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by 卓 坂牛
ナカジが話題の本と教えてくれた稲葉振一郎の『「資本」論』ちくま新書2005をぺらぺらめくると先日読んだ『社会学入門』と全く同じことが丁寧に書かれている。たくさん本を書く人はこういう風にたくさん書くわけだと頷く。載っている図版まで全く同じなのには少々びっくりであるが。
この人の話で面白いのはホッブスが『リヴァイアサン』で言うところの「自然状態」の解釈にあり、この「自然状態」がロック、ヒューム、ルソーにおいてどのように取り扱われていて、誰の議論が一番リアリティがあるか?というあたりである。
「自然状態」とは、人は放っておくと自分の欲求のままに行動するという状態のことである。そこでホッブスはその状態を放っておくと戦争状態になるから「自然法」を作って人をしばり、戦争をやめさせなければいけないと言う。しかしロックは、そうは言っても人間は馬鹿じゃないから自然法は意図的に作らなくても自ずとできると主張する。さらにヒュームに至っては、ロックの議論をさらに進めて未だかつて人間が「自然状態」におかれたことはないという。
ヒュームの議論はしかし理性的な人間には当てはまるものの、いまだ感情を理性で抑えられない子供社会では通用しない。ここでは立派に自然状態が存在する。毎日がけんかである。なんて考えていたが、いやそうでもない、子供世界にはとどまらないと思い直した。最近そういうことを感じる大人に出会うことが多い。大人世界でもやはり理性を感情が乗り越えてしまう人たちの間には立派に自然状態が発生するようだ。であればヒューム的世界の方が好ましいと思う僕だが、やはりリヴァイアサンには登場していただく必要があるのだろうか?と少々憂鬱な気持ちになってしまう。
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by 卓 坂牛
午前中の「かいじ」で塩山に向かう。車中ベネディクト・アンダーソン加藤剛訳『ヤシガラ椀の外へ』NTT出版2009を読む。彼の伝記とでもいうような本である。『想像の共同体』を読んだ後だったからか、丸善の新刊コーナーで目に留った。ああいう発想をした人の生い立ちはどんなものか興味が湧いた。予想通り、生まれは中国でアメリカ経由で父の故郷アイルランド育ち、イングランドのイートンからケンブリッジに進みそしてコーネルでTAをし、東南アジアに長く(特にインドネシア)滞在し博士論文をまとめ教職に就く。物心つくまでにこれだけの地を移動しながら各地で自分の英語を笑われながら言語と国民を意識したわけである。そして『想像の共同体』はそうした経験を踏まえ反大英帝国を前提にイギリスインテリゲンチアを相手にイヤミをこめて書いたものだという。日本人には理解しにくいさまざまな隠喩や引用に満ちているのもそうした理由からだと著者は説明している。
塩山の施設では「疥癬」なる病が流行っているとのことで、打ち合わせは施設ではなく、公民館を借りて行われた。補助金がらみの県からの情報をいろいろ聞くとまあ理屈に合わないことが多い。4月に補助金の内示がおりてそこから仮宿舎の入札が可能となり、それができて既存建物が解体できてやっと工事が着工できるのが年末くらいでそれでその年度内に建物を完成させなさいということになる。こういうスケジュールは予算の編成、承認という行政の理屈からだけでできており、執行する側の立場はほぼ無視されている。こういうことは少しずつでもいいから改善されていく時期ではなかろうか??
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by 卓 坂牛
中国のとある場所の大開発に乗り込もうとしている某企業のために絵を描くことを頼まれた。しかしそこにはすでに基本設計レベルの絵を描いているコンサルがいる。イギリスのA社。なんとなく聞いたことがあるなあと思って事務所に戻りネットで調べて仰天した。純粋な設計事務所ではないようだが、施工会社ではなく、さまざまなエンジニアリングからデザインからすべてをやるという会社である。ドバイの有名なスイカを切ったような形をしたホテルもこの会社の設計である。従業員はなんと世界各地に合わせて13000人。日建は世界一の設計事務所だなんて思っていたけれどとんでもない。こんな会社があるわけだ。それにしてもこんな資本主義の大車輪のような会社に立ち向かうなんて。象対蟻の対決である。一体何を武器に戦えるのだろうか?しかもクライアントの要求はすでにある基本設計の骨格を変えないで考えろ、である。しかも2週間で。武器を考えている暇もない。この間見たサマーウォーズのようである。しかし彼らは最終的に勝利できた。花札という特技があったから。僕らの特技は??日本の伝統??
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by 卓 坂牛
午前中、学科会議。後期のシンポジウムやショートトリップなどの打ち合わせ。授業は無くとも議題は結構ある。午後、八潮の打ち合わせを学生とする。終わって帰ろうかと思ったが、明日の打ち合わせのことを考えて予習してから帰ることにした。そこで「サステイナブルナな工場団地ってなんだろう」と考えてみた。たまさか最新号のカサベラにフェラーリの大工場が載っている。工場の建物それぞれが大建築家の設計。ヌーベル以外の名前は忘れたが、聞けば知っているものばかり。もうひとつどこかの製薬会社(だったと思うが)の工場群が載っていた。こっちはもっとすごい。sanna、槇、げーりー、メリクリ、などなどなどなど。しかしものの見事にゲーリー以外は直方体でありしかもすべて(これはゲーリーも含めて)ガラスカーテンウォールである。デザインコードなのだろうか?双方の日本語訳を読んでみたが、どちらにもサステイナブルという言葉は見当たらず、あるのは広告としての建築というようなニュアンスであった。もちろんいまどきの企業建築がサスティナビリティをネグルはずもないのだが、それは中心的テーマではないということか?しかしこの全方位ガラスカーテンウォールには熱への配慮のようなものは微塵も感じられないが、どうなってるのだろうか???気を良くしてカサベラを全部眺めてみたが工場が載っている号はこの最新号のみだった。ダルコが編集長だからかもしれないが、徹底して歴史的である。その方が正直言って楽しいけれど、、、、夕方のアサマで東京へ丸善で本を宅配ボルヘスの詩集(斎藤幸男訳)『ブエノスアイレスの熱情』水声社2008を買う。
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by 卓 坂牛
爽やかな秋晴れ。午後事務所で打ち合わせをしてから新橋で行われている坂倉順三展を覗く。とは言っても坂倉事務所の作品展ではなく、坂倉順三個人に焦点をあてた展覧会である。だから坂倉がコルビュジエのところで担当した住宅から始まり、当時の同僚であるシャルロット・ペリアンが日本で行った展覧会なども含まれている。そしてなんと言ってもメインテーマは坂倉の作った住宅である。坂倉の住宅と聞いてもイメージが湧かない。展覧会を見るまで坂倉が住宅をこんなに作っていたとは知らなかった。しかも切妻の住宅をである。カタログに藤森も記しているように坂倉の住宅はさほど有名ではない。これらを見て連想するのは前川国男の自邸である。あの骨太で堂々とした切妻住宅。同じコルビュジエの弟子だからまあさもありなんと言えばそうなのだが、その後の作風の違いはまだ顕著には顕れていない。しかしその住宅の質の高さは確かなものである。カタログの最初に篠原一男が坂倉に行ったインタビュー記事が再録されている。篠原も坂倉の住宅に興味を抱きその質の高さを認識してしただろうことを伺わせる。
新橋で夕飯をとって長野に向かう。車中稲葉振一郎『社会学入門』NHKブックス2009を飛ばし読む。モダニズム学問としての社会学を建築、アートのモダニズムと類比的に語る語り口を見てみたかった。なるほどモダニズムとは「自分では自由で自立しているつもりの人間精神をあらかじめ規定し限界づけている形式」を自覚する自意識であると著者はいう。つまりはメタレベルの探求、絵を描くのではなく、描き方を自覚する自意識。建築を設計するのではなく、設計方法を自覚する自意識がモダニズムだという。と同様に、社会を分析するのではなく、社会を規定している形式を分析しその時代(モダニズム)を知ることが社会学であると言う。それは著者自身言うように、つまるところ構造主義や社会構築主義的態度へと向かう。とは言えそれも社会学の一部である。こんなに広い領域を扱う学問だけに社会学とは何かとは一言では言えないようである。まあ当たり前だとは思うが。
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by 卓 坂牛
すっかり秋風になった。例年の残暑を今年は感じない。今日は家にいてブエノスアイレスの地図と睨めっこ。何を見るか地図にプロット。近郊にはアルゼンチン唯一つのコルビュジエの住宅Casa Curuchetがある。南半球の風土にコルビュジエの白い繊細な建物がどう映るのか見てみたい。
ベエネディクト・アンダーソン(Anderson, B)白石隆、さや訳『想像の共同体』書籍工房早山(1983)2007を読み始めた。近代以降のナショナリズムが醸造されるメカニズムについて書かれた古典と言われるが、僕の興味は、国家意識が芽生えるメカニズムをローカル文化醸造のメカニズムに重ねて理解するところにある。まあ勝手な仮定だけれど。夕方新宿に新しくできたシネコンで家族とおちあう。このシネコンは映画館が9個あり、収容人数約2000人。ヒルズとほぼ同規模だが。隣駅だから近くて便利。昼を食べていた時「サマーウォーズ」を話題にしたら、なんとなくじゃあ見る?ということになった。この映画を見ながらふと村上春樹木の『ねじまき鳥クロニクル』を思い出した。ローカルな出来事とグローバルなシステムの並走という構図の類似性が感じられたから。ねじまき鳥はそれほど明確ではなかったけれど、東京とはいえどもとてもヴァナキュラーなどこかと井戸から繋がる世界のどこかが並走していたように記憶する。サマーウォーズはもちろんヴァーチャルでグローバルなozシステムと長野県上田が繋がっていた。
グローバルな話題だけでもちょっとつらいし、ローカルだけでも元気が出ない。足して二で割るのが今のトレンドだろうか?それにしても満席の映画館を久しぶりに見た。娘も前作(時をかける少女)より面白いと興奮気味。
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朝一のあずさで甲府へ向かう。いつもは土日に行っているのだが今日は平日。そのせいか電車は空いている。『逆さまの地球儀』を読み続ける。著者はもと日経新聞のサンパウロ特派員をしていた方。自ら語るように几帳面なアングロサクソン社会に対してゆったりとしたラテン社会を応援している。今や結託して北のアメリカに反旗をひるがえす南のアメリカがこれからは世界的に力を持つだろうと予想する。なるほどそれなら付け焼刃で耳を慣らしているスペイン語も後々役に立つかもしれない(なんて、1か月やったからといってどうということもないのだろうが、、、)。
甲府のプロジェクトは補助金プロジェクトであり、この政権交代がどのように影響するかが見えなくなってきている。クライアントが厚労省に問い合わせしても現段階では分かりませんとのこと。五里霧中を右往左往し始めた。この手の仕事は日建時代もやったことがないので本当によく分からない。
甲府の打ち合わせは毎回10時半に始まり昼をともにする。クライアントはかなりのグルメで毎度美味しいところに連れて行ってくれる。どこもこだわりの店だし、どこもマスターがクライアントと友達である。ゆっくり昼を食べ、その上今日は美味しいパンを買いに行こうとこだわりのパン屋に連れて行かれた。戻るともう3時である。話が2重螺旋のように錯綜し、結論が出ないのか出さないのか?夕方のかいじで東京へ戻る。事務所に戻り打ち合わせ。
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by 卓 坂牛
朝一のアサマで大学へ、午前中の会議に出席。5キャンパスをテレビでつないだテレビ会議である。これをやると信州タコ足大学を実感する。午後は市役所で駅前整備検討委員会へ。この手の市の整備にはだいたいコンサルがくっついているものだが、見ると市側の席の後ろに知った顔。昔の先輩後輩。バスバースがたくさん欲しいバス会社とタクシーバースがたくさん欲しいタクシー協会と広場がたくさん欲しい市民。しかし駅前の面積は限られている。ペデデッキを可能な限りたくさん欲しい地元商店会とペデデッキは景観上邪魔という有識者と。まあ、真っ向からいろいろな意見が対立し議長も大変である。自分も意見を言いながら、それを調停するようなデッキプランが思い浮かぶ。委員会終了後、それとなくコンサルI君に「こんなのどう?」と見せてから会場を後にする。
帰りのアサマで『逆さまの地球儀』を読み続ける。ラテンアメリカについて書かれた本であるが、要は日本人を含めて北半球の人間は南半球を地球の裏であるかのごとく思っているが、どっちが裏ということはないという視点で書かれた本である。アルゼンチンの説明は今まで読んだダメな国アルゼンチンの見方を少し変えてくれる。経済危機が起ころうが、ダメだと言われようが、かの国の国民は実に豊かであると。誰が何と言おうとマイペースで幸福である。ただし甘えがあるのでなかなか世界的には認められない。野球でいえば阪神タイガースのようなものだという。そう言われると何となく了解。なるほどそういう国か。しかし依然読んだ『グローバル定常型社会』の著者広井良典によればこういう国は小地域自給モデルの国として世界市場とは関係なく、豊かにマイペースで存続していければそれに越したことがないようにも思う。事務所に戻り明日の資料を確認。
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さてそろそろアルゼンチンでの講演の準備をせねばと思い立つ。あらかた作ってもらっていたパワポを前にストーリを考えなおす。ベルグラーノ大学と建築家協会と二つの場所でレクチャーをすることになっている。一体どんな人が来られるのか?何に興味があるのか?機材はそろっているかなどなどメールで質問。答えは明日かと思ったがこちらの朝は向こうの夕方で返事がすぐやってきた。大学は100人のホールで通訳付き。協会はオーディトリアム。英語でやって欲しいとのこと。大学は学生だけ、協会は建築家、ブエノスアイレス大学の学生などいろいろな人が来るようである。そこで二つのレクチャーの内容を少々変えることにする。大学は展覧会に展示されているものを中心に、比較的即物的に、丁寧に。協会ではデザインを深く突っ込んで語ることにする。しかし突っ込んだ方を英語でやるのは自暴自棄でもある。パワポを見ながら試しに英語で話しているとかみさんが部屋に入ってきて「あれ英語でやるの?」と聞く。頷くと「スペイン語でやるのかと思った」とのたまう。まさか!
午後事務所で打ち合わせ後、千葉さんの学会賞の授賞パーティーに参じる。国際文化会館に300人。すごい人。主賓槇さんのスピーチがふるっている。「昨今の建築は豆腐派(ミニマル型)かスパゲッティ派(ぐにゃぐにゃ型)に分かれますが、千葉さんは濃密な豆腐ですね」だと。なるほどその通り(過ぎる)。主賓あいさつ語食事しながら会場を一周。いやはや先週学会でお会いした同じ顔ぶれオンパレード。途中で失礼し、事務所に戻る。
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by 卓 坂牛
お昼まで雑用。たまっていた雑用の一つに原稿チェックがあった。去年長野で行ったスイス人建築家とのシンポジウムやレクチャーをまとめて本にしたいという出版社が現れた。主催者の一人が働きかけたらしい。そんなわけで急に僕のレクチャーも本の一部にしたいということになりテープ起こしした文章をチェックするはめになった。実はチェック依頼はだいぶ前に来ていたのだが、そもそもどんな本かという説明もないし、できることなら載せないで欲しいと思っていたので放っておいた。のだが、きちんと断ることもせずにいたので、出版間際にドタキャンもできず、建物の写真4枚とテープ起こしした原稿を読めるように修正して送り返した。さてあっという間に夕方、本の6ページのレイアウトになって送り返されてきた。なんと素早い。素早いのはいいがまさか全文そのまま使うとは思ってもいない。そもそもスライドレクチャーの内容だからスライドなしだとよくわからない。これはまずい。レクチャーを全文使うなら、もう少し別の校正をしなければ、、、、しかしこんな進め方ってあるか???いきなりこんな使い方をされるとは??ちょいと戸惑う。午後構造、設備事務所の人たちと打ち合わせ。久しぶりにどっぷり打ち合わせ。金箱さんも学会には4日間いたそうでお疲れさまである。帰宅後、和田昌親『逆さまの地球儀』日本経済新聞出版社2008を読み始める。