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by 卓 坂牛
菅野朋子『ソニーはなぜサムスンに抜かれたのか―朝鮮日報で読む日韓』文春新書2011を読む。そう言えば21世紀に入ってから韓国はすごい国なった。サッカーは昔から強かったとはいえワールドカップで4位になったし、冬季オリンピックでは金メダル5個でアジアナンバーワン。知力を見ても読解力じゃあ韓国2位、日本8位。数学力では韓国3位、日本は9位。そして産業でいえばこの本のタイトル通り、ちょっと前までサムスン?安いモニター売っている会社くらいに思われていたのがあっという間にその辺の携帯はサムスンだらけ。そして芸能界を見ても日本でAKBが騒れている横からKARAや少女時代が圧倒的実力差で日本に上陸してきた。
韓国のこの力は素直にすごいと思う。見習うべきところは見習わないといけない。でも僕は、国家とはバランスであり、金の使い道は1位になるためにあるのではないと思う。女性大臣が言っていたように「2位じゃ駄目なんですか」という精神を忘れてはならない。競争心の旺盛な日本人は悔しい思いをしているかもしれないが、韓国が日本をさまざまな面で抜いていくことはある意味、歴史の必然のような気もする。
僕がアメリカに行った80年代エズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が英語の教科書になっていた。出版されてからすでに5年以上たっていたのに終身雇用制から始まり、日本社会はお手本になっていた。戦後35年で日本はアメリカを追い越していたのだが、それから20年で次の国にある部分では追い抜かれたということである。同様に何年後かは分からないけれど韓国も次の発展する国に追い抜かれるだろう。しかし問題は日本も韓国もその後ではなかろうか。2位だろうと3位だろうとそんなことよりも成熟した社会が本当の意味での豊かさをどのように維持していけるのかという点である。韓国に助けてもらおうと、中国に助けてもらおうとそれで日本が豊かになれる道があるのならそれでいい。ただし、当然、指をくわえてボーっとしていたらインドにだって、ベトナムにだって追い抜かれプライドも実力も皆無のアジアの貧国になる可能性だってある。知恵を働かせて先を見る努力は最低限皆がやり続けなければならないことである。
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by 卓 坂牛
7時半のあずさで甲府へ。駅でカメラマンのUさん、雑誌社のNさんと会いい現場へ。撮影開始。
この住宅は平屋で43坪。3人で住むにはかなりゆったりしている。廊下が東西方向に3本通っているのが特徴である。この3本の廊下はクライアントの住み慣れた家の形式を踏襲したものである。中廊下は日本の明治後半、客人と住人のプライバシー確保のために生み出された。しかしその後都市部の狭小地からは消滅した。そして田舎のゆったりした敷地にのみ残り、クライアントの記憶の中にも染みついている。そんな記憶に少々過剰な(過激ではない)味付けをしたのがこのプランだ。
建築の地方性は長野に6年間いながら少々考えた。それは外観の問題よりもむしろ使われ方ではないかとある時から思い始めた。それは善光寺門前町で外観の形式のみを大事にする風潮に辟易していたこともある。むしろ生活の記憶をカスタマイズしながら連続させ、そして新た世界へつなげる方法をとらないことにはディズニーランドを量産するだけだと思うに至った。
住み慣れた廊下を過剰に図式化し、本来の機能であるプライバシーの確保を越え新たな世界への入り口を作れればと思った。3本廊下によって生まれた各部屋の二つの入り口は住人の動きに偶有性を生み出す。
建築はフレームであり重要なのは生きた世界。3本廊下図式はフレームに過ぎない。偶然性を付与された人の動きがフレームの中でちょっとした意外性を生じさせることが重要である。
遠路はるばる見に来てくれた方には感謝である。天気も良く快適な撮影とオープンハウスだった。
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by 卓 坂牛
朝のヨガを終えて新宿へ。子供施設の設計を頼みたいという新たなクライアントにお会いし昼食をともにする。すでに多くの施設を運営されているお医者さん。老人の施設も子供の施設もこれは福祉ではなく、医者の職能としてやるべきことなのだと言う。現在工事中の塩山の施設と同様のスケジュールだから時間が無い。塩山は正式には去年の4月に認可が下りて3カ月で設計を終わらせた。しかし一昨年の夏に基本設計は終わっていたのである。今回は今から始めて2月中に役所に出す青写真が欲しいという。「ええええええええそんなこと可能なわけないでしょう!!!!!!」と喉まで出かかったが普通に頷いた。そして設計の終わりは6月半ばくらいだろう。4か月で基本と実施が終わるなんていうことは住宅だって滅多にない。でもやるしかないな。
帰宅後昨日から読んでいた新渡戸稲造著、山本博文訳『現代語訳武士道』ちくま新書2010を読む。新渡戸家は母の実家青森県三本木の開拓者。義、勇、仁、礼、信、名誉、忠、、、という倫理観は大事だと思う。でも嫌いだったわざとらしい小学校時代の道徳を思い出し半分読んで放り投げる。続いて伊藤乾『指揮者の仕事術』光文社新書2011を読む。イントロダクションにこれでもかというくらい自分の自慢話が並ぶ。自分は音楽大学には進まず一般大学で初の音楽実技を教える准教授となり、指揮のコンクールにも入選し、有名な指揮者にも教わり、ついでに自分の同級生がオームの犯人でそれを題材に本書いたら良く売れて、そういう仕事も舞い込んで、などなど。本論に入る前に気分が悪くなった。こういう品性だと出す音もひどいだろうなあと思ったら本も読む気がなくなった。明日早いので寝よう。
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by 卓 坂牛
今朝の長野は雪である。模型を運んできたので駅から自転車には乗れない。タクシーで大学へ。研究室に荷物を置いてゼミの部屋に向かう途中で綿のように落ちてくる雪をたどりながら空を見上げる。立ち止まりその雪の行方を追う。白い点々の空間の中に体ごと放りこまれ。点々点々の中でしばし時間が止まる。額に落ちた一片の冷たさで我に返る。「ゼミに行かないと」。綿のような雪に包まれながら今自分の心の中に接触、粘着したできごとを振り返る。「ああ、これはまさに桜を愛でる感性!!」昨日読んだ佐々木健一の『日本的感性』に記されていた日本人が桜を愛でる感性そのものである。意識を集中し何かを対象化する西洋的感性ではなく、何かに包まれ身体的に感じ取る日本的感性なのである。佐々木氏はそれを触覚的と呼んだが。まさに雪が額で溶けることで包みこむ雪は実体化した。白い空のなかで夢の中のような距離感のない白い点が額の上で質量を持つものとなった。
対象が明確な中心のある西洋絵画はモネのころからどこに中心があるのだか分からい多中心な絵に変化した。モンドリアンだって、ポロックだって、そして草間弥生だってみんな多中心になった。そして草間はまさに文字通りの多中心で点点点点になったのだ。その点点点は今日見た雪とそういえば近い。いや、雪そのものかもしれない。点点点を見るとどうにも気持ち良くなる僕の感性はこの雪を愛でる感性であること分かってきた。いつも点点点が好きな自分をどうにもうまく説明できなかったのだがこれからは堂々と点点点が好きだと公言できそうである。
午前中論文発表会のリハ。少し進化したパワポ。こういうのは粘り強く先生も我慢しながらやるしかない。午後市役所で市民会館の建設検討委員会。しばらく出られなかったらすごい活発な議論が交わされる。結構なことだ。もう僕の出番ではない。研究室に戻ると某市の商工会議所の方々来研。東京から運んだ改築案の模型を説明。持ち帰り検討いただくことにする。夕方雑務。夜のアサマで東京へ。
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by 卓 坂牛
なんだか毎日山梨に行っている。現場も佳境に入ると毎週施主定例やってもごろごろ懸案事項がでるものだ。午後のあずさで新宿に。車中『日本的感性』を読み続ける。日本的感性の一つとして佐々木氏のオランダ経験が語られる。オランダでは桜が咲いても誰も関心を示さない。でもチューリップやバラが咲くと興味を示す。これってどういう感性?つまりオランダ(ヨーロッパ)では愛でる花を視覚的に対象化し、日本では花に包まれて身体的に感じ取るということである。これを読みながらああ!コールハースってやっぱり一輪のバラを作る人だし、石上純也は桜を作る人だなあと感じた。まあそれを日本的感性とつなげるとわざとらしい理解になるので敢えて日本と言うつもりはないのだが。夕方事務所に戻り明日の施主打ち合わせの図面と模型を見る。いろいろ注文出しているうちに今晩の電車で長野に行くのを断念。それなら模型写真も撮ることに。
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by 卓 坂牛
7時に長野のマンションを出る。さすがにこの時間の長野は耳が凍りそうに寒い。駅で朝食をとり特急に乗り松本経由で甲府へ向かう。車中『現代思想のコミュニケーション的転回』を読み続ける。言語的転回を言い始めたのはローティーと書かれていたのでコミュニケーション的転回までの3つの転回を筋道立てて述べたのはやはり彼なのだろう。先日のいい加減な要約をもう少しきちんと書けばこうなるか。カントはそれまで物の存在を追求してきた哲学を転回させ、物自体ではなく人の認識側に立脚点を置き、物は仮像として取り扱った。次にソシュールは人が物を認識する上で言葉を用いることで自らの中に像を結ぶことから物自体ではなく言葉が人間世界を生み出しているとした。ではその言葉とは何かというと言葉とは規則であり規則は自分一人では成り立たないことから言葉の成立のためには自分と他人の共存在が必然となる。他人とは自己の対概念であり対概念とは双方の存在が必然である。すなわち自己を認識するとは他を認識することに他ならず、そして他を認識するとは言葉によって合意を生み出していくしか道が無い。それゆえ現在、人は自己を生み出すために他とのコミュニケーションを必然として生きていかざるを得ない。とこうなる(あまりにいい加減な要約です間違っていたら許してください)。
午前中、甲府で住宅の施主検収。時間はかかったが殆ど大きな問題もなく終了できた。一安心。今週末は撮影とオープンハウスだが、甲府の住宅じゃあまあ誰も来ないだろう。3時半のかいじで新宿へ。車中佐々木健一『日本的感性』中公新書2010を読み始める。佐々木氏はわが学兄の師匠。毎回氏の親書は拝読している。先日「感性無き言葉は不毛だが、言葉なき感性は空虚」だなどと偉そうなことを言ってしまったので、言葉の本を読んで感性の本を読み始めたというわけだ。彼は先ず感性とは何かという問いから始めこう定義する「感性とは刺激に応答する身体化された記憶の活性である」見事な定義としか言いようがない。つまり「感性がいい」とはいかに無意識の底に多彩な印象の粒を沈殿させそれを常に発酵させているかにかかっているということである。
言葉と感性を同時に考えいていくととてつもなく深いつながりが感じられる。
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by 卓 坂牛
朝一で主査の意匠系修論4通、副査の歴史系3通、心理系3通を受け取る。全10通の1000字要旨を精読する。悲しいことに歴史系の3通と心理系の3通の論理的で分かりやすい文章に比べるとわが研究室の意匠系4通の文章は何を言っているのか分からない。もちろんフィールド調査をして何かを明らかにする歴史系、実験をして何かを評価する心理系に比べて、何かを創造する意匠系の論文(論文付き設計)は論理性をどこかで飛び越えなければいけない。その宿命を負っているだけ大変である。しかしそこを分かりやすく言えるようにならないとレベルの高い設計を今後進めていくのは難しい。つまり社会に出れば嫌でも分かりやす説明が求めらる。その時に言葉の無い設計者は自分の持つ志の高い設計理念など説明困難になり、誰でもが分かる凡庸な言葉で説明される俗な建築を提示するしか道がなくなるのである。
9時からの学科会議後昼締切の2年生のレポートを受け取る。飯もそこそこにレポートを読む。1時に引っ越しやが見積もりにきたけれど、レポートを読み続ける。試験期間中なのに良く書いたと褒めてやりたいところだが、どうも参考文献やネットの写しのようなものが多くみられる。自分の問題意識に引きつけられているものは数えるほどだ。
2時半に某市役所の方がやってくる。プロポーザルの審査の依頼。最後の長野奉公と思いお受けしたいところだが、プロポーザルは何時でもどこでも提出側の不満が募るもの。その原因は二つある。一つはプロポーザルと言っておいてコンセプトのプロポーズを判断するのではなく単に事務所の経歴と規模を国交省の採点基準で判定すること。二つ目は応募資格のハードルが高いこと。もし業績と規模と同様施設の実績を重視するなら最初から大手事務所の指名にでもすればよい。プロポーザルにするなら先ずはアイデアを評価する仕組みにして業績の点数を下げ、応募資格のハードルを下げること。これを理解してもらえれば引き受けると返事をする(本当は出したいところだが、先方の応募条件のままならそもそも自分も提出できないからまあいいのだが)。
夕方修論、卒論の発表リハ。提出したその日のリハだからどれもこれもひどいものだ。どいつもこいつも腫れぼったい眼で。まああと一週間で人に分かるプレゼンをしてくれ。
本日帰宅を予定していたが、山のような雑務に追われてとても帰れない。明日の甲府は長野から行こう。