マヤ建築はピラミッドと神殿だけではなく住居もあった。中はプラスターが塗られソフトである。ティカルの敷地は30センチ掘るとライムストーンであり、それを焼成してセメントとプラスターを作った。殆ど窓が無いインテリは断熱性と構造によるのだろう。この三角天井は構造的に考えるとぎりぎり持ちそうだが、この木の梁は効いているのだろうか?ガイドに聞いたらこれは装飾だと言っていたが。この天井の形は、スパニッシュコロニアルでもコンテンポラリーでもたびたび現れるグアテマラ特有のシェイプとなる。ヨーロッパには絶対出てこないボキャブラリーだろう。
朝一の飛行機でシティに戻る。パッキングして少し買い物でもして後は帰路と思っていたが、空港に学生が待っていて審査したコンペの表彰会場へ連れて行かれた。このイベントでは写真、ID、エッセイ、そして建築という4つのコンペが行われ、加えて僕やベレン、パブロを国外から呼び、ワークショップにレクチャに集中講義が行われた。この全体がたった一つの私立大学の企画だと言うことに改めて驚く。僕の費用はJAPAN FOUNDATIONが出してくれているのだが、その書類申請は去年の11月から大使館の協力のもとに行われていたそうだ。その作業は僕を迎えに来た学生がやり実に大変だったとのこと。表彰式からコンペ運営から全ては学生が全面的に動いている。
中国でもそう思ったがグローバル化への努力は半端じゃない。それは大学と学生の共通認識である。建築のいい大学が4つ5つしかないグアテマラのような国では、それぞれが国を背負っている。国も期待し予算をかけ人材を集めているのだろう。そうでなければ副大統領が一大学のイベントセレモニーに来るわけもない。ITSMOでそれを仕切っているのはアナ・マリアである。彼女の差配は全てにおいて豪快だったし機敏でありながら優雅だった。お見事である。
表彰式を終え、コンペを仕切っていたITSMOの卒業生エリックが僕と午後を過ごしてくれた。彼はITSMOをトップで卒業し、メキシコに留学し、自分のスタジオを持ちながら、市の都市デザイン課で40人のスタッフを仕切り、なおかつ月刊の建築雑誌の編集をしている。何冊かくれたがその質の高さに驚く。因みに彼は32歳。
グアテマランには二つの伝統がある。マヤとスパニッシュ。君の伝統はどっちだと聞くと、マヤンではないけれどマヤに思い入れがあると言う。そういう彼はイタリア移民の子。こういう状態だから彼らにとってはIDENTITYが頻繁に話題になる。
ランチ後グアテマラモダンミュージアムに連れて行ってもらいそこでベレンとジェフに会う。どういうわけか日本のJAPANFOUNSATIONの主催で日本の陶器がずらりと並んでいた。僕のかみさんも陶器の勉強をしていたけれど家が書道をやっていたから書道家になったと言ったらそういうのを英語でapple doesn’t fall far from the treeと言うのだと教えてくれた。ベレン(ラファエル・モネオの娘)もそうだというわけである。
残り2時間。本屋とマーケットへ行くことにする。本屋では英語のグアテマラ建築史の本を探すが見つからない。英語の本が殆ど無い。これはおそらく日本も同じだろう。英語の日本建築史や都市史の本を探す異国の建築関係者は多いはずである。英訳は必須だと感じる。大学にしかない情報は大学の外には無いのと同じ、東京にしかない情報は日本に無いのと同じ。日本語でしかない情報は世界には無いのと同じである。仕方なく英語のテキストがついた歴史的写真集とマヤ織物の色見本帳のようなものを買う。
残りのケツァルをマーケットで使い飛行場に滑り込む。ジェフに言われたAre you sure if your ticket is today?僕がマドリードに行く時切符の日を間違えていた話を前にしていたので一同大笑い。そしたら彼らもしょっちゅう飛行機乗り遅れるそうだ。おっちょこちょいは僕だけでは無かった。
グアテマラから4時間半。ロサンゼルス。12時間の夜中のトランジットはしんどい。寝ないためにキーボードに向かっていら駄文の行列となった。
昼から近代建築ランチゼミ。2時から4年卒論ゼミ、後期はM1も参戦。4時から講義、今年から始めた一部、二部合体の建築空間論。6時から3年生の製図。今日はイントロ。
夏休みも終わり後期開始。
近代建築ランチゼミは2時間金子君、天内君と徹底討論。と言っても、分離派プロ天内とメタボリズムプロ金子相手に坂牛はそれを結び付ける糸をひたすら質問しながら探すという格好である。中国で感じた徹底討論の面白さを是非日本でも持続したい。話を曖昧に終わらせずに突き詰めていく姿勢を忘れないようにしたい。
日本のモダニズム概念は誰がいつどのように生み出したのか?馬鹿の一つ覚えのように自問自答している。日本はそれを確立する前にそれをマニエリスティックに活用することに走ったのか?いやそれが日本のモダニズムだったのか?例えば丹下さんの桂の美への肉薄はそれを表している。そして篠原さんはそれをはねつけるかのようにこう言った。
Tradition may constitute a point of departure for creation, but never a home to come back to.
篠原さんの象徴空間で有名なのは白の家の柱だけれど、このSDの表紙を見ると、ここにも床柱の象徴性が無意識のうちに入りこんでいるように見える。もちろん回帰点でゃなく出発点として。