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Nov 2011

デタッチからコミットメントへ

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by 卓 坂牛


事務所、大学、会議。今日の会議は長い。結構重要な案件が並ぶ。夕方東京に来ているカナダの友人と再び会う。彼は原宿に二日泊まり、浅草に二日。そして今は池袋。一体どんな場所かを見てみたくその場所を尋ねてみた。西口公園を通り過ぎて駅から歩いて10分。KIM INNという日本スタイルの素敵なホテルのような旅館だった。ラブホテル街の中にあるのでこんな場所に一般人はまあ気がつかないのだろうが一泊4千円くらいで泊まれるコンクリ―ト造の小奇麗な所である。玄関を開けるとティロが上がり框に座っていた。一体どうやってこう言う場所を探すのかと聞くと、世界のヴァナキュラーな宿泊施設がゲスト評価付きで載っているサイトがあるのだそうだ。
岐阜出身の研究室の学生に勧められた飛騨牛の店に行った。静かでゆっくり話のできる気持ちの良い場所である。とにかく会話が止まらない。26年分の尽きぬ話が次から次に飛び出す。時間よ止まれという感じである。言語の壁は全くない。本当にハッピーな時間である。
彼が村上春樹の1984を読んだかと聞く。恥ずかしながら読んでいないけれどどうして?と聞くと、これが日本の現代の感覚だと言うので読んでいるが正しいかと聞きたかったと言うわけである。恐らく正しいと答えた。
そう言えば昨晩読み始めた宇野常寛『リトル・ピープルの時代』幻冬舎2011は村上春樹分析で一章費やされている。その中に「デタッチメントからコミットメントへ」という節がありびっくりした。というのもこれは僕がある建築雑誌に書いた短い論考のタイトルと同じだったから。あれ?と思ったのだが、その節を読んでみるとそれは村上の言葉だったことを思い出させられた。それは「関わらない」ことから「関わる」ことへという意味である。思い出した。僕はその頃村上に大きく影響を受けて建築においても「関わらない」ことから「関わること」が可能かを考えていたのである。未だ日建にいたころである。
そして今その考えはもちろん更に強くなっている。とは言え世の中には社会にディープにコミットする人は沢山いる。僕はそんなにコミットすることができる人間ではないし、そういうことが余り得意ではない。あるいは好きできない。でもライトにコミットすることが必要だろうとは思っている。そんな感触が村上なのである。
というわけで友人ティロに村上の考えは現代人の(僕もその1人として)ある側面を確実に表していると思うと伝えた。彼は納得したかどうかは分からない。それは2週間の滞在の中でなんとなく感じ取ってくれればいいことである。
僕のルームメイトで彼の友人でもあったクリスタとミュンヘンかバンクーバーか東京で再び会おうと約束して池袋を後にした。幸せなひとときだった。

癒されたいのは大人?

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by 卓 坂牛


午前中野木の現場を往復。地下水位が高いのには驚く。この辺り田んぼだったのだろう。建物を載せようとしているローム層の上に水みちがあるようだ。
往復の車中読みかけの『日本建築宣言文集』を読み終え、一昨日天内君から送られた仲正昌樹編『批評理論と社会理論1アイステーシス』お茶の水書房2011中の天内論考「ナショナリズムの残余―佐野利器の「反美術的」職能観」を読む。
昨日書いたように明治、大正の建築論は芸術vs技術という2極構造の中に位置づけられる。そして佐野は構造家として技術の極にいた人である。天内君の論考を読むと佐野が19世紀末の戦争のさなかで日本の国力を憂えながら学問へ向かっていたことがうかがえる。そしてその憂いは国力=技術力という戦争を基盤とした強迫観念に結び付いたとも言えるのではないか?そして恐らく当時の学徒たちは多かれ少なかれそうした精神環境の中にいただろうことは想像に難くない。それゆえ当時の建築論が常に一方で技術を極とし、他方芸術においては「日本」の様式がメインテーマであったことも頷ける。つまりどちらの極においても、ナショナルな思考が基盤にあったということである。
ところで話は全然変るが、武藤清の孫にあたる僕の友人は自分の息子に利器と名付け「りき」と読ませている。佐野利器からとったと言っていたが本当だろうか?自分の祖父の師匠の名を自分の息子につけるなんていうことがあるだろうか???もちろん佐野利器の利器は「としたか」と読むのだが。
午後事務所への帰路、傍の公園で移動動物園が行われていた。人が沢山集まっているのだが殆ど大人であることに驚く。子供は動物じゃあ癒されないと言うことか??癒されたいのは大人たち??
夜2年生の製図講評会。新建築の橋本純さんがゲスト。なかなか考えられたレクチャー。そして分かりやすい。さすがジャーナリストである。

日本版『言葉と建築』の不可能性

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by 卓 坂牛

藤井正一郎・山口廣編『日本建築宣言文集』彰国社2011(1973)を読みながら、明治大正の日本建築論の展開は一言で言えば、「芸術か技術か」の二者択一に終始していると感じた。もちろんディテールはいろいろあるし、大正も後半になればマルクス主義的な思潮が建築論にも影響を出し始めるのだが、、、、、
ところで前々から日本における『言葉と建築』が描けないかと思っていたのだが、この本を読みながら、これは無理であることに気がついた。というのはフォーティーの『言葉と建築』の最も重要な視点は西洋の建築論において近代のヴォキャブラリーが何時からどこで使われ始めたかを照射することで近代がどのような価値観の地平(エピステーメー)の上に成り立っているかを明らかにしているからである。言いかえればフォーティー論の特質は空間とか機能という近代になって初めて使われた言葉を採取することでその時代の価値観を浮き彫りにしたのである。
しかるに日本建築においては近代以前に論はないので。近代において輸入された「建築」にまつわる言葉たちはそもそも日本の価値として存在していたのかどうかが見極められない。つまりそれらの言葉が日本の近代建築において初出の概念かどうかが判定しにくいのである。
それゆえそんな作業をする意味も無い。言いかえれば日本の建築論をフォーティ―的に明らかにするとしたならばそれは近代にはないのかもしれない。たとえば20世紀後半の建築概念の変化をそうした視点から分析するのならまだ可能性はある。しかしそれをやる意味があるのかどうか今のところ不明。

名刺管理のアイフォンソフト

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by 卓 坂牛


午前中模型を沢山持ってクライアントのオフィスへ。2時間かけて順調にいろいろなことを説明し決めてもらった。ほっとする。
午後1年放っておいて山のようにたまった名刺を前に仕方なく整理にかかる。と言ってもこれを入力するのも嫌だし、誰かに頼むためにその説明をするのも面倒くさい。KING IIMのスキャナーが結構評判いいと聞き買おうかと思ったのだが、アイフォンのアプリが結構使えるとスタッフが言う。まあだまされたと思ってworld card mobileなるアプリを1000円でDL。なんのことはない、アイフォンのカメラで名刺を撮影するだけ。すると画像として保存されるとともにOCR機能(画像をテキスト化する機能)で95%失敗無くテキスト化される。加えて、ほぼ間違いなく姓名は姓名の欄に、会社名は会社名の欄に電話は電話の欄にデーターが仕分けされる。これはなかなかすごい。名刺管理に四苦八苦されている方、試す価値あり。
実は最初のうちは上手くいかずイライラしていたのだが、10枚くらいやっていたら撮影のコツと操作のルーティーンにはまった。問題はこのデータ―をコンピューターのアドレス帳に上手くイクスポートできるかどうかであるがそれは今のところまだ不明。

ヴァンクーヴァーの役人の意識

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by 卓 坂牛


午前中新宿御苑の茶会に行く。茶室楽羽亭は中村昌生の設計。4畳台目の茶室は使われず、十畳の広間で濃い茶を、椅子席で薄茶をいただき弁当を食べる。雨が降りそうで降らない霞のかかる新宿御苑だが茶室周りだけ華やいだ雰囲気である。
午後26年ぶりにUCLA時代の一番の親友Thilo Driessenと再会。彼は卒業後チャールズムーア、リゴレッタの事務所で働きヴァンクーバーに引っ越す。しばらく設計事務所に勤めていたが経済危機が訪れ全く仕事が無くなりブリティッシュコロンビア大学院に入りランドスケープを学び市役所で街づくりの仕事を開始。現在はBoard of Parks and Recreation のマネージャーである。と言われてもどんな仕事かよく分からんと言うとまあ公園作ってどのように人々を遊ばせるか考えるようなものだそうだ。
そんなわけで彼は余り建築単体に興味は無く街づくりに関心が移っていた。そして彼らの問題意識が日本と同じように街とは計画的にできるものなのか?役所はどのくらい重要なのか?という所にあるのが面白かった。というのも表参道のカフェで会って、青山をぶらついてもこの辺りはきれい過ぎるし、表層的でつまらないと言う。そこで千代田線で根津に行き裏路地をぶらつきながら谷中銀座を歩き日暮里からJRで上野に行き西洋美術館を見せるが反応なし。そこでアメ横に行ってからJRで東京駅へ。丸の内の高層ビル群を見せると典型的な60年代のアメリカの失敗ダウンタウンのようだと言うので、三菱一号館の辺りに連れていく。日曜の夜の歩行者の量に驚いていた。
ビールでも飲むかと誘うとさっきのアメ横に行こうという。路上の丸椅子で焼き鳥食べながらビール。「こう言う場所は役所のプランニングでできるモノではない」という「こう言う日本的無計画なchaos は大好きだが、計画的でconformityのある街(例えば青山等)とどう折り合いをつけながら計画していったらいいのだろうか?一体君のような大学の先生はハイブローな街を優先的に考えるのではないのか?」と言うので全くその逆だと言ったら「wonderful」と言われた。
太平洋の向こうでも同じ意識の人間がいてしかも役人をやっていることが嬉しかった。

○○計画の無意味さ

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by 卓 坂牛

先日読んだ山崎亮『コミュニティデザイン』の中で役所が作る総合計画批判がされていた。というのもこういうものは規格があって、その規格を作り慣れたコンサルに外注されて内容をよく吟味されずにできあがってしまう。よってできたものは当の役所の人間だってよく知らず、もちろん住人はその存在さえ知らない。住人が知らないその町の将来像ってなんの意味があるのかと著者は問う。
そうだよなあと思いながら馬場正尊『都市をリノベーション』NTT出版2011を読んでいたら似たようなことが書かれていた。「戦後六○年、日本の都市計画の主な手法は一貫してマスタープランを描きそれに向け作業を進める・・・・(しかし)・・・都市を取り巻く状況は複雑になりすぎ、・・・能天気に新しい線をひくほど無頓着ではいられない」
山崎住民不参加の計画を無意味と言い、馬場は計画自体を無意味だと言う。山崎はまだ計画に期待をしているが馬場は既に計画を放棄している。
理由はどうあれ2人は今でも役所にはどこでも並んでいる例のあれ、小奇麗にまとまって虫唾が走るような笑っちゃう美辞麗句の並んだ○○計画、とか○○マスタープランを否定している。
何て言う話を先日八潮市役所の方に話したら(彼らは世の中一般の役人ではない。そういう計画を作ることの無意味さをよく知っている例外的な先進的役人たちである)こう言っていた。
「昔は役所のやることは正しいということになっていて住民はそれを聞くことになっていたけれど今は違いますからねえ」と。さすがよく分かっている。

3年製図講評会

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by 卓 坂牛


朝一で八潮。今日は曽我部さん、小川さんを交え住宅、公園の打合せ。なかなか熱の入った議論。

午後事務所に戻り打合せ。夕方大学3年生製図講評会。最初にゲスト藤村龍二さんのショートレクチャー。Architect2.0という話。信大時代もゲストで来ていただいたがその時よりお話はヴァージョンアップされている。その後4先生の各スタジオ毎に講評。最初は多田スタジオの表参道のオフィスビル。2つ目は青島スタジオのアーバンデザイン。3つ目は川辺スタジオの公共性をとりいれた小学校。4つ目は亀井スタジオの渋谷ターミナル。それぞれ独自の視点から個性的な課題を設定していただいた。3年後期は受講生が40人くらいに減るので作品は全員並べてもらいその中からプレゼンする人を選び講評するという方法をとった。時間はぎりぎりだがそれなりに上手くいった。これだけ幅広い課題だがさすが藤村さん的確なコメント。ありがたい。

日展

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by 卓 坂牛

かみさんが日展に入選し娘と一緒に見に行った。国立新美術館の1階半分と2階3階を日展が占めている。2階の工芸を覗くと素敵な鉄の作品を発見、偶然娘のクラブ顧問先生の作品だった。へえこんな人が高校で教えているなんて恵まれている。チリ―ダのようでもありとても魅力的。

洋画はパスして日本画を眺めてから書道へ。かみさんの作品は第一室のかなりいい場所に飾られている。帖(じょう)=本 や巻子(かんす)=巻物はアクリルケースの中に陳列されている。数十ページ書いても陳列されるのは50センチくらいで少々可哀そうである。

ところでジャンルごとの入選点数/応募点数・入選倍率を見ると、日本画216 / 550 2.5倍、洋画598 / 2136 3.5倍、彫刻115 / 177 1.5倍、工芸美術476 /869 1.8倍、書道 967 / 10346 10.6倍 である。入選数が一番多いのは書であるが同時に最も倍率が高いのも書である。大学受験同様、倍率が高いからレベルが高いとは限らないが、書の場合は手軽なだけに書道人口の多さがこの倍率を生み出しているのだろう。かみさんの作品はなかなか素敵である。紙の色と線の色がとても上手くいっているように見える。

コミュニティデザイン

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by 卓 坂牛

野木の現場往復で山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』学芸出版2011を読んでみた。今や学生必読の書となっていると聞く。これを読みながら都心におけるコミュニティ意識の発見に思いが至る。
先日お会いした日建設計のとある役員の方が家は郊外にあるが、遠いので理科大(九段下)のそばにコーポラティブハウスを建てて住み始めたとおっしゃる。「他の居住者とは建てる前から知り合いだったのですか?」と聞いたら、「欠員が出たので募集しています」と言うチラシを見て入れてもらったそうだ。他の方はその辺りに住んでいた商店のおやじだったりするらしい。それで何かって言うと皆で集まって飲んだり食ったり、祭りと言えば異常に盛り上がるのだそうだ。家族が住んでいる郊外の住宅地ではこういう集まりは無い。郊外の住宅地では感じないコミュニティ意識を東京のど真ん中のオフィス街では感じるのだという。それを聞いて実は僕も同じことを感じた。以前住んでいた私鉄沿線の住宅地ではかみさんはともかく僕は周囲に知り合いもいなければもちろん話し相手もいない。ところが今住んでいる四谷ではマンションの理事をやっているから近隣住民はよく知っている。また仕事場がそばだから昼食、夕食を食べに行く荒木町の飯屋、飲み屋の親父とは友達だ。いや単なる友達では無い。荒木町の街づくりにもちょっとは関わっており、飲みに行かない飲み屋の親父さんやバーのマスターとも友達である。
そしてそういうお店に僕の家族もご飯食べに行ったりするから知り合いである。というわけで僕にとっては四谷荒木町は一つのコミュニティ意識を感ずる場所なのである。
勘所は何かと言うと、職住接近である。日建の役員も九段下の職場から家まで歩いて行ける。飯もその辺で食う。だからその辺りに帰属意識が高まる。加えて、コーポラティブハウスが住人を一体にする。僕も似たようなものである。
オフィス街でもいやだからこそ、コミュニティは作れる。山崎さんが作るような濃いコミュニティは望むべくもないが緩いコミュニティは適度に気持ちがいい。

卒計のエスキス

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by 卓 坂牛

卒業設計のエスキスをしながら思う。
パターン1:作ることに意味が感じられなくなる輩。
こういう輩は作ることで何が改善されるのか分からなくなってしまう。作る情熱が作ることで起きる問題を凌駕できなくなってしまう。そう言う学生達はすなわち作る意志がそもそも僅かしかなかったのである。こういう燃え尽きた情熱を再燃させるのにはよほどの時間とエネルギーが必要である。まあ建築をやめた方がいい。
パターン2:そこそこ絵が描けてしまう輩こういう輩はある程度自分のテイストの範囲でそこそこ及第点の絵が描けてしまう。彼らはそれ以上の努力をすることを極度に恐れる。自分のテイストを超えたところに出たことが無いから。残り時間を賢く計算しながらできる範囲のことを終わらせようとする。こういう方法は無事卒業はできても卒計の目的を達成することも無く、そして評価されることも無い。
パターン3:とにかく出遅れている輩こういう輩は作る情熱もあるし、無意味に器用なわけでもないので、一生懸命なのだがとにかく手が遅く出遅れている。とは言え模型の一つもあるのでいろいろ話は聞くのだが、情熱と手が空回りしながら形にならない。こういう輩はまあとにかく時間かけて少しずつ形にしていくしかない。
パターン4:政治家に向いている輩こういう輩は「県を、市を、街を良くしたい」と叫ぶ。そのためには「人々の交流と触れ合いを大事にしたい」とこう続ける。話はごもっともだし、時間があればその話をゆっくり聞いてみたい。しかしその話の末に建築ができるとはとても思えない。政治の理論と構築の理論は次元が違う。こういう輩はすぐに職業を変えた方がいい。建築よりも実のある人生が待っている。
というわけで「君は設計をやっていくのにぴったりだ」と言う学生は何故かいない。