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by 卓 坂牛
完全自殺マニュアルで有名になった鶴見済の新刊『脱資本主義宣言』新潮社2012を帰りの機中で読む。資本主義のグローバル化が世界格差を生みだすに始まり、彼の言うことは多くが正しいと思う。そして「経済」という概念を社会的価値に置くのをやめようと言うのもつくづくそう思う。しかし一方で自分は大衆消費社会で生きていきた人間で、体に消費が染みついている人間だと思う。国外に行けば面白いのは市場やデパートであり、消費は文化だと確信するわけである。一体そんな人間が脱資本主義宣言に全面的に賛成できるかと言うと無理だと思う。資本主義の原理はある程度賛成である。でも経済を全面的な価値とすることはすぐにでも考え直した方がいいと思っている。だからと言って経団連と言うような組織が政治に口出しするのをまずいとは言わない。しかしそれならそれに対抗するような組織にもしっかり発言の場を与えるべきであり、それによって経済という価値を相対化していく必要があるのだと思っている。
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by 卓 坂牛
台湾への興味いくつかあるが、その一つは日本統治時代に何が起こっていたか?その痕跡があるなら見てみたいと思ったこと。そこで三峡という台北から少し離れたところにある統治時代のレンガ造りの街並みを訪れた。いまはツーリストプレースになってしまっているが、保存されているのは何よりである。
もう一つは大学時代の同級生である台湾からの留学生の親の持つビル101ビルを見たいと思ったこと。当時彼女はとんでもないお金持ちのお嬢様だと言う噂が流れていた。製図室で彼女の隣だったY君に数年前クラス会で会うと、学生時代隣の席で彼女の面倒を見ていた御礼として彼女のアメリカの家に招待されたという。旅費宿泊費食費殆ど彼女持ちだったそうだ。それはいいとして、彼女のお父さんはデベロッパーで台湾の101のオーナーだと言うのである。それは嘘だろう今でも余り信じてはいないものの、嘘を証明する事実もない。そうなるとやはり現在世界第二位の摩天楼への興味は倍加する。言ってみるとその昔シアーズを見た時の驚きを超えている。とんでもないなこの大きさ。
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by 卓 坂牛
始めてくる台北故宮博物館。この宝物を見る台湾人は、祖先の宝と思う人と、外国人の遺物と思う人と分かれるのだろうなあと思いながら見た。それにしても中国の紀元前は凄いなあと改めて思う。いやもちろん宋はいいのだが、、、、、、、唐三彩は昔から変な色だと思っていたが、今回は少しいい色に見えてきた。中国の美術館を見るといつもこんな支離滅裂な感想しかない。まじで見たら数日かかるところを数時間で見るのだから当たり前かも。
その後街中をうろうろする。飯を食って台北の原宿と言われる場所を歩きながらホテルに戻る。この国の人々の顔やファッションは日本のそれにとても近いと感じられる。所得レベルや文化度が近いからだろうか?日本の芸能人が多く進出しているのも民度を等しくする大きな要素である。
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by 卓 坂牛
●東京駅は鉄骨造!!
林章『東京駅はこうして誕生した』株式会社ウエッジ2007を読んでみた。最近見えてきたあの左右のドームは一体どうしてあんな形をしているのか知りたかったのだが、そのことには触れていなかった。
その代りと言っては何だが三つのことに驚く。一つはあの建物の構造が鉄骨造だったということ。日露戦争に勝利して後藤新平が帝都の為に当初予算の7倍を認めたそうだが、あの建物を鉄骨にする意味は一体何?かくたる理由は書いていなかったが地盤がひどく悪かったそうなので軽くするためなのだろうか?
二つ目の驚き(というか鉄道的な常識かもしれないが)はあの駅の特徴はよく欧米の都市にあるターミナル型(終着駅型)ではなくパス・スルー型(どちらの方角にも線路が伸びている)であるということ。だから東京駅は横に長く334メートルもある。この方式は当時のお雇い外国人技師ヘルマン・ルムシュッテルの出身国ドイツあたりが採用しようとしていた方式であり、現実に存在した大きな駅としてはアムステルダム中央駅くらいだったそうだ。
更に三番目の驚きはルムシュッテルの後を継いだ外国人技師フランツ・バルファーは鉄道技師でありながら駅舎の設計も提案しており、それが何と和風だったこと。これが採用されていたらいまごろ東京駅の前は国立博物館のようなファサードが立ちあがっていたというわけである。
●東京駅のお雇い外国人案は和風
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by 卓 坂牛
『工学部ヒラノ教授』によると、あの霞が関ビルの構造設計をした武藤清大先生は東大工学部長だった時に著者も出席した歓迎工学部の会でこう演説したと言う。「諸君工学部によく来てくれた。今日から諸君は僕らの仲間だ。これから訓示を述べるから良く聞くように。エンジニアは時間に遅れないこと、以上」。著者を含めやっと三年生になった東大生は想定外の短い訓示にあっけにとられたと言う。また著者が卒業する時、学長とともに祝辞を述べた学科長はこう演説した「卒業おめでとう。諸君にはなむけの言葉を送ろう。納期を守ること。これさえ守っていれば、エンジニアは何とかなるものだ」。東大の格調高き大先生がいずれも格調低いことをおっしゃるので著者(のみならず出席者は皆)はがっかりしたと言う。
東工大のこう言う会で誰が何を言ったのか僕は全く覚えていない。きっとそれなりに格調高いことを言ったのだろう。ここまで想定外のことを言われれば僕もきっと覚えているはずである。
「時間を守れ」が学問の目標だなんてなんとも悲しい。と思いつつ、僕も信大時代学生にさんざん同じようなことを言っていた「締め切りを守れ、これを破ると次からは仕事が無いものと思え」。得意になって叫んでいた教えは何てことなはない。エンジニア共通の掟でしかなかった。
著者曰く工学部の会議で遅刻をする人間は先ずいないという。確かにそれは僕も信大に赴任した時に感じた。会議が始まる1分くらい前から議長は妙読みをする。ここまでやるかと思いつつ、みな正確に定刻前に来るのである。時間を守ることを皆がいっしょになって楽しんでいる風である。そしてそれは理科大でも同じである。因みに一橋では会議は定刻10分過ぎに始まるのが当たり前とのこと。自分は理系人間ではないと思っていたが、十分理系人間であることがこれで分かった。
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by 卓 坂牛
●理科大作品@ファーストウエストビル
●信大作品モア4番街
月末までの書評を書くために関係本を読み込む。今日中に書こうと思って始めたが、諦め夕方かみさんと新宿クリエーターフェスタを見に行く。今年は会場が西口と東口に別れて参加校も沢山。一校から3つも4つも出しているようだ。東京理科大の作品は西口のファースト・ウエストビルにある。写真では見ていたが実物はかなりの迫力。最初から最後までほぼ四年生だけで作ったのは立派。1週間壊れなければいいなあと願う。隣の工学院大学の一階ロビーが二つ目の会場で日工大のお菓子の家が建っていた。お菓子は勝手に剥ぎ取ることができて段々変形するようである。フェリックス・ゴンザレス=トレスが得意とする参加型アートの手法であるが楽しげでよいね。もう一軒となりの新宿センタービルの一階ロビーには神奈川大曽我部研の靴箱や木箱の積み木があった。新宿の歴史が刻印されておりつい見入る。ここでかみさんと別れ、家に帰ろうかと思ったが東口の会場にも行ってみる。信大作品で寺内先生発見。相変わらず先頭に立って作っている。えらい。昔の教え子今城がいたので写真を撮ってもらう。なつかしのプラ段によるなんとも優雅なフィン構造。100枚を切り刻み長野から宅急便で送ったそうだ。賢い!!!
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by 卓 坂牛
今野浩『工学部ヒラノ教授』新潮社2011という本が本屋でちらっと視界に入った。表紙の絵が東工大本館と察知した瞬間昔の記憶がぐるぐると蠢き始めた。「ああきっとこの著者の本を昔読んだことがある!!でもそれは何だったか???」その本を手にとって奥付のあとに印刷された宣伝を見て思い出した。その本は『すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇』であった。この本は著者の助手だったモーレツ天才助手が政治力に欠けるため頭はいいが昇格せず、やっと助教授になった時に死んでしまうという悲しい話。それがノンフィクションであることが大学の外の人から見れば嘘みたいに響く。しかし中にいる人から見るとありそうに聞こえる。反原発を唱える有名国立大学の有名ジョキョウが未だにジョキョウであるのも似たような理由である。
さてその同じ著者が今度は自分をモデルとしながら、筑波、東工大、中大の3校で教えた経験を元に理工系学部の内情をよりこと細かに暴露しようとした。彼曰く文系大学の内情を暴露したかの有名な筒井康隆『文学部唯野教授』の理工系学部版を書きたかった。いやはや、こんなことはさもありなんと思う一方、改めて活字になったものを読めば、理工系学部がいかに社会的常識から良くも悪しくも逸脱しているかが分かる。自分は違うなんて思うことが一番危ない、、、、
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by 卓 坂牛
リーテム東京工場、中国大倉(たいそう)工場のクライアントであるリーテムの創業地は水戸。その昔は中島商店と言う名前であり、そこで働く人たちはみなこの前掛けをしていたそうだ。水戸と神田に会社があった。この前掛けが創られたのは終戦直後らしい。東京の市内局番が3桁になったのは1960年。前掛けは毎年少しずつ補充されていたのだろう。中には3桁の前掛けもある。
この前掛けは贈答品にも使われていたようでのしにくるまれていたがそののし紙には製作社名も記されている。 帆前掛・厚司各種印入製品 内藤利一郎商店 愛知県豊橋市大岩町字火打坂 電話七八三三番 この住所は存在するがこの商店はネットで検索しても出てこなかった。違う名前でどこかで未だこういう製品をつくっているのだろうか??
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by 卓 坂牛
水戸の現場で解体した建物に使われていた古材、照明カバー、屋根飾り、ついでにはっぴや前掛けに至るまで、倉庫に保存してあるものをチェック。一度見てばいるけれど、現場が始まってから見るとまた臨場感がある。倉庫内は40度くらい。汗が止まらない。
あまり考えていなかったけれど、床板なんて厚さ20センチ幅180センチのむく板である。ただ床に置いてあっても絵になる。床柱もその辺にほっぽておいても既に素材がアート。屋根飾りは感動的。昔の板金屋さんの技術はすごい。
前の現場同様この現場もツーバイ材を細かく建ててそのまま垂木とする構造。で行くつもりだったが、2層分の空間なので長い所で7メートル強。こんなツーバイ材は流通していないので米松の集成材に見積もり中に変更。なかなかこの大空間は壮観である。外壁はアリスとテレスもなかなか色を多用したが、今回はぶつぶつオレンジ。昔の建物の記憶である。
●分厚い床板。3人がかりでやっと動く
●昔の板金屋さんは凄腕
●米松修正材の構造空間断熱材を入れるがそのまま構造材はあらわし
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by 卓 坂牛
朝一で中国行の飛行機のチケットを予約。少し気分が盛り上がる。そして今日は一日パワポづくり。しかし明日も明々後日も当分そんな日が続きそうな気がする。
先日野木のオープンハウスの帰りに塚本さんに誘われた貝島さんとのシンポジウムに夕方出かける。場所は六本木アクシス。シンポジウムと言っても事前に受け取った質疑に答えるという新しいタイプのイベント。スライドは用意されていても殆ど映さないトークショーである。最初のうちはややありきたりの質問が多くてちょっと退屈。後半はしゃべる方も調子がでてきたし質問も核心をつくものが増えたせいか聞いていて楽しかった。特に「アトリエワンの独特なモノ作りの秘密は?」という質問に「つまらないことを楽しみ、こだわり議論するところか始まる」という話は共感した。人と会う約束があったので中座したが連れて行った学生は楽しめただろうか?