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by 卓 坂牛
●プランが想像できないなあこのオフィスビル。
午前中に四谷の医院で健康診断。帰りがけ見なれたビルの横っ腹が見えてびっくり。となりのビルが解体されたんだっけ?それにしてもこんな奥が深くて両側挟まれていると暗そうだなあ。
午後事務所に戻る。レクチャーの内容の確認でスイスのハンス・ユルグ・ルッフとのメールのやり取りをしているのだが、時差があるのに昨晩から3往復の交信である。いやはやスイス人は几帳面である。
夕方金箱さんが来て構造打ち合わせ。5時に始まり終わったら10時。構造模型見ながらなかなか決まらない。今度の施設は分棟で4棟あるが3つデザインが違いそれぞれ木構造を見せようとしているので一筋縄ではいかない。内装制限がかかる建物で木を見せようとすると構造を見せるのが一番効果的なような気がして、構造模型を早々に作り始めている。ヤマでもそうだったけれど構造見せようとすると設計はえらく時間がかかる。あれも大変だったけれど大変な設計はその痕跡が残るものである。
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by 卓 坂牛
●立派なポスターが貼られていてびっくり
今日は今年度最後の八潮仕事。市民参加のフォーラムである。第一部は小川、寺内先生による我々の公園案の説明。第二部は槻橋先生司会で僕と曽我部先生、筑波大の渡和先生、トデックの中村さんによるシンポジウム。シンポジウムには市長、商工会議所所長、学生も振られ意見を述べうまく来季に話は繋がったようである。
今日は今年度最後ということもあり、先生連中もまあお疲れさん会でもするかということでつい浅草下車でワインのお店へ。
●大変調子いい感じのO先生とS先生
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by 卓 坂牛
午前中に若松均さんのオープンハウスを拝見しに麻布へ。麻布はもちろん一等地だが不便な場所。そんなわけで今まであまり足を踏み入れたことは無かったが、気持ちのいい住環境である。相変わらず少し乱暴で、でも見ごたえのある設計を見せてもらう。いい気分で駅近くのカフェへ。昼食後行こうかどうしようか迷ったが南北線一本なので不動前の藤村さんのオープンハウスにも足を伸ばす。http://ofda.jp/column/。午後事務所に戻り大きくなった模型を見ながら次に検討すべき項目を挙げていく。やることはまだいろいろある。
帰宅後風呂で佐々木信夫『都知事』中公新書2010を読む。東京のGDPはカナダを抜き世界第9位の国に匹敵し、世界上位500企業の都市別本社数51社で2位のパリ27社に大きく水をあける。都市別GDPは文句なく世界トップ。国内的に見ても日本のGDPの2割、国税収入の4割が東京から生まれ、本社本店外国企業の5割が東京にある。この辺まではまあ想定内だったのだが、一番驚いたのは大学生の4割弱が東京で学んでいるという事実。そんなに学生がいる都市なんだ。やはりマンモス大学が多いのか?
知事と言うのは直截選挙で選ばれているので議員の互選で選ばれる首相より市民の代表という意味合いが強い。政治ゲームの中で決まる首相とはわけが違う。首相がどうなっても日本の政治は今のところあと5年くらいこの体たらくが続くような気がする。それは首相の資質の問題ではなく政治のルールの問題でありルールを変えていくのに時間がかかると思うからだ。一方知事と言うのは権力が集中しているのでやろうと思えばいろいろなことができる。横浜、大阪、宮崎と見れば分かる。だから次の知事の資質は首相とは異なり直接政治に影響を及ぼす。そして東京都の施策は半ばイコール日本の進む方向に大きく左右する。その意味では次の都知事選はとても大事な選挙だと思う。
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by 卓 坂牛
今日は前期日程の試験監督なのだが補助要員なので研究室待機。結局出番はなく一日研究室の雑用を沢山こなすことができ嬉しい誤算。午後某市役所の方が来研。こちらのお願いしていたことが結局殆ど受け入れられないという報告を受け依頼された仕事は残念ながら受けられなくなってしまった。でも仕方ない。筋の通らないことをやるわけにもいかない。
夕方五十田先生の企画してくれた最終講義に向かう。キャンパス外でやりましょうというお誘いにのり、しかも飯付き酒付きにしましょうというお誘いにものった挙句がホテルになった。なんだかホテルの宴会場と言うのは委員会のようだなあとも思ったが贅沢は言えない。こんな企画をしてくれただけで身に余る光栄である。2年生からm2そして学外の建築家まで来てくれた。レクチャ中に質問事項やら印象に残ったことを書いてもらったら僕が実行しているレオナルド・ダ・ヴィンチの「魔法の手帳」の話を挙げる人が多かった。
これはダ・ヴィンチが常に手帳を持ち歩き発見を書きとめていたという話であり、僕はそれを梅棹忠夫の『知的生産の技術』で知った。高校時代にそれを読んでからダ・ヴィンチになろうと思い(笑)「魔法の手帳」をつけ始めたのである。毎日発見がないかと夜一日を振り返る。日記ではなく発見である。発見なんてそう毎日あるわけもないのだがそれでも毎日続けた。酔っぱらった日のそれはもう滅茶苦茶な字で読めたものではないがそれでも書き続けた。そして信大通いが始まりこの手帳を持ち歩くのが重くてついにブログにしてしまったというわけである。そうしたら発見を書くのが気恥ずかしくなり日記っぽくあるいは読書感想文みたいになってしまったが発見することへの習慣は言葉にしないが今でも残っている。これは大人になって身に付けた習慣の中では(だいたい大人になって身に付けたものにろくなものはないのだが)貴重なものの一つなのである。
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by 卓 坂牛
早朝の新幹線に乗り越後湯沢経由で金沢へ。学会北陸支部での最後の仕事である北陸建築文化賞の審査。午後一杯かけて4作品を選出。これで北陸支部の仕事の99%は終わった。明日の入試のために直江津経由で長野へ向かう。
移動の車中新しくなった思想地図『思想地図β vol.1』コンテクスチュアズ2010 をめくる。巻頭の鼎談猪瀬直樹、村上隆、東浩紀を読むが猪瀬の独壇場で鼎談になっていない。続いて特集のページへ。テーマはショッピングモール。どうしていまどきショッピングモール?。?頭で最初の座談会を読む。東、北田、南後、速水のタイトルは「ショッピングモールから考える―公共、都市、グローバリズム」。
この特集はポイントが曖昧だし、議論されていることの85%は無意味に思えた。多少意味を感じた残り15%の論点は北田と東の論戦の中にある。
それはショッピングモールが現代都市の公共領域を作る力を持っているのではないかという東の仮説でありそれに対する北田の批判の部分である。
先ず北田はルーマンによるハーバーマス批判を引き、公共性作りには時間がかかると指摘する。確かに我が身に引きよせて考えれば、住んでいる地との人間的接点は飲み屋のオヤジとの会話くらいである。一方配偶者は商店街の花屋さんとか鞄屋さんとか医院の先生とかに何気なく話ができる人たちを持っている。これは明らかに二人のコミュニケーションに割ける時間の差である。現代政治哲学がいかにコミュニタリアニズムを標榜しようともコミュニティ形成には時間がかかるのである。となると大都市のかなり多くの人々にとっては(それは成人男性とは限らない塾に通い詰める受験生の群れだってそんな時間がなかったりするわけだ)都市の公共性なんて言ったってそんな場所を意識することもないしそんな場所の必然性すら感じない。そんな状況を鑑みると地に足をつける必要のない人々にとっての公共領域とは何なのかと感じざるを得ない。そしてそれを考えるきっかけがショッピングモールにあるのではないかというのが東の問題提起である。それに対して北田はその提言は検討の対象ではあるものの、一方でショッピングモールは地に足がつけられないような人々(要はホームレスのような人々)を排除する思想でできていることが問題であると批判する。
さてこの座談会の意味のあると感じた15%ではあるが、現代社会で作られる全ての建築物はそもそも地に足がつけられない人々を排除するようにできている。ショッピングモールに限ったことではない。それは建築や都市の問題ではなく政治の問題である。明らかに北田はこの座談会に強引にひっぱり出され結果的にこうした言動を吐くに至ったという感じである。一方東の仮説も強引さを隠せない。そもそも郊外の巨大モールに訪れる人達を見れば明らかであるが彼らの多くは地に足のついた家族連れである。当該人種が訪れるオフィス街の足元は彼らが住む地からは程遠いし、そこに帰属意識を持つことはないし、他者と会話が生まれる状況ではない。そこにあるのは逆に都市の匿名性と浮遊感である。
ショッピングモール(という言葉を現代状況に使うのはそもそも当てはまらないと思うが)現象を肯定する切り口はあるのかもしれないがそれを公共性に求めるのはいささか強引の感を免れない。
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by 卓 坂牛
先日一級建築士講習会を受けて今日管理建築士講習会を受けた。そこそこ為になるお話だが総論なのでだいたい分かっている。これに1万5千円払うのは少々不満。
というわけで猪瀬直樹『霞が関「解体」戦争』ちくま文庫2011を読みながら聞いていた。著者は東京都副知事をしながら国の地方分権委員会の委員を任された。その中で霞が関から権限を剥ぎ取り地方に任せろという主張をマシンガンの如く撃ち放つ。本書はこの地方分権委員会での委員対官僚の戦争、いや正確には著者が打ち放つマシンガンをひたすらよけまくる官僚の防戦の記録である。
読んでいくと著者のマシンガンも的を外し乱射と見えるところもある。しかし、霞が関の厚い壁にライフル銃で狙い撃ちして的を射たところで、的は数え切れないほどあり全く効果は無い。乱射といえども量を繰り出さないことには厚い壁は崩れないだろうことはこの答弁を読んでいるとよく分かる。
昨日、子供の施設の打ち合わせで構造基準が子供一人当たり3㎡から4.95㎡に変わったことが話題になった。タイガーマスク効果である。しかしこういう基準に猪瀬は怒る。例えば保育所のほふく室は一人あたり3.3㎡以上2歳児以上が使用する保育室は一人当たり1.98㎡以上。この数字に決定的な根拠があるのか?はるか昔に制定されたこの数字に現代的リアリティがあるのか?都会では待機児童が山のようにいるのだから多少小さくてもいいのではないのか?要はそういう数字は基準ではなく標準として細かくは地方行政が地方の実情に合わせて決めればいいのではないのか?そしてそこに与える補助金は全て地方に渡し、地方の権限で交付すればいいのではないのかと主張するわけである。そうすると官僚は子供行政に対してまじめに考えるところとそうではないところがあるからナショナルスタンダードが必要だと主張するわけである。
官僚の言うことは一見まっとうに聞こえる。しかし僕は猪瀬の意見に大賛成である。結局国は補助金を傘にかけ権力を行使し地方をかしずかせているだけである。その実態は一度補助金の仕事をしてみるとよく分かる。中央ばかり見ている地方の姿が手に取るように分かる。国は地方の怠惰を指摘するが、国が権力を握るから地方が怠惰になるのであってその逆ではないということをまだ霞が関のおバカ役人は気付いていない。いや気付いていてもその権力を手放したくないだけなのである。
昨日「制度を最大限に利用し制度の想定外のものを作る」と威勢のいいことを書いたのだが、もちろん今の自分の立場ではそれしかできないのだが、誰かがこの制度を解体してくれることを願うばかりである。
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by 卓 坂牛
●Tさんと住友館の仕事を始めた時のスケッチブックの1ページめ
共同設計者Tさんと新宿で待ち合わせ湘南新宿ライナーに乗る。Tさんが言う
T:坂牛今日は3つの提案がある
S:はい何ですか?
T:一つ:共同でやっていく時の指針(ミッションステートメント)を決めたい。それは「制度の中で、制度を利用し、そして制度が想定しないものを作る」
二つ:規定の設計料はお前の事務所で契約してもらえ、おれは成功報酬でクライアントが気に入ればもらう
三つ:この建物のタイトルは女子棟をアリス、男子棟をテレス、全体でアリスとテレスとしたい。
思わず笑いそうになったが、これが彼の持ち味。
T:行けてるんじゃないですか・
クライアントのトップにこの3つの話しを最初にバーンとぶつけた。クライアントはびっくりしたり、困ったり、笑ったり。そして最終的にはすべてお任せしたいで終わった。
Tさんは前も書いたが日建時代の僕の師匠1である。1987年林昌二は自分直属の日建ゲリラ部隊を作り「東京スタジオ」と命名してマンションの一階に部屋を借りて意匠設計部員として3人を起用した。その一人がTさんであり僕だったのである。そしてTさんの下で僕は横浜博覧会住友館を設計してSDレビューに入れていただいた。あの時もTさんがクライアントにバーンと強いコンセプトをぶつけてくれたことを思い出す。僕が思う存分にやれる環境を最初に作ってくれた。今回も全く同じである。頼れる親分である。最近はこんな粋なことを言える上司は少ないだろうなあと思う。むかしはこんな人が日建にもいたのである。
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by 卓 坂牛
配偶者と神楽坂に遅めの朝食をとりに出かける。カフェクレープリー・ル・ブルターニュ という名のクレープ屋。神楽坂は日曜日も結構人が多い。そしてこのクレープ屋も混んでいる。そば粉で作るクレープの皮を巻くと卵もトマトもチーズもアイスクリームも値段を1.5倍にできるこの発明はすごいものである。今日は結構寒く足が冷えたので車で帰宅。来週の最終講義のパワポを作る。「僕はいつ誰に何を教わったのか?そして何時から自分で何を考え始めたのか」という長いタイトルの話をすることにした。そこでその昔の製図やらスケッチやらその時の先生の言葉などをひっくり返してみた。学部三年生の時の伊東豊雄さんが非常勤講師でいらっしゃった時の課題が出てきた。テーマはシティホテル。場所は渋谷の現東武ホテルがあるところ。オルブリッヒがなぜかテーマになっていた。伊東さんは当時あまり語らず。じーーっと図面を見てたまにぼそぼそと呟いていた。こんな正面から見るアクソメが流行り。ストイックな表現に豊饒な意味がこめられていた。1981年である。
夕方事務所に行き明日の栃木での打ち合わせ資料をチェック。写真をとり図の修正を依頼。
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by 卓 坂牛
午前中整形外科へ先日伸ばしたふくらはぎと、古傷の足首をみてもらう。午後スポーツショップでアンクルブレースを買って足首に装着。伸びきってぶらぶらになった靭帯が固定されて痛みが無くなった。
その足で表参道に行きラット・ホールギャラリーで2人展を見てからルイヴィトンの新しいギャラリ―を覗く。表参道をぶらぶら歩きカフェで一休みしてから原宿駅近くの謝恩会場へ。今日は坂牛研OB、現役で僕の6年間の謝恩をしてくれるとの嬉しい企画。
原宿裏の天井の高い素敵な会場。受付で卒業生現役一人2ページずつ僕への言葉と研究室の思い出をつづった本をいただく。これがまあ泣ける。表紙は3パターンあり皆でコンペをしたとか。全国(いやマレーシアもいる)に散らばったOBからメールで原稿を集め3カ月で編集したそうだ。すごいなあ。教師冥利に尽きるなあ。もう思い残すことはないなあ。みんな本当にありがとう。来られなかった人もありがとう。本に書かれた言葉一つ一つ僕の宝。
来た人に一言ずつ少なくてごめん
中根・・・松本からありがとう。建築を忘れずに。
深沢・・・これからは覚えた技を一段ステップアップさせる時期。
芦田・・・甲府の現場は桃の季節。遊びに行くよ。
高橋・・・静岡からありがとう。いい建物設計期待している。
中尾・・・なによりこの本感激。そして名司会。四谷駅楽しみ。
松永・・・本職に戻ってからこそが日建で得たことを生かす本当の時。
田中淳・・あまり話せなかったけれど、地道に建築を。
松尾・・・札幌から来てくれて感激。Be an architectの言葉忘れていてくれなかったね。
片岡・・・春のオープンハウスを楽しみにしているよ。
山田・・・社会人になってからこそ思考を止めず、少ない時間に効果的に読書を。
鈴木・・・無事YGS修了おめでとう。これからだね。
兼子・・・静岡からありがとう。役人が馬鹿だと町がダメになる。頼むぞ。
平岩・・・新潟からはるばるサンキュウ。「やめる??会社??」
松田・・・神戸からありがとう。久々に毒舌を聞いて気持ちよかった。Continue.
望月・・・東京タワーの見えるマンションに引っ越したら遊びに行くよ。
小倉・・・富山からありがとう。就職活動頑張れ。相談にのるよ。
山卓・・・建築史家になるだけではなく。建築すべてを語れるように。
高木・・・ゼネコンでしこたま学んで屋代で独立を。
香川・・・BAの経験がどう生きるかあせらずじっくりと。
丸山・・・自分のどこかが変わったはず。
田中くに・4月からの東京生活がんばって。遊びにおいで。
藤岡・・・藤岡も光も2年生のころの感覚が院になってもしっかり残っているものだ。それは自分の持っている原型なんだ。
西浦・・・西浦と光とノブとでもっとサッカーしたかった。
朝日・・・だいぶぼろくそ言ってきたけれどその分すごく成長したね。
久保・・・さてさて4月のファッションショーが楽しみだ。連絡くれよ。
林・・・・T工務店惜しい。でも就活はその連続だし、惜しいなんて思わず次へ。
植松・・・子供施設で張り合おう。いい建築ができたら皆へ連絡を。
門井・・・残りは仙台でうさを晴らしておいで。
竹之内・・装苑賞お祝いパーティ楽しみにしている。
鶴見・・・エキセントリックで口が早くて。英語ができて。その調子。
長田・・・地道にしっかり建築を作れる人。君の原型だ。
松崎・・・卒計、面白かったよ。ぼろくそ言ったものって、気になるものなんだ。
毎年やろうね!!!!!