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Jun 2010

ベタほど腕がいる

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by 卓 坂牛

午後製図第五のエスキス。最終講評会前の僕のエスキスは最後。なるべく丁寧に見ようと思っていたら7時半になってしまった。今年は坂本一成さんと松岡聡さんにゲスト出来てもらうことになっている。恥ずかしくない作品をお見せしたい。帰りのアサマは柄谷を読み続ける。釜めし食べたら腸に血が流れ眠気を誘う。疲れたので週刊誌を開くと志村けんのインタビューが載っていた。「ベタなことが実は一番ウケを取りにくい」という見出しが目に入る。志村曰く「俺はお客さんが予想した通りのことをやってるだけ。それはお客さんが優位に立つってことだからね。お客さんが『次はこうなるぜ、ほら、なったろ』って。そうするとお客さんは喜ぶわけよ。でも誤解されがちだけど、そういうベタな笑いの方が腕がいるんだよ」。うーんこういうベタな〇〇というのはどんな世界にも当てはまるなあと感じた。ベタというのは言い換えると定石通り、あるいは王道である。奇想天外ということもなく、意外性も無く、普通のことをしながら、予想通りのことをしながら、笑わす、感動させる、酔わす、痺れさせるということである。建築家で言えばだれであろうか?定石なき時代にそれも難しいかもしれないが、例えば益子さんとか、その弟子の堀部さんなんてそういうタイプかもしれないな?!

メディアとしての住宅

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by 卓 坂牛

金沢の朝は土砂降り。大分濡れた。その上特急はくたかの冷房がぎんぎんに効いていて凍りそうになった。直江津で乗り換えて長野へ。車中柄谷を読み続ける。残念ながら何かコメント出来るほどまだ理解できていない。午後製図のエスキス。学生がこの課題(幼児の施設)は難しいという。そうだと思う。それは幼児の気持ちになるのは殆ど不可能だから。だからこれは結局、独りよがりだと思われない範囲で自分の想像力を無限に拡張していく作業なのである。童話作家になれるかどうかということだろう。今日は4コマ目でエスキスを終え。5コマ目は僕が主催している。異分野レクチャーシリーズを聞いてもらう。第二回の今日は人文学部から祐成保志准教授をお招きして、お話しいただいた。タイトルは「メディアとしての住宅―住まいの『質』を考える」。氏の専門は歴史社会学で対象は住宅なので、話は住宅難、現代住宅の起源などを歴史的に跡付ける。そのうえで現代住宅をメディアと位置付ける。氏の話で面白いのは先ず、「住宅」と「住まい」を分けている点。メディアが運ぶものとして「データー」と「情報」を分けている点である。住宅とはリテラルな物質であり、住まいとは物質の中での生活である。データーとはメディアが運ぶ刺激全てであり、情報とはそれを受け取った者が自らの不確実性を減らせる刺激である。例えばとして祐成氏の出した例は、彼が調査をした山本理顕の保田窪団地。ここでは家相互のプライバシーが低くお隣さんの視線や物音を感じるように設計されている。そうしたデーターは居住者の中でも比較的高年齢層に評判が悪い。しかし、もう一つの例としてあげられた、昨今よく孤独死が起こる団地などではこうしたお隣の気配があれば防げただろうにと思われている。つまり同じデーターがあるところでは住まいの質を下げ、あるところでは上げ得る。つまり受けての受け取り方でデーターが情報化されていくのであり、その意味で住宅をメディアとして考えられると言うわけである。そして情報の質がその住まいの質を向上させるわけで、それは必ずしも住宅の性能ではないという。工学部の先生、あるいは役所の頭でっかちにはよく聞かせたい重要な指摘である。
八潮のワークショップでわれわれが頻りに住宅と言う器を作るよりもまず住まい方の提案をしようとしてきたことも住宅がメディア的性格を帯びていることの証なのだと思われる。いつも何となく考えていることを社会学的概念で捉まえてくれるとスッキリした気持ちになる。

選集の審査

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by 卓 坂牛

朝金沢21世紀美術館に行こうと思ったら休館日だった。仕方なく長町の武家屋敷をぶらぶらしていたら観光客の大群と遭遇。それでも結構楽しめた。10時ころ学会の北陸支部へ。学会選集の審査部会。今年から部会長をおおせつかったので1時間早く行って提出書
類をみる。今年は去年の5割増しの提出数で22件。これを9件にまで絞ることになる。なかなか荷が重い。11時に審査部会委員が集まり審議開始。終わったのは4時ころである。選ぶと言うのはなかなか重い作業である。どれだけ状況に流されずに自分の意見を主張できるかと言うのが大事な問題である。そのあたりを上手くコントロールするのが部会長の役目かもしれない。侃侃諤諤の議論の末現地審査の対象作品を選び設計者に連絡。なんとかオンスケジュールで日程が組めた。しかし本来ならこんな書類審査でそれなりの価値ある建築を選り分けることなどできないと思う。やるなら全部見に行くべきだろう。自家中毒になりそうだ。

金沢へ

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by 卓 坂牛

午前中金沢行きの電車やらホテルの予約。何故だか知らないが電車がひどく混んでいる。午後からA0勉強会。事務所に行くと伊藤君がコンペの打合せ中。少しするとクライアントも来られた。日曜日なのに人口密度が高い。辺見が鹿島編集のKさんに会ったら、原稿の上がりを期待されているとのこと。頑張らないと。とは言うものの進みは毎度亀のごとし。夜の新幹線で越後湯沢へ。新潟行きの「とき」っていつもこんなに混むの?空席が見えない。越後湯沢で「はくたか」に乗り換え。こちらも満員。4時間あるので先日買った柄谷行人『世界史の構造』岩波書店2010をカバンに入れてきた。精読する。それほど面倒な内容ではないのだが3時間で根気が続かなくなった。60ページ読んだ。大きな窓ガラスには大粒の雨がへばりついている。夜なのでそれ以外は何も見えない。富山に着いたあたりで雨がやんだ。それにしても遠い。後20分で金沢。

内藤廣の『著書解題』

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by 卓 坂牛

午後ジムへ。初めて整体運動というのをやった。僕ぐらいの歳の人が沢山いる。何をやるかと言うと体のいろいろな場所をいつも動かさないような方向へぐるぐる動かす。リラックスしながら筋肉をほぐす運動である。終るとスッキリするが家に戻ってイスに座るとお尻が痛い。まあじっくり直そう。夕方出かけるまで先日早稲田で買った内藤廣の『著書解題―内藤廣対談集2』INAX出版2010を読む。著者が若いころ影響を受けた本についてその著者と対談し本の内容を詳細に分析した本である。磯崎新『空間へ』1971、長谷川堯『神殿か獄舎か』1972、原広史『建築に何が可能か―建築と人間と』1967、植田実『都市住宅』1968年創刊、菊竹清訓『代謝建築論―か・かた・かたち』1969、宮内嘉久『建築ジャーナリズム無頼』1994、林昌二『建築家林昌二毒本』2004、槇文彦『見えがくれする歳―江戸から東京へ』1980、川添登『建築の滅亡』1960、石本泰博『桂KATSURA-日本建築における傳統と創造』1960『桂―日本建築における伝統と創造』1971『桂離宮―空間と形』、伊藤ていじ『民家は生きてきた』1983。大方読んでいるが、これらが自分に最も影響を与えたような本ではない。やはり10年歳上の方の選ぶ本だと感ずる。しかしその中ではいくつか記憶に強く残る本はある。都市住宅』は浪人時代からよく読んだ。薄くて軽くて内容が濃い雑誌だった。槇さんの本は出版時(大学2年)に読みとても印象的だった。原広史の本も学生の頃読んだ。正直言って当時何書いているのかよく分からなかった。しかし最近読み強い影響を受けた。菊竹さんの本は最近読んだ。これぞ日本では数少ない意匠論だと感じた。石本泰博の磯崎版桂は研究室で最初に買った本である。

早稲田界隈の本屋いいなあ

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by 卓 坂牛

午前中は早稲田の演習で学生発表。今日は二人欠席だったので6人発表。とにかく毎度時間がぎりぎりでタイムキープであくせくするので、実は欠席がいるとホッとする。主体性と他者性で梵寿綱とガウディのお話をしてくれた人がいた。梵寿綱をガウディの類似品と、見てしまったのは自分の類型化の呪縛であると分析。なるほどね。その通りかも。終って早稲田界隈の本屋へ(あゆみbooks)文学部まわりの本屋って町の本屋だけど品揃えがとてもいい(生協の本屋も凄く楽しい)。入って左が人文、デザイン、音楽、建築。平積みの選択も波長が合う。狭い場所に欲しい本が10冊くらいあった。こういうことは大きな本屋(丸善とか)ではちょっと起こり得ない。四谷にも欲しいな。こう言う波長の合う本屋。丸善じゃ気づかない内藤廣や石山修武や鈴木博之、人文では久しぶりに柄谷の新刊なんか買っちゃった(分厚いので本当に読むかどうか30分も立ち読みしてしまった)。本屋を出てとなりの学生御用達の定食屋へ。植田実『集合住宅物語』みすず書房2004を読みながらカツカレーを食す。東京の戦前戦後の集合住宅40近くが鬼海弘雄の写真と植田実の文章で紹介される。鬼海さんの写真がいい。フィルター付いているからそうなのか分からないけれど、空間が黄色かったり青かったり緑だったりする。この色にやられてしまう。このなかに「飯倉片町スペイン村」というのがある。学生の頃東京のフィールド調査しながら都市の迷路性に興味を覚えたのだが、その頃この建物に出くわし謎の一画と思っていた。それから「松岡九段ビル」これは内藤廣さんが事務所にしていた九段の坂を上がった左に建っている建物。場違いな雰囲気が好きだった。現在の外装は改装されたもので元は横川民輔が設計した旅館だったそうだ。学生用の巨大なカツカレーを半分残し事務所に戻り打合せ。

日本のゼネコン大丈夫かい?

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by 卓 坂牛

午前中入札申請を提出した6社の書類をチェック。ホームページにもアクセスして工事実績も詳しく見る。経営状態などの書類は審査基準に達していても、実績から見て心配になる会社が数社ある。昼ごろ事務所を出る。施主の理事長に会社の内容を説明する。心配はあるのだが、審査基準に合致しているのだから不安は押し殺すしかない。3時から現場説明。なんと一社遅刻。困ったものだ。時間にルーズな会社は鼻から信用できない。パンクチュアルであることは建設関係者にとって鉄則である。6か月の工期でこれを作ることの難しさが分かっているのかいないのか??まるで緊張感がない。行きの車中で読み終えた『ベイジン(下)』の話がラップする。北京オリンピックに照準を合わせた原発建設の話。中国建設業界と政府との癒着による入札とは表面だけの随意契約。利益至上主義のゼネコンの杜撰、手抜き工事。その結果運転開始と同時に発生する大事故。そんなフィクションはフィクションで終わって欲しいと願うばかり。日本ではそんなことは起こらないと信じたい。
帰りの車中鷲尾賢也『編集とはどのような仕事なのか―企画発想から人間交際まで』トランスビュー2004を読む。著者は講談社の編集者だった。最初は週刊誌、次に新書、そこで数年たって編集長となる。講談社現代新書は高校、大学時代に大分お世話になった。杉浦康平の装丁が魅力的だった。中根千恵『タテ社会の人間関係』、渡辺昇一『知的生産の方法』、板坂元『考える技術、書く技術』などなど本書でヒットしたと例示されているものは全部読んでいる。新書を初めて読み始めた頃、大人の読書の仲間入りができたと思ったものだが、「あれはパンフレットのようなものよ」と親に言われてショックを受けた記憶がある。そう新書はパンフレットである。読みやすく簡単だから未だに大好きである。

村松伸さんの家は林雅子の設計

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by 卓 坂牛

昨日届いた村松伸『象を飼う』晶文社2004を読んだ。なんと建築史家の村松伸さんが林雅子の「ギャラリーを持つ家」を購入し、それを飼いならすという話である。もともと雑誌『室内』に連載したものを一冊にまとめた本である。そもそも村松さんが中古の家を探し始めた動機が振るっている。とある海の見える丘に建つ建築家の設計した家を取材した時に、自分が建築の批評をしたり歴史的に分析することに嫌気がさしたと言う。人の作った住宅に何か言うことに意味があるのだろうか?と疑問を持った。村松さんはただこの家に住みたいと切に感じたそうだ。そう思った時からこう言う「住みたい」と思う家を探して住むと決意し、家探しを始め、そしてたどり着いたのがこの家だったそうだ。この家を欲しい人がもう一人現れ、法的にもめて1年ごしで手に入れたこの家は既に5年も使われておらず、雨漏りはするは内装は剥がれるわでリフォーム設計を長尾亜子さんに頼み自分たち流に改造した。林昌二がその姿を「象を飼いならす」と称したのである。しかしそれにしても90坪近い家に家族三人ですむ贅沢を僕もしてみたい。そんな日が何時来るのか分からないけれど。ところでこの本の写真は浅川敏さんが撮っている。建築写真以外も取る浅川さんの写真には建物の匂いが立ち込めている(と隣席の木島さんが呟いた)。飼いならせていないのんびりした象の姿が感じられる。

ベイジン

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by 卓 坂牛

午前中修士のゼミ。午後は3年生の製図。夕方突然の大雨。学食で夕食をとってから帰宅。車中、真山仁の『ベイジン(上)』幻冬社2010を読む。ベイジンとはもちろん北京のこと。北京オリンピックに絡む共産党と行政の裏側を描く。建設業界と政府の癒着はさもありなん。現場の手抜き、労働者のいい加減さ、話の全てが実感を持って伝わる。それでも表面は取り繕うその姿は何時になったら改められるのだろうか?小説なのだがノンフィクションを読んでいるようだ。事務所に戻ると新しく来たオープンデスクのS君が模型作製中。A君の2段ベッドの模型もできた。今までひたすら図面描いていたので現場始まる前になんとか挽回である。

1968年を体現した本と本屋

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by 卓 坂牛

午前のアサマで長野へ。車中、福澤一吉『議論のルール』NHK出版2010を読む。ルール自体はありきたりなことしか書いていないのだが、分析の題材が「爆笑問題のニッポンの教養」と「国会答弁」。著者によればテレビ番組的な受けを狙った議論のルールの破壊が国会答弁にも起こっているという。確かに新聞でも滅多に読まない国会答弁をきちんと読んでみるとかなりひどい。結局国会という場所は議論をする場所ではなく、自らの優勢を限られた時間の中で見せびらかすパフォーマンスの場でしかないことがよく分かる。国会が中継される場合はなおさらであろう。芸人みたいな首相が二度と出てこないようにするためにはもう国会中継などやめた方がよいのかもしれない。
午後一で大学院の講義、そしてゼミ。今日の輪読は懐かしき『建築の解体』。今の学生には今一つピンと来ていないようにも見える。そもそも1968年の意味からして80年代生まれの彼らには遠く昔のことである。夕飯の後『書店風雲録』(リブロのお話)を読み終える。リブロをリブロたらしめた中心人物は全共闘世代。つまり1968年の人たちなのである。そしてあの時代こそが良くも悪しくもポストモダニズムという歴史の折り返し点を作ったのである(きっとリブロにも『建築の解体』が並んでいたはずだ)。それがリブロを作った。つまりリブロはポストモダニズムの本屋だった。それが20世紀の一つの文化の核たり得た。リブロは経営的な問題で変遷しもはやあの頃の状態ではない(と思う)。本屋の趨勢は図書館のような大型本屋(ジュンクのような)か小さな個性的本屋(南洋堂のような)へ2極分化している。売る方と買う方が共に熱くなるような場を共有することは当分ないのかもしれない。