伊勢へ針路変更
上野国博に伊勢神宮展を見に行った。かみさんに連れて行かれた。今日は曇りだが上野の美術館たちは西洋美術館以外少しずつ駅から遠い。着いたらもうくたびれた。展覧会は式年遷宮ごとに作り変えられる御神宝がメインだった。そうした神の品々は贅を尽くしたものではあるものものそれ以上のものでもない。僕にとって興味深かったのは最後のセクションの展示である神像。始めてみるものだし、仏像ならぬ神像なるものがこの世に存在することすら最近まで知らなかった。イヤホンガイドでは「神は仏が現世に現れるときの化身、、、東大寺の大仏は天照大神である」などと言っている。この神仏習合というものは僕にはうまく理解できない。ところでこれら神像の中に2体の国宝があった。それらは伊勢神宮ではなく熊野の速水大社に伝わるもの。熊野で見たいと思っていたものだとかみさんは言う。熊野に行く意味が少し減ったか?(と思って帰って調べたらこの神像は和歌山博物館に寄託されていた。速水行っても所詮見られないのだが)。これから井上章一の『伊勢神宮』を読む予定だし、なぜか美術手帳の8月号の特集は伊勢神宮だし、伊勢はいまトレンドなの??針路変更するか?確か石本泰博が撮影した『伊勢神宮』の写真集に磯崎が文章を書いていたはず。どこに行けば読めるだろうか?
用・強・美
昨晩dynabookの代わりに使っていたvaioが不調になった。東芝に続き、ソニーも、である。まあよく壊れてくれる。最近、コンピューターとは操作機械であって、データーベースと考えてはいけない。と自分に言い聞かせデーターは違うところに置くようにしてあるが、それも限界はある。リカバリーに30分。午後の勉強会のテキスト読みながらアプリの入れ直しやらメールの設定やら。コンピュータークラッシュという天災にたびたびみまわれると建築防災という学問も理解できる。次にコンピューターを買わねばならないときは用・強・美でいえば強にしか興味はない。午後の勉強会の担当は序章。話はヴィトルヴィウスの用・強・美で始まる。批評家はこれらの3分野を好き勝手に評論し、統合する論理を持っていない。それならそれぞれを徹底して論じればよいのだろう。しかし、この中でもっとも大事なのは美なのでありその意義と重要性をこの本で論じようと序で著者は語る。何の疑念も持たずにその序に賛同しながら今朝方感じた強への思い入れを思い出し苦笑する。
勉強会に参加しているM君から「ミュージアムコミュニケーション概念の有効性――ミュージアムとメディアの時代――」という最近の論文をいただいた。ミュージアムコミュニケーションとは展示品を人々はどのような文化的背景の中でどのように受容しているかについて特にその形式性を指し示す概念であり、加えて、ミュージアムで行われる受容者間のコミュニケーションも指すらしい。その論考にも記されていたが、下手をすると博物館も図書館もショッピングセンターも、もっと言えばディズニーランドでさえもこれからは家庭でその機能を享受できるであろう。そうなるとそうした施設の存在価値はまさにコミュニケーションにしかない。と僕は前々から思っている。その意味でもまさにそうした(受容者間における)コミュニケーションの意味合いについては興味深い。というのも建築を作る側からすれば、そこにこそ建築の存立基盤があると思われるからである。
ルーマン
ルーマンのやたら面倒臭い本を読む決意をした。ちょっと大げさだがこれは決意しないと読めない。フーコーなんて目じゃない。以前少し読み始めて全然歯が立たず3ページで諦めた(本文だけで518ページもある)。そこで今回は少し準備をすることにした。先ずこの本を読むために近くの文房具屋で大学ノートを買った。この本は目次の中に節が50以上ある。見開き2ページで一節のノートをとろうと思うと40枚のノートでは1冊に納まらないのだが適当に量を減らし1冊に納めることにした。そして先ずは節の表題をノートに書き写しながら、ストーリーを想像しようとしたが無理だった。そんな想像が可能ならこんな面倒臭い方法をとらなくとも理解できるのだろう。
とある人が本には「開いた」ものと「閉じた」ものがあると言う。フーコーの著作などが前者にあたる。つまり自分では結論を明示せず、読者にそれを委ねるもの。閉じたものはその逆だ。また本の内容のシークエンスには登山型とハイキング型があるという。前者は理路整然と結論へ向けて着実に展開するタイプ。後者は道すがらの風景を楽しむタイプ。そして読む本がこの二つの変数による4つのマトリクスのどこに位置するかを素早く見極めることができれば正確な理解が早く得られるという(高田明典『難解な本を読む技術』光文社新書2009)。節表題を全部写し終り、ここから軽く通読。気になる分からない言葉を抜き出す。10-ページで10くらいある。社会学辞典をひいても半分くらいしか出ていない。さてこの通読を10時間、精読を30時間で終わらせられるだろうか?うまく合間を縫って時間を確保できるだろうか?
夕方娘と東急ハンズヘ行って壊れた自転車のチューブバルブのゴムを買い、文具を買い、伊勢丹に行ってパンツを一本買い、四ッ谷で中華を食べて、帰宅。ノートが一杯になったので新調。新しいノートにスケジュール表を書きこみ、古いノートから必要なところをコピーして貼り付け、ペンを差す部分に和紙の補強をした。
権力と資本からの自由
スカンノ1957―59 マリオ・ジャコメッリ
午前中の早稲田の講義は学生最終発表。倫理性と悪党性がテーマの一つ。多くの学生が悪党性を文字通り倫理の反対の意味で悪いこととして捉えている。そういうつもりで講義した覚えは無いのにと苛立ちながら聞いていた。すると一人だけ、フーコーを参照しながら正確な理解をしてくれた学生がいた。ほっとした。「往々にして世の中の倫理と言われているものが権力あるいは資本と合体して強制力を発揮する。それに対して悪党性が個人の感性の自由を基盤としてこの強制力をずらすものである」ことを示してくれた。そこまでは良かったのだがそれを建築に移すところで上手く行かない。まあ仕方ないか。食事をとって大学脇の本屋で気にとめていた写真家ジャコメッリについての本が目に留まる。辺見庸『私とジャコメッリ』日本放送出版協会2009。事務所に戻り空いた時間に眺める。ジャコメッリの写真はイタリアの田舎の村を舞台にした老人や子供の写真が多い。それらは全てモノクロである。辺見曰くジャコメッリの写真には死が滲み出ている。また生きている間は少なくとも権力からも資本からも自由だった稀有な写真家であったようだ。午前中の学生の発表を思い出した。僕には写真で金を儲けていないプロのカメラマンの親戚がいるが、彼の写真に比べれば、果たしてジャコメッリのそれが権力と資本から自由かどうかは分からないが、少なくともこのレベルの写真家の中では確かにそうなのであろう。また自由であることが理由かどうかわ分からないし、田舎の自然主義と言うようなものとも関係の無いことだが、彼の作品から伝わるものは大きい。思いっきり作為的な一枚の絵のような写真だが(いやだからこそ)伝えようとする強い意志がこちらに乗り移ってくる。
ウルムチ
事務所で仕事。午後事務所の前に置かれた2脚のディレクターズチェアに気付く。誰かが買っておいたようだ。今日も暑いが、なんとなくプールサイドのデッキチェアのような感じ。缶ジュースを買って飲んでいたらガレスがコーヒーを持ってやってきた。昨日塩山から新宿に戻り、そのまま皆で食事に行き、2件目でガレスがバイトしているアイリッシュパブに行った。「ザ・ダブリナーズ」という名の大きな店。「東京人」みたいなもの?ギネスを飲みながらガレスの仕事が終わるのを待ったが、結局忙しくて合流は無理だった。彼は週に二日夕方パブでバイトをしている。日本人が外国行ってすし屋でバイトしながら設計事務所で働くようなものだ。そのパブではギネス一杯千円。ここのギネスはアイルランド直輸入でその辺のニセモノとは違うらしい。ただ結構高い。アイルランドで同じものがいくらかと聞いたら5ユーロくらいと言っていた。
夕方個人でツアーガイドをやっている友人からメルマガが来た。2月に一度くらい送られてくる。世界中というわけではなく、彼の専門はシルクロード周り。今回はラサとウルムチ。いつもは読まずに写真だけ眺めるのだが、今回は話題の場所なのでしっかり文章も読んだ。外務省が渡航自粛を促すけれど、まあそれほどでもない。新聞、テレビは必死に争い場面を報道するけれど、それはある一部のできごと。そうではない部分も多くあるわけだ。というような内容の文章と写真が付されている。彼は中学の同級生。そのころから体がでかく逞しく一緒の高校に進み大学は琉球に行き台湾に留学し中国語をしゃべれるようになり個人ガイドをやっている。酒はとんでもなく強く、たまに日本にいると飲むのだが敵わない。先日もうちで朝まで飲んでいた。僕は寝ていた。
「ウルムチ空港付近のウイグル族の食堂の風景。漢族とウイグル族が何もなかったように、同じ場所で、シシカバブやラグメンに舌鼓をうっていた」。文写真ともユーラシア企画メールマガジン第28回 「ウルムチ・ラサ」より。二村忍撮影
五里霧中
朝一の特急「かいじ」で塩山へ。役所を三つ回る。今日は日本中でここ塩山が一番暑いのではなかろうか?36度くらいらしい。畑の脇のアスファルトの道を3人で歩いていると陽炎が見えそうだし、意識が朦朧となる。駅へ戻り昼をとってからクライアントの車で施設へ向かう。敷地の上を高圧線が通っているので東京電力が2時頃やってきて打ち合わせ。今の計画はぎりぎりだと言うことが分かる。高圧線と言うものは電流が多く流れると熱を持ち膨張し1メートルくらい垂れ下がってくるのだそうだ。これはかなりエネルギーの無駄遣い。超伝導の研究は重要か?
前回の案の改良案を見せる。模型を見せようと思ったら役所に置き忘れてきた。なんということ。うっかりしていた。やはり厚さのせい?プランは少しずつクライアントの希望に近づいている。分からぬことは多々あるがまあクライアントといっしょになって五里霧中をさまよいながら少しずつ前進するしかない。帰りは甲府まで送ってもらい「かいじ」に乗って新宿へ。車中最近話題の半藤一利の『昭和史26→1945』平凡社2009を読み始める。分厚い文庫本。語りかけるような文体がテレビを見ているようである。
桃
午前中のゼミ、午後の打ち合わせを終えてアサマに乗る。『ゼロ年代の想像力』によれば2000年代は「やられる前にやるやる」というサヴァイヴに目覚めた時代だと言う。そして著者はそうした例としてテレビドラマや小説を挙げる。それらを読めば読むほど、うちの娘がちょっと前まで熱狂していた類だなあと思い出す。もう高校生なのでその手のものには飽きたようだが、中学までは本屋で買ってとせがんでくる小説はたいていこのタイプ。見ているテレビドラマも殆どが戦いもの(と呼んでいるのは僕だけかもしれないが)。一体この子は変なんじゃないの?と思っていたが、世の中一般であったというわけだ。夕方事務所に戻る。携帯を研究室に忘れたことに気付いた。僕に電話しないで下さいね当分。御用のある方はメールでお願いします(と、帰宅後妻と娘に言うと、電話しても出ないし、メールしても返事くれないからそういわれなくても電話もメールもしないと言われた)。甲府プロジェクトの模型がカワイイ。室内の壁に赤みを入れようと言っていたら桃色にできている。甲府だから桃というのは安直だが、なんだかふんわりした感じである。友人の会社が「桃コマーシャル」と言う名前だったがそういえばなんとなくふんわかしてよかったなあと思い出した。人間関係を構築する場所にはふんわかした感じは大事だなあ。
デタッチからコミットへ
何度目かのテクトニックカルチャーをゼミで読む。学生諸君もm1は4年の時、m2はm1の時読んでいるので2回目。この手の本は1年ごとに何回か読むと著者のはっきりしない論旨の後ろにおぼろげに漂う思いがつかめてくるものだ。
夕食後宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を読み続ける。彼の論旨の大筋は昨日も書いたが90年代の「引きこもり/心理主義」から2000年代の決断主義(黙っていると殺されてしまう)への想像力の転換である。前者を代表するストーリがエヴァンゲリオンなら後者のそれがデス・ノートであり、前者がデタッチなら後者がコミットである。
振り返るとこの世紀の変わり目(1999年)に僕は篠原一男、鈴木隆之、萩原剛と鼎談をしてそのまとめた本の中に短いコラムを載せた。その中で時代はデタッチからコミットへという主旨のことを記していたhttp://www.ofda.jp/sakaushi/text/1999b/07ja.html。もちろん僕の考えは必ずしも自分の内部だけから発露したものではない。そのときの時代状況と共振しながら書いていたのだろうと思う。つまり10年前に、宇野が言うように確かに自分の想像力も社会のそれもある種の転換期を迎えていたのだと感じられる。そして自分にとってそのきっかけとなったのが篠原一男との再会だったかもしれない。篠原一男は何時だってコミットの人であったと思うが、90年代の終りにその精神が再び社会と共振し始めたともいえるのではないだろうか.
執念の家
v
昨日スチュワートさんに「9月にブエノスアイレスに行きたいと思っている」と言ったら、「へー」と驚くでもなく「何故?」と聞くでもなく、「あそこは危ないから夜は外出するな!飛行機の切符はすぐに予約した方が安い。僕なら今日予約する」と,まるで先生が生徒を指導するかのような対応。突如その場が20年昔に戻った。それで思い出した。そういえば学会の電車も宿もとっていない。一体はどこでやるのだったけ?大学は?ホテルは?僕の司会は何時?出張パックを探し、値段の比較をして、申し込む。会員番号?パスワード?先日のパソコンクラッシュでどっか飛んでったよ。ああいやだ。この手の作業は苦手。どんどん気分が落ちる。さっさと終えて、大急ぎで家を出て木島さんのオープンハウスに向かう。場所は逗子。戸塚乗換えで1時間電車に揺られ、駅からタクシーに飛び乗る。1800円くらいの場所。山道を登る。ここは何処?道は幅2メートルない?一体どうやって工事したんだよ?道の両側には家が建っている。でも多分普通の人ではない。どうしてもここでなければ住まないという固い意志があるひとたちだろう。息が上がる。道は続く。両側の家からはみ出る木が道に覆いかぶさる。そして緑の切れ目にレッドシダーの外観が現われた。およそ40度くらいの斜面にきのこの如く生えている。RC一層分の上に木造が3層乗っている。それもRCの設置面積を減らすためか木造の3層は斜面側に一層ずつせり出している。この建ち方に意地を感じる。中に入ると逗子の海が広がる。4層の空間は少しずつスキップしながら連続し、いたるところで外部の海や空が目に入る。木島さんらしい内外部のゆるやかつながりである。
この現場は工務店が2回倒産し最後は設計事務所が工務店をして設計者は延べ180日現場通いしたと聞く。ケーブルカーのようなウインチが無いとものを運べないような斜面を延べ3ヶ月登ってできたと聞くともはや執念を通り越した何かを感じる。
帰宅車中で『思想地図』の続きを読む。どうも東浩紀が自画自賛するほどビビッドに伝わってこないのだが、それは読み方が悪いのか?帰宅後シャワーを浴びて夕食をとり長野へ向かう。車中思想地図にも載っていた宇野常寛『ゼロ年代の想像力』早川書房2008を読む。こちらは大変面白い。90年代から2000年にかけて社会の想像力が大変換を起こしているにもかかわらず批評はそれについていけていないことを批判する。その通り。