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Apr 2011

国立と私立の違い その2

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by 卓 坂牛

昼に大学の教授会。信大は完全週休二日制だったが私大では土曜日は普通に平日のようである。
学部長が司会をしながら議事が進む。一般に公立大学において最終決定権を握るのは学長でありその下に各学部の学部長がいる。学部長は中間管理職であり、たいてい学長寄りで教員からの批判はとりあえず学部長へ集中する。会議で学部長はよく攻撃されていた。しかし理科大の場合(私大の多くは)最終決定権は理事長にある。学長というのは理事長が連れてきた理事長補佐のようなものでしかない。よって普通の大学ではあまり顕在化しない理事会と教員という二つの集団間に想反する利害関係が発生する。そのせいか学部長は教員の信頼が厚いように見える。
先日は予算やスペースにおける国立と私立の差を感じたが今日は経営の差を見た。
夜上野公園内にある寛永寺清水観音堂の庫裡で花見。だれかのつてで滅多に入れないところに入れていただいた。上野の夜桜は節電で拝めないのだが、この観音堂の前だけは何故かライトアップされて大勢の人が訪れていた。この庫裡は伊東忠太の設計。理科大の学生先生など集まり夜桜を楽しむ。
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「生まれてきて良かった」

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by 卓 坂牛

一昨日の竣工式で学園の方からこんな話を聞いた。園では既に子供たちが引っ越しを完了させていて学校に通い始めている。新しい園舎で子供たちは大喜び。今まで大暴れして喧嘩ばかりしていた子供たちがいたって静かに落ち着いて暮らし始めた。皆が新しい建物を大事に使おうと蹴っ飛ばしたり殴ったりはしなくなった。そしてちょっと泣ける話。札付きの悪で自傷行為に走り物を壊し余り話さない女子高校生がぽつりと言った「生まれて来て良かった」って。
そんな話を聞いて僕はじーんとなり、一体何が子供たちの心を安寧にしているのだろうか?と考えた。最初の内はきれいで広い場所に移れたから。自分たちが社会に大事にされているという安心感がここから芽生えたのだろうと思った。でもそれなら彼らを新品のマンションに住まわせたら同じ効果があるのだろうか?と考えてみた。きっとそれほど上手くいかないのではないかと思った。
では何が子供心に訴えたのだろうか?きっと丹念に丹念に子供たちの生活を考えて考え抜かれたデザインがそこにあるからだと思った。既成の何かを「さあ使え」というのではなく。あなたたちのことを考えあなたたちのために作ったのだよという苦労の跡を感じ取れるからなのではないかと考えた。
建築は人の気持ちを変えることなどできないと半ば諦観していたのだが、そんな心を動かされ少し熱くなる一言だった。

うれしい感謝状

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by 卓 坂牛

7時半のあずさで塩山へ。クローバー学園の竣工式。そう言えば信大に赴任した年の4月にリーテムの竣工式があり、理科大に赴任した4月にこの竣工式だから6年ぶりである。市長や県の役人、近隣の方など招いてプレイルームで行われた。生まれて初めて感謝状なるものを頂戴した。普通はこんな紙きれは形式的なものなのだろうが、今回はクライアントの正直な気持ちが書かれているようでとてもうれしかった。
昼のあずさで東京へ戻る。往復の車中、大朏博善『放射線の話』ワック2002を読む。昔物理で習ったようなことの復習みたいな本である。核分裂、核融合、レントゲン、キュリー夫人、放射線が体内で起こす電離作用、それは遺伝するのか、チェルノブイリとスリーマイルの決定的な違い、放射線漏れと放射能漏れの決定的な差、などなどよく分かった。知っているつもりのことを沢山忘れているものである。午後事務所に戻り打ち合わせ、そして大学へ。会議、会議、そして歓送迎会。

プレゼンばっちり

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by 卓 坂牛

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●緩やかに傾斜のついた公園の上端に位置する多目的施設 コンセプトは「町の顔」 デザインボキャブラリーは1,マウンテンエレベーション、2,パークシークエンス、3,ビッグピロティ 
ひどくべたなコピーだが、このくらいにしないと素人には伝わらない
久しぶりに乗る長野新幹線。このプロジェクトは一生忘れられない。前回の打ち合わせ中に地震が来てテレビにかじりついていたのだから。2時前についてぶらぶら歩いて商工会議所へ。最後の打ち合わせにして最初の会頭へのプレゼンである。40分ほど資料をもとに説明をした。さてどんな反応か?「素晴らしい。これを新しくできた景観条例のモデル建築にして商店街もこれを見習ってデザインさせよう。できるのが楽しみだ」と大絶賛。建築のプレゼンをしてこれほど喜ばれたのは初めてである。分かりやすい資料と分かりやすいコピーが効いた。
夕方のアサマで東京へ戻る。車中、井上章一『夢と魅惑の全体主義』文春新書2006を読む。ムッソリーニもヒトラーも建築もさることながら凄い道を作ったことがよく分かる。道による権力の景観を作ったのである。
長野通勤が無くなったせいか本屋(丸善)に行く機会が減ってしまった。久しぶりに丸善に行ったせいか読みたいものが山とある。カートに一杯お買い上げ。信大では最初の内は公費で本を買っていたがある時期から研究費が少ないので全部自費で買うようになっていた。理科大ではもはやその必要はなさそうなのだが、まだ買い方が分からないので今日は自費。宅配を頼んで事務所に戻る。

ICカードで出欠チェック

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by 卓 坂牛

朝一で事務所。明日持っていく基本構想書のゲラに赤入れてから大学へ。補手の田谷君が大量の書類をメールボックスから運んできてくれた。これをすぐに全部読むのはとても無理。とりあえず分類してパンチしてバインダーに閉じる。サンドイッチを買ってきてもらい食べながら書類に目を通す。食後、製図助教の呉君と製図課題の打ち合わせ。延々話していたらICカード説明会の時刻を過ぎている。あわてて会場へ。あれあれ人が少ないね。このICカードなるもの結構凄い。ICカードと言っても学生証、職員証のプラスティックカードのことだが、授業の出席をこれでとるというのである。教室にはすべて駅の改札のようなタッチパネルがあり学生は授業に来るとこのパネルにタッチする。そうすると出席だけではなく何時にその教室に入室したかまでが集計されてウェッブ上で一覧できると言う仕組みである。便利と言えば便利だが、不気味と言えば不気味である。しかし代返ならぬ代タッチを食い止める方策は無いとのこと。
研究室に戻り本棚の整理、購入すべきもののリストアップ。事務に行ってものの買い方の指導を受ける。すべては紙で行うのが理科大方式。こういうアナログは楽でいい。信大時代はなんでもコンピューター入力。入力中に分からないことが多発したり、フリーズしたりでストレスがたまったものである。紙で楽ですと申し上げると、「私がコンピューター入力するのですよ」と事務の女性に言われた。うーんそれは大変である。しかしありがたい。

図式の強度

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by 卓 坂牛

玉川さんと上野で待ち合わせ。古河まで快速ラビットに乗る。車中設計の考え方を延々と話し続ける。
今回の設計はとても図式的である。三ツ矢サイダーのような平面形の棟が二つとその矢の一本を切り落としたような平面形の棟が一つ。そして三角形の管理棟である。玉川さんはそれが学生の設計のようだと言う。僕もそう思う。学生が課題で出して来たらきっと幼稚なプランだと言うかもしれない。玉川さんはこの三ツ矢サイダーをもっと敷地になじませながら三ツ矢の方向を自由な角度にした方がいいと言う。つまりY字にしたり、T字にしたりと言う。僕もそう思う所もある。しかしこうした図式的な形の持つ強さもあるはずである。確かに三ツ矢サイダー1棟しか建てないのならきっとやらないだろう。原アークミュージアムのようである。シンボリック過ぎる。でもここでは4つの棟が関係し合っているのだから、これは雪の結晶がパラパラと舞い降りたようなものだと説明する。
なんとなく理解してもらったのだが、結晶は溶けて流れ出る部分もあるはずだと切り返してきた。まあそういうこともあるかもしれないとお茶を濁す。
しゃべり続け気が付いたら古河。午前中クライアントと施設長になる某大学の先生と打ち合わせ。細かな要望が続く。打ち合わせ後古河で蕎麦を食べて事務所に戻る。早速細かな要望に応えるべくスケッチ。なかなかいい案が思い浮かぶ。その後某施主と海沿いの新しい土地に何ができるかを電話で延々と話す。今すぐ動けないので敷地写真をメールしてもらい、こちらのイメージをメールで送り、メール電話会議である。ある程度イメージが伝わったので電話を切る。その後塩山の設計主旨を送ってほしいとの要望に10分でまとめて送る。お腹が減った。今日は帰る。

archiaid

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by 卓 坂牛

一日バタバタしている。日建設計に行ったら福屋粧子さんに会った。震災にあった東北の学生を引き連れて日建で何かしているらしい。時間が無くあまり細かなことは聞けなかったが、今朝槻橋さんから東北の震災に建築家仲間で手を差し伸べよう(アーキエイド)という誘いが来たところだったので「アーキエイドにはご協力します」と申し上げて別れた。
震災義援金はそれ相応にしてはいるものの世界中からそして日本からも巨額の寄付をしている方がいて頭が下がる。しかしこれからこれらの金の有効な使い道が明らかになり、更に足りないもの、必要なものが見えてくるのだと思う。その段階でさらなる支援をしなければと思っている。

上北沢の家

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by 卓 坂牛

朝雑用してから事務所へ。週末出す基本構想書のドラフトに赤を入れる。2時ころ事務所を出て上北沢へ。貸している親族の家へ行く。借りていた人が3月で出たので内装のリフォームをどの程度するか見に来た。1年ぶりだがこの街も変わらない。建物もあまり変わらない。築35年の木造日本家屋。先日の地震でクラックも入っていない。さすが耐震補強しただけのことはある。瓦が一枚落ちただけである。しかし隣の敷地に落ちたのだから冷や冷やである。内装は少々痛んできたので畳、カーペットは全部張り替え、壁の漆喰もどきも猫にかなりやられたので塗装せねば。不動産屋さんに見積もりを頼んで家を出る。
帰宅途中伊勢丹による。半年ぶりにデパートに来た。いつもは10時くらいまでやっているのに震災後は7時で終わりである。もっとひっそりとしているかと思いきや。いつもと同じですごい人である。
帰宅後河野稠果『人口学への招待』中公新書2007を読む。昨日に続き少子化問題理解の助けと思って読み始めたが、これはちょっと苦手系の本

少子社会日本

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by 卓 坂牛

昼から九段で会議。今日は天気も良く気温も高く桜もちらほら開花。軒並み入学式は中止なので(理科大も)隣の武道館の周りに学生の姿は見えないが花見客が佇んでいる。会議後神楽坂までぶらぶら歩き新入生ガイダンス。教務担当の先生が履修のガイダンス。1時間徹底した説明。理科大二部は卒業するのが大変難しいということがよく分かった。1年から2年になるところで約3割、3年から4年になるところで約4割落第するのが最近の統計だそうだ。ということは4年で卒業できる人は全体の半分と言うことになる。
先生がそれぞれ自己紹介しながら一言。震災に触れない先生はいなかった。僕も震災に触れざるを得なかった。そして震災は日本が日本を根底から見直すきっかけとなっているだろうけれど、この見直しはたとえ震災が無くてもやらなければならないことだった。逆に震災がきっかけとなることで見えにくくなることも多い。大戦後に日本は急速な復興を遂げたがその急速さが弊害を生んだ部分もあった。よくよく考えて手をつけないと同じ轍を踏むことになる。そんな問題を僕らは一緒に考えたいという主旨のことを述べた。
夜山田昌弘『少子社会日本』岩波新書2007を読む。なんだか前に読んだような気になったがそれは上野千鶴子と辻本清美対談本『世代間連帯』岩波新書で上野が頻繁に引用していたからだと気がついた。著者の結論は明確だ。少子化は二つの要因の抱き合わせでおこる。一つは「若年男性の収入不安定化」。二つ目は「パラサイトシングル現象」だそうだ。つまり大学卒業しても独り身だと親と同居し続け、そして収入が少ないと男は結婚をひるみ、女は親が結婚に行かせない。これが欧米だと収入不安定の条件は同じでも親に依存するパラサイトシングル状態を文化的コンテクストが許さないので独立する。収入が不安定なので結婚して二人の収入で暮らすことになる。日本の出生率の低さは深刻である。僕は常々大学出たら家から出ていくように娘には言っているが、僕と同世代の人でも子供をずっと受け入れようとする人が多いのには驚く。
少なくとも理科大の学生は自立心を持って卒業したら親から独立して生きてほしい。しかしそのためには働く場所を確保していかなければならない。経済と少子化もまた連動する話である。

理科大辞令、理工の先生と会う

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by 卓 坂牛

朝理科大に行き辞令式。1号館と言われるお堀端の最上階14階。座っていたら岩岡さんが来た。1年ぶりくらいである。彼は野田の理工学部。僕は神楽坂の工学部に赴任。学長の挨拶がある。学長は光触媒の発見者。科学の絵本も作り、子供科学図書ギャラリーを神楽坂に作ったそうだ。また新しくできた建物の地下には新書図書館も建設中。なかなか発想が豊かな方である。昼は理工の小島さんの後任となった安原さんを紹介してもらった。初めてだと思って名刺をもらいsalhasuという事務所名を見て会ったことがあることに気づく。塩尻のエンパークを見た時横にいて自己紹介してくれた人である。楽しくなりそうである。事務所に戻り打ち合わせ。夕方九段研究室に行く。学生が集まっており掃除と席決め、段ボールの開封。その後食事