今日は1時から金沢で学会選集の選考会。直江津まで2時間、直江津から特急で2時間の予定。しかし予定どおりいかないのが田舎である。8時20分に乗った列車は黒姫駅の手前で止まった。妙高高原で人身事故らしい。50分遅れで直江津に到着。予定していた特急に乗れず、次の特急は1時間半後。仕方ないので直江津の街を歩く。このあたりは市街地空洞化なんてもんじゃない。歩くのが不気味なくらい人がいない。スナックの看板が空しく朽ちている。早めの昼食を食べて駅に戻る。ところがずらした特急がまた遅れている。今度は金沢駅構内で車両故障らしい。ふー。金沢に着いたのは2時。長旅だなあ。結局1時間半遅れて学会へ。2時間半ほど投票、議論を行い、現地審査対象を決める。私の担当は3作品。設計者に電話をし、審査日を決める。最後に来たにもかかわらず、5時17分の電車を予約しており、最初にお暇する。列車は直江津から越後湯沢に向かう。ところが、この特急がまた突然止まった。踏切遮断機が折れてそれを轢いたらしい。30分ほど動かない。またもや越後湯沢で乗り換え予定の新幹線に乗れない。こういうシステム不全のいい加減な世界に放りこまれるとあああ遠くへ来たなと実感する。
車中、宮台真司『日本の難点』幻冬舎新書2009を読む。先週の朝日の書評に取り上げられていたがそこで評価されているほど面白くはなかった。彼の知識量と周到な論理は切れ味するどいし、ミヤダイ独自の経験と実践がその主張に厚みをつけているし、加えて、彼のここでの根本的な主張である、「普遍主義の理論的不可能性と実践的不可避性」には共感する。さらにもっと言えば、自己決定性を標榜する彼のもの言いは危うさを感じるほど小気味いい。でもなぜか感染力がない。彼は教育というのは教育者の利他的な本気が生み出す感染力だと言っている。そのことに僕はひどく感銘し、共感するのだが、きっとミヤダイの言説にはまさにこれがない。もし面と向ってそれを言えば彼は5倍の反論をしてくるのだろうが、そう言うだろうと思わせるところがすでに彼の言説の足りない点なのだろう。
午前中ゼミ。午後製図。3年生前期後半課題の課題説明と現地見学。現地は大学から5分の公園。今日は天気も良くピクニック気分である。公園の芝生に寝転がる。人なつっこい飼い犬が走り回っている。学生は残し大学に戻る。昨日の小諸プレゼンを受けての修正追加の打ち合わせ。構造の先生と構造概要を作る予定がその先生が体調不良で今日は休み。設備の先生に省エネ計画をたててもらうべく説明。終わって夕食。7時から研究生T君の自宅プロジェクトのエスキス。続いて4年の製図のエスキス(明日は学会の審査で金沢に行き、製図に出られないので今晩エスキスをすることとなった)終わると11時。事務所から送られたプロジェクトの図面をプリントアウト。激しいプラン。模型を見たいものである。新たなプランの指示を言葉で送る。伝わるだろうか??
朝一で小諸へプレゼンに行く。学生は10人余り。9時から2時間。先方はこちらのプレゼンにほぼ納得。あと一か月で纏めることなのだがまだ詰めることはいろいろありそうである。昼に研究室に戻り午後大学院の講義。それが終わってゼミ。今日の輪読本は丸田一『場所論』NTT出版2008.21世紀のメディア論である。前回の大澤真幸の『電子メディア論』に続く本として選んだものである。数年前に読んだのだがだいぶ忘れていた。ここにもヘテロトピアのことが書かれている。世界のヘテロトピア化を認め、ウエッブの匿名性が世界を均一化するのを認め、しかし地域の場所性を復活(維持)するにはどうしたらよいのか?考えさせられる。
8時のあずさで甲府へ。最近土日が仕事で埋まり、いささか体力切れである。車中熟睡。甲府は快晴。太陽はすでに夏である。クライアントから「今日は一日空けておきます」と事前に言われていていたので、長くなりそうな予感。スタバで一服し目を覚ましタクシーでオフィスへ。10時から打ち合わせ。スタッフのYさんと役所打ち合わせの経過、新しい案のゾーニング、細かなプランを説明。複雑な機能に僕らの知識はまだ追いついていない。なにせ山梨県でも最初の施設。県の担当もよくわからないようなもの。そのイメージはクライアントの頭の中にしかない。それを引き出すのが一苦労である。昼食後。クライアントの車で塩山に連れていかれた。今では合併して甲州市という名に変わった場所。武田信玄が敵に送った塩を採取したところらしい。ここにある施設の建て替えにも力を貸してほしいとのことでその学園を訪れる。築40年のその建物は確かにかなり痛んでいる。中も凄い状態。これがRCの建物かと思うような姿である。こちらの施設は甲府のそれよりシンプルなので学んだ知識で理解可能な範囲だが、敷地が800㎡位しかなく窮屈である。さてどこまで何ができるだろうか?お暇したのは結局夕方。甲府まで送っていただく。Yさんと駅のカフェで打ち合わせ。7時半に彼女は東京へ、僕は松本へ向かう。車中やはり熟睡。松本から鈍行で長野へ。車中読みかけの『日本のこどもの自尊感情はなぜ低いのか』を読み終える。世界の子供に比べると日本のこどもはかなり精神的に疲弊している調査結果がある。その原因の多くは親に負っている。「こども問題はこどもだけを見ていても解決しない。親も含めてセットで考えないと再生産される」とクライアントが言っていたことがそのままここに書かれている。大学に行き作成中の明日小諸でのプレゼン模型とコンセプトペーパーチェック。
今年度最初の八潮ワークショップは住宅スクール。これから家の建て替えを計画している市民を募り5大学の学生が相談にのるスクールである。受講生は全部で8人。生徒一人に先生(学生)2人で対応である。11月までに4回のスクールを開き模型と図面を作り上げようというものである。信大は二人の生徒さんと対応。一人の方の予定敷地(つまりは今住んでいるところだが)を車で見に行く。広い敷地。代々八潮にすんでいる方のようである。スクール中は元気だったが途中からお腹が痛くなってきて調子悪い。帰りは皆のお誘いを断り帰宅。
午前中早稲田の講義。学生発表第2回。講義のテーマを元に街に出て写真を撮ってそのテーマを掘り下げて一人10分の発表。前回よりも面白いものが多くなった。前回はちょっと物足りない気がしたが、文化構想学部の学生であるし、2年生だと言うことを考慮すればやはりいい勘しているのかもしれない。昼飯をとって次のクライアントとの打ち合わせ。天津でサスティナブルシティの街づくりをしたいとのこと。大きさはと聞くと、23区より大きいとのこと。まあ僕には手に負えないが夏にミーティングに行くことを請け負う。中国がこれからどうなるかは読めないが、国は主要都市の体裁を崩すことはないようだ。事務所に戻り打ち合わせ。夜はとある食事会。日建時代の仕事のクライアントとゼネコンと今でも続いている食事会。会の名はDの会。プロジェクトの頭文字をとったものである。集まったのは某生保、某商社、某ゼネコンである。18年前の仕事だが、毎年何かしら理由をつけてはお会いしている。クライアントやゼネコンとその立場を越えて飲めるのは実に痛快である。彼らは今では設計本部長であったり、子会社の取締役であったり、引退したり、立場はいろいろである。しかし今ではそういう利害関係なしに勝手なことを言える仲である。その昔、ニューヨークのマリオットのバーで「責任をとれ」と怒鳴られた。ボストンのリッツカールトンのバーで2時まで机をたたきながら議論して追い出され、続きをとある人の部屋で飲みあかし彼の部屋の冷蔵庫の酒を全部飲んだ挙句、激論で彼にワインを浴びせ、怒りとどまらず彼のカメラを部屋から放り投げた記憶もある。とにかくこの人たちとの仕事は僕にとっては忘れられないものである。一生の仲であろう。2次会にも行きたかったが明日も早いのでこそっと抜け出し帰宅。
最近学外の大学院入学希望者からのメールが続く。少しは信大の建築学科も知られてきたということだろうか。ポートフォリオを見ないと何とも言えないが、院の入試が競争的になるのは結構なこと。質もあがるのではなかろうか。午前中雑用をこなし、午後打ち合わせに行く。前回同様早く着いたので近くの公園ベンチで図面を見ていたら法的に間違っているところを発見した。ショック。クライアントには正直に間違いを言いながらその場で新たなプランを書いて見せたものの、ちょっと恥ずかしい。こんなことは初めてである。
昨晩ベッドで古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』光文社新書2009を読み始めた。事務所に戻る電車で続きを読む。タイトル通り、日本の子供は自尊感情が低いとのこと。その主たる原因は大人によるこどもの人格neglectのようである。ではその対処は?こどもの言うなりに甘やかせばいいというものではもちろんない。こどもをいい加減に扱わないということのようである。これを読みながら、昨日の「コロニアル問題」が頭をよぎる。スピヴァクの言う「戦略的本質主義」なる不平等解消の方法を思い出す。それは相手も自分も同じ人間であるという本質を再認識するという忘れかけた当たり前のことである。発展途上国の貧困層であれ、訳の分からぬこどもであれ相手は自分と同じ「人」であることを思いおこすこと。そして彼らとがっぷり四つに組んでやること。これが基本なのであろう。僕のような母子家庭寸前の家でも、短い時間とはいえしっかり相手の言うことを聞いてやると、こどもは溌剌とした表情を見せるものである。オヤジとして落第生であろうとも、できる限りのことはしなければならない。
こんな力んだ気分の時に限って遅く帰ったオヤジにタイミングよく娘が相談事をしに来たりする。うっ。ゆっくりビール飲んで新聞でも読もうと思っていたが諦めて話始めると1時になってしまった。
午前中小諸プロジェクトの打ち合わせ。おお!分析資料が実に良いできになってきた。この資料は街の観光案内所にでも置いてもらうような「街の味わい方ガイド」のようなしつらえにしている。ウマヘタパースなど入ってユーモラスな雰囲気である。一方建築デザインはなかなかまだ悩ましい。考えている途中で時間切れ昼。今日は午後の製図エスキスを終わらしてすぐに帰ろうと思っていたが、製図室に戻り模型を見ながらスケッチ再開。担当の院生にそれを渡し模型作成の指示をする。
長野駅で初めて見る「信州サーモン」弁当というのを買って夕方のアサマに乗る。信州でサーモンって採れるのだろうか?まあ理屈はともあれ、味はというとこれが結構うまい。脂がのっていてとろけるようである。1000円は高いが、やたら高い駅弁が多い中、まあ納得のいく駅弁である。
車中『ポストコロニアリズム』の続きを読む。インド生まれでアメリカで教えるスピヴァクの紹介がされている。その彼女の思考の集大成が『ポストコロニアリズム理性批判』なる本らしいのだが、そのポイントの一つとしてこんなことが挙げられている。昨今のポストコロニアリズム理論はスピヴァク自らを筆頭に、ポストコロニアルな主体(=脱植民者)がコロニアルな主体(=被植民者)の情報を提供をしている。サイードの『オリエンタリズム』ではこの情報提供者はあくまで植民地宗主国の知識人であったことに比べ一歩踏み込んだ観察である。さらにこのポストコロニアルな主体は現地生まれであるから植民地文化をよりよく知っているという危ない思い込みに流れる傾向を持っていると指摘する。なるほど世界のグローバル化とはこうした情報発信の輻輳化をも生み出すわけである。
事務所にたどり着く寸前で足を挫いた。癖になっている左足首である。あまりの痛さに事務所の床に倒れる。キッチンから出てきたYさんの「わっ!!」と驚く声が頭の上を通過する。
朝9時から製図の採点をして午後の講評会の発表者上位30名を選ぶ。20人くらいは毎度あっさり決まるのだがそこからはどんぐりの背比べである。10時からゼミ。12時前に終えて急いで昼食。今日の講評会のゲストクリティーク城戸崎和佐氏から電話。課題の敷地にいるとのこと。なんと敷地を見てから来てくれた人は初めてである。感謝。12時半から彼女のショートスライドレクチャ。アーティストとのコラボワークと彼女の自邸を舞台にした30分の映画を見せて頂いた。名前は知らないが有名な俳優が3人も出ている。「いい建築を作ると有名人が集まる」とのこと。彼女らしい発言である。1時半から講評会。実力伯仲のいい作品が多い。上位5名くらいは彼女とほぼ同じ。その中からそれぞれの賞と佳作を選ぶ。毎回思うがゲストを呼ぶ楽しさは彼らが何を評価するかその評価基準を聞くこと。彼女とは学生のころからの仲だが、その好みは変わらないことが良く分かった。なるほどね。終わって打ち上げ。最終のアサマで彼女を見送る。昨日あまり寝ていないせいか今日はふらふら。
午前中角窓の家に行く。不具合のチェック。打ち放シリコン塗装は今のところかなりきれいである。庭は奥さんが手入れしてどんどん良くなっている。室内もとてもきれい。ありがたいことだ。午後事務所に戻りプロジェクトの打ち合わせ。粘っこく打ち合わせしたいのだが、どうもこちらのanticipationにはまらない、、、、、、。夕方南洋堂へ向かう。建築ラジオなるものの収録。テーマはコールハース。パネラーは柄沢さん、勝也さん、南後さん、僕。コメンテーターは堀井さん。司会は松田さん。南さんと五十嵐さんと山田さんが企画者側として聞いている。こうやって話すと、ああこの人こういう人なのねということがよく分かる。柄沢さんは会ったことはあったがゆっくり話したのは初めて。「コールハースの空間図式」について語る。彼はどんどん建築を現代思想に関連付けていく。そのうち抽象化された概念が一人歩きし建築が見えなくなる。勝也さんのテーマは「批評性からスクリプトへ」。ヨーロッパ時代とアメリカ進出後を比較したタイトルだ。南後さんはよくお会いする。シチュアショニストの専門家なので今回も「シチュアショニストを編集するコールハース」というテーマ。垂直性と水平性というキーワードに司会の松田さんが反応。それを堀井さんが、「コールハースは自分を煙に巻く種をあちこちに蒔いているのであってそれにひっかかってはいけない」と諫める。松田さんはそうは言ってもという感じで徹底してコールハースを抽象化した概念で串刺しにしたいようである。僕は煙もコールハースだからそれを全部引っ剥がす必要はないと思うが、その煙を建築と別次元でまくし立てても無意味だと思う。最後は僕のテーマで「コールハースとスペクタクル」について語り皆の意見を聞く。南後さんには特にコールハースはシチュアショニストから何を得たのかを聞きたかったが、皆が話を自分の領域に引き込むので議論にならない。時間も少ないしまあ仕方ないか。終わって急いで東京駅へ最終のアサマに飛び乗る。車中、本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書2005を読む。本当は今日のラジオの前に読もうと思っていたのだが、読む暇がなかった。この本はコロニアリズムの原点として、コロンブスの話から始まる。そして植民地化の原則としての国語の重視、新たな土地で国語を強要するレケリミエント(催告文)という文章、征服者の言葉をしゃべらない人間の罰などが続く。これを読みながら、一昨日の中国での完成検査を思い出した。この仕事では徹頭徹尾中国との文化ギャップを感じてきた。そして振り返ってみれば、われわれは常に日本のやっていることが正しく、日本の水準が上であるということを疑わなかった。しかしこのレキリミエントを読みながら、もしかするとわれわれの行為もこれに近いのかもと頭をかすめた。日本の価値基準(言葉)を前提として、その言葉を話さない中国施工者は我々に服従する意思がないものとして罰せよと思っていたのでは?検査前にcctvの現場状況をユリイカで読み自分の現場と同様であることに勇気づけられ、圧倒的に自分たちの正しさを疑わなかったのでは?ペンキの塗り方にむらがあってもプラスターボードがまっすぐ張れなくてもそれが何か問題だろうか?と疑問を持つことは無かった。契約上の行為だから違法性があるわけではもちろんないもののこれでよかったのだろうか?と少し考えてしまう。しかしでは我々は中国の言葉を語ることがポストコロニアリズム的な建築行為だったのだろうか?コールハースのやっていることは間違いなのだろうか?そこまで言わずとも、そもそも日本や欧米の技術を前提にして設計していることが間違いだったのだろうか?確かにラオスで小学校建設の手伝いをした時は、彼らに何が作れるかから考え始めていたのだから。少々考えるのに時間がかかりそうである。