On March 12, 2011
by 卓 坂牛
テレビから流れる悲惨な状況に何かせねばという気持ちに駆られる。駆られながらも今ここでどうすることもできないジレンマも存在する。でも湾岸戦争や、9.11の時はそうした切迫した気持ちになはならなかった。遠い世界だからという理由なのだろうと思っていた。しかし和田伸一郎『メディアと理性』NTT出版2006を読んでみたらどうもそれだけではないことが分かってきた。
和田はベトナム戦争の写真と湾岸戦争のテレビを比べ、前者は人を駆り立て反戦ののろしに火をつけたが後者は人を駆り立てないと指摘する。そしてその理由を3つあげる。
① テレビを見るリビング空間とは家族が団欒する場所であり画像に真剣にのめりこむ場所ではないから。
② テレビのニュースは4コマ漫画のようにさっさと画像が切り替わりこちらに思考する時間を与えないから。
③ テレビニュースがしつこいほどに露呈する画像に見る人は慣れてしまうから。
これらはテレビが1世紀くらいの歴史の間になってしまった結果的状況なのだが、それらによって我々はテレビニュースの悲惨な状況に無頓着になり何のジレンマもなく居られるようになってきた。最初にテレビを見た人はきっとジレンマにさいなまれていたはずである。慣れていなかったから。我々は画像の向こう側を見捨て、テレビは我々を見捨てたのである。
そう私は湾岸戦争を見捨て、9.11を見捨てていた。しかし今回はどうも違う。同じテレビではあるが僕は昨夜ホテルの1室でニュースを見ていた。しかも4時間近くである。画像の中にのめりこみ、建築と、人の生活とそして自分の職業について考えざるを得なかった。いくら考えても答えの出ないようなことを4時間考えるはめに陥った。そして分かったのだが、昨晩は①から③が起こらなかったのである。昨晩のテレビはテレビではなかった。状況は予測を大きく超えてしまいテレビはやろうとしたことができなかった。状況に振り回されるだけだったのだ。それが僕をして考えさせたのである。テレビはテレビではなく、やろうとしているこができない時、やっと見る価値を持ったものになれるのである。
On March 11, 2011
by 卓 坂牛
小諸でのプレゼンが終わって、市の都市計画の方とお話している最中に建物が揺れ始めた。余りに揺れが長く二人で建物の外に飛び出した。道路には隣の専門学校の学生がどんどんあふれ出てくる。しばらく寒空の下、動けなかった。建物に戻りテレビをつけた。日本中でとんでもないことが起こっている。帰りたいのだがJRが動かない。仕方なくしばらくテレビを見続ける。この地震による壊滅的な被害が刻々と報じられる。しばらく声も出なかった。
小諸から長野に向かう3セクの電車だけは動いているということなので駅に向かう。2時間かけてやっと長野にたどり着いた。とにかく事務所と家に連絡したいのだが電話が全くかからない。固定電話も駄目である。ホテルでコンピューターメールを送りやっと返信があった。事務所にいる5人はそのまま泊まり。現場に出ている2人とは連絡がとれないとのこと。心配である。
テレビからは連続的に被害状況が累積されていく。さっきまで100人弱だった被害者だが、突如仙台の若林区荒浜で200人以上の溺死者が見つかったとのこと。これから夜中にかけて津波が来るとハードな被害はまだまだ増加する可能性もある。
それにしてもこんな長い時間テレビに釘付けになったのは初めてである。テレビ独特の事件を作り上げる作為を感じないからかもしれない。この手の天災、人災の時に往々にしておこる作られた映像、作られたインタビュー、作られたコメントが少ない。それはこの数時間テレビの予想を超えることが起こっているからのだろう。今回の状況がメディアに事実を不当に脚色する暇を与えないからであろう。
それにしても政府報告に対して相変わらず上げ足を取るようなくだらない質問をする稚拙なジャーナリストが多いのには呆れる。
On March 10, 2011
by 卓 坂牛
●明日のプレゼン模型
朝のアサマで事務所へ戻る。明日のプレゼンの模型が夕方できた。3月末はばたばたである。なんとかここをくぐりぬけて4月へ入りたい。
塩山で工事をしていた児童養護施設が3月末に竣工する。そのオープンハウスを20日に行うことにした。
児童養護施設はご存知の通りタイガーマスク現象で一躍脚光をあびる施設となり、厚労省もあわてて施設基準の見直しを行っている。それにしても子供一人当たり3.3㎡という施設基準はあまりに貧しい(今回の見直しで5㎡弱に広げられた)。そんな基準を前提として補助金が出るから空間も貧弱になりがち。そこをなんとか広がりとおおらかさを持った空間を作りたかった。水平方向への開口を連続させているのもクローズドにならないため。柱型を出さないように壁構造。敷地が実に狭く高さは高圧線で押さえられているのでキャンチの床を多用している。しかしそれを使って広い外部エントランス空間を生み出した。中はふんだんに木を使い外部とのコントラストを作り柔らかな色も破片のように壁に飛散させた。
●ブドウ畑から見るとこんな感じ
●エントランスの巨大キャンチレバーの軒下
オープンハウスのチラシはこちらからダウンロードください
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On March 10, 2011
by 卓 坂牛
午前中最後のゼミ。4月から違う研究室に進む学生達の研究方針を聞く。ちょっと不安も残るけれど後は自力で頑張って。午後研究室の大掃除。僕の部屋の中身はクロネコ引っ越し便で東京へ。段ボール31箱と椅子スタンドなど見事に部屋は空っぽになった。ここに来た時部屋中を白いペンキで塗りたくったのだが出る時は原状復帰せよと言われドアだけベージュ色にペンキを塗る。白いままの方がきれいなのに。廊下の壁には散々コンペ案など張ってきたのでペンキがぼろぼろに剥がれているここには白ペンキを塗る。
終わって皆で食事。仙台日本一決定選の様子を聴いた。竹之内10選に残り、植松が24番、松嵜が32番。どんな理由でこの結果なのかは分からないけれど健闘したというところか。来年はもっと上を目指し頑張って。
栃木での打ち合わせを終えて大宮から長野へ向かう。車中細川周平の古典的名著『レコードの美学』勁草書房1996を読む。細川の博士論文である。本書は言うまでもなくベンヤミンの名著『複製技術時代の芸術』の啓示のもとにレコードという19世紀末の複製技術について書かれた本である。そして重要なのはそうした複製技術がもたらした芸術の様態を社会学的に考察するのではなく美学的に考察した点である。つまり、レコードからの音楽聴取が受け手にいかなる美学的な変容をもたらすかを探求したところに本書の価値がある。その中で僕が最も興味深かったのは、レコード聴取の反復性とは同じ音を何度も聞くことではなく、一回一回の中に積極的に異なる音を聞き取ることであると見抜いたところである。曰く「レコードの悪しき聴取者とは、そこに機械論的な因果関係しか見ず・・・必然的な循環しか聴かない人間である。・・・良き聴取者にとってレコードをかけ直すことはまさに遊び直す(re-play)である・・・」
これはもう少し分かりやすく言えば、コンサート会場で一回性のアウラを聴くこと以上にi-pod(レコードの現代版)で様々な場所で音を聞くと言う聴取状態においてはその時のさまざまな環境や心理状態の差によって聴きとる音に差異が生じるということである。
このレコードの持つ機会性は実に建築的でもある。僕が常々思っているように建築とは録画なのである。毎回毎回同じものであるという点において録画である、細川の言葉に置き換えればレコードなのだと思う。しかし細川が言うようにそうしたレコードには機会性がありそれを感じ取る良い聴取者が望まれる。ではそうした良い建築聴取者を生みだすためには何が必要なのであろうか?建築はi-podと違って移動はしない。しかし移動しなくとも周囲の環境は変化する。内部の状態も変化する。そうした変化を感じさせてやることが良い聴取者を生みだすはずである。つまりレコード以外の何かが建築を良いレコードにして良い聴取者を生みだすということなのである。そう考えるとやはり建築はフレームでありそこに生まれる機会性の中に建築の持続性があるように思うのである。
始発のアサマに乗り長野へ。これに乗るにはかなりの早起きである。この時間四谷駅の中央線ホームは未だ開いていない。午前中最後の教室会議。まだまだ学科の仕事はいろいろある。試験、そして卒業式。昼に研究室の備品のチェックをしてもらい、午後一のアサマでとんぼ返り。車中『足が未来をつくる』を読み続ける。映画からテレビに変わった時イメージがビジュアルに変わったという。イメージは見るものであり、ビジュアルはその中に入って感ずるものだと言う。それは録画かライブかという差も関係する。また60年代を境に視覚から眼差しへ視覚論の位相が変わったという。何が見えるか?から何をいかに見るかに変わったというのである。なるほど面白い指摘である。理科大に向かう。研究室所属の面接をする。これまでの製図作品を見せてもらう。皆なかなか面白い。これは少し嬉しい。
朝から原稿の骨格づくり。しかしやり始めてもちょくちょく来るメールに答えたり、思い出した郵便物まとめたり、そんな雑用が仕事を切り刻む。昼を食べてからやっと書き始める。4時ころまでどんどん書いて四谷のジェクサーに行って一っ走り。汗を流して戻ってまた書く。今日長野に行こうと思ったが明日の朝一の電車で行くことにする。
原稿書きながらこの本(人間主義の建築)の著者ジェフリー・スコットが美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンの影響を強く受けていることを痛感。感情移入美学を紹介するだけではなく、建築を空間としてとらえる当時のドイツ形式主義の視覚優先論がここにも表れている。
ところで視覚はフィドラー、ヒルデブラント、ヴェルフリンと繋がるドイツの芸術学者によって形作られそして5感の王様になるのだが、海野弘『足が未来をつくる』洋泉社2004を読むと彼はマーティン・ジェイの『伏せられた目――二十世紀フランス思想におけるヴィジョン非難』(1993)を紹介し視覚の変遷を次のように説明する。「それによると古代ギリシア文化は視覚中心であった。・・・・ところが中世になると視覚は第一の座からすべり落ちてしまう。そして、聴覚や触覚が最も大事な感覚とされていたという」。しかしその後活版印刷の発明、カメラの発明が視覚を感覚の王の座に押し上げたというわけである。
視覚優先の時代はそう簡単に壊れるわけはないのだが、他の感覚も我々の生活を豊かにしているということをわれわれはもっと自覚的になった方がいいと思う。
朝から『人間主義の建築』の翻訳序文にとりかかる。と言ってもそのために1980年版のディビッド・ワトキンのイントロダクションやその他の文章を読む。ワトキンのまとめではこの本の要点は4つ
1)19世紀に建築を説明したり正当化するのに使われた、倫理、生物学、機械論を否定した。
2)感情移入理論に基づく建築美学を紹介した。
3)バロックを理想的人間主義原理の表現として肯定した。
4)空間に価値を置く建築解釈を展開した。
一般にこの本は2)の意義が強調されるのだが、4)に指摘されているとおり、ドイツフォルマリズムの流れを汲み、特にヴェルフリンの影響が色濃く出ているというのは他の論文でも指摘されている。
まあこうした歴史的位置づけはよしとして、人間主義がどのように現代的文脈で意味を持つかを書くのが僕の役割であろう。それは明日考えよう。
夕方事務所に行きスタディの進行を見て打ち合わせ。夜理科大の先生たちと食事。人数が少ないから家族のようである。
午後Tさんと設計打ち合わせ。いいこと言うな。スタディが増えるのだが良くなるスタディは大歓迎。ありがたや。
夕方ジョック・ヤング(Young, J.)『後期近代の眩暈』青土社2008を読む。後期近代とは1960年代後半以降のことであり、そこでは社会が包摂型から排除型に移行し始めたという。そしてこの排除型社会の惨状を著者は眩暈(vertigo)と言う言葉で表現している。資本主義の急速な進展とグローバル化は仕事の効率化を生み必然的に人員削減を招き失業率を上げる。加えて構造的世界不況がそれに追い打ちをかける。そこでは経済的に不要とされるアンダークラスが生まれるだけではなく、逸脱行為に対する不必要なまでの不寛容さが蔓延すると指摘する。経済的な崩壊は家庭も壊し、離婚率も上げ、シングルマザーも増加させる。そうした家庭は経済的に困窮しその子供は満足な教育も受けられないという悪循環を生む。そしてそういう子供を排除する社会が生まれていく。そういう子供の逸脱行為は普通の家の子供のそれとは同等には扱われない。
要は世の中の歯車に乗れない多くの人々を排除する社会が構造的に世界的に生まれてきたということなのである。ジャック・アタリの『国際債務危機』を読んだ後だとこの眩暈がリアリティを持って響く。しかし、こんなことがまかり通る社会は断じてまずい。
『国家債務危機』を読んでいるとフランス革命だってとどのつまりは財政破綻であることが分かる。金にいとめをつけずに贅の限りを尽くせばああなると言うことだ。
一方フランス革命を哲学的に見ればデカルト的世界(理性的世界)が社会を変えたということになる。しかしそのデカルト的世界が突き進んだ結果はとても理性的とは言えない二つの大戦争を生んだ。そしてそれは経済的に見ればやはり財政危機を乗り越えていくための政治手法だったわけである。
バタイユの専門家酒井健による『シュールレアリズム』中公新書2011を病院の待合室で読んだ。彼らは戦争にデカルト的世界の無力を見出だしそれへのアンチテーゼを突き付けたと記されている。つくづく理性とは何なのだろうかと考える。経済を救えず、そして文化を陳腐化させる。理性は不要なのか?いやそれでも理性はもちろん世の要である。理性を越えたメタ理性が必要だと言うことであろうか?