最近家の整理で行けなかったジムに行き、その足で病院。午後コンペの審査。どういうわけか会場は東大医学部。20人くらいいる審査員のうち建築設計者は3人くらい。経済、子供、医学、などなど愉快なコンペである。
終わってキャンパスを歩きながら思う。ここはいつ来てもじめじめして陰湿な感じである。それは何故かと考えてみると建物の密度がとても高いうえ、木がでかく傘のように道を覆っているからである。以下僕がよく行く大学の印象を記すとこうなる。
東工大 密度小、緑中
信州大 密度小、緑小
理科大 密度大、緑なし
早稲田 密度大、緑小
それで
東京大 密度大、緑大
密度が大きくなって少なくなった隙間を緑が覆うと空が無くなる。
本郷三丁目からお茶の水に出てJRに乗り換えようと思ったのだが、、、、、またお茶の水にきてしまった。丸善で認知症予防の生活方法について書かれた本を買って再度病院へ。偶然かみさんと遭遇。四谷で食事して帰宅。
前期の早稲田の講義最終回。学生発表後にこんなことを言った。
この講義では建築は誰が作るのか?という問いから出発して、社会の様々な枠組み(ジェンダー、消費、視覚、倫理、世界性、他者性)が目に見えない形で建築家を規定していることを浮き彫りにした。たまさかその表現主体は建築家であったのだが、このことは衣食、あるいは文学、音楽という表現者にまで敷衍できる話である。そしてそういう社会構築的な状態を我々は自然な状態と思うかもしれないが、実はこういう規定力は一つの権力として我々の表現の自由を阻害するものになる可能性を持っている。
ここにいる文化構想学部の学生諸君は表現者になる人は少ないかもしれないが、多くは媒体を通じて表現を支える人になると思われる。そういう君達は常にそうした力に敏感になって流されず確固とした独自の意見を構築する意志を持ってほしい。
君達のプレゼンは年年深みのあるものになってきている。学部の成熟を感じる。一方でネット情報丸写しのような発表もあることが気になる。稚拙に見えようとも独自の意見を論理づける努力を僕は評価したい。表層の知識をかすめ取りもっともらしいことを言う人間はいらない。社会は前者を求めている。
夜病院に行き親父と小一時間話す。話が政治に及ぶ。「民主党は千石と小沢に分裂するだろうなあ」と親父。「千石は力あるの?」と聞く。「あいつは寝技も立ち技もできるやつだからなあ。やはり全共闘世代は修羅場くぐっているから強いな」。
その昔友人のSが「独立するには修羅場を三回くぐった方がいい」と言っていた。それなので、そう感じた時日建をやめた。そして確かにこの修羅場の経験がその後の心の支えとなっている。修羅場というのはつまり何処にも答えが無く、誰も教えてくれない状況の中で難問を解くことである。昨日読んだセス・ゴーディン神田昌典訳『「新しい働き方」が出来る人の時代』三笠書房2011には人生で本当に大切にすべき2つの技術のひとつとして「考える価値がありそうな問題を解決すること」と書いてあった。その意味はグーグルで検索できないような問題の答えをだせることだそうだ。それは修羅場をくぐらないと身に着かない技術である。
会社を経営する友人Mがスタッフの給与のことで「僕の代わりに1人で打ち合わせいけるようになったら500万払う」と言っていたが、これも誰も教えてくれない、何処にも答えが無いような状況で適切な解答を出せる能力を評価する言葉である。
今求められているのはそんな人材である。
●都市の壁に吸盤で貼りつくテント
●テンセグリティを駆使した浮いたようなテント
朝事務所で打ち合わせてから大学へ。Intervention project の打ち合わせ。部屋で1人になり雑用を片づけたいのだが疲れがたまりあまりはかどらず。
夕方大学院のテントを作るという課題の発表会を見に行く。僕は今年は未だ院生を持っていないので参加していないが来年からは加わることになる。僕以外の歴史計画の先生と非常勤講師のヨコミゾマコトさん佐藤淳さんらの指導課題。単一材料を使ってテントを作り、構造的にはシンプルな原理を用い手計算でできる程度の分析を施そうというもの。興味深い作品がいろいろ学ぶ。いい課題である。
吉見俊哉の『大学とは何か』を読みながら思う。「○○とは何か」という問いについて。人生とは何か?建築とは何か?人間とは何か?世界とは何か?、、、これらはみな答えの出ない問いである。これまでは答えの出ない問いを問うても仕方ないと思っていたのだがこの著者はそれに挑戦している。そして答えの出ない問いを問うことの意味、意義もあるものだと最近少しずつ感じている。というのも答えの出る問いだけに答えていると結局そんな人生しか歩めないからである。そういう問いがあるところだけを歩むことになるからである。答えの出ない問いに惑わされるなかではじめて未知の領野に歩を進めることができるのである。
午前中の会議が終わって急いで事務所に戻り打ち合わせしてからあわてて大学に戻りレポートを回収してからゼミ。週末の疲れがどぼどぼ出てきた。ついでにオフクロ他界の余波で親父が入院しててんやわんやの大騒ぎである。しかしそのおかげと言っては何だが孫が暇を見つけては面会に行き小一時間爺さんと会話する。日本経済、世界経済、そしてたいてい最後はマルクスレーニン主義の可能性の中心のようなことになる(らしい)。我々息子どもは幼少のころから耳にたこができるくらい聞かされたことでもはや聞く耳持たないが、孫たちには新鮮に響くようである。この年代の子たちが学校や塾では到底味わえない学問の迫力を80過ぎの爺さんの中に見出している。面白いことだ。
病院寄って事務所に戻り書類作ってクライアントへ。帰宅後吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書2011を読み始める。
昨晩はモノ整理が遅くなりそのまま実家に泊まる。数十年ぶりである。親父が入院した書斎を借りて布団を敷く。亡霊でも出るかと思ったが出たのは鼠くらいである。朝起きて布団を干して、またひたすらごみとの格闘である。どうして不要なコンビニの袋とか、デパートの包装紙とか、使いそうもない什器とか、埃をかぶったぬいぐるみとか、賞味期限が切れたレトルト食品とか、缶詰とかとっておくのだろうか?、徐々にこのだらしなさが腹立たしくなる。一つの収納を終えてまた次の収納を開ける。とんでもない量のモノモノモノが眼前に迫る。生前は整理したくとも触らせてくれなかった。アンタッチャブルな世界であった。それもそのはず、さまざまなところに貴重なモノが挟まっている。しかしこうして不快に思っていたものを一気に全部捨てるのは爽快である。
庭の一角はごみの山。ホームレス住居のようである。
p.s.夏のオープンデスクを1名募集。簡単な自己紹介と住所、来られる曜日を書いてメールくださいsakaushi@ofda.jp
午前中八潮のエスキース。午後は実家に行き、もの整理。ものと言えば聞こえがいいが、ごみである。70リットルのごみ袋にゆうに50袋は詰め込んだだろうか。我が家はごみ屋敷である。
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早稲田の演習終えて三朝庵で昼をとりあゆみbooksに寄ってから事務所に戻る。新たに始まった保育園のスタディの様子を見てから研究室へ。ミノルタから借りている色測計を使ってみるのだがうまく測れない。購入迷い中。結論先延ばし。夜3年製図の最終提出。各班を回りながらできを見る。3年生にしては面白いと思うものもある。再来週の合評会が楽しみである。TNAの武井君がゲストで来てくれる。彼は富岡のコンペをとったとのこと。その案も見せてくれるだろう。帰宅後内田樹の『街場のメディア論』光文社新書2010を読みながら寝る。彼の本は目を見張るような発見は無い。しかし喉のあたりまで出かかっている自分の言いたいことを小気味よく言語化してくれる。例えばこんな風に。
「テレビの中でニュースキャスターが「こんなことが許されていいんでしょうか」と眉間にしわを寄せて慨嘆すると言う絵柄は「決め」のシーンに多用されます。・・・「こんなことが許されていいんでしょうか」という言い方には「こんなこと」に自分はまったくコミットしていませんよ、という暗黙のメッセージが含まれています。「こんなこと、私はまったく知りませんでした。世の中ではこんなにひどいことが行われているなんて・・・」というその技巧されたイノセンスに僕はどうにも耐えられないんです。」
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新宿区役所行って、練馬区役所行って、自分と兄貴と親父の戸籍謄本やら印鑑証明やら併せて20枚くらいもらって(というか買って)きた。人が亡くなるとやることがいろいろある。あっちこっち行く道すがらシーナ・アイエンガー櫻井祐子訳『選択の科学』文藝春秋2010を読む。人間も動物も行動の選択の余地が無くなると元気が無くなる。一方で選択肢がありすぎてもそれは幸せにはつながらない。建築もそうである。選択肢の無い空間はなんとも単調である。一方でありすぎると迷路となり人は苛立ちを覚えるものである。