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Nov 2011

建築学科の女子が元気な理由

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by 卓 坂牛

何故建築学科で女子学生が元気なのかというと理由はいくつか考えられる。草食男子が増えたから相対的に女子が肉食的に見えているから。女子はまじめなので成績も上がり就職もよくなってきているから。女子学生の比率が増え教室に女子の声が響き渡るから。どれも一理あるが、でも建築意匠的にはもっとしっかりとした理由がある。
僕は前々からモダニズムが形相(形)の革命であり、近代とは形相(形)優先の時代が美学的にセットされ、それゆえ質料(素材)がないがしろにされた時代であると考えてきた。ところが話はそれほど単純ではないことが少し分かってきた。
キャロリン・コースマイヤー(Korsmeyer, C)長野順子他訳『美学―ジェンダーの視点から』勁草書房(2004)2009は古来芸術概念の基軸である二元論がおしなべてジェンダー化されてきたことを跡付けた。
精神vs身体、形相vs質料、知性vs感覚、文化vs自然という対概念の前者が男性、後者が女性と漠然と繋がっており女性的な概念は常に芸術の評価や本質として劣るものとして位置づけられてきたと彼女は説明する。
つまり僕がモダニズムを席巻したと考えた「形相」は彼女に言わせればいくつかある男性概念の中の一つに過ぎないというわけである。だからモダニズムアートそして建築は男性概念によって単に形相重視なだけではなく加えて精神的で知的で文化的なものとなったのである
さてそんな男性概念に文句を言った嚆矢は建築ならポストモダニズムでありアートならポップアートのころである。そうした異議申し立ては初期のころはモダニズム否定にやっきになっていたのだが世紀を跨ぐころになると女性概念に流れて行った。つまり身体的で質料重視、感覚的で自然なものを標榜し始めたわけである。それを過激に展開しているのが
フェミズムアートであり、身体・質料・感覚・自然と言った概念は未だにジェンダー化されており社会の中では女性が担うものなのである。それゆえ建築学科においても彼女たちは元気にならざるを得ないのである。
さてではそうした女性的価値観を全面的に後押しすることが妥当かと言うと僕はそう思っていない。こうした二元論は注意を要する。Aという時代の流れはちょっとしたきっかけでアンチAに流れやすいがそれが長続きしないのは近いところではポストモダニズムが実証済みである。二元論は往々にして中庸に収束するものだと僕は思う。極端な逆暴走は極端な「かわいい建築」を量産するだけである。そういう過渡的な傾向は長続きしない。男性性を破壊しながら女性性に走るのではなく中性へと世の中は流れる。と僕は思っている。

言うは易く行うは難し

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by 卓 坂牛

午前中事務所で打合せ。そろそろ図面をまとめる時期。残り1カ月。午後大学へ。0時近くまで卒計のエスキス。いやー本当にいい設計をして欲しい。
と言うは易く、行うは難し。
① 考え過ぎて不要なことを考え始める人へ:最初のアイデアが面白いのだからそれに飽きずに進みなさい
② 最初の考えが悪いのにそれに固執する人へ:先生の言うことを素直に聞きなさい
③ 未だアイデアが無い人へ:今日言ったアイデアをさっさと始めなさい
2ヶ月後が楽しみ。

アートとは価値を共有できる仕組み?

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by 卓 坂牛

吉澤弥生『芸術や社会を変えるか』青弓社2011は美術館からマチナカに飛びだしたアートについてルポしている。特に大阪を中心にした追跡である。これを読むまでも無いのだが、読むとなおさら、アートはもはや一昔前のアートでは全然ない。と痛感する。
ご近所さんが皆で集まって毎週道路掃除をして一輪の花を家の前に生けたらもうアートである。つまりそれはある価値の共有だ。
鶴見俊輔は芸術を3つに分けた。プロがプロに見せる「純粋芸術」例えば絵画。プロが素人に見せる「大衆芸術」例えばポスター。素人が素人に見せる「限界芸術」例えば落書き。そして今我々の周りに急増しているアートが限界芸術をベースとした何かである。
それは人を感動させる技のことではなく。沢山の人が価値を共有できる仕組みのことなのである。それをアートと呼ぶのがふさわしいかよく分からないが、倫理と呼ぶには仰々しいし、芸術と呼ぶには貧弱だし、だから残った言葉がアートなのかもしれない。

今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか

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by 卓 坂牛


17歳のとき次のような一節を読んだ。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」。私は感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続き過ぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った
これはスティーブジョブズのスタンフォード大学でのスピーチの一節である。
昨晩学生とこのスピーチの話になった。僕はスティーブ・ジョブズ教ではないけれど今朝(というか昼頃)起きると昨晩の酒のせいで今日が人生最後の日のように気分が悪く彼を真似るには絶好のコンディションになっていた。そこで鏡を覗きながら今日する予定のジムと読書を本当にやるべきか?と問うことにした。長考の末これらの予定をキャンセルすることにした。最後の日は何もしてはいけないと思ったからである。そこで今日は何もしないと決めた。
ところがしばらくするとチョコレートを持ったお客さんがやって来た。その方とお話しているうちに何もしないという本日のコンセプトが崩れてしまった。何もしない無の時間を過ごすことができなくなった。こうなると今日を人生最後の日にするわけにはいかない。最後の日は何もしないということに決めたので。
というわけで明日もしっかり生きていくことになった。またいつか人生最後の日が訪れたら鏡を覗くことにしたい。
When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something

卒論発表会面白かった

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by 卓 坂牛

10時からα方式卒論発表会。理科大は一部(中間部)の学生はα方式、β方式という二つの卒論コースのどちらかを選ぶ。αとは卒論と卒計の両方をやるコース。例年主として計画系、歴史系、構法系の学生がこの方式をとる。一方βとは卒論のみやるコース主として、構造、環境系の学生がこの方式をとる。因みに二部(夜間部)の学生は卒論と卒計はどちらかを選ぶ。
10時から全教員が集まって5分発表2分質疑。40名弱の発表で5時ころまでかかった。しかし内容は全て興味深いもので時間を忘れて楽しく聞いた。各先生方のコメントも多彩で鋭い。僕の学生は今年2人。一人はストリートアクティビティの研究。人を惹きつける物理的要素を数値化した。もう一人は日本版インターベンションの研究。フィールド調査をして新旧のコントラストを数値化した。無理に数値化しなくてもいいのではという意見があった。しかし定性分析のほうが実は難しい。
終わって判定会議を行い、発表者は全て合の判定。後は論文としてまとめ、その後卒計2カ月。最初飛ばして、途中飛ばして、最後飛ばしてやっと終わる。

いまこそハイエクに建築を学べ

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by 卓 坂牛

自民党政権の最後の方に登場した小泉純一郎は社会を自由競争の渦に巻き込んだ。彼の思想は新自由主義と呼ばれその思想の根っこはフリードリッヒ・ハイエク(1889~1992)と言われている。ハイエクの思想を受け継いだミルトン・フリードマンは自由競争経済を主張し世界に自由競争の嵐を巻き起こした。そのフリードマンは世界中の危機的状況に登場しては自由競争社会を組み込んでいった。一般的にはそういう施策は格差を増大させ批判的に捉えられ『ショックドクトリン』というような著作も生んだ。
ところでそんな悪の権化ではあるが実は本当にその思想の根源は悪なのだろうか?ちょっとそんな疑問が湧いてくる。なぜなら自由を渇望することはごく自然なことだからだ。仲正昌樹『いまこそハイエクに学べ』春秋社2011を読むとやはりハイエクの思想自体は頷けることも多いことに気づかされる。
例えば彼のもっとも根源的なテーゼは「設計主義の誤り」という論のタイトルが示す通り、行政が社会的ゴールを設定してそれに向かって緻密な設計を行うことの否定である。彼はそう簡単に人々の共有できる価値を設定することはできないと警鐘をならしたのである。この考えには僕も賛成である。そして現在、社会はハイエクの曲解による新自由主義あるいはリバタリアニズムによってある歪みを生んでいる一方で、「設計主義の誤り」に示される考え方は様々な分野で適当なものとして受け入れられている。
例えば街づくりや建築の設計においてもこの考えは正当な権利を持っている。昨今の設計ではユーザーの自由度を許容しようという発想はどこかに仕込まれている。しかしそうは言っても設計する人間が設計を全面的に否定することは難しい。この理屈を真に受けて何も作れない学生がうろうろしているのはご承知の通り。話を政治に戻せばハイエクもそのことは分かっている。「設計主義の誤り」とは設計を否定しているのではない。何を設計すべきかを示唆しているのである。
そこでハイエクの次に用意されているテーゼは「コスモスを通して考える」というものである。個人の自由を最大限認めたとしてもそこにはコスモス=自生的秩序があるというのが彼の考えである。歴史の中で進化してきた秩序、あるいはこれから生成していくだろう秩序が社会を動かしていくというものである。建築につなげて語るのならば、使われていく中で様々な水準で秩序が現れてくるような設計をすること、又はクライアントあるいはその場所から歴史的に淘汰され残っている秩序を掬い取ること。ということになろう。
ハイエクから建築的に学べることがあるとするならばそれは①作りすぎないこと②多様な秩序の生成の可能性を作ること。③クライアントや場所の中に歴史的な秩序を見出だすこと。ということだと思われる。

中国にもう少しコミットしてもいいか?

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by 卓 坂牛

午後に会議が連続して3つありそしてその裏に別の会議がだぶっていて二つの会議を行ったり来たり。7階と5階を登ったり下ったり。
会議後研究室でメールをチェックすると中国からとても流暢な日本語のメールが入っていた。僕の研究室で勉強をしたいという内容である。今まで見た中国人の日本語の中では出色のできである。内容もきちんとしているし文法も正確である。
4月以降何回か中国からのメールが来る。差出人は異なるのだが内容は日本での勉強。そしてもらうたびに日本語のレベルが上がってきているような気がする。
信大では中国からの留学生が比較的多かった。博士の副指導教官もやったので個人的にも面倒を見た。しかしどうも上手くコミュニケーションできなかった。語学力もそうだが意欲も今一つというのが正直な感想。それに比べると最近もらうメールはだいぶ違う。熱意と能力の両方を感じる。当たり前だけれどこう言う学生もいるのだなと少し嬉しくなる。
中国では5年くらい仕事もしてかなり痛い目にあったのでしばらく遠くから見ていようと思っていたのだが、こんなメールをもらうと少し考えも軟化する。ここ10年くらいでドラスティックに変貌するであろうこの国にもう少しコミットしてみてもいいのかもしれない。

居場所を作る

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by 卓 坂牛

昨晩講評会ゲストの大賀成典さんが学生時代を振り返りこう言っていた「理科大には溜まり場が無いので学生間のつながりが希薄なんですよ」と。確かにこの大学にはキャンパスが無い。建物出たら公道である。授業終わってうだうだしている場所は無い。学生はある意味可哀そうである。居場所が無い。
しかし問題は物理的な居場所よりも精神的な居場所であろう。例えば自分の例で信大と理科大を比べてみる。信大時代はキャンパスがあるから授業が終われば研究室以外にも中庭のベンチや原っぱでコーヒー飲んだり学生と話したりする場所は結構あった。その意味では理科大より物理的な居場所は多かった。一方精神的居場所はと言うと信大では他の先生と雑談したり方針を相談したり帰りに一杯なんていうことは無く、理科大では同系の先生が沢山いるからそれがとても増えた。つまり精神的な居場所は濃密に変化した。
ところで昨日の卒計に「池袋の公園の周りにサードプレースを作る」というテーマがあった。つまり家庭と職場以外の居場所を作るというものである。阿部真大『居場所の社会学―生きづらさを越えて』日本経済出版社2011も3つ目の居場所を持つことを勧めている。著者曰く「居場所」はいのち綱であると言う。現代では職場も家庭も不安定でありそこに居場所が無くなると精神的ダメージが大きい。そこで第一次セイフティーネットとして3つ目の居場所を確保しなさいというわけである。
はてそう言われると自分はどうか?繰り返しになるが信大時代は大学の居場所が不安定だったのだが幸いOFDAがあったから救われた。もちろん今では大学を含めて居場所はいろいろある。では学生は?彼らは住む、学び、働くという3つの場所を移動し結果的にサードプレースの可能性を既に持っている。とは言えキャンパス、研究室に十分な居場所がある(もちろんそれは物理的な居場所なのだが)信大生に比べ理科大生が不利なのは上述の通り。加えて昨今の経済悪化の中で働くことを余儀なくされる学生の多い理科大では大学くらい安定した居場所であるべき。どうしたらいい場所を作れるのか?

●牛の居場所

設計屋とやくざは紙一重

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by 卓 坂牛

夜卒計の中間講評会。今日のゲストは理科大OBの構造家 大賀成典さん。3回目の中間講評だけれど後2カ月もあるせいか進捗が遅い。「やったるでー」という気迫が感じられない。まあ最後に見せてくれればいいのだが。
でもそれなら11月までは論文でも書かせた方が彼らの為かもしれない。
ぎりぎりまでやらないというのは信大でもそうだったから慣れているけれど世の中にはそうじゃない輩もいてそんな奴にはかなわないのだ。ということを彼らは分かってない。なんてぶつぶつ考えていたら思い出したことばがある。
「バカでなれず、利口でなれず、中途半端でなおなれず」
実はこれはヤクザについて昔からいわれている言葉だそうだ(最近売れている本。溝口敦『暴力団』新潮新書2011より)。でも設計やる人間にもぴったりである。バカは設計できない。利口なら設計を仕事としない。そんでもってやるからには中途半端じゃ無理。

いろいろな人がつながりをもって暮らせる町

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by 卓 坂牛

平山洋介『都市の条件―住まい、人生、社会持続』NTT出版2011は鈴木謙介氏が企画した「真横から見る現代」というシリーズの一冊。日本の家の住まい方を公がどのように作り上げてそれがどのように崩れているかを緻密に検証した本である。
戦後の日本では成人したら就職して結婚したら家を出て最初は借家住まいをしてお金を貯め、戸建を購入し定年までローンを払い続けるというライフコースが作られた。我々の親の世代まではそうするのが普通だった。そして我々の世代では、結婚して家を出るまでは似ているが、しばらく借家住まいしても貯金では家を建てられない人間も現れ始めている。そうすると出戻るわけである。すなわち親と二世帯住宅を作ってコストを折半する。これはある種のパラサイトと言えなくもない。パラサイトシングルという言葉が一時期はやったが、これはパラサイトファイミリ―である。
そしてこれからの若い世代の多くはもはや20世紀のようなライフコースは歩むことはできない、パラサイトする親の持ち家も無い子供たちも増えるのである。一生借家という人も増えるはず。日本は持ち家を推奨するデュアリズムの国なのだが借家を含めて多様な住まい方を用意するユニタリズムの国を見習えと言うのが著者の意見。
例えば現在の日本では持ち家を準備させるための公の借家は殆どが家族向きである。しかしそれだと未婚、離婚、既婚、を問わず単身(その中には離職した高齢単身もいる)の受け入れ先は無いのである。もっと新しい生き方や状況に寛容であれと僕も思う。
そんな本を読んでいたからだろうか、午後某市に行って、「家づくりガイドライン」の打合せを行い少々違和感を覚えた。このガイドライン案は前も見ていたものではあるが「家づくりの3本柱」として1)家族のつながり、2)地域とのつながり、3)街とのつながりを掲げている。そしてその概念をブレークダウンしながら踏み込んだ形態規制をかけている。その斬新さは買うのだが、少々住み方の個性を制限し過ぎ。加えて家づくりの基本に家族があるというのもちょっと窮屈である。単身者や友人同士などというこれから増えるであろう(増えざるを得ないであろう)居住形態が排除されている。そこで「家族のつながり」は「人のつながり」へ変えようとT先生の提案あり。加えてガイドラインと言う言葉が良くない。もっと役所が応援しますというスタンスが欲しい。そこで出たのがパートナーシップ。なかなかいいではないか。TPP(trans pacific partnership)ならぬ、YBP(Yashio building partnership)である。
いろいろな人がつながりをもって暮らせる町。そんな町ができればきっと新しく、楽しい、場所ができるはずである。