午前中奥山さんの新作を見に駒澤大学へ行く。オープンハウスには行けなかったので今日見る機会を作ってもらった。スチュワート先生も来られていた。矩勾配の切妻打ち放しである。最近の建物は全てこの形式で彼の形への強い意思を感ずる。見終り東工大に行きスチュワート先生の新しい部屋を案内してもらう。緑ヶ丘棟の3階に素敵な部屋が出来ていた。ひょんなことからアンソニー・ヴィドラーの話になる。スチュワート氏は彼の最も面白い本はuncanny architectureだと言う。日本語で読んだよと言うと、この本は日本語に馴染むコンテンツではないからサカウシなら英語で読んだ方がいいと言う。そうかもしれない。ヴィドラーの翻訳はとにかく日本語がよく分からない。それに比べてspectacles and useは英語で読んだのだが実に読みやすかった。次に最近の彼の著書であるHistories of the Immediate Present: Inventing Architectural Modernismに話が移る。これは近代建築史史のような本であり、カウフマン、ロウ、バンハム、タフーリの趣向が作り上げたモダニズムを浮き彫りにしている(と思われる)。この本を辺見たちと翻訳しようかと思ったという話をしたら、これは薄いがとんでもなく背景の濃い本なので日本語に出来るようなものではないという。ある人がこの本を翻訳する予定のようだと言うと、誰だか知らないが難しいのではないだろうか、そもそもヴィドラーはこうしたテーマの本を書く適当な人間ではなくむしろ自分の方がうまく書けるだろうと言っていた。相変わらずのすごい自信。
その後国士舘大学の助教授の職を辞してAAスクールに留学して帰国した美濃部君の帰国報告を聞く1時間半のプレゼンテーションは実に内容が濃く面白かった。バイオミメティック建築の設計プロセスを細かく詳細に亘り聞いたのは初めてである。建築を取り巻くマイクロクライメットを形として取り出し、インテリアクライメットとの相互関係を建築化するというものであった。もちろん主役はコンピューターである。終わって思わず質問した。それはこういうことである。ヴィドラーはspectacles and useで現代の建築の四つの潮流(ランドスケープ、生物学、プログラム、建築固有の問題)は全てコンピューターの発達によって可能となった。しかしコンピューターが作る形態はアドホックであり、そのチョイスはまして恣意的であるのが現状。しかしいずれコンピューターの発達により最適解は適性に選び得ると言うのである。さてそんな可能性をあなたは感じるか?と聞いた。彼は即座にそうは思わないと答える。それなら彼のやっていることは詩的な創作のための技術と称したきっかけに過ぎないのか??
夜東京テックフロントで坂本研obの集まりである「例の会」が行われた。こちらも内覧会には来られなかったので今日初めて見せていただいた。会の乾杯の音頭を頼まれ、篠原坂本研出身のサカウシとしては大岡山の駅前に二人の恩師の建物が並んで建っていることが楽しく、嬉しく、しかもその作風のあまりの違いに驚愕であるとの感想を申し上げた。
(今日見た二人の建築への感想はコラムをご覧下さいhttp://ofda.jp/column/)。
午前中早稲田の講義、今日で前期の講義は終了。次回以降は学生の発表のみ。気が楽だ。昼食をとりながら東浩紀、北田暁大『思想地図』vol.3を読む。アーキテクチャー特集である。もちろん東が編集しているのだから広義のアーキテクチャであるが。最初のシンポジウムのメンバーが迫力である。磯崎、浅田、宮台、東、それに若手の批評家宇野常寛に濱野智史。磯崎さんは極めて分かりやすい建築言語を話しているのだが、浅田と宮台は若手をねちねちイビル。東はそれを軽くかわす。とは言え無視するわけでもなく適度に言いたいことを言わせ、そしてまた挑発する。ワンジェネレーションのずれの構図が痛快である。しかし、これだけかみ合うつもりの無い、エゴ丸出しのシンポジウムというのもすごいね。大モノ(というか言葉のテロリストというか)をこれだけ並べて若手が司会するとこういうことになるのだろう(八束さんとシンポジウムしたときのことを思い出す)。このシンポジウムは東工大でやったみたいだけれど工学系の学生が理解できる範囲を超えている。
午後事務所に戻り、昨日の打合せを踏まえプランのスケッチ。夕方日建の亀井さんから電話。製図第五ゲストクリティークの日に役員プレゼンがはいってしまったと申し訳なさそうな声。そりゃないだろう!!と言いたいところだが、まあ仕方ない。代打山梨を送るとのことなので了解する。しかし彼は彼で東京に6時半に戻らなければならないとか。とにかくスケジュール組み直し。
朝のあずさで塩山へ。スイカで出ようと思ったらポケットにも鞄にも無い。電車の中か新宿駅かで落としたみたい。見つからぬままクライアントの迎えの車でオフィスへ。
6月初旬に初めてクライアントにお会いしてから1ヶ月たった。その間研修生のガレスを含めてナカジ、竹内君、僕と4人がかりで数十案を作ったうちから3つをブラッシュアップして持参した。今までやったことの無い施設なだけに作ったものが全く的外れだったらという不安もあったが、狭い敷地で条件も厳しいなかでこちらとしてもその可能性の範囲は見極めているつもりではあった。打ち合わせをしているうちに相手の意図していたおぼろげなイメージとこちらの案の何かがなんとなく合致していることが分かってくる。どうにか3つの案のうちの一つをこれから進めていく基本とできそうである。とりあえず今日のプレゼンは機能した。塩山駅から電話があり、スイカをいれた名刺ケースは松本に到着しているとのこと。しかし今日は幸か不幸か東京へ戻る。
施設の昼食をご馳走になり、引き続き午後の打合せをし、終了後施設を再度よく見せてもらい外にでる。建物周囲はブドウ畑が広がる。ぶどう棚はおばさんたちが手を伸ばせば届く高さなのでとても低い。1メートル60センチくらいだろうか?その下に広がるぶどうに被せられた無数の白い袋を透過する緑の光はネトの作品のようでもある。いやむしろネトよりよほど幻想的である。
帰りの電車の中、ソシュールを読み続ける。有名なターム「シニフィアン」、「シニフィエ」が「聴覚イメージ」、「概念」に置き換わる。それによって双対性が明確となる。そして「シニフィアン」とは「意味するもの」ならなんでもいいのではなく、基本は「音」で「文字」ではないことが分かる
新宿に着いて事務所に帰る前にタワレコに寄る。I AM ROBOT AND PROUDの新しいCDが出ていた。店内はいたるところでマイケル・ジャクソンが流れている。
朝8時。中国からの留学生李君がレポートを持って研究室に来た。1時間かけてそのレポートを読みながら日本語を直し、話の流れを修正する。テーマは中国と日本の近現代建築における伝統の現われ方比較。正直言って中国のモダニズムなど知らなかったから大いに勉強になる。中国モダニズムは上海租界地に始まるが、その後の毛沢東時代は伝統様式の現代版だった。この頃の建物の写真とその引用元を見るとまあ結構ビックリである。べたな模倣である。それも小さな寺を巨大ビルに引き伸ばしたりしている。滑稽だ。中国では20年くらい早くポストモダンしていたわけだ。もう少し調べる価値がありそうな??そして欧米の現代建築が進出したのは鄧小平以降。面白いねえ。彼にレポート書かせた甲斐があった。
午前中の打ち合わせを終えて午後製図。4年生最後のエスキスをして東京へ。ソシュールを読み続ける。第二部「言語」の前半、有名なテーゼ:「ある聴覚イメージとある概念をむすびつけるつながり――これが記号としての価値を与えるものですが――は、根源的に恣意的なものです」が現われる。話はとても厳密に進むがノートの直訳だから少々曖昧な部分もある。
東京駅で丸善により本を宅配。成実さんの新刊があった『コスプレする社会』。事務所に戻り、明日のプレゼンの資料を確認。このところ毎日図面も模型写真も送ってもらっているのでそれほど心配ない。これは結構いいシステムである。
部屋でコーヒーを飲み10時頃学会の北陸支部に行く。先ず作品選集の審査。現地審査の結果を踏まえての再議論。全部の作品を見ていないのだからある部分は見てきた人の主観的評価を参考にせざるを得ない。なるべくそれに惑わされないようと思いつつ、やはり見てきた人の言葉は気になってしまう。昼休みにクライアントに電話、木曜日にプレゼンしたい旨伝えると、補助金の関係がスムーズに進みそうで、今月中に案を県に提出したいと言われた。「できますか?」と問われる。「やるしかないでしょう」と答える。我々の大学でも補助金の関係で無思慮な建物が建設中だが、そうならないようにしなければ。時間が無いは理由にならない。午後学会コンペの審査。課題は複雑で奥が深いが提出案はどれもが単純でしり切れトンボという感が否めない。他の課題を議論して金沢発6時50分の特急に乗る。直江津で乗り換える。ここの乗り継ぎが毎度のことだがひどく悪い。待ち時間が50分。待合室でNHKのニュースを見る。ラクイラで起きた地震でかなりの人が亡くなった。イタリアの大学教授がイタリアには耐震性能を上げて防災に強い街を作ろうとする土壌が無いと言う。建築の母国がこう言うことに嘆くというのも皮肉なものである。ウルムチで起きた暴動が画面に映る。ウィグル族と漢民族の対立が激化している。日本で流れているこうした報道はもちろん中国では流れない。テレビはもとよりYou tubeも統制されており共産党に不利な事実は誰も知らない。CCTVの火事でさえ極めて僅かしか報道されないのだから。
朝のアサマで研究室へ、午後の大学院講義を終えて夕方金沢へ。車中ソシュール(Sassure, F.)影浦峡 田中久美子訳『ソシュール一般言語学講義』東京大学出版会2007を読む。これはコンスタンタンのノート直訳なので、口語体。他の訳(丸山圭三郎)は読んだことはないから知らないが、こうした直訳は初めてだと解説に書いてあった。だから分かりやすいということのようだが、やはりそんな分かりやすいものではない。とは言え言葉の話だから基本的にそんなに入り組んだ問題でもない。言語の変化は時間と場所に左右されると書いてあるが、北陸の海を見ながら、ここ数日間の時間と場所の変化を痛感する。金沢で魚の美味しい店をホテルで聞く。おお!さすがに美味しい。酒は焼酎。1:1で水で割って一晩寝かせた水割りを黒千代香という器で暖めて飲む。金沢の飲み方ではないのだがこれはいける。
朝5時に目が覚め散歩。昨晩はご馳走だったのでお腹が減らず朝食はとらず部屋でお茶を沸かして飲んだ。ホームページに提出された院生のコメントを読んで感想を書こうと思ったが出発間際になっていることに気付き、簡単にコメントしてチェックアウト。昨日張り替えが決まった外装の石を探しに今日は朝から二つの石材市場に行った。一つは地元大倉の市場。ここでは㎡380元くらいの気に入った石があった。1元15円くらいだから6000円弱である。その石を少し切ってもらい、上海の市場に向かう。ここは石だけで500軒くらいの店がありそうだ。とにかくとんでもなく広い。ここで280元くらいの石をみつけた。5000円弱である。外装用の石が5000円と聞けばとんでもなく安いだろうがこちらでは普通。高くても10000円はしないし、今回の建物で使って問題となった石は3000円しない。なんとこの石は染色された石であることがつい最近分かった。石屋に問うとこの石は外部には不向きだと言う。その石をどうしてゼネコンは外部に使ったのだろうか?どうして使ってはいけないことを事前に知りえなかったのだろうか?どうしてそういう石を我々に推薦してきたのだろうか?謎だらけである。
市場からプードンまで送ってもらう。帰りの機中、ホンマタカシ『たのしい写真―よい子のための写真教室』平凡社2009を読む。写真史の説明で目から鱗。ホンマは写真史の第一期をアンリ・カルティエ・ブレッソンなどの「決定的瞬間」。第二期をエグルストンやベッヒャー(白黒だが)による「ニューカラー」と区分。その特徴は前者が小型カメラで主観的な瞬間を捉えるのに対して、後者は大型カメラで客観的にとると言う。そして次なる説明がさすが写真家である。前者がそうであるのは手持ちカメラで手ぶれするためシャーッタースピードを上げてあまり絞らず撮る。すると必然的に撮りたい対象のみにピントがあった写真となり写真かの主観がよく現われる。一方後者は大型カメラのため三脚に乗せる。よってシャーター速度は幾らでも遅くできるし絞りも小さくでき必然的に全体にピントがあった均質な客観的(どこかを強調することのない)画像になると言う。つまり写真の内容と機械が整合していたというわけである。僕等の研究室では建築写真の分析をやってきたが、これから手持ちカメラ(デジタル)の写真が増えていき時代が一回転して建築決定的瞬間写真がきっと来るのではなかろうか、その時動かない建築において何が決定的なのだろうか?そこには建築の中での時間を示す指標が必要である。それはきっと人であり、空であり、動植物だろうと思うのだが。
中国での仕事も大詰めである。問題は4つ。一つ目はいつまでたっても汚れが落ちない外壁タイル。二つ目はシールやはねた塗装を金属スクレーパーで剥がしたためにできたサッシュ表面の傷。三つ目は工期の著しい遅れ。最後は外壁石のひどいまだら。最初の3つはどうしようもないので金額交渉。石は取替え。午前中にこちらから損害金額の提示と石の張替えを要求。それに対して午後施工者側からの回答を得た。もちろん100%満足行く回答ではなかったのだが、クライアントの寛容さに助けられて、なんとか妥協点にたどり着いた。ほっとした。ホテルに戻り夕食までの間部屋で休憩。小田部さんの『西洋美学史』を読み終える。最後の3人、ハンスリック、ハイデガー、ダントーを読む。ハイデガーの副題は不気味なもの。不気味なものと言えばフロイトとパブロフの犬のように思っていたが、ハイデガーが『存在と時間』の中でこのテーマを語っていたとは気付かなかった、いやきちんと読んでいなかった。いずれにしても至極興味深い。簡単に言えば、人間は普段居心地の良さにかまけて頽落しており、そういう状態を打ち破るには「居心地の悪さ」=「不安」=「不気味さ」が求められる。そして芸術作品に内在する「不気味なもの」が頽落から現存材を本来的な状態に取り戻す契機となり、その結果として我々の中には「原初」が導かれるというのである。
僕が建築の窓に興味があり、窓は覗かれるという不安をかきたてるからこそ常態化した建築を新鮮にすると考えているのだが、そのストーリーは既にこうして説明されていたわけだ。この手の本を読んでいて楽しいのは自分のもやもやとした直感が哲学的に説明され得ることを知るときである。
午前中早稲田の講義。今日のテーマは倫理性と悪党性、エコロジーという現代の抗えない倫理性は果たして建築史にどう刻まれるのだろうか?終わって飯は食わず東京駅へ。丸善でart forumを買って成田イクスプレスに乗る。Ono yokoが特集されている。Hal fosterの論文も載っているぺらぺらと写真を見ているうちに成田。ターミナルで遅めの昼食。上海へ向かう機中、小山治憲『熊野古道』岩波新書2000を読む。夏に熊野に行きたいと思っている。中世日本で上皇、貴族、女、障害者にいたるまでおよそ貴賎の区別なく、この世のご利益を求め祈りに向かう人々を受け入れた場所に行ってみたくなった。かみさんは弘法大師を求めて高野山まで足を延ばしたいというが、このあたりとんでもなく交通の便が悪そうだ。7時に上海。未だに宇宙服に包まれた検疫官が体温を測りに乗り込んでくる。迎えの車で大倉へ。上海も先週から梅雨だそうだ。湿気が凄い。ホテルで明日の作戦会議。部屋に戻って『現代アートの舞台裏』を読み終える。「批評家がディーラーのディーラーがコレクターの先導役を務めていた時代は終り、今ではコレクターがディーラーのディーラーが批評家の先導役を務めている」という文章が面白かった。建築の状況もかなりこれに近い。
夕刻クライアント来所。大分迷ったのか道が混んでいたのか1時間ほど遅れていらっしゃった。打ち合わせはまあまあ上手く進んだ。クライアントのイメージするものとすりあって来たようである。こうなると後は役所との補助金交渉。これはこちらではあまり動ける問題ではない。しばらく打ち合わせの間隔をあけることとする。こちらは建築的な思考を進めるチャンス。とはいうもののなかなか次ぎの一歩に踏み出す切り口が見つからない。やはり公共施設は難しい。住宅のような特殊解ではないから仕方ない。
夜たまに訪れる友人の医者のサイトで彼女のブログを読んだら、坂牛は過労死するほど働いている。あいつ(僕)は昔から体力だけはあり、雪で電車が止まったとき杉並区から文京区まで歩いて学校に来たと書いてあった。そんな記憶はまったくないが、もしかしたらそう言うあほなこともしていたかもしれない。しかし僕が過労死するなら設計事務所は死体の山。この業界にはもっととんでもない人たちは一杯いる。僕などまっとうだと思っているのだが、医者に言われると心配もする。
『現代アートの舞台裏』続きを読む。ターナー賞の選考過程が書かれている。賞ほど難しいものはない。選ばれる方も選ぶ方も数少ない経験があるけれど、最後の最後は選ぶ場合は直感でしかない、選ばれた時もその理由など不明である。もちろん選ぶ時にはその理由を考えるのだが、だれがその理由の正当性に順位をつけられようか?アートにいたっては建築の比ではない。まだ書道のように一つの道(それこそ道を)を駆け上がる芸術はクライテリアも明確で順位もつけられよう。しかるにアートの世界とはプロレスと相撲とサッカーとゴルフが一つのリングで競うようなものである。ルール無しのスポーツにどうして順位などつけられようか?この本では2006年のトマ・アブツが賞に輝く経過が書かれていた。彼女の作品は森美術館で見てとても好きだったかし、その時見た他のターナー賞受賞作品はそれぞれ魅力的だった。とは言えやはり一人だけを選ぶこういう賞にはゴシップ的な興味以外に意味があるとは思えない。