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Dec 2011

ゲーリーやコールハースを真面目に批判してもしょうがない

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by 卓 坂牛

ハル・フォスター(Foster, H)著 五十嵐光二訳『デザインと犯罪』平凡社(2002 )2011 は方々に書いた論文の寄せ集めなのでタイトルが示すような内容の一連の話しではない。しかし、もちろんこのタイトルがロースを参照したものであり、様々な意味での現代デザイン批判である。
例えば現代建築家を代表してコールハースとゲーリー批判がなされる。ゲーリーの形態は輪郭と構造が乖離しているという意味で自由の女神と同じでありそれによって驚きを与えるのではなく人々を煙に巻き方向感覚を失調させる。さらに、こうした珍奇な形状は場所との関係を切断する。
確かにその通りである。でもそれがどうしたと言う気にもなる。ビルバオ行ってグッゲンハイムを見れば確かにこれがこの場所と何の関係も無いと感じる。でもだからいいと思った。コールハースも同じだ、彼のどの建物がその場所と関係性を持っているだろうか?(いやもちろん無くは無いが最近の多くモノには無い)。でもだからどうした?
彼らは普通の建築家では無い。一つの都市には余り多くは必要ないが少しは必要である視覚的アイコンを設計することを許された建築家なのである。だから形がどうあろうとこの二人に関してごちゃごちゃ言うのは野暮である。それより問題なのはこうしたアイコンがギードボーの言うところのスペクタクルになってしまっているということである。すなわち「イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本」であると言う点である。
公共のごく一部の建物を除いて彼らの巨大な彫刻はグローバル社会の資本の渦の溜まりなのである。いや彼ら二人だけではないかもしれない。新自由主義の滓が形になっているというその事実が問題である。
昨日ニューヨーク大学で経済を学んで外資の銀行に勤めて止めて建築を学び始めた二部の学生に言われた。「ミルトン・フリードマンにノーベル賞を与えたのは世界的な大失策であると言われている」と。その通りだ。そしてその大失策の結果世界に偏在した金が形になり下手をすると称賛されるということが問題なのである。
それがどんな形であろうと知ったことではない。

林昌二逝く

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by 卓 坂牛

今朝林さんの訃報が毎日新聞だけに掲載された。朝日に載ったのは夕刊である。おそらく何か複雑な状況があったのだろう。
公の追悼の言葉は公の誌面に載せるのでここに記すのは極めて私的な独り言である。
僕は林さんの中学の後輩であり、大学の後輩であり、そして会社の部下だった。でも大学の後輩として何かつながりがあったわけではなく、会社の部下として多くの密接なつながりを持っていた他の部下以上の関係があったわけでもない。ただ中学の後輩であったことはいくつかの特別な関係を僕に与えてくれた。
林さんはよく僕ら(中学の後輩を)を食事に連れて行ってくれた。何か面白い建物ができると誘うのである。菊竹さんのメタボリックなホテルが上野にできた時もご飯に連れて行ってくれた。林さんの家に行ってお酒をごちそうになることも何度かあった。
飛行機好きの林さんはそんなときよく飛行機の開発の歴史を話始めた。そして現代の巨大旅客機ボーイングの時代で進歩が終わる。そこで飛行機の話は終わりその続きが建築界につながり日建もそんな状態だとぼやいていた。
中学(旧制)には建築家の会がある。林さんの4つ上に三輪正弘一つ上に穂積信夫、桐敷真次郎、岡田新一、二つ下に鹿島昭一、三つ下に高階秀爾、五つ下に藤木忠善、更に下の方に益子、片山と続く。とんでもない建築家山脈である。この会は何か会員がいい建物を作るとそこに集まって酒を飲んだ。僕のリーテム東京工場が芦原義信賞をいただいた時もバス一台で見学しその後宴会をしてくれた。その時ぜひ林さんに一言と思ったが、残念ながら所用で欠席だった。しかし祝電を送ってくれた。そう言う時に決して礼を欠かないのも林さんである。
僕と僕の伴侶は中学の同級生なのでそろって林さんの後輩である。そんな理由から林さんに結婚式での乾杯をしていただいた。お礼の意味でその後季節の挨拶をお送りすると、林さんは社内の人間からそういうものは受け取らないと言って返送された。数日前、家で今年の歳暮が話題となった時、もはや社員ではないのだから林さんにお歳暮を贈ろうとかみさんに言うと彼女は「それより元気なうちに会いに行こうよ」と言った。そうだよなあと思っていた矢先に今日の訃報が届いた。亡くなったのはかみさんと歳暮の話しをした日だと知った。林さんが呼んでいたんだような気がした。ああ生きているうちに会っておくべき人がまた1人逝ってしまった。なんだかとても淋しい。

コルビュジエの合理性

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by 卓 坂牛

岸本章弘『仕事を変えるオフィスのデザイン』弘文堂2011はこれからの時代の仕事の仕方とそれに応じた空間いついて書かれている。著者はコクヨの社員。コクヨはかなり前からワークプレースの提案を日本では最初に考えてきた企業である。その中に「作業に応じて選べる仕事場」という提案がある。今やITネットが仕事場の離隔を解決しているわけでこの提案自体が画期的に新しいわけではないのだが、自分の生活に照らし合わせてみればこのことはとても示唆的である。ゆっくり静かに物を考える時には家にいればいい。スタッフとじっくり話をしたり模型を作りたくなったら事務所。学生と戯れたければ大学である。自分が最も生産的な場所にいることが重要である。
しかし問題はこの本にも書いてあるし実際そう思うことも多いのだが、自分は自分の思うようには動かないのである。仕事は人との出会いであったり、本が自分の前に現れたり、その時の気分であったりする。生産性は計画的に生み出されることではないのかもしれない。そこでワーク―プレースの設計を考えるなら、それは計画的な見地からはできないことかもしれない。そこで起きるだろう偶然性を喚起する設計が望まれるのである。
などと思いながら夜博士論文の審査。コルビュジエの土着性がテーマだった。果たして近代のパイオニアであったコルを再度そのアンビバレンシーで評価することの意味は何処にあるのか?もちろん近代的な計画性を自ら破壊したということにおいて現代的なアクチュアリティがあるのだが、しかし、それは彼が本当に自らを否定したからおこったことなのだろうか?これは謎である。近代的な合理性が必然的に土着の設計をさせたのではないだろうか?つまりインドで、そしてラテンアメリカで技術が追いつかない国において合理性を追求したからこそ土着性に帰結したというストーリーは分かりやすい。審査した先生方の意見はそちらに傾いていた。コルが二面性を持っていたと言うのは僕が学生時代のトピカルな話題だったけれど実はそれは二面性では無かったのかもしれない。いやその方が分かりやすい。