午前中山本想太朗氏の新しい住宅のオープンハウスを見に行く。法的には3階建。但し2階の半分に写真のようなロフトが挟まっている。ロフトは最上階と思いこんでいたがこうして途中階に挟むこともできるわけだ。なるほど。これによって階段手前側には天井高3700の垂直性の高い居間が現れている。彼の建物はいつでも技術に裏付けられた堅実なデザインである。見ていて安心できる。行って分かるのだが敷地は新富町の高速道路の脇。うるさいところだが家の中は実に静か。道路側に設備の穴を開けないとか、障子は横引きにしないなど細かい配慮が効いているのである。
丸の内に出て昼をとって帰宅。入浴後テラスで『ソクラテスの弁明関西弁訳』parco出版2009というけったいな本を読む。著者はもちろんプラトン。訳は北口裕康。関西弁である。ギリシャの哲学者とは市民に自分を主張して弁論、説得した人たち。それは哲学者という言葉の持つ現代的イメージとは違うはず。もっと俗っぽいおっさんたちではないか?自転車に乗って駅前でビラ配りながら演説している政治家あるいはその候補者のようなもの。その臨場感を伝えるためには標準語的な固い感じより、関西弁の上方落語のような砕けた感じの方が合うのでは?というのが訳者の考え。標準語訳と読み比べてみると多少関西弁の方が俗人っぽく聞こえるのだが、いかんせん関西弁がよくわからんところもある。
夕食後Sherin, A石原薫訳『サステイナブル・デザイン』ピーエヌ・エヌ新社2009を読んでみた。まあ一般論はともかくとして、リサイクルのための技法(消えるインク)とか、リサイクルによる商品(紙のキッチンカウンター)は昨今いろいろなものが開発されているようで驚かされる。
早稲田の講義室は僕の前の講義がいつも満員で入っていくと毎度すごい熱気である。クーラーはあるから温度は下げられるのだが、換気扇がついてない。窓は2重窓で開かない(開けようと思えば開けられるのだろうが、どうも慣習として開けない)。そのせいか息苦しい、終わるとぐったりである。事務所への帰り道は都営新宿線の曙橋の地下ホームから地上に出てさらに階段をかなりあがりやっと事務所に到達する。事務所に着くと息切れする(だらしない)。午後仕事をしていると、「そこにいるのは坂牛さん?」と声が聞こえて振り返ると宇野求さんだった。宇野さんの双子の兄弟が僕の高校の先輩だそうでびっくりした。伊藤君に会いに来られていたようでしばし話をされて帰って行った。
夕方コーヒー片手に外に出ると研修生のガレスがタバコを吸っていた。ここ10年くらいの間でタバコを吸っている外国の知り合いを見るのは初めてである。タバコはアイルランドでは1200円くらいするそうで日本のタバコは安いと喜んでいる。
夜はスケッチ、打ち合わせ。日曜日のプレゼンの模型がだいぶできた。農家のようでもあり、兵舎のようでもある。ユーモラスなようでもあり、いかめしくもある。屋根の形一つでイメージがどんどん変わる。不思議なものだ。スケッチの合間にとあるアトリエで働く知り合いから電話があった。仕事がハードで家に帰れないと嘆いている。帰れて週に2日だそうだ。妹島事務所に勤めていた後輩も同じようなことを言っていたのを思い出す。精神的に参っているようなのだが、ここで辞めると苦労が水の泡である。もう少し頑張ってみればと元気づける。でも凄まじい事務所もあるものだ、もう少しスタッフを増やせばいいのにと思わなくもない。
ウィーン工科大学で都市型木造建築の研究をしているTさんと新宿でランチ。捨てられる木を建築に有効利用する可能性を教示いただく。彼女の先生はウィーンで中高層木造建築の可能性を追っているそうだ。そんなわけで彼女は日本とウィーンの木造建築の法制度の違いを調査中で一時帰国している。なるほど聞いていると今までただ漠然と木造建築は難しいと思っていたことが、もう少し具体的に理解できてきた。一番の問題は構造強度ではなく、可燃性にあるようだ。ならば木を耐火被覆すればいいではないかと考えると、せっかくの軽い木が重くなるし、木が見えないのだからそれは無意味。まとめると木を使うモーチベーションは①感性(五感)への訴求力②構造的な軽さ③環境性④世の中の無駄をなくすということとなるようだ。さてそう言うことが分かったからと言って明日から木を大々的使えるわけでもない。木はまだまだ高いのである。木の流通改革が必須である。
事務所で塩山プロジェクトの打ち合わせ、甲府同様こちらも可能性は尽きない。いつもそうだが、Aから始まりそのバリエーションをA-1A-2とつけていく。今日の打ち合わせでAとDはやめ。B-2、E-2E-3を検討。更に今まで検討しいなかった4階建を考えることに、これはPから始めるP-1P-2を検討することに。都市型住宅だとタイポロジーはA,Bくらいでそれが延々と1,2,3,4,5、となるのだが、土地がゆったりしていると、タイポロジーが無限に増えていく。
10時から小諸プロジェクトの打ち合わせ。11時から大学院入学希望者との事前面接。昼から再びプロジェクトの打ち合わせ。ドーナツをかじり、2時頃製図の第二次発表会へ。構造デザイナーを志望しているのT君のスタディが素晴らしい。建物はサービスエリアにホテルが付いたもの。大空間である。当初はありきたりのシェルのようなデザインで「こんなの全然面白くない」と言っていたら、全く新たな大空間構造を考えてきた。どこかで誰かがやったことがあるのかもしれないが、少なくとも僕は見たことがないし、構造が空間の柔らかな分節を作り出している点でもとてもリーゾナブルである。こう言うスタディみると元気がでるなあ。更なる発展が楽しみである。終わって夕方のアサマに乗る。『西洋美学史』の続きを読む。アウグスティヌスとトマス・アクィナスを読んでいたら眠ってしまった。中世は哲学も美学も僕の中では空白地帯なのだが、もちろん何もなかった時代ではない。アウグスティヌスは「期待と記憶」がテーマ。このテーマはバウムガルデンに引き継がれ、受容者の期待にこたえる作品が称揚される。そしてさらにそれは20世紀受容美学に受け継がれ、ヤヌスは期待との距離に芸術性を見出している。つまり否定性の美学である。トマス・アクィナスのテーマは「制作と創造」。言うまでもなく中世、創造は神の手にあり、人の能力は制作でしかなかった。デカルトも神の連続的創造を唱えそれを批判的に読み換えたのはベルククソンだそうだ?その前にはいないのかな??
東京駅丸善で本を宅配。事務所に戻る。ガレス君に会おうと思ったが今日はすでに帰ったようだ。甲府プロジェクトの打合せをし、メールチェック。松田達さんからメール。art spaceというページに拙著のレビューを書いてくれたとのこと。ありがたいことだ。http://artscape.jp/report/review/author/1192005_1838,1,list1,2.html
修論ゼミ、飯、3年製図、飯、研究生ゼミ。先日学兄小田部胤久氏から送って頂いた近著『西洋美学史』東京大学出版会2009を読み始めた。始めの言葉に書いてある通り、この美学史は一般のそれとはかなり異なる。先ず美学史というタイトルであるがこれは芸術の理念史であること、さらに叙述の方法は芸術理念の流れを構成する理路に着目した「人」の選択となっていること。更にその「人」の全貌を明らかにするのではなく、その流れに必要な理論のみを抽出していることである。未だ2章であるが、その着目点の差異を明確に感じるし、その流れの深さは新たな歴史の断面を見せてくれる。また小田部氏の記述のスタンスはいつもながらこの手の書では類を見ない丁寧なものである。美学芸術学の素養のないものでも何の苦労もなく読める。建築学科の大学院の教科書にしても全く問題ないだろう。来年は使おうかな?少なくとも後期のゼミ本にはしよう。事務所からのメールチェック。膨大なスケッチ、写真、図面。一つのプロジェクトはまだ可能性の探求段階なのでとにかく可能なスタディを伝えるのだが、、もう一つは今週末プレゼンなだけに時間を勘案してデヴェロップする切り口が必要である。少し考え込んでしまう。そうこうしているうちに2時。
朝の会議がことのほか長い。終わって昼までの間に構造のI先生と小諸プロジェクトの打ち合わせをする予定なのに。どんどん時間がなくなる。I先生とは学会の木質バイオマス特別委員会でご一緒させていただいているので、この計画も木でいけるかと打診するのだが、話していくと、コストで挫かれる。こいつを下げる方策が無い限り建築材としての木の一般的な普及は難しい。
午後講義、終わって教員会議。会議後ゼミの様子を見に行く。今日は『生きられた家』だが皆難しそうである。難しいから読むのであり、簡単な本ならゼミで読むまでもない。最近ゼミの最後にちょっと面白い1時間設計をやっている。基本的に二つの住宅のプランを暗記させておいてそのどちらかを題材として、それを増改築する。今週は梅林の家の家族を3人にして内部を自由に改築し、かつ4階建てに増築せよというもの。妹島さんの空間を換骨奪胎してその形式を用いながら自分のものとせよという課題である。もちろん1時間で仕上げるのにはかなりの力量がいる。しかしなかなかの瞬発力が鍛えられる。
夕食後その図を採点。その後WEB上の大学院講義レポート読み、その感想と新たなレポート課題をWEBに書き込む。これが結構時間がかかる。終わって事務所から送られてくる図面をプリントアウトしてチェックする。今日から来たガレスというアイルランド人の研修生のスケッチも入っている。おーいきなり与えたテーマに対してのスケッチにしては上出来だ。CAD図を見ながら空間トレース。エネルギーがいる。自分でアクソメを描きながら前回の打ち合わせの内容が出来上がっているのか?できてないところはなぜそうなっているのかを読み込む。いくつかの指摘をメールで返す。やっと今日の仕事は終わり。読みかけの『動的平衡』読む。生命とは生命を構成する分子の流れがもたらす「効果」である。という一文が印象的だ。これはカルテジィアンによる機械論に対するアンチテーゼの一つである。もう一つのアンチテーゼは像もクジラも豚も感情があると言う仮説。これもなんとも感動的な話だ。とある国で絶滅寸前で最後の一頭となった像を追跡した学者が断崖絶壁の海辺でその像を発見。像は沖で潮を吹くクジラと低周波で語り合っていたそうだ。像はもちろんすべての哺乳類に感情があると僕も思う。
朝の電車で長野へ。助教のHさんの結婚披露宴。善光寺そばの藤屋というホテルで行われた。江戸時代の御本陣、今の建物は大正14年にできた和洋折衷建築。その後もリニューアルされインテリアはスケールが小さくインティメットな空間になっている。始めて中に入ったが気持ちよかった。終わって研究室に戻る。雑用をしばらく片付けてから、カサベラの日本語版を全部引っ張り出してきて磯崎さんの対談記事を通して読んでみる(全10回)。送られて来た時は目次と表題程度しか目を通していなかった。昨日小巻さんにお会いして、ああきちんと読まねばと反省した。テーマはイタリア。ルネサンスからバロックへの建築美術の流れである。対談で歴史が語られると、ゴシップ的な話題がちょくちょく入ってくる。あっち行ったりこっち行ったりするのだが、それこそが人の世である。一人の人がとうとうと語るより対談は時代が広がりを持って見えてくる。アントロポモロフィスム(人体像形象主義)こそが15世紀の発見であり、これは近代にまで引き継がれ、そして解体されつつあると磯崎が言う。こんな発言は歴史家にはできない。歴史家が書く歴史と制作者が書く歴史は見方が違う。今翻訳中のヒューマニズム建築の現代的意義が多少鮮明になるか?
9時頃かみさんと家を出て国立新美術館へ。開館前で裏口から入れてもらう。建物は何でもそうだがいつも見られない裏導線に入ると興味ぶかい。ここは公募展が多い美術館なので裏動線には延々と審査室が両側に並ぶ。油絵の匂いが立ち込める。かみさんの書展を見てから隣でやっている野村仁の展覧会も覗くhttp://ofda.jp/column/時間の空間化は興味深い。美術館でサンドイッチを食べ六本木まで歩く。今日は夏のようである。日比谷線から東横線に乗継ぎ妙蓮寺へ向かう。前田さんのオープンハウス。彼とはちょくちょく会うが、建物を見るのは初めて。模型のとおりメビウスの輪である。全体感は模型でないと全く分からないが、空間の連続感は入ってみないと分からない。仕上げが内外共にFRPの白というのが内外の曖昧さを強調する。木造だというのも驚きである。小巻さんに出会う。前田さんと3人で夏の日差しを浴びながらテラスで会話。谷内田さんが訪れた。彼も構造に興味ありげ。何故RCではなく木造なのか?前田氏の答えはRCの型枠が精度よく作れないから。むしろ木造なら形を切った貼ったできるのだという。まあそうかもしれない。小巻氏と2人でお暇する。帰る道すがら彼が日本版の編集をするカサベラの話となり、磯崎さんの知識量の凄さに2人で感嘆。そして話はユリイカコールハース特集に。コールハース以上に磯さんは建築言説コンテクストをサーフィンする天才であり、コールハースに正攻法でぶつかるほど空しいことはなく、そうしたズレまくりの淋しい文章もあそこにはあると彼は言う。僕は読んでいないがまあ想像はできる。
朝、我が家の空調機が壊れて管理人を呼びチラーを見てもらう。さっぱり冷房が効かない。どうも屋上のクーリングタワーからの水が流れていないらしい。フィルターの清掃をしてもさっぱりである。午前中早稲田の講義があるので今日はもう終わり。後日また見に来てもらうことする。早稲田にぎりぎり到着。2コマ目の講義をして事務所に戻る。1時半にアイルランドからのオープンデスクの学生の面接。アイルランドに4つしかない学位授与ができる大学の一つであるアイルランド工科大学の学生。アイルランドの人口は400万人。東京の半分足らず。卒業後どうするのか聞くと、アイルランドで就職するつもりはないとのこと。仕事が無いらしい。世界の経済状況は厳しいようだ。ポートフォリオの説明を聞いたが、なかなか面白い。来週から来てもらうことにする。午後甲府と塩山の打ち合わせ。この仕事を始めて2か月経つがまだ実感の湧かない場所がたくさんある。とにかく本物の見学をしなければ。夜、中国から戻ったナカジのお疲れさん会を坂牛チームのメンバーで行う。いろいろ話を聞くと中国の仕事を1年半やって恐ろしく人生感が変わったようである。世の中はもっといい加減で成りたっている、いや成り立つべきである、そしてその方が人の為だろうというのがそこから感じたことのようである。妬ましいほど感受性が強い。人間はこうあるべきなのだろうか?考えさせられる。
朝は雨で肌寒い。午前中事務所で打ち合わせ、塩山のプロジェクトは中国帰りのナカジに先ずは手を動かしてもらうことにする。午後はWプロジェクトのクライアントのところへ打ち合わせ。3案持って行き方向性は出たのだが、クライアントは同じプロジェクトをプレファブメーカーにも案を作らせているとのこと。僕の最も嫌いなパターンだがまあ仕方ない。ここまでの費用は基本設計料の日割り計算で戴くことを確認して、とりあえず6月中は正式ゴーをもらうまで仕事はストップすることでお互い了解。事務所に戻り雑用。アイルランド工科大学の学生からオープンデスク希望メールが来ている。既に藤本さんのところで4か月オープンデスクをしていたようである。ポートフォリオがすっきりしていてなかなかいい。甲府、塩山の模型をたくさん作りたいのでちょうどいいタイミング。明日会えると返事を出す。今日は朝方雨で肌寒かったが午後から気温が上がり蒸し暑い。レイアウトを変えてから事務所の下の階の窓が開けずらくなったせいか室内が異様に暑い。帰宅後、福岡伸一『動的平衡』木楽舎2009を読む。こんなに分かりやすくていいのだろうか、生物は?昔は大嫌いな科目(つまり最も成績の悪い科目)だったのだが。