャーシリーズの第一回。タイトルは「E to サスティナブル」Eはecology energy そして eros  である。つまり生の根源ということ。いきなりクリムト、シーレの絵画論から始まる。工学部の学生にとっては馴染みのないことかもしれない。院生はまだしも学部生にとっては興味がなければ理解不能かもしれない。しかしこの異分野レクチャーシリーズはそもそも工学部学生の狭い視野を広げる目的であり、こうしたレクチャーは本当にありがたい。次回は来月、成実弘至さんである。中島氏と駅で蕎麦を食べアサマに乗車。彼は乗るなりパワポの印刷資料を出して読み始める。宿題と言っていたが、社長業は大変そうである。次なる中国の仕事の始まりは秋だとか、知らぬ間にワーキンググループに入っているようで、協力を約して東京駅で別れる。事務所に戻る。できかけの模型を眺める。雑用を片付け帰宅。

スタディ

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by 卓 坂牛

昨日は遅かったが目覚めが早い。ベッドの中で昨日のスケッチが頭に浮かびそこに寸法が入っていく。忘れないように大事に大事に反芻し大学に行き描いてしまう。午前中ゼミ。途中T先生と小諸の最終成果品の確認打ち合わせ。昼食を食べ、朝描きかけのスケッチを仕上げ、院生に頼んでスキャンして事務所に送ってもらい模型化するよう指示。あわてて午後の製図エスキスへ。今日は欠席者が10人以上いる。3分の1の欠席は許すし、最後は成果物だからとやかく言わないが、どうもこの大学では人のエスキスを見るという習慣がないのが残念である。終わって夕方再度小諸の打ち合わせ。夕食後研究生との打ち合わせ。SDレビューの締切二日前。事務所から昼に送ったスケッチの模型写真が届く。なるほど、なるほど。こうなるか、まあ予想通り。塩山プロジェクトの模型とスケッチも数案届く。昨日からの流れを把握するのに時間がかかる。可能性を見極めていく重要なところ。いったいこのプロジェクトの決定要因は何か?金か?機能か?デザインか?メールの返事を書いて、やっと今日の義務は終わり。甲府のスケッチを始める。群造形だけではだめであり個々の特質の合計値が必要なのだが、個々の機能がばらばらなだけにその特質を作るのが難しい。

アイコン

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by 卓 坂牛

午前中、学生と打ち合わせしようと思ったが連絡がうまくつかず延期。小田部氏の『西洋美学史』の自然と芸術の章(カント、シェリング)を読む。その後大学院のコメント(小レポート)に評を書き込む。午後講義、そしてゼミ。今日の輪読はユリイカ「コールハース」特集。現実主義の重要性を話す。加えてこの間のラジオで聞き損ねたアイコニック建築の是非を学生に問う。考えて見れば善光寺ができた時これはとてつもないアイコニック建築だったはずである。かつて、権力はアイコンを必要としただろうし、権力は金を持っていた。しかるに現代では権力はアイコンを不要とし、金もない。一見権力ではないところに金はあるし、金がたまるとアイコンになる。あるいはアイコンが集積すると金になる。今日の1時間設計は山川山荘の増築。山本理顕さんの1977年の作品。30年前の建物とは思えない新しさを感じる。夕食後甲府のスケッチ。群れのデザインなのだが、、、、

ほうとう

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by 卓 坂牛

朝A0勉強会メンバーのI君から「本日の訳文原稿です」とメールが届いた。「本日A0??」「しまった!!ダブルブッキング」もう5年以上も毎月続けている勉強会だがダブルブッキングしたのは初めて。手帳に書き忘れている。
朝事務所に行き今日の打ち合わせの重要事項説明書の素案を作り新宿駅へ。駅ネットで買った切符を受け取るのにクレジットカードが必要なのだが、決算用のカードを忘れた。これが無いと切符が受け取れないのだが、緑の窓口の方が親切でカードのデーターを抹消してくれて現金で受け取ることができた。なんだか凡ミスが多い。
切符を買ってスタッフのYさんと会い特急「かいじ」に乗る。甲府は大降りの雨。クライアントのオフィスにはかつての先輩も来ており4人での打ち合わせとなる。RCを前提とした前回案とは異なり、今回は木造を前提としたドライな案である。駐車場の取り方、敷地の使い方、デザインの方向性でかなり突っ込んだ話となった。建築の具体的な話にクライアントを引きずりこむにはこうした振幅のある案を提示せざるを得ない。これで進路が少しずつ見えてきたのだが、さあどうするか?まあこれだから建築は楽しいのだが。
打合せを終えてクライアントが甲府名物「ほうとう」を食べに行こうと言う。最初にお会いしたとき「ほうとう」はうまいものではないと言ったからか、美味しい「ほうとう」を食べさせたいという。甲府出身の学生にも是非食べて欲しいと言われていたので、喜んで御馳走になる。かぼちゃの入ったかぼちゃほうとう。それに白菜のつけものと馬のもつ煮に馬刺し。その昔20年前に食べたものよりはるかに美味しかった。
駅まで送っていただき、Yさんと先輩は東京へ、僕は松本経由長野に向かう。前回同様松本までは中央線の各駅停車である。何とも静かでのんびりとした時間が止まったような2時間である。松本から特急で長野へ。今日は長野も蒸し暑い。