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Sep 2010

展覧会パネル

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by 卓 坂牛

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事務所で打ち合わせしてから大学へ。車中『逸脱する病院ビジネス』を読む。第三章「コトリバス」を読む。コトリバスとは「小鳥バス」ではなく「乞とりバス」のことだそうだ。と言われても未だなんのことだか分からない。それは(生活保護を受けている)ホームレス(乞食)をバスに乗せて病院に連れてきて不要な治療をし保健医療でお金を儲けことなのだそうだ。そんな生活保護の乞食を確保するのに裏の世界の輩もからんでいるという。医療とやくざが繋がっているという驚きの話。
夜大学で八潮の打ち合わせ、ワークショップの打ち合わせ、後期ゼミの日程打ち合わせ、コンペの打ち合わせ、そして雑用。事務所から展覧会に送る写真パネル化と郵送費用の見積もりが届く。郵送料が高い。別の輸送機関を調べるように指示。
11時過ぎた。お腹すいたけれど食べるものが無いんだよこの辺りには。

秋雨の合間の晴天

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by 卓 坂牛

秋雨の合間の晴天。気持ちが良くて暗いうちに目が覚めた。下村健一『マスコミは何を伝えないか』岩波書店2010を読んでいたら再び眠る。午前中事務所でコンペスケッチ。スキャンして研究室へメール。午後international architecture awardの展覧会パネルデーターづくり。プロの写真が無いので自分で撮ったものから選ぶ。色が悪いのでグレースケールにしてごまかす。外注してゲーターボードという固いパネルにマウントしてもらう。今月中にはマドリッドへ送りたい。夜は賞のお祝いをしていただけるということで麻布へ。九州のHさんMさん、始めてお会いするYさん。御無沙汰していたSさん。飛び入り参加のYさん。そして幹事をしてくれたKさんありがとうございます。散弾銃のように話が飛び交うエキサイティングな会でした。

心温まる場所

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by 卓 坂牛

コンペの審査委員長の著作を読んでおこうと思って届いた本を開ける。細谷亮太『小児病棟の四季』岩波現代文庫2002。東北大学出て管理されるのが厭で大学に残らず病院を渡り歩き聖路加の副院長。文才もありきっと素晴らしい人なのだろう。その人となりは文章から伺える。体育会的体質が厭で外科に進まず、小児科医になったというのもいいねえ。白い巨塔をかすめて生きてきた人なのだと思う。患者との心温まるお話が50編くらい。どれもこれも涙涙、事務所で読むのははばかられる。これを読んだからってコンペの足しには正直ならないのだが、人の生があちらの世界に行く場所だと思うといろいろと考えさせられる。月並みだけれど心温まる場所にしたいなあという気持ちが強く沸く。今まで建築作るときに心温まる場所なんて想像したことも無かったからその意味ではこの本の影響力は大きいということかもしれない。

悪徳医療とボランティア医療

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by 卓 坂牛

NHK取材班編『逸脱する病院ビジネス』㈱宝島2010を読んで驚き。生活保護を受けている浮浪者を積極的に受け入れて必要もない手術をすることで生活保護から自動的に支払われる医療費を受け取る悪徳医師がいるという話。もはや保健医療では成立しない小児ホスピスをボランティア的に作り上げようとする人たちがいる一方、保健医療を悪用する輩もいるわけである。
福祉的施設(医療もそうだと思うのだけれど)、言い換えれば国の再配分によって補助される施設は必ずやこういう悪が巣食うのである。老人施設も、児童の施設も必ずこうした輩がいるものだ。

葬式は遺族のためにある

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by 卓 坂牛

柏木 哲夫『生と死を支える―ホスピス・ケアの実践』1987朝日選書をバルコニーでコーヒー飲みながら読んで自分の葬式の事を考えた。葬式は死ぬ人間の問題ではなく遺族の問題。だから「僕は粉にして海に捲いてほしいけれど、きちんと葬式して墓に埋めたければどうぞそうしてください。お任せします」と言ったらかみさんもそりゃ正しい。自分のも僕に任せると言ってきた。続いて松本 啓俊 、 竹宮 健司『 ホスピス・緩和ケアのための環境デザイン』鹿島出版会2010を読む。わー学会の論文みたい。こういう本苦手だなあ。これで4000円近いってちょっと辛い。データーの羅列。でも小児ホスピスも含めて一般常識がついただろうか?夕方ジムに行ってシャドーボクシングをやってひと汗流し六本木へ。センシングネーチャー展を見るhttp://ofda.jp/column/。吉岡徳仁、篠田太郎、栗林隆。スカッとする作品だけれどこういうのってできそうだなあって思った。ヒルズの蜘蛛で娘とおちあい飯食ってロビーでかみさんと待ち会わせレートショーを見る。

ロニ・ホーンのドローイング

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by 卓 坂牛

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おとといの寝不足がたたったか?寝坊した。かみさんとブランチを食べに表参道へ。そのまま根津美術館に行く。初めてここに来たが、建物はやや期待外れ。でも展示物が結構すごい。さすが日本の大金持ちはすごいものを持っているものだ。根津を出てぶらぶら表参道の方へ歩く。ラットホールギャラリーに寄るとロニ・ホーンの個展をやっていた。ドローイングが3枚。厚紙ケントにカッターのカットラインを入れて微妙な赤、朱色で小さな矩形を描いていた。赤の色味がとても印象的だった。もう一つの立体作品は19世紀アメリカの詩人エミリー・ディッキンソンの言葉をアルミと白いプラスティックで角棒のように仕上げて壁に立て掛けてあった。こっちは大して好みじゃないのだが、かみさんは「この人見えないところにとてつもなくエネルギーかける人ね」と言っていた。その通りだと思う。タクシーで帰宅。柏木哲夫『生と死を支える―ホスピス・ケアの実践』朝日選書1987を風呂につかりながら読む。

ホスピスコンペ

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by 卓 坂牛

10時ころ山荘を出て大学に戻る。30分で戻れるところがいいと言えばいいのだが。旅情など微塵もない。研究室に戻りコンペの打ち合わせ。「子ども用ホスピス」がコンペの課題。実例がないだけに難しい。想像力をたくましくするしかない。
振り返ってみると、都内某所の某病院で僕の兄が生まれ、娘も生まれた。一方その病院で親類2人が亡くなった。ここでは生も死も味わった。亡くなった親類の1人は当時高校生。メラノーマという脳の悪性腫瘍であり死に至る病であった。おそらくこういう子どもこそホスピスに入るべきだったのだろう思う。彼は普通の総合病院にいて最期を迎えることとなったのだが、本人にとって、あるいは肉親にとって、もっとこうあるべき何かがあったのだろうか?この辺りから考えざるを得ない。昼のアサマで東京へ。久しぶりに丸善に寄り気になる本、ホスピス関連書を2冊ほどカートに放り込み宅配。事務所に戻る。夜はスライド会。

研究室合宿

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by 卓 坂牛

午前中たまった大学の雑用に追われる。やっと昼にけりをつけて1時ころ研究室の学生たちと車3台に分乗して飯縄に向かう。一泊の合宿。去年の合宿は昼から夜中まで建築漬け。大学でやるゼミを5回分くらいまとめて一泊でやるというようなものだった。今年は趣向を変えて山でも登るか!とも考えてもみたのだが、案の定天気が激変。雨は降るは気温は下がるわ、というわけで夏休みの学生(先生も)活動発表会ということになった。
2時ころ山荘に到着し、先ずは来月に迫ったアルゼンチンワークショップの細かな打ち合わせ。終わって近くの温泉に行き、戻って各自10分をめどにスライド会を始める。研究室員全16名のうち2人欠席で14名参加。八潮組3名はワークショップの成果発表。1人は装苑主催のファッションコンペに出した案の説明。残る11名は延々と建築探検記の披露。鳥取投げ入れ堂(学生時代を思い出す)。瀬戸内諸島のアートと建築(来月見に行く予定のものを見てしまった!!)。岐阜白川郷(先日行ったなあ)。静岡、鎌倉(いろんな建築があるもんだ)。スイス、イタリア、フランス。コルビュジエからカミナダそしてビエンナーレ(名建築は何度見てもいい、カミナダは本物が見たい、アトリエワンの模型すごい)なんてやっていたら飯を挟んで11時。それから自分のポルトガスライド。一日にこんだけ建築見たのは初めてだ。

贅沢の条件

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by 卓 坂牛

日中事務所で仕事。夜長野へ。車中山田登世子『贅沢の条件』岩波新書2009を読む。贅沢とは金でもなく、時間でもなく働かないこと。というのが一昔前までの常識だったようだ。だから「有閑階級」なる言葉があり、かの有名なヴェブレンの『有閑階級の理論』が生まれたわけである。ヴェブレンによれば有閑階級の服とは働きやすそうに見えてはいけないのである。コルセットにロングスカートそして金を使い働かない。これが一家の富を主人に代わって世に示す行為なのである。なるほど。ところで現代の贅沢の条件とは何だろうか?働くことが美徳となったモダニズム以降、もはや働かないことを贅沢と思う人はあまりいないのではなかろうか?僕にとっての贅沢は?やりたくないことをやらないこと。これは出来そうでなかなか難しい。でもそんなわがままな人生を送ることができれば最も贅沢である。

都市のイデア

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by 卓 坂牛

8時のアズサで甲府へ。猛暑は過ぎ去ったが未だ暑い。住宅の現場は順調に外壁の合板が貼り終わっている。クライアントは瓦の色を気に入ってくれて一安心。近隣から屋根が眩しいという苦情があったようだが、平屋住宅の屋根を瓦にして、それを眩しいと言われたら何も設計できない!!午後塩山に移動。施主定例でクローバーの葉の形に側面に穴をあけたテーブルデザインをプレゼン。そしたら天板ももっと柔らかい方がという積極的な注文。現場は底板のコンクリート打設中。今のところ遅れていない。夕方のカイジで新宿へ。車中、伊藤毅・吉田伸之編著『伝統都市①イデア』東京大学出版会2010を読む。近代都市形成の下地である伝統都市の中に現代に繋がりうる都市のイデア(それは観念であり図像である)を掘り起こし紡ぎだそうという試みである。その一編、陣内秀信の「地中海都市」を読む。地中海周辺諸都市のイデアとして陣内があげる観念は「神殿と迷宮」。幾何学的で明快で広々とした神殿的場と狭小で分かりづらい迷宮的場が時代と場所を問わず現れることを説明してくれる。とかく神殿的な街づくりがよしとされた近代において迷宮への視座は欠落してきた。僕自身学生時代リンチの都市のイメージを読みながら「都市は分かりやすい方が良い。迷子になることは不幸である」というテーゼに対してひどく憤慨した記憶がある。パブリックなスペースはそれでよいが居住地はその逆であるべきだと思い東京のフィールド調査をした。地中海都市はまさに居住地に迷宮が形成され住人のみが分かる空間性が実現されているという。僕の調査が示すまでもなく東京をはじめ日本の伝統的都市には路地性があり同様の迷宮があるわけである。本書の伊藤毅の論考「移行期の都市イデア」では日本の伝統都市が城都のグリッド性、町の道性、境内の求心性をイデアとして保持してきたことを指摘する。これは神殿と迷宮の日本版と読むこともできそうだ。グリッドの明快さと道や境内の曖昧さ迷路性である。すなわち都市とは常に分かりやすい部分と分かりにくい部分との混在の中である平衡を保ってきたのではなかろうか?どちらかしかない都市は片手落ちだと僕は思う。先日行ったポルトガルもまさに地中海都市の伝統であろう。巨大な広場と迷路が適度に混在し、めりはりのある心地よい都市であったと思う。一方、先日まで通っていた中国の大倉や蘇州などは農地収容した巨大道路が縦横無尽に走っている。その意味では実に明快である。つまりは徹底した神殿性で作られているのだが迷宮性は全く顧みられていない。むしろわずかに残る伝統的な迷宮部分は神殿へと作りかえられているのである。