Archive

Apr 2012

ゼミの教師の役割は聞くこと

On
by 卓 坂牛

早稲田の講義の後いつものようにあゆみbooksによる。阿川佐和子の『聞く力』文春新書2012を買って昼を食べながら読む。阿川佐和子と言えば週刊文集に20年も対談記事を連載している聞くことの巨匠である。一年50人として20年で1000人である。1000人ものそれなりの人に会えたなんて羨ましい。そんな阿川さんは震災後自分が何を手伝えるのか分からないと途方にくれていたそうだ。そしてその時糸井重里の話しを聞いた。糸井も震災後被災地に行く理由が見つからず呆然としていた。ところがある少女とネット上で会話し、是非避難施設に行って皆の話すことを聞いて欲しいと言われたと言う。避難施設には人が沢山いて皆自分の恐怖体験を語りたいのだが、皆同様の体験をしており話せばそれ以上のことが返ってきそうで話せないでいる。だから被災していない人に聞いて欲しいのだと言う。それを聞いた阿川は即座に「行く」と思ったと言う。聞く専門家がお役に立てるのならということだそうだ。
重要なことである。実はなぜこれを昼読んだかと言うと夕方ゼミをするから。ゼミにおける教師の仕事の半分は聞くことだと思っている。もちろん学生が話すことをきちんと考えてこなければその限りではないが。

建築意匠論

On
by 卓 坂牛


岸田省吾先生から新刊をいただいた。書名は『建築意匠論』。先生の東大での講義録。単に創るだけではなく創る意図とその感受、加えて制作にまで配慮されているのが共感できる。意匠論は制作と批評の循環運動と言うのは持論だが、岸田先生は現実、構想、検証のスパイラルと書かれている。

建築は奥が深い

On
by 卓 坂牛



今日はとても暖かい。栃木の現場も初夏の陽気。なんだかとても気持ちがいい。1棟目アリス棟の地下の通水材が壁床に張り終わる。床はこの上にコンクリートを薄めに打つ。壁はGLボード仕上げる。床には一か所ピットが切ってあって万が一水が入っても抜けるようになっている。外防水を完璧にやってはいるが地下水位が高いので念には念を入れての仕様。4棟目、プラトン棟の掘削が終わり週末から捨てコン打ち。根切り底に見える小さな木の杭は一体何か?恥ずかしながら知らないので所長に聞いたら捨てコンのレベルを出すためのものだそうだ。現場に行くたびに未だに知らないことにいろいろで会う。建築は奥が深い。

建築の本当はどこにあるのか

On
by 卓 坂牛


先日木島さんの設計された住宅のオープンハウスに行った。同じ事務所にいながら果たしてどんな建物なのだろうか詳しくは知らなかった。模型の段階はいろいろ見ているのでその形はよく知っていたのだがオープンハウスのフライヤーをもらって「あれ、こんな建物だったんだ」とちょっとびっくりした。模型で見ていた印象とだいぶ違うから。そしてその後現場写真を見せてもらってまたびっくりした。外装がガルバリウムで銀色している。そんな模型は事務所で見たことなかった。そして現地に行ってまたびっくりしたファサードが緑色の鋼板ではないか!!!!と思って玄関まで行ったら緑色の鋼板と思ったところはプロフィリットガラスだった。
建築って本当に実物見ないと分からないとつくづく思った。僕らの建築知識は80%写真と文章だけれどそれが僕らの建築世界を構築している。それを嘘だと言うのは簡単だけれど、、、でも建築はそういうバーチャルな世界で構築されているという見方もある。どっちが「本当」なのかは未だによく分からない。おそらくどちらも本当だと思うしかないと思うのが本当なのだと思う。

自分に内在するものを探求することは結果的に和の探求か

On
by 卓 坂牛


Matohuと言う名のアパレルブランドがある。「マトフ」と読み「纏う」という日本的概念を中軸に据えたブランドである。
彼らの探求の方向は高階秀爾が言う日本美の個性:大きなものではなく小さなもの、力強いものよりも愛らしいもの清浄なものなのだそうだ。
しかしこの探求は類型化された日本性の追求ではなく自分たちに内在する日本性の追求であり、これまでの西洋対日本の中での日本性とは一味違うものだと高城梨理世は言う。
この発言はロジカルにはもう一つよく分からないのだが、建築にあてはめると少し分かりやすい。例えば堀部さんの建築などが西洋対日本としての日本性を追求しているとは思わないけれど、僕らに内在する日本性の探求と(もし)言われたらなんとなくそうかなと言う気になる。それは上記高階の言う日本美の個性の追求であり、西洋対日本と言う戦略の中での類型化されたイメージの具現化ではない。もしかすれば「小さい家」を考えている塚本さんだって自分に内在する日本性を探求している人かもしれない。
なぜこんなことを考えているかと言うと、もしかして自分も結局そういうことなのだろうかとも思う時があるからである。すなわち自らに内在する何かを模索する人は日本性の呪縛から逃れることはできないはずなのである。

使う人を問い直す建築

On
by 卓 坂牛


●アンリアレイジ2010年冬wideshortslimlong のインスタレーション
朝木島さんのオープンハウスにお邪魔してそこでばったり会った日建ハウジング(にいらっしゃった)渋田さんの車で東京へ戻る。その時横を通ったスカイツリーが見方によってはシンメトリーにならないのを知る。一昨日の朝日新聞に吉野君(日建の同期)がそんなことを書いていたけれどその意味が理解できた。昼ころ四谷に戻りジムで汗流してかみさんと千駄木の家を見に行った。素敵な家だったけど古くて傾いていた。
帰宅後読みかけの西谷真理子編『現代日本のファッション批評 ファッションは語りはじめた』フィルムアート社2011を読む。この間オペラシティで見たANREALAGEの批評を工藤雅人さんが書いていた。それを僕なりに理解するとこうなる。鷲田清一やコムデギャルソンは衣服によって自らの身体を再発見すると考えている。しかしANREALAGEの考えは逆向きである。衣服で身体を自覚するのではなく身体によって衣服が再発見されるというわけである。中心にあるのは身体ではなく衣服である。彼らはこう言う「身体と言う洋服における定規を問いなおすこと。定規を変えない限り新しい洋服は生まれない」
これってとても建築的でもある。建築が住人を規定すると考えるのが今までの発想。だから住人のリクエストを一生懸命聞く。しかしANREALAGE的なベクトルで考えるなら、住人のリクエストはアプリオリには無い。そうではなく新たな住人のリクエストを作るところから始まる。つまりは「使う人という建築における定規を問い直すこと。定規を変えない限り新しい建築は生まれない」と考えるわけである、、、、

荒木町の魅力

On
by 卓 坂牛


午後、家の裏手にある新宿歴史博物館に行った。今までこの前を通ることは山ほどあれど入ったことが一度も無かった。今日はここの2階の講堂で荒木町についての歴史や景観の講演会が行われるので聞きに来た。
講演まで少々時間があったので博物館の陳列物を見て回る。さすがに東京の中でも江戸からの歴史がある場所だけに見るべきもの沢山ある。なかなかの見ごたえ。
講演は博物館の歴史専門家が地名の由来などを語り、次に区役所の都市計画の方が景観の話し(と言っても法的な話ばかりだが)。そして私が行きつけの「とんかつ鈴新」のマスター鈴木さんが自分の生まれ育った荒木町の昭和30年代からの経験などを話された。明治に入り花街となったこの辺りで少年スズキは芸者から小遣い銭をもらった記憶があるそうだ。そしてとりはこの辺りでイタリア料理屋を数軒持つカルミネさん。荒木町に素敵な和風空間のイタリア料理屋を持っていたが今はそこを建て替えて自宅にしている(神楽坂には未だお店を持っているそうだ)。彼は荒木町にプライドを持ち、人を案内するのが嬉しいと言う。その理由は古いものが残るこの風情である。僕の友人が飲む時はいつもここに来るのもこの風情を求めてなのだと思う。
昨今このあたりは地上げされマンションが建てられているのだが、なんとかうまくこの空間性を残した、時間を残した生き変わりができないものかと切に思う。
JIAが企画したイベントなので多くの建築関係者が来ていたようである。陣内さん、難波さん、松永さんたちにご挨拶。

東京の危険度マップって衝撃的

On
by 卓 坂牛


早稲田の講義を終えて例によって文学部キャンパス近くのあゆみbooksに寄る。目にとまった『大地震あなたのまちの危険度マップ』朝日出版社2012を買う。帰りの電車でぺらぺらめくる。このマップは見開き2ページに1区の地図が載っている。赤は火災危険地域、ドットは倒壊危険地域、緑が避難不要地域である。さてそれで見ていくと衝撃的な地図に出会う。墨田区。この区の殆どがドット。つまり倒壊危険地域。そうじゃない場所は赤。これがなんで衝撃的かと言うとこの危険度が高いということは言うまでもないが、他の区に比べて差が大きい。例えば千代田、港、中央などはドットも赤も殆どないのである。

中国はいろいろ驚かしてくれる

On
by 卓 坂牛


朝から契約前のお金に追い回され神経使って、大学来ると大量なメールに追われ、体がまだ大学モードになってないうちに輪読ゼミ。基本的に天内君に任せているが初回だけ出て様子を見る。輪読本は『音楽の聴き方』。レジメはトップバッターにしては上出来。しかし言葉がもう一つついていかない。参加者の発言も著者の言わんとしている本質に近づくと言うよりは端っこを飛びまわっている。重要なポイントに近づいてもそこからさらに掘り進められないでいる。その理由は彼らがこういう本の内容を語る言葉を持っていないから。
輪読を終えて1時間設計。久我山の家に50平米増築。こちらは去年に比べるとだいぶいいようだ。しかし上位が殆ど4年生って何だこれ?院生頑張れ。
先日川口衛先生から送られた『構造と感性Ⅴ―広がる構造デザインの世界』法政大学建築学科同窓会をペラペラめくる。中国天津にできた橋に驚く。橋のタワーに観覧車がついている。CGかと思ったけれど本物のようだ。とてつもないね。

今年度はこんな本を読みます

On
by 卓 坂牛

明日から研究室の輪読ゼミをする。今年度の本は以下の通り。今年はPDで天内君が来たので彼に本の読み方を指導してもらう。
このリストはそれなりにけっこう考え抜いたもの。毎年今年はじっくりと一冊の本を丁寧に読もうかなと考えるがその考えは途中で消える。というのは昨今の学生にはあまりにも知識の全体マップが無いと感じるから。こんな本は昔なら教養課程で読み終えていたもの。もっと昔なら高校時代に読破していたような本なのだろうが現代では3年生までに見たこともないと言う状態だし、下手すれば卒業まで(というか一生)読まない。もちろん大学院に行ったって読まない。そう思うと狭く深くではなく、浅くてもいいからとにかく知の星座の全体像が見渡せないとだめだろうと思うに至る。
坂牛研 24年度 輪読本 リスト
前期
1,岡田 暁生 音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 中公新書2009
肩慣らし、音楽鑑賞術は建築鑑賞術に通ずる
2,竹田 青嗣、 西 研 はじめての哲学史 有斐閣アルマ1998
先ずは哲学の教科書で通史を頭に入れよう。建築の作り方に限らず社会は哲学の流れと平行に動いている
3,木田元 ハイデガーの思想 岩波新書 1993
ハイデガーを理解しないとこの後に読むシュルツは理解できません
4,和田伸一郎 存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ 新曜社2004
僕が2004年に最も影響を受けた本。僕の建築論を支えてくれた書
5,ノベルグ・シュルツ 実存・空間・建築 SD選書 1973
モダニズム建築はハイデガーによって大きく変わる。ハイデガーを建築に翻訳したのがこの本
6,レム・コールハース 錯乱のニューヨーク ちくま学芸文庫 1999
言わずと知れたコールハースの主著。大学時代に原書を読んで歯が断たなかった。
7,佐々木健一 美学への招待 中公新書 2004
院生はすでに美学史を学んだのでいまさら入門書と思わず美学を思いだそう。
8,桑島秀樹 崇高の美学 講談社2008
美的概念の中で最も建築に影響を及ぼしてきたものの一つが崇高
9,大澤真幸 虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争 ちくま新書 1996
戦後日本社会の変化を身につけよう。社会の変化が建築を変えてきた
10,福嶋 亮大 神話が考える 青土社2010
一昨年最も面白かった本の一つ。君達の同時代のことだから賛成反対議論して欲しい
11,北田大暁・東浩紀 東京から考える NHK出版2006
東京の大学だから敢えて再度東京を考えてみたい
12,宇野常寛 リトルピープルの時代 幻冬舎2009
村上春樹をもとに現代のわれわれ(というか若者)の感覚をうつしだしている。異論反論あるだろうか?

後期

13,広井良典 コミュニティを問いなおす ちくま新書 2009
後期の肩慣らし。去年のトークインで篠原聡子さんがあげた課題図書。世の中変りつつある
14,廣野 由美子 批評理論入門 中公新書 2005
この後に現象学を学ぶが一体哲学理論派何の役に立つのか?それはものの見方即ち批評力に影響する
15,木田元 現象学 岩波新書 1970
前期はハイデガーを学んだ。後期はハイデガーに続く、現象学を学ぼう。この考えも建築に大きな影響を与えた
16,ロランバルト 明るい部屋 みすず書房1994
バルトの写真論。バルトは記号論の大家でありやはり建築に大きな影響を与えた
17,ゲルノート・ベーメ 雰囲気の美学 晃洋書房 2006
後期の美学本はこれ一冊。信大では皆これ読んで雰囲気の建築が大流行した。
18,井上章一 作られた桂離宮神話 講談社1996
ちょっと一息本。でも滅茶苦茶おもろい。
19,クロード・パラン 斜めに伸びる建築 青土社 2008
パランはヌーベルの先生。ヌーベルも昔は斜めにかぶれていた。
20,アンソニー・ヴィドラ― 不気味な建築 鹿島出版会1998
さて再度ハイデガーを思い出し。建築の不気味性を考える。ヴィドラ―は21世紀最高の建築批評家の1人。
21,鈴木謙介 カーニヴァル化する社会 講談社現代新書 2009
後期社会学本はこれ一冊。現状分析の本は常に批判的に読んでみよう。
22,中沢新一 アースダイバー 講談社 2005
東京を敷地に卒研やるには必読本
23,小林信治他 視覚と近代 名古屋大学出版会1999
視覚とは飼いならされたものだと言うことを先ず理解して欲しい
24,エルヴィン・パノフスキー 象徴形式としての遠近法 ちくま学芸文庫2009
飼いならされた眼は特にルネサンスの時代に透視図法によって顕著になる