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Aug 2009

会食

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by 卓 坂牛

8月21日
昼に大学で博士課程の入試を行い、夕刻赤い家のクライアント、日建のkさんoさん某雑誌社のoさんと会食。kさんの設計したビルを名古屋で見てきたばかりでその話しで盛り上がる。

伊勢再考

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by 卓 坂牛

伊勢神宮から帰ってきて、石本泰博の『伊勢神宮』を再度眺める。そしてここに撮られているような伊勢の姿は、実際にはほとんど見ることができなかったことに気づく。4重に塀で囲われた本殿の中にはまったく足を踏み入れることはできないのである。我々は伊勢に行って何を見てきたのだろうか?見られないという事実を見てきたのだろうか?しかし、見られないことが不愉快だったかというとそうでもない。ある種の空気を感じて帰ってきた。一昨日届いた『建築と日常』という雑誌に香山さんのインタビュー記事が載っていた。曰く「伊勢神宮・・・あれはすごい。なぜすごいかと言うと、言葉が一切ない」言葉はないが思想はある。そしてそれは行為に置き換えられる思想だというようなことを書いていらっしゃった。伊勢では年間に何百という神事が行われている。香山さんはその日常的な行為のことを言っている。つまり伊勢のすごいのはそのモノではなくそこで行われているコトだというわけである。そう考えるとそこに見えているものはまあどうでもいいということになる(と言えば言い過ぎなのだが)。むしろ肝要なのは人の作法が毎日毎日延々と繰り返されているというその事実ということになる。確かにその指摘に共感する部分もある。言葉の無い建築と言えば日本の建築はほとんど言葉がない。その中でも神道には何も無い。西洋の建物はある程度全て理屈である。言葉がある。そして言葉とは形なのだと思う。周到な理屈はそれだけである表象を生み出す。アリストテレス以来の「形相」とはよく言ったものだ。概念は形に直結してきたのである。そして西欧においては形相は常にもっとも重要なものであり、形こそが建築なのである。しかるに日本では、言葉がない。言葉が無いとはすなわち形がないということに等しいのだと思う。
伊勢に行く前になんだかんだと10冊近い関係書を読んでみたが、形のことを丹念に書いてある本は少なかった。井上さんのものでも千木だ勝男木だと飾りのようなものの話。そこに紹介される伊東忠太の神社論でさえ①切妻②板壁③草葺④非装飾の四つしか特徴はあげられていない。つまり神社とはほとんどその形(言葉)にアピールするものがあるわけではなく、それ以外を作ろうとしたものなのである。そう考えなければあの無骨で平坦な伊勢を見てパルテノンだなどと言った西欧の有名な建築家の心情は計り知れない。
伊勢で特徴的な構築物に平入りの建物の前に切妻の建物を置く形式がある。この配置はデザイン的に考えると全く理解不能である。平入りの水平線の軒の美しさをわざわざ切妻で見せないようにしているのである。それなら出雲のように最初から切妻にすればよいではないか?と思いたくなる。しかしそうつぶやくと誰かにそれは違うと諌められた。伊勢をデザインなんていう近代的色眼鏡で見るお前が間違っていると言うわけだ。そうかもしれない。伊勢には言葉とか形とかデザインとかは存在しない。そういうものがあの場所を作っているのではないのだろう。そこにあるのはとても原始的なものである。これを建築と呼ぶべきかどうか迷うほどの無骨な構築物である。しかしだからこそ現代の建築の常識を超えた面白さがそこにはあるのだと思われる。

熱田神宮

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by 卓 坂牛

今日は早々に伊勢を後にして名古屋に出て熱田神宮を見に行く。熱田はもちろん式年遷宮の慣わしは無いのだが、現在大改修中である。ここは屋根が銅葺きである。葺き替えられた屋根は赤銅色にぴかぴか光っていた。前回の改修は50年くらい前だそうである。銅葺きは日本的な伝統ではないのだろうが、50年に一度くらいの改修で茅葺では持たないのだろう。そう言えば伊勢もすでに屋根は苔むしていた。
熱田から名古屋に戻り駅前の日建の建物を眺める。ミッドランドスクエアの最上部の屋外展望台に上る。余り人はいないが入場料700円。今日でも風は涼しい。冬は寒くて人が来ないのでは?そこから眼下にモード学園のスパイラルが見える。結構低い。やはりあの構造で超高層はできないと言うことか?いやあの高さのプログラムだからあの構造が可能だったということか?地上におりて再度見渡すと、駅前の高層ビルは全てへリポートがついていることに気付く。シャフトのデザインはいろいろあれど、最上部には全てツバがつかざるを得ないようだ。

伊勢

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by 卓 坂牛

伊勢神宮は一つではない。内宮と外宮と呼ばれる二つの神宮からできているのである。こんなことを今まで知らなかったのは少々お恥ずかしい。しかし建築史の教科書の最初に出てくる伊勢や出雲ではあるが、東京に住んでいればよほどの理由がなければ行かない。かつて出雲に行ったのも大学の建築史視察の授業だったからである。
伊勢は世の中に生まれたときから、この高床式の現在の姿であったという伊東忠太の説が現在まで変化していないそうだ。そこにはたいした根拠がなかろうと食いついたのが井上章一である。
今日伊勢を見て回ると次の建て替えである式年遷宮の準備が始まっている。現在の敷地の隣地が既に塀で囲われたり、地縄が張られたりしている。既に60回余り建て替えられてきたのである。常識的に考えて1千年以上まったく同じ形を踏襲して建て替えられてきたと考えるのは困難では?そんなこと無理でしょう?と思えてならない。直感的には井上の主張に加担したくなる。加えて、中国伝来の仏教寺院の形が神仏習合で神社建築に導入された場合、どこかでナショナリズムの力が、中国の形を取り除き日本元来のもの(縄文、弥生)を神道の形式として採用したいという欲望も沸きあがろうというものである。なんの根拠もないのだが、深い杜の中を歩きながら日本を巡るストーリーを勝手に捏造する。

三重へ

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by 卓 坂牛

三重県に来た。15年くらい前に製品検査に来て以来である。近鉄特急のデザインは僕が小学生の頃の交通図鑑に載っていたものと変わらない。伊勢神宮を見るのが目的だが、このあたりには内藤廣さん設計の海の博物館がある。今日はこれを見た。車を持ってない人にはなんとも不便な場所である。鳥羽駅からバスに揺られて30分。バス停から更に結構歩く。炎天下10分くらい歩いてやっと到着。外部空間の作り方には感じるものがあった。しかし内藤さん独自の内部の構造にはあまり感動しない。特に木造の構造には迫力がない。コンクリートの方は俄然いい。結局木を線材として使うのは慣習的。一方コンクリートを線材として使うのは慣習を脱した迫力があるからだろう。外装は焼き杉だろうか。なかなか朽ちない。しかしサッシュや霧よけは全てスチールで、海の近くでもあり、かなりやられている。いちばんやられていないのは瓦である。焼きものは強いねえ。やはりセラミックは無敵。と、平山先生も言っていた。

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by 卓 坂牛

午後からA0勉強会。現在2回めの読み合わせを3グループに分けて行っている。僕とI君の担当はイントロとエピローグ。「はじめに」と「おわりに」だから本の全貌がよくわかる。もちろん散々読んできたわけだから、今更というところもあるのだが、この複雑な文章を読み終わりもう一度最初と終わりを読むと全体がまとまって頭に入ってくる。
勉強会後にI君にこの夏旅行した直島や犬島その他の瀬戸内海の島の写真を見せてもらった。すっかりアートの島になっている。犬島の銅精錬所のコンヴァージョンはすばらしい。このあたりで来年から北川フラムの仕掛けで瀬戸内芸術祭が行われると聞く。そこでI君に是非いっしょにやらないかと声を掛ける。海というのが何か惹かれる。山の大学にいるせいか違う環境に行きたいという欲求がそうさせるのだろうか?
帰宅後朝から読み始めている井上章一『伊勢神宮』講談社2009を読む。千木やら勝男木といった独特の棟飾りの発生原因が神話的でなく説明されている。こうした形態の合理的説明の書物は始めてである。実に分かりやすい。もちろんこの著者であるから一般の伊勢神宮論を覆す何かがあるのもまた大いに楽しみである。そういえば伊勢神宮というのも内陸の朝廷が海を向いた始めての場所である。伊勢を考えると日本の海が少し感じられるのかもしれない。

昭和

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by 卓 坂牛

読みかけの『昭和史戦後編』を読み続ける。しかし戦後編はいろいろなことが散漫にあり過ぎて前編(戦前戦中編)に比べて盛り上がらない。前編は戦争しか書く事がないから一本のストーリーでテレビドラマのようである。本当は戦前戦中だって戦争以外にもいろいろなことがあったのだろうが、メインは戦争。それに半藤さんだって生きていたわけではないから調べたことしか書けない。60年代まで来たので、読みかけをまた読みかけのままにして(なにしろ厚くて)毎日新聞社編『1968年に日本と世界で起こったこと』命日新聞社2009を読む。こちらは新聞社の編集にしては妙に軽い本。68年頃に起こったドラマ20を40人の著者に書かせている。一人2ページと言うのがあまりに短い。ミニスカートも東大紛争も文革もキング暗殺も深夜放送も三里塚闘争もなにもかもこの頃だったのである。
夕方事務所に行って、昨日送った3案のファックスについてクライアントと電話で話す。電話に出られたAさんはすぐにそのうちの一つの案が良いと言った。さて彼ら全員の意見はまとまるだろうか??

お盆の静かな事務所

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by 卓 坂牛

実に静かな事務所である。今日は本当に電話が一本も掛かってこなかった。ガレス最後の日。最後だが模型をいろいろと作ってもらい、5時ころ仕事が終わる。僕のアルバムをプレゼントし、事務所にいるスタッフ5人で別れを告げる。I hope you`ll make a success と言うとI hope OFDAwill be famous and richと言われた。有名になって金持ちなることはやはり大事なんだろうか?まるでアメリカ人みたいなことを言うやつだ。彼が言うには、大学のクラスメート50人はほとんどこの夏休みにインターンシップをすることを奨励されたそうだ。そしてその行き先はほとんどがヨーロッパ。しかしアメリカに2人、日本に2人来たという。日本に来たもう一人は板茂さんのところに行ったそうだ。日本なんていう面倒くさい国に来ようなんていう奴はかなりambitiosなんだろう。日本語覚えようなんていうこと自体が普通じゃない。彼が帰ったあと9時ころやっと3案がまとまりクライアントにファックスする。さてどんな反応がくるだろうか?帰宅後遅めの夕食。大事にとっておいたワインを飲む。

ガレス

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by 卓 坂牛

お盆休みで事務所内は僕らのチームしかいない。来客や電話も少なくて静か。僕らは明日までに送らなければいけない図面があり忙しい。午後打ち合わせをして3パターンの方向性を決める。夜、約2ヶ月半事務所で頑張ってくれたガレスの送別会。荒木町では最近タイ料理屋が増えており新しくできた3階建ての店に行く。新しくとは言っても、金がないから前の店の内装をそのまま使っている。場所の作りと食べるもののずれが笑える(前の店は焼肉や)。毎度研修生とはそうなのだがガレスともゆっくりと話すことができなかった。地方の仕事が多く事務所をあけるこが多かったのも理由のひとつ?しかし今回彼にはいろいろとスタディもしてもらい、実際甲府プロジェクトでの彼の配置のアイデアは現在の案に生きている。加えて外国の研修生で初めて彼はかたことの日本語を話せた。スタッフとはなんとなく怪しい日本語で会話できたのは仕事の効率から言って大きい。知的アイルランド人はゲール語も学ぶ運命にあるし、語学に長けている人間が多いのか?それとも既に大学を卒業したら日本で働こうと覚悟を決めているのか??店を出て僕は少々疲れ気味で帰宅。

貴志先生

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by 卓 坂牛

9時半の特急に乗り高岡を後にする。駅で柳沢さんと合流。貴志先生の話になる。60近いが作り続け、気持ちが若く、無邪気で、実に素敵な人であったと印象を語り合う。直江津までは日本海、十日町あたりまでは広大な水田、残りは迫る山と渓谷を横に見ながら進む。長いが飽きさせない車窓の風景である。越後湯沢で新幹線に乗り換え東京へ。ココからは延々トンネルである。コンピューターを開いてモバイルしようとしても繋がらない。高崎に着くころにはバッテリーが切れた。事務所に戻り、メールチェック。ニューヨークでインターンシップをしているカザフスタンの建築少年がK-projectを気に入りインターンシップに来たいと書いてある。30ページのポートフォリオは迫力である。貴志先生にお礼をしようとhpからメルアドをチェック。経歴を見るとなんと僕と同じ年にSDレビューに入選している。その昔に会っていたようだ。重い頭をしゃきっとさせて甲府の図面をYさんとじっくり見る。5時間くらい隅から隅まで。最近11時ころ帰宅後夕食になることが多い。コレをやっていると胃を壊す。