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Aug 2010

死と日常

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by 卓 坂牛

明け方暑くて4時ころ目が覚めた。CPUを見たらアルゼンチンの翔勲からメール。返信してから寝ようとしたが寝られないので池田晶子『事象そのものへ』トランスビュー2010を読み始める。「事象そのものへ」というタイトルは昨日読んでいた『世界を変えるイノベーションのつくりかた』の観察の注意点に共通する。先入観をとりはらい事実をそのまま記述せよという指摘そのものにも聞こえる。そう思って読んだらこの言葉はフッサールの合言葉だそうで。現象学そのもの。つまりイノベーションに現象学的態度は不可欠ということになる。ということはさておき、僕は池田晶子の本を始めて手にしたのだがとても印象的な二つの主張に出会った。一つは死を伴侶としない哲学には力がないということと、もう一つは常識を深化するところに哲学は発生するということである。そんなのどこが印象的なのかと問われればきちんと答えられそうもないのだが、人間が何かをいいとか悪いとか価値があるとかないとか言うのは何だってきっと相対的なものでしかない。ダイヤモンドだってガラスよりきれいかもしれないけれどあれに絶対的な価値がある訳ではない。でも人間の生には絶対的な価値がある。死にはもちろんその逆の価値が付きまとう。また人間の思考の原理が日常の延長上にあるのか超越的な何かをもとにするのかはそう簡単に決められることではない。いや僕は超越的な何かを否定するつもりはないし、それがあるとも思っている。でもそのことは日常的な思考を無化するわけではないし、むしろ僕らが生きていく原理は日常の延長にあるべきだと感じている。そうした日常普通に思っていることが記述されていることが印象的だったと言うことである。

菅平で建築を考える

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by 卓 坂牛

午前中、学科の先生4人で菅平へ向かう。繊維学部が使用していた研修施設をもはや使わないと言うことで建築学科で譲り受けた。まだ立派に使える建築物。300㎡くらいあり、2段ベッドルームから大部屋和室といろいろある。使う以上は維持管理しろと言うことで先ずは草刈りをしにやってきた。ガソリンエンジンのビーバーで4人で約4時間。雑草、雑木を根こそぎ切り倒し、草むらの中の研修所を土の上に蘇らせた。それにしても菅平まで上がると空気がさわやかになるし温度が5度くらい下がった感じ。この季節菅平はラグビー一色染まっている。草刈りしていたらラグビーボールを二つ発見。先生のうち一人は東大ラグビー部だったので目の色が変わる。
12時に仕事を終えて下山。車の中でこの施設の有効利用のアイデアがいろいろ上がる。「先ずラグビーチームを作ろう!!」「サッカーチームも是非」「コンペ合宿!」「模型はいくらでも作れるぞ」などなど、さてどうなることやら。大学に戻ると研究室の学生から学会コンペの2次審査に通ったとの嬉しいお知らせ。めでたしめでたし。大会に行くモーチベーションが上がるね。昼をとってから東京へ。アサマ車中『東大式世界を変えるイノベーションのつくりかた』を読む。観察のしかたについての注意点が参考になる。
1、 はじめての気持ちで臨む
2、 見たものだけを記述する、解釈を加えない
3、 人中心のことばでまとめる
4、 観察対象は両極端を選ぶ
何かの建築を作るためにそのユーザーを観察することがある、あるいはその敷地を観察することがある。また、公園設計をする時(今まさにしているが)そこを通る人を観察して、敷地を観察しなければいけない。そんな時にこれらの注意点はとても貴重である。現象をありのままにテープレコーダーやビデオのように記述するということである。

宮本忠長の名作を壊さないで欲しい

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by 卓 坂牛

午前中市民会館の建設委員会で市役所へ。敷地が二転三転している。規模の割に敷地が狭い。ホワイエや前面広場が狭く人の流れが心配である。それに対する市の明確な答えが出てこない。基本構想程度のざっくりした絵では見極めがつかない、もう少し精度の高い絵を描いてみてから敷地の確定をした方がよい気がするのだが、市はスケジュール優先で進もうとする。まあそもそも何故市民会館を建て替える必要があるのかというところから議論してほしいのだが、その議論が既に終わったところで僕はこの委員会に入れられた。市民会館の建て替え話は市役所の建て替え話に端を発する。長野の市役所は2棟あり旧館は耐震以前の建物であり、市は合併特例債を使ってこれを建て替えたいのである。そのために市役所に隣接する宮本忠長がの名作である市民会館を敷地とし、まず市民会館をどこかに造り、次に市民会館を解体し市庁舎を作る玉つきをしようとしているのである。この建物はレンガ造り、コンクリート折板屋根。複雑なPCスクリーンファサードの哀愁漂う外観である。金がかかっても修復して使う価値のある建物だと僕は思う。また比較的多くの人がそう思っているように思うのだが。午後駅前商店会の方が町づくりの相談に来られた。東京以外の全ての町は中心市街地の空洞化に嘆いている。空いた店を作り替えて町人文化会館を作り人を集めようという企画である。その後ゼミ。お盆前最後。夕方終わって学科全教員で夕食。学科の未来の姿を語ろうという会だったが、ただの飲み会に終わってしまった。

設計の鼻を鍛えよ

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by 卓 坂牛

暑くて参っているかみさんが気になるが、家を早々に出て八潮。午前中学生の発表を聞く。自分の学校の発表を聞いているとなんとも苦笑。可哀想だが、自分のやっていることが分かっていない。これじゃ人を説得するのは難しい。でもまあ仕方ないのだろうか?脳みそ入れ替えろと言うわけにもいかないし。多分他の先生も皆そんな心境なのだろうかと思って自分を慰める。さてこれをどうやってまとめるかというのが我々の役目なのだが、小川君と曽我部が人知れず消え、槻橋さんは身内の不幸でお帰りになり、残ったのは僕と寺内。あれあれ。弱ったな。なんとか明日までの作業のイメージを作り学生に伝える。明日何が生まれることやら。でもこれからが設計である。数多ある案をデヴェロップするのが設計では一番難しいところだと僕は思う。これは行けそうだと思い、そこにかけるところが一か八かの勝負であり、その鼻を鍛えるのが建築かもしれない。学生たちは今晩その作業をシビアにやるチャンスである。その最終的な判断は明日小川、寺内両先生にお任せである。宜しくお願いします。僕は行けずにごめんなさい。
夜は久しぶりに新建築の方々と恵比寿で食事。Hさんと若手の二人。Hさんは変わらず元気。吉阪さんの話をもう少し突っ込んでしたかったが、僕は長野に向かうので1次会で中座。最終のアサマに飛び乗る。ここ数日長野東京を行ったり来たり。車中東京大学i.scholl編『東大式世界を変えるイノベーションのつくりかた』早川書房2010を読む。本当は八潮に行く前に読もうと思っていたのだが、タイミングがずれた。まあいいやこのノウハウは今後伝授して行こう。

軽井沢のハイソな会でいろいろな人に会う

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by 卓 坂牛

長野に来ると朝6時に目が覚めてしまう。シャワーを浴びて駅のマックに行き朝食をとり田中角栄を読み続ける。10時半のアサマで軽井沢に行きタクシーで中央工学校の南が丘倶楽部というところへ行く。軽井沢で高校の同窓会やっているということを去年の秋ごろ同級生に聞いた。もちろん軽井沢に別荘を持っていることが入会条件というハイソな会である。別荘を持っていない僕は入会資格は無いのだが、建築がらみで少々この地に関係しているのだろうからゲストでお出でよと彼に誘われた。1カ月ほど前に招待のハガキが届き、それを見ると宴に先立ち立礼席の茶会があると書かれている。おー軽井沢らしいスノッブな趣向。しかしそんな茶室があるのだろうか?と思ってこの南が丘倶楽部というところにやってきたらあった!!中央工学校の理事長も先輩でこの施設のことを誇らしげに語っていたが、なかなかのものである。それにしてもこの暑いのに和服姿でお茶を出す後輩たちの姿はなんともがいがいしい限り。上は90から下は20代まで。60名ほど集まった。10代毎に挨拶ということで僕も50代表でしゃべらされた。サッカー部だったこと。軽井沢に別荘は持ってないけれど、とある有名人の別荘を設計したことを申し上げたら終わって色々な方に話しかけられた。最初はサッカー部のS先輩。色々聞くとその昔民放の社長をされていたあのSさん。次に僕の設計した別荘のオーナーの知り合いと言う東大名誉教授のA先生。名前はもちろん存じ上げていたがこんな大きな人とは思ってもいなかった。次は「暇になったら設計お願いするわ」とお話された元外務大臣のK先輩。真っ白なスーツがひときわ鮮やか。更に軽井沢から東大に通勤していると言う物理学者のW先生。一見ペンションのオーナー風。素敵である。話は尽きなかった。多種多様な方々と楽しい時間を過ごさせて頂いた。お話ししているとつい,お互い自己紹介として出身校に触れる。するとだたいていは慶応か東大である。早稲田はいなかった。今は知らねど少なくとも僕より上の世代で言えば確かに早稲田はおよそ軽井沢という感じではない。もちろん東工大なんてお呼びじゃない。この排他的慶応東大のスノッブ文化が軽井沢の文化資本だったのだろう。なんとなくそれも今は変わりつつあるようだが。

田中角栄とコールハース

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by 卓 坂牛

昼から大学の後援会の理事会が行われた。新しく出来た建物に大きな会議室があり工学部の父兄150名くらいが集まった。その父兄を学科ごとに分けてそれぞれの建物に連れて行き就職状況や施設を紹介する。それは毎年学科の就職委員の役目で今年は私である。親御さん18名を連れて講義室に行き就職状況などを説明し、構造実験室、製図室を案内した。皆さん遠くから(長野県内の方は一名だけである)わざわざ来られているわけでこちらの話に真剣そのもので聞きいっていた。こりゃ講義より話し甲斐がある。その後学食で懇親会。4時ころからビール飲んだら眠くなってきた。終わって研究室に戻り床にマグロのように転がって1時間熟睡。ニードルパンチを敷いたこの床は固くて適度に冷たくて気持ちいい。目覚めてから学生とワークショップの打合せ。帰ろうかと迷ったが家に戻っても寝るだけなので保坂正康『田中角栄の昭和』朝日新書2010を読む。田中角栄は僕らの世代にとっては悪の代名詞のように言われる一方で人情もろくて憎めず、数字に滅法強く、日本最初の一級建築士などなど、幅の広さを感じる人間である。実際この本を読んでみると、田中はなんと19歳で自分の設計事務所を作り、大物政治家を顧問に据えてあっという間に100人を抱える会社にしてしまったそうだ。若くして資本主義の本質を本能的に捉まえていたわけだ。田中のそんな能力に感嘆しながら最近よんでいた別の本を思い出した。Donald McNeil のThe Global Architect Firms Fame and Urban Form Taylor and Francis 2009 である。この本には世界を席巻する建築家達が登場する。SOM、 ゲーリー、コールハース、彼らは飛行機の中でスケッチを描き、E-MAILで指示を出し世界を飛び回る。ファッションブランドよろしく、特徴あるスタイルと名前を建築に貼りつけてとんでもない金を紡ぎだす。彼らもキャピタリズムの何たるかを至極承知している。資本を手玉に取るその生き方はコールハースも田中角栄も似ているのかもしれない。

様式の意義

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by 卓 坂牛

午前中大学院の入試面接。午後博士論文の公聴会。4名の発表。構造2名、設備1名、歴史1名。その後会議が二つあって終わると夕方。アルゼンチンのロベルトを招聘する委嘱状の申請書類を作る。夕食後、椹木さんの本を読み終えてネルソン・グッドマン(Goodman ,N)『世界制作の方法』ちくま学芸文庫(1978)2008を読み始める。第二章「様式の地位」では様式とは何かを問う。様式は作品を同定するのに便利な指標である。そしてもちろん作品を同定、弁別することは作品理解を深める上で重要である。とは言え自明な様式は見る側、聞く側を育てない。極めて微かな様式の存在や差異が受容者の知覚する能力を高め、作品理解の範囲を拡大する。そして受容者がこうした洞察を重ねることで作品のエッセンス発見能力を高めると著者は言う。このことを創作論的に言えば、あからさまな様式を羅列する作者には受容者の発見能力を喚起する力が無い。僅かな様式のヒントを作品に見え隠れさせることが受容者の理解を広げ、ひいては新たな世界を提示する。と言い換えられるようにも思う。著者はそうした作者としてハイドンやホルバインを挙げていた。その逆は誰だろうか?モーツァルト?モネ?建築ならハイドンに相当するのは誰だろうか?微かな表徴を散りばめること。これは言ってみればメタレベルのコンシステンシーの実践である。そう言う建築家とは?そしてそれを実践するとは?

作家という原理

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by 卓 坂牛

どうも風邪がすっきりしないので朝一で荒木町の「まがり医院」に行ったら内装がすっかりダーク木目調にリニューアルされているのに驚いた。まがりさんは近くて便利な行きつけのお医者さんである。そんなわけで先生とは病気以外の話題も多い。今日も診察室にはいるなり「荒木町の石畳できそうですか?」と聞かれた。僕が責任者というわけじゃないのに、、、、。朝は新建築のアンケートに答えるために、スタッフが来ないうちに雑誌を見る。とはいってもJT10年分見るなんて不可能だから、記憶に残っているものから考えるしかない。スタッフがやってきて群馬のコンペの話題。坂本先生惜しくも優秀賞。乾さん最優秀。見に行った伊藤君の写真を見せて頂く。よく考えられている。
午後カラースキーム模型のデベロップを見てから、ゼネコンのマスタースケジュールの問題点を打合せ。終わってから夜のアサマで長野へ。車中椹木野衣を読み続ける。近代とは神を失った時代、あるいは神を殺した時代でありその時代の芸術は神が保証してくれないそれは個人の力にかかっている。だから近代の芸術において作者が重要な位置を占める。我々の時代においてどうしてここまで作家ということが問われるのかその理由はここにある。そして近代の象徴のようなこの作家を抹殺しようとしたのがポスト近代である。しかしここには決定的な矛盾がある。アートを保証する神の不在が作家を生みだしたのと同時に個人は神の加護を失い、その生きがいを自らの達成感の中に求めざるを得ない時代になったのである。神が人生を肯定してくれるわけではない。自分の人生は自分で充実させざるを得ないのである。その時代において作家性を消去した作家はあり得ない。作家である限り自己の主張と達成が不可欠となったのである。だからあり得るとすれば作家性を消去するのではなく、作家という職能を消去しなければならない。作家性を消去すると言うことは近代の社会原理上不可能としか言いようがない。

反アート入門

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by 卓 坂牛

7時半のアサマで東京へ。この電車は2駅しか停まらないので早い。車中昨日読み始めた椹木野衣『反アート入門』幻冬社2010を読む。反アート入門というタイトルだが、序に記されている通り、前半は「アート入門」である。しかもかなり上質なモダニズムアートの入門書である。内容はとても正確で深く、その上とても分かりやすい。建築学生の必読書と断言してもよい。僕の部屋の夏休み必読本に加えよう。東京駅で丸善に寄る。久しぶり。先日早稲田の学生に勧められたマーク・ロスコの自伝などカートに放り込み宅配を頼む。四ッ谷で久しぶりにとんかつ鈴新に寄る。三国さんが旗振りして始まった荒木町町づくり運動の進展を聞く。何とその会合には私もよく知るA社の女性社長も出席されているようである。これは結構面白いことになるかも。荒木町の住人としては他人ごとではない。午後事務所で打合せ、資料チェック、大分出来たカラースキーム模型を見ながら「要素主義ではなく連続主義」のリアリティを見る。「うん、結構行けそうだ」でもまだ時間がかるかな?

大学院の製図

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by 卓 坂牛

8時半から教授会、9時から9月卒業の卒論発表会。判定会議。続いて教室会議。終ったら昼。結構時間がかかる。午後一で学科内の打合せ。2時からゼミ。4年生、m2の論文の進捗発表。加えてm1の修論へ向けての発表。夜、m1の講義の最終レポートとして出させた住宅の設計課題の採点。この講義の教科書は拙訳『言葉と建築』。授業ではここに出てくる言葉を説明してきたが、最後のレポートはこの言葉を核として自分なりにそれを発展させたコンセプトを作る。それを用いて20坪の住宅を大学のそばの交差点に設計せよというもの。コンセプト40点、デザインの創造性30点、プレゼンテーション30点で採点した。コンセプトが言葉と建築の概念のままでは評価できない。もちろんその理解さえおぼつかないものは論外、それを自分なりに咀嚼して、反転したり拡張したり、自分をそこへ投影したものは評価する。そしてもちろんそれを自分独自の世界の中に建築化するのが次の作業。そしてそれをA3に図面化しA4の模型で示す。全員の点を付けてみると自分の研究室の学生の点が高い。学部生のころは必ずしもデザインができたわけではないという学生も確実に鍛えられているなという実感が持てる課題だった。これらは模型も図面も全て研究室脇の壁に成績順に張り出す(僕の大学時代、全ての製図は成績順に壁に張り出された。一番端っこになりたかった記憶がある)。終って終電で帰ろうかと思ったが突如降り出した雨。ここで帰るとびしょぬれになり風邪が悪化すると思い、諦めて研究室で読書。一向に読み終わらなった佐々木護を読み終え、椹木野衣『反アート入門』幻冬社2010を読み始める。反〇〇というタイトルは流行り??以前読んだ木田元の『反哲学』はとても面白かった。