On April 29, 2011
by 卓 坂牛
朝早く目が覚めた。山本耀司、満田愛『MY DEAR BOMB』岩波書店2011を読む。どういうわけか暁星高校から慶応に行ってしまった若い学生は大学が嫌になって母親の洋裁店を手伝おうとした。すると縫製の勉強をしてこいと言われて文化服装学院へ行った。それが服飾の道へ進むきっかけ。旅に出てローマに着き、町ごと全体が美術館のようで胸やけがしたという。創作へのエネルギーが垣間見られる。僕も最初に行った外国の都市がローマであり、その重厚さに辟易した。若いエネルギーにローマは意味が重すぎる。
物を創る人が書いた本の中では数少ない共感できる本である。やっぱり生まれ変わったらこっちの世界に行きたいな?
以下気に言ったフレーズ
・その頃の日本の女性は、当たり前のようにとてもフェミニンな輸入服を着ていて、それがどうにもいやだった。
・パンクはどこまで行っても餓鬼である。
・わたしは真珠も嫌いである。貝を割って、中から形のよいものだけを選別して、歪んだものはダメ、などというのは醜い
・イヤリングなどしていようものなら、その人にはまず近づかない。
・創作行為の重要な部分は、一生懸命見ること
・どんな分野であろうと、生きることに疑問をもつ人間でなければ、ものは作れない。
・ダメなときはダメでよい。
・女を売りものにしているような人にはまったく、まったくセクシュアリティを感じない。
On April 28, 2011
by 卓 坂牛
竹内修司『1989年』平凡社新書2011を読む。1989年とは天皇が崩御し、天安門事件が起こりそしてゴルバチョフとブッシュがマルタ島で冷戦の終わりを宣言した年である。大喪の礼には世界の首相、大統領クラスが出席したもののソ連と中国は外相クラス以下しかよこさなかった。天皇の共産主義へのトラウマは逆の形で現れたのだが、その同じ年に冷戦は終結したと言うのはなんとも歴史の皮肉と言うべきである。
冷戦は終結しても世界には未だ共産主義は残存している。何と言っても世界の最強国の一つである中国がそうであることはある意味不思議でもある。たとえ完全な計画経済の体をなしていないとは言え共産党一党独裁の形で存在しているこの大国はいつまでこの姿を維持するのだろうか?中国に民主化は訪れないのだろうか?
On April 27, 2011
by 卓 坂牛
午前中事務所で打ち合わせ。午後リーテム東京工場に行きいくつかの改修要望を聞く。先日の地震時に何か問題が起こったか聞いたが何もなかったようである。液状化を心配していたが城南島ではそういう個所は無かったようである。ただ敷地全体の地盤沈下が結構大きいのが気になった。そしてそれは今回の地震が原因でもなく。今までにじわじわと下がっているようである。リーテムではシュレッダーを置いている基礎だけが支持杭。建屋は摩擦杭。機械周りのカバーは杭無。ヤードは地盤改良。そこにおいてシュレッダー基礎だけが周囲のコンクリートから10センチ程度高くなっている。そう言う個所は他には全くない。ということはシュレッダー基礎以外が10センチ程度下がっているとしか思えないのである。もちろん道路もである。でもそんなことって本当にあるのだろうか?
On April 27, 2011
by 卓 坂牛
信大の教え子が装苑賞の最終審査に残り、彼らの作品が文化服装学院での最終審査で公開されることになった。装苑賞は数多ある服飾の賞の中でも最も歴史が古い。今年は第85回である。第8回で高田賢三が、第21回で山本寛斎が、第25回で山本耀司が受賞してきた賞である。今年の応募総数は1500以上あり2回の審査を通過して16作品に絞られている。そこに残っているのは服飾の学校の在校生か卒業生であり建築学科の学生が残るのは奇跡に見える。と言うわけで今日のショーには万難を排してやってきた。16人のファイナリストがそれぞれ3つの作品を作る。それらを3人のモデルが着て3分くらいずつステージをウォークする。モデル、ヘアメークも超一流なので若手の登竜門とは言え見ごたえがある。
一体どういう作品が1等賞になるのだろうか興味深かった。審査委員は岩谷俊和、コシノジュンコ、田山淳朗、津森千里、菱沼良樹、丸山啓太、皆川明、山本里美である。自分なりに採点はしたものの、結果は大きく異なった。建築屋(僕)は造形とディテールを見たのだが、審査員はそうでもないようである。菱沼良樹は「造形の時代は終わったと思う」と言っていた。まるで建築家みたいなことを言う「フランクゲーリーを面白いと思っていた時もあったけれど、今はもうつまらない」とも言っていた。と言うわけで形より、考え方が面白い服が二つの賞を独占した(親戚の顔が沢山描かれたブラウス)。しかしやはり一等賞は造形的な服だった。竹串を曲げて入れ込んだ鳥のような服だった。
On April 25, 2011
by 卓 坂牛
午前中教室会議。たっぷり午前中いっぱいかかる。午後事務所で打ち合わせ。昨日はいった泥湯の泥の色を再現して欲しいとスタッフに指示。3時からのコンペ打ち合わせが大幅に遅れて4時半からになる。その後ゼミ。6時から講義。終わってから部屋で雑用していたら学生部屋に呼ばれる。ショートケーキが用意されていた。おっと今日は誕生日。みなさんありがとう。いやだね。一歩一歩死に近づいていく。誕生日プレゼントは、霧箱入りしぼりたて原酒。死に至る病の予感。
On April 25, 2011
by 卓 坂牛
●別府市内の竹瓦温泉。道後温泉のような風格
別府には沢山の温泉がある。玉川さんに3つの温泉を案内してもらう。最初は道後温泉のような大正時代のお屋敷シェルターがついたもの。特徴は内部空間の荘厳さ。特に天井が高い。二つ目は主として露天の泥湯。お湯の中にも泥が溶け込み、加えて底に粘土質の泥が沈殿している。歩くと足に吸いつき不安定なので、つい爬虫類のように4足歩行になる。また自然の妙で深さが70センチくらいあるだろうか普通にお尻をつけてはいると口のあたりまで湯があり正座すると調度いい。3つ目は現代的なスパのようなもの。様々なお湯(蒸し湯、砂湯、歩行湯、うたせ湯、檜風呂、ひょうたん湯)がチョイスできるようになっている。砂湯に入り体に砂をかけて10分体中から汗が噴き出してきた。
理科大3年最初の課題を「スパ」としたので自らお湯体験に挑戦。いろいろと得ることがあった。
On April 24, 2011
by 卓 坂牛
考えてみれば、恩師篠原一男の母校東京物理学校に僕は赴任した。これもなんかの縁かもしれない。学長に読めと言われた馬場錬成の『物理学校』中公新書クラレ2006を大分への機中に読んだ。この学校の理学部上位の環境が理解できる。東京理科大の前身東京物理学校は日本初の理学士たちが身銭を切って作った学校であることを知らされた。未だに理学部支配が続くこの学校の環境はその延長にあるわけである。昼、大分空港に着いて児童養護施設光の園を見学。施設長さんの説明を聞き約4時間。熱が入る。夜も食事をしながら話を聞き。現段階の栃木の建築計画を見せた。これは自分たちの考え方ととても似ていると言われホッとした。
On April 23, 2011
by 卓 坂牛
夕方大学に行き新しく入ったプロッターを見る。なかなか立派。徐々に研究室の設備が整ってきた。夕方製図の授業。5つの製図室に分かれてのエスキス。大きな部屋は3グループが集まってやるので少し煩い。先生の声が学生に届いているのか少々心配になる。各班を見ながら様子を見る。コンセプトシートはそれぞれ作って来ているようだが未だ駄目である。もうひと頑張り。夜日建ナイトフォーラムでシンポジウム。五十嵐さん、中川さん、僕で20分ずつ話をして質問を浴びる。来ているのは日建の若い社員。一生懸命企画して頑張ってやっている。日建設計もますます大きくなって体質も少しずつ時代のニーズに併せて変化しているようである。終わって懇親会。五十嵐さんは「矩形の森」という建築を作るくらいだし、篠原一男を意識しているのかと聞いてみたら、大好きな建築家だと言っていた。合点がいく。日建では被災した大学の学生を1カ月ほど預かってオープンデスクをし、今日が最終日。彼らも参加。学生の面倒を見ている福屋さんも来る予定だと聞いたが明日が早いので先に失礼した。体調は未だすぐれず。
On April 21, 2011
by 卓 坂牛
『上野千鶴子に挑む』所収の宮本直美の論考「「二流の国民」と「かわいい」という規範」で著者は「かわいい」とはそのラベルを張り付けた対象が決して他の存在を脅かさないものであると定義する。それゆえ「かわいい」に憧れる日本の女性とは他の存在(すなわち男)に屈服することを暗に認めているわけであり、それは自らの自律を放棄した「二流の国民」であると切り捨てる。なるほどそうかもしれないと思う一方、昨今の若い女性が「かわいい」の呪縛されているのだろうかと少々疑う。確かに「かわいい」は多かれ少なかれ現代日本文化に表出する一つの価値観であることは疑う余地が無いのだが、ではそれは女子文化特有のものかというとそうとは思えないからである。繰り返しになるがそれは日本全体に蔓延する風邪のようなものであり、女子特有とは言い難い。これは自分の指導してきた学生を見てもそう思うし、女子高生の娘を見ていると更にその感は強くなる。
On April 20, 2011
by 卓 坂牛
今日はとても大事な仕事があったのだが、昨晩急遽キャンセルした。6つの設計事務所と面接してとある建物の設計者を決めなければならなかった。しかも審査する側は僕も含めて3人。これだけ多くの人のスケジュールを御破算にしてしまったのは始めてである。申し訳ない。よりによってこんな日にこんなことになるなんてと思うことが増えている。マーフィーの法則(If it can happen, it will happen)は正しい。一日寝て起きてシャツを替えるを繰り返す。普通の風邪ならだいたいこれで直るのだけれど今回のはしぶとい。