8時半のかいじで塩山へ。車中、メールを開くとアルゼンチン建築家協会から9月に開かれる「日本建築展」での講演依頼のレターが届いていた。展覧会の会期は9月4日から30日まで。この展覧会にはリーテム東京工場とするが幼稚園が展示される。塩山では水道局、下水道、消防署を回り昼食をとる。午後施設へ行って打ち合わせ。先週理事会が開かれたとのことで今日の打ち合わせから担当になったFさんが新たに参加。その方が新たに図面を見直し6ユニットの現在のプランを1~2ユニット制に変更したいとおっしゃる。それは今まで積み上げてきたことを無に帰するようなもの。6ユニットプランがオペレーション困難であるという説明は理解できなくはない。しかし言うのが遅過ぎる。さすがにこの進み方には納得できず少々憤った。変更することは仕方ないとしても、ものには言い方というものがある。それにしても今までの時間がもったいない。
夕方の電車で新宿に。車中半藤一利の『昭和史1926-1945』を読み続ける。満州事変から始まるこの本だがやっと真珠湾攻撃までやってきた。半藤さんの書き方の影響もあろうが、ひどい政治家は今も昔も沢山いたのだなと感じる。加えて、戦うことを使命として生きた軍人というものの心理はどう多面的に考えても、最終的にはやはり理解する気になれない。
朝のアサマで長野西高校に講義にでかけた。高校へ行って出前講義である。最近は中学生くらいから自分のキャリアを考えさせる指導が行われている。娘も中学三年の時、夏休みの宿題でなりたい職業の人にインタビューをしていた。高校では自分の進むべき進路を自分で考えるために大学の先生が呼ばれて学問の紹介が行われる。加えてどこの大学も学生集めに躍起なので、両者の目的が合致してこうした出前講義が行われる。長野の高校だから信州大学の先生ばかり来ているのかと思ったらさにあらず、東京の一流私立大学の先生もいらっしゃった。この高校は文系教育の方が進んでいるようで僕の部屋には10人程度しかいない。看護とか心理学の部屋は人気で30人くらいの生徒が集まっていたようである。1時間半程度、工学とは、建築とは、僕の高校時代は、などの話をして終わる。今日はこれだけのために長野にやってきた。帰りの車中、赤木明登『美しいこと』新潮社2009を読む。美しい写真と美しい文章によるものづくり職人の紹介である。著者は漆職人なのだが、文章がとても上手である。略歴を見ると大学では哲学を学び出版社を経由して、突如輪島塗の職人に弟子入りしたと書いてある。この手の本にはミーハー的な有名人巡りが多いのだが、この著者には職人の選択に一貫したポリシーが感じられる。それは言ってしまえば「その職人に信念があること」である。言葉にすると実に陳腐なのだが、それが文章の中にひしひしと感じられる。事務所に戻り明日の打ち合わせ資料の打ち合わせ。スタッフたちは横浜の類似施設を見学して帰ってきたところ。見てくると今の図面の不足しているところがよく分かるものである。それが分かるとますますこの図を明日役所に出していいものやら?ちょっと不安。
10時ころクライアントから電話、金曜日に向けて作っていた案のどんでん返し的修正の依頼。「2~3階にあるものを1階に下ろし、1階にあるものを3階にした方がいいと思う」と言うのである。座長を務めるキャンパス計画の会議が迫り、5分で電話を切ったが、会議中新たなプランが頭の中を彷徨う。まあその方が正しいのかもしれない。経験量が違うからその意見を客観的に判断することができない。言われたことを否定する材料はまったくない。新しいビルディングタイプはいつもこうである。急いで東京に電話、要望の概略を説明する。そして会議が終わって事務所に戻る。判断不能だからそれをやるしかないのだが、2ヶ月かけて作ってきたその図面を金曜日クライアントは県庁に出す予定だった。それを二日で大幅に直してそんなものを役所に出していいものやら?これも経験外のことである。
今日は午後長野の高校で講義をする予定(とスケジュール表に書いて)だったのだが、一緒に行く予定の学生に「それは木曜日ですよ」と言われ、東京に戻り夜出席する予定のマンションの理事会の部屋に行ったら管理人さんに「それは明日ですよ」と言われた。二つの予定はともに一日ずれて書かれていた。こんなことなら東京に帰ってこなければよかった。明日朝また長野に行かねばならないなんて。
久しぶりの修士論文ゼミ。後期に入る前にある程度片付けてほしいのだが、いつもそう言ってもなかなか皆やらない。やらないのかやれないのか?
午後市役所で重要指定建築物の修繕工事内容の検討委員会。現地調査をして意見する。この手の市の委員会ではいつも宮本忠長さんとご一緒。年老いて言うことは尚正確である。委員会の後、依頼されていた二つの部署の方とお会いする。景観賞がらみと、市民会館の新築に関する相談。市民会館の新築は既に公報にも載っているようだが、市街地活性化を狙い市の中心部にある再開発予定地が候補となっている。3年前の塩尻も市街地活性化の一環として再開発コンペが行われた。最近ニュースとなった小諸も市役所の再建に絡み市街地活性化を狙い市民病院を移転しようとしている。どこもかしこも市の真ん中に穴があきそこを箱物で何とかしようというのが行政の発想である。しかしそれだけではどうにもなるまい。塩尻の時は役所の方全てにやる気とヴィジョンを感じた。そういうものが果たして小諸や長野にはあるだろうか?期待したい。
事務所で昨日の打ち合わせの内容を伝達。甲府の仕事は今後の展開の目標を話し合う。ガレスには塩山のプロジェクトの新たなスタディの方向を伝える。午後金箱さんが来所。塩山の構造システムについて議論。少しスタディの方向性が見えたか?終わってから先週の忙しさで手をつけていなかった、レクチャーの準備やら、出張の手配やら、大学への書類やら、なんだかんだやっていたら夕方。急いで帰宅。八ヶ岳登山から戻った娘と遭遇。大雨に降られて二日ともびしょ濡れの登山だったとか。話を聞くとまるで北海道の遭難のような状況。無事戻れてまあよかった。世の中とんでもない豪雨で不幸な事故が相次いでいる。この数年のゲリラ的な気象の変化は何が原因なのだろうか?急いで飯を食って長野へ向かう。車中なかなか進まないルーマンのノートをとる。こんなペースだと読み終わるころには最初に書いてあったことを忘れそうである。
今日の青空は深い、本格的夏の空。7時のあずさで甲府に向かう。クライアントの友人が急逝したとのことで急遽時間を早めて8時半ころから打ち合わせ。昼間には34度まで上がった甲府も着いたときは爽やかだった。政権交代が補助金にどのような影響を見せるか分からないという不確定要素はあるものの本日の案をもとに徐々に案の細かいところが詰まってきた。しかし理想の高いクライアントのイメージをどこでフィックスさせるかはなかなか悩ましい。県の役人もこの分野のオピニオンリーダーであるクライアントに絶大なる信頼をおいている。それだけにクライアントも役所に自分の新たな構想を理解させたいようだ。10時半頃、午後移動しようと思っていた塩山のクライアントが甲府に出向いてくれた。そして場所を貸してもらえた。こちらは県から補助金の関係で7月中に図面と見積もりといわれているのだが、見積もりは参考物件の見積もりをいじくることで納得いただく。午前中に甲府一箇所で2プロジェクトの打ち合わせが完了した。効率的である。甲府駅まで送ってもらい、食事をして1時のあずさで新宿へ。行きも帰りも満員である。新宿で改札の外にでるとマイケル・ジャクソンのライブインブカレストdvdがタワレコの前で街頭販売されていた。思わず買う。やはり僕らの時代の懐メロ(横浜球場まで見に行ったし)。先週から3連続レクチャに続き、八潮、甲府でちょっとグロッキー。
午前中、事務所に来客。クライアントになるかもしれない方との打ち合わせ。多摩に40坪弱の家を建てたいとのこと。飛び込みのお客さんだが話しを聞いていると比較的わかっていらっしゃる。一般にクライアントは工事費の目安はあってもそれ以外の雑費を含めた事業費のイメージができていないケースが多い。今日の方たちはそのあたり銀行とかなり話をしているようである。それでも全体の事業費として工事費に加え、その3割くらいは諸雑費として覚悟された方がいいですよというと少し困惑していた。しかし設計料は15%と申し上げたがびっくりはしていなかった。
午後八潮に学生を含めたミーティングに行く。昨日までとは打って変わって今日はかなり暑い。八潮は内陸だからもっと暑いかと思ったが風が強くそれほどでもない。学生の発表の後の議論はかなり盛り上がった。曽我部が物議をかもす提案をしてくれたが、果たしてどれほど意味のあることだったかよくわからない。僕は先約があり中座。6時半に飯田橋で人と会う。今日は隅田川では花火大会。神楽坂は何故か阿波踊りをやっていた。そのせいかTX,総武線と浴衣姿の女性が目に付く。阿波踊りは迫力に欠けるが狭い道なので観客はそれなりに盛り上がっていた。夏を肌で感じる一日である。
午前中早稲田の最終発表。今日は3年生ばかり3人。今日の発表は充実してた。建築のアート性を発表してくれた人は伊東さんの座高円寺と青木さんの青森県立美術館を写真にとってその装飾性を語ってくれた。建築の倫理性を発表してくれた人は、カントの倫理観をもとに建築の倫理性と悪党性について語ってくれた。人文の学生の発表だが、レベルは工学部建築学科顔負け。いや3年生のレベルとしては明らかに超えている。参ったね。建築における人文知の必要性を痛切に感じる。建築教育を本気で見直さないと日本の建築は終わるだろうなあ。山梨ではないが、明らかにもっと多様な価値観を理解するリテラシーが必要。
午後事務所に戻り設備事務所と打ち合わせ。今月末に向けた概算の出し方について知恵をもらう。その後再度cpuのリカバリー。合間合間に事務所に届いていた石元泰博の『伊勢神宮』を眺める。磯崎新の序文は集中できないので飛ばし、石元の写真だけをぺらぺらとめくる。まだ見ぬ伊勢に思いをはせる。見ていくうちに磯崎建築の骨格が伊勢にあるように見えてくる。この骨太さそしてこの上昇感。
リカバリーしたコンピューターがウィルスに感染したようである。大学のアンチウィルスを生協で買って撃退しようとしたのだが、service pack2が入っていないとインストール不可という表示がでる。そこでsevice pack2をdlしようとするのだが、ウィルスのせいか、dlできない。パソコンが病んでいる。
週末の八潮でのミーティングの打ち合わせをして午後たまった事務処理、3時半に京都造形芸大の成実先生が到着。大学院異分野レクチャーシリーズの第二回めである。ファッション文化と建築デザインというタイトルでお話いただく。成美さんのファッション社会学的な知見は日本ではあまり類を見ない。ロンドンのゴールドスミス(成実さんの学んだ)ではこうした研究者は珍しくないそうだが。2年生から院生まで100人以上の聴講だった。2~3年生にはまだ難しかったようだが、遠路はるばるきて頂いて数十人では企画した僕としても残念。なんとかたくさんの学生に聞かせることができてよかった。
終わってから食事をしながらさらに深い話。エントウィルスの『ファッションと身体』では18世紀中葉まで外見と内面は別物で、ロマン主義以降その結びつきが重要視されると書いてある。建築もそうで近代になればなるほどその内容が外見を支配するようになる。然るに21世紀はまたその整合性にずれがでているのではと持ちかけると、「だからコスプレ」と答えが来た。成実さんの近著は『コスプレする社会』。未読である。成実さんは松本へ、僕は東京への最終アサマに乗る。ハードな3連続レクチャーが終わった。疲れました。
今日は4年生製図の講評会。これはちょっとしたセレモニーである。信大工学部で一番大きな会議室を使い、この授業とは関係ない製図の非常勤講師に来ていただき、さらにゲストを呼んで行っている。選択なので10人程度の発表だが、半期の自由課題なのでそれなりに重みもある。今日のゲストは日建の山梨さん。例によって最初の1時間ショートレクチャをしてもらう。タイトルは「ヒューリスティックアーキテクチャー」。変数を最小にして多様な形を作るというアルゴリズミックな昨今の作り方に対して、変数を最大にしてシンプルな形を作るという方法論。それによってできた建物が本当にその理由でできているかどうは別にしても、そうした工学的知の結集が意匠的な想像力のきっかけにはなるだろう。
講評会は12人が発表。毎年この製図では案が発展、結実しない。自分がエスキスしているのだからその責任の一端はもちろん自分にもある。だから来られた評者の方の批判はそのまま僕の指導力を問うものでもある。であれば僕が何を発言できようか?と思うと講評会では何も語れない。昨日はその考えで槻橋さんにお任せした。しかし今日は方針変更。やはり恥を承知で、自分の罪を自分で裁かなければと考えた。なるべく全員に今までのことは無かったかのごとく発言した。辛辣だとはしりつつ全員を批判した。そしてゲストの山梨を始め非常勤の先生たちからもポジティブな講評は無かった。
信大に来て5回目のこの製図。いい加減に何かしないとまずいなあと感ずる。坂牛研OBもやって来て講評会後の懇親会では自分の過去は棚に上げて言いたいことを言ってくれた。しかしこうした意見がないことには進歩も無い。来年はいくつかの新しいやり方を取り込みたい。