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Sep 2012

マヤ特有の形

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by 卓 坂牛


マヤ建築はピラミッドと神殿だけではなく住居もあった。中はプラスターが塗られソフトである。ティカルの敷地は30センチ掘るとライムストーンであり、それを焼成してセメントとプラスターを作った。殆ど窓が無いインテリは断熱性と構造によるのだろう。この三角天井は構造的に考えるとぎりぎり持ちそうだが、この木の梁は効いているのだろうか?ガイドに聞いたらこれは装飾だと言っていたが。この天井の形は、スパニッシュコロニアルでもコンテンポラリーでもたびたび現れるグアテマラ特有のシェイプとなる。ヨーロッパには絶対出てこないボキャブラリーだろう。
朝一の飛行機でシティに戻る。パッキングして少し買い物でもして後は帰路と思っていたが、空港に学生が待っていて審査したコンペの表彰会場へ連れて行かれた。このイベントでは写真、ID、エッセイ、そして建築という4つのコンペが行われ、加えて僕やベレン、パブロを国外から呼び、ワークショップにレクチャに集中講義が行われた。この全体がたった一つの私立大学の企画だと言うことに改めて驚く。僕の費用はJAPAN FOUNDATIONが出してくれているのだが、その書類申請は去年の11月から大使館の協力のもとに行われていたそうだ。その作業は僕を迎えに来た学生がやり実に大変だったとのこと。表彰式からコンペ運営から全ては学生が全面的に動いている。
中国でもそう思ったがグローバル化への努力は半端じゃない。それは大学と学生の共通認識である。建築のいい大学が4つ5つしかないグアテマラのような国では、それぞれが国を背負っている。国も期待し予算をかけ人材を集めているのだろう。そうでなければ副大統領が一大学のイベントセレモニーに来るわけもない。ITSMOでそれを仕切っているのはアナ・マリアである。彼女の差配は全てにおいて豪快だったし機敏でありながら優雅だった。お見事である。
表彰式を終え、コンペを仕切っていたITSMOの卒業生エリックが僕と午後を過ごしてくれた。彼はITSMOをトップで卒業し、メキシコに留学し、自分のスタジオを持ちながら、市の都市デザイン課で40人のスタッフを仕切り、なおかつ月刊の建築雑誌の編集をしている。何冊かくれたがその質の高さに驚く。因みに彼は32歳。
グアテマランには二つの伝統がある。マヤとスパニッシュ。君の伝統はどっちだと聞くと、マヤンではないけれどマヤに思い入れがあると言う。そういう彼はイタリア移民の子。こういう状態だから彼らにとってはIDENTITYが頻繁に話題になる。
ランチ後グアテマラモダンミュージアムに連れて行ってもらいそこでベレンとジェフに会う。どういうわけか日本のJAPANFOUNSATIONの主催で日本の陶器がずらりと並んでいた。僕のかみさんも陶器の勉強をしていたけれど家が書道をやっていたから書道家になったと言ったらそういうのを英語でapple doesn’t fall far from the treeと言うのだと教えてくれた。ベレン(ラファエル・モネオの娘)もそうだというわけである。
残り2時間。本屋とマーケットへ行くことにする。本屋では英語のグアテマラ建築史の本を探すが見つからない。英語の本が殆ど無い。これはおそらく日本も同じだろう。英語の日本建築史や都市史の本を探す異国の建築関係者は多いはずである。英訳は必須だと感じる。大学にしかない情報は大学の外には無いのと同じ、東京にしかない情報は日本に無いのと同じ。日本語でしかない情報は世界には無いのと同じである。仕方なく英語のテキストがついた歴史的写真集とマヤ織物の色見本帳のようなものを買う。
残りのケツァルをマーケットで使い飛行場に滑り込む。ジェフに言われたAre you sure if your ticket is today?僕がマドリードに行く時切符の日を間違えていた話を前にしていたので一同大笑い。そしたら彼らもしょっちゅう飛行機乗り遅れるそうだ。おっちょこちょいは僕だけでは無かった。
グアテマラから4時間半。ロサンゼルス。12時間の夜中のトランジットはしんどい。寝ないためにキーボードに向かっていら駄文の行列となった。

マヤ神殿の層構成

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by 卓 坂牛


マヤ文明の中心地だったと言われているティカルを見る。読んでいたマヤ文明の本では知り得なかった(いや書いてあったかもしれないが)ことが3つあった。
一つめはマヤ遺跡はその昔真っ赤(一部空色など)に塗られていたと言うこと。その多色性が現在のグアテマラの特徴的な織物になり、それが街のカラフルさの伝統になっている。もちろんスペインの伝統もあるのだが、スペインは内部がカラフルでも外はそれほどでもない。つまり色使いはスペイン征服後にスペインとマヤ文化が融合したというのが皆の言うところである。これを聞くとアルゼンチンのそれはアンデス文明が関係するのか、マヤあるいはスペイン征服後の混合文化が南下したのか?
二つめはピラミッドもテンプルも4層構造になっている。この写真から分かるのは一番外側の三層。長いものでは900年くらいの間に最初のモノの周りに3つの層がかぶせられるように建設された。イスモ大学の先生が、日本はあるインターバルで壊して建てなおすのに対してマヤはあるインターバルで建物の外側に建て増していく。どちらも更新していくところが似ているという。
3つ目はアンソロモルフォロジックな(人体寸法に基本を置く)形態操作。アナがマヤ建築のアンソロモルフォロジーがアンティグアに現れていると言っていた。そこでいろいろなところを図ってみた。すると特徴的な寸法が一つ見つかった。
マヤにはピラミッド(と言っても墓では無い、単に神に近づく台)とテンプルがあるが、ピラミッドの階段は僕が計った限りでは殆どが蹴上踏み面ともに30センチ内外であった(つまり45度である)。階段はひどく急で登りにくい。一尺なのだから当然である。尺は尺骨の長さと言われているので日本の単位系もインチ系とともにアンソソロモルフォロジックなのだが、マヤの階段寸法もそこから来ているのだろうか?

建築アイデンティティ議論

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by 卓 坂牛


○食事前に建築談議で盛り上がり、ライト、コルビュジエジエと話しがはずむ。大使は話の進め方、振り方が見事である。大使夫人も天才的。なのだが、勝手に建築論議論で盛り上がってしまう我々は常識はずれ人種かも。

○副とつくが力は副なしの大統領だと巷の噂。人への溶け込みかたの上手さはさすがである。

○建築のアイデンティティがテーマなので日本建築史を15分で駆け抜ける。
朝からコンペ審査。ジェフ、ベレン、僕で審査する。市の関係者が質問に答えてくれる。視察した現地を思い出しながらなるべく英語で話してもらうように頼みなんとか最終三案を選ぶ。ジェフがアメリカ人にしては奥ゆかしく、僕に一等を決めろと言うのでこれにしょうと言うと異議なしで決まる。
12時に大学を車で出て日本大使公邸に向かう。公邸周辺は完全なゲイテッドになっている。もちろんグアテマラで最も大きな家が集まっているところでありアメリカの高級住宅地の風情である。
こういうことは初めての僕に比べると父親が外交官だったアナはやるべきこと、着るべきものが分かっている。タイを日本から持ってこなかった僕にハズバンドのタイを持ってきてくれた。ありがたや。公邸にはイスモ大学の学長ペレス、学科長アナ、僕の面倒を見てくれているロールドレス、そして佐々木アソシエイツの(やっぱり日本人が創始者だからか?)パブロとロベルト、日本政府の奨学金を申請している学生(名前忘れた)が招待された。もちろん人選は大学がリストを送り大使館が行う。
大使館の建物は自前のモノから借りているものまである。ここは借り物。大使館の家具は赴任中の大使の好みで決まって行くので、長年の間にトータルコーディネーションが崩れると嘆いていた。日本人はインテリアがあっさりしてしまいますねとこれも嘆き。そう言われるとちょっと渡しずらくなったが、拙著2冊を差し上げた。娘さんがバートレットで建築を勉強中とのこと。では是非フォーティ―にお会いくださいと申し上げる。
さすが日本だと感心したが、ペルー料理と日本料理を交互にギャップなく味が繋がるように出してくれる。大使曰く、中南米の食事はペルーとメキシコに起源があると教えてくれた。いやーこんな料理を出されると感性の高い人はしびれるだろうなあ。
3時に公邸を辞して、大学に戻る。アナは再びドレッシーに着替える。やはりヨーロッパ文化だなとつくづく思う。中国行ってから、すぐ旅立つと持ってくる服を間違える。もうアナや副学長の服はパーティードレスさながらである。会場に車で着くと、学生も含めて皆滅茶苦茶おしゃれに着飾っている。やれやれ、、、、
ホルヘモンテスチェアという名の一連の建築イベントのピークが今日であり、会場は400人くらいの学生、建築家、各大学の建築学科ディーンが集まって来ている。6時から始まる副大統領の挨拶が6時半に遅れる。グアテマラタイムだと皆気にしない。副学長、学科長そして副大統領の挨拶。さすがに政治家の挨拶を他と比較すると迫力が違う。そして僕が紹介され建築のアイデンティティについて話を始める。他の国に行って、建築のアイデンティティについて、学生から、日本大使夫妻も前にして語るのは実に難しかった。しかし今回はある程度それを予測しながら、生まれて初めてきちんと原稿を用意してスピーチした。これは本当である。言うべきことをきちんと言えたと思うし、さすがに原稿あると余裕もあって冗談の一つも言えたのだが(最近これは必須である)一方で会場を見ながら原稿に目を戻すとロストしてしまうことが分かった。副大統領はI-PODと手書きのどでかいメモを持ってきてI-PODはどうも万が一の時のために演台の下において手書きを見て話していた。その理由がよく分かった。90分の予定が副大統領が遅れて75分くらいに切り詰められたが無事納まった。
終わってカクテルパーティがあり、学生に頼まれて数十枚一緒に写真をとったが、僕より大きな女性が3分の2くらいはいるのには参った。いや背だけでは無く横にも結構大きいよね。昨日アンティグアで彫刻を見ている時にお腹が出ているかいないかというのが議論になった。出ていることが美の要素である時代もあったようである。11時。明日ティカルに行く僕を慮り、アナに「さあ行くよ」と言われ今日が最後になるモネオの娘ベレン、パブロとハグ。ベレンは本当に可愛らしくて素敵なレディだった。ハーバード出た後、どうしてコロンビアの院に行ったのかと聞くとハーバードのディーンが父親だったからだそうだ。マドリードか東京で是非会おうと言って別れた。パブロはハーバードの院を出てハーバードで教えているとのこと。僕がアルゼンチンに最初に行った時にボカのチケットをすぐ買ったと言う話を皆に言いふらし、そんな男がこんな建築を作っているなんて信じられないと笑いを誘う。彼はワークショップの先生だったが、昨晩夜中に呼び出され最終プレンを見たが、3割くらいがとにかく素晴らしいレベルである。2日しかないのにここまで引き上げる力に感心した。彼と別れるのも淋しいものだ。2メートルくらいありそうなイカス男とハグするのは大変。こっちが背伸びして、向こうがしゃがむ。
部屋に戻り明日の準備。飛行機6時半だから、、、、

スパニッシュとマヤのコンバインを見る

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by 卓 坂牛


○スパニッシュコロニアルがマヤ人の建設者によってマニエリスティックに変形され柱のプロポーションがでぶになった。

○この丸い広場に見えるところには屋根がかかっていた。そしてこの丸い部屋の周りには15個くらいの部屋と思しきものがあり、そこには下水に繋がるトイレがついている。一体ここが何に使われていたのかは未だに分かって無いらしい。

○このコーナーウインドウ組積造文化では珍しい。構造的にはこの格子の後ろに柱は立ってる。出窓にしているところがみそ。

〇この鳩小屋は一般に1階建てのアンティグアの大きな家のロフト的な場所に作られている。この小さなボールトのついた穴が鳩の入り口、とするとこの四角い穴は何なのか議論となった。

○このドーナツ空間はせまい階段を地下に降りると突然開く。狭いところから突如開かれた場所に出るのはマヤのシークエンスだとアナは言う
朝大学でワークショップの様子を覗きすぐに、ベレン、ジェフ、アナ、と一緒に車で1時間ほどの古都アンティグアに向かう。日本に来たことがある先生の一人が、グアテマラシティは東京でアンティグアは京都だと教えてくれた。学科長アナは一般にアンティグアの建築様式がコロニアルスタイル(スパニッシュバロック)と言われることに疑いを持っている。これはヴァナキュラー建築だと言うのである。
グアテマラにはスペインのマスターアキテクトは来ていなくて、インストラクションドキュメントのみがあり(それがどのようなものか会話の中では曖昧だったが)それをもとに、マヤの人間がそれを建設した。マヤの建築はアンソロモルフォロジック(人体寸法を基準に形態を作る)なので彼らはスパニッシュバロックを自らの寸法形態に変えて行ったというのである。
さてそんなものちょっと違ったって僕には分かるまいと思って行ったのだが、果たして全然違うということが一目瞭然だった。しかしこんなマニエリスムは元祖スペインにだってあるだろうと思いマドリードに住むベレン夫婦に聞くとすかさずこんなの見たこと無いという答えが返ってきた。彼らも驚いている。アナがこういうことに注目したのはキューバ―の学者が提唱しているtransculturelizationという学問領域に興味があるからだと言う。
アナが観光客では見られない、見るべきところへどんどん連れて行って説明してくれるので本一冊分くらいの特別講義を聞いた感じである。
建築様式が異なる文化の中で変形するのは多かれ少なかれおこることなのだろう。しかし正直言ってあまり真剣に比較しながら建築を見たことは無かった。
例えば日本建築はどうだったのだろうか?彼らの目から見ると中国建築は日本に入りシンプリファイされたと映る。確かにそれは事実だろう。ではそれはどうした理由に因るのだろうか?理由は無く単なる芸術意志なのだろうか???

敷地見たりプレス発表したり

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by 卓 坂牛


○コンペ敷地の視察 奥の女性がベレン・モネオ、隣が旦那のジェフ・ロック2人でラファエル・モネオ事務所を切り盛りしている

○アナがディズニーランドだと怒っている開発。日本人には分からんな。

○ITSMO大学のチャペル。これを見て思い出すのはバラガンの教会。黄色いガラスはとてもポピュラーなのだそうだ。

○例によってこんなでかいポスターが。僕を読んだ理由は学生の希望と聞き少し嬉しい。

○プレスコンフェレンス。右からシルベリオ:メキシコのランドスケープアーキテクト。パブロ:佐々木アソシエイツ、彼はアルゼンチン生まれなので話がはずむ。ホルヘ・モンテス:グアテマラ建築の父のような人シンポジウムには彼の名が冠されている。アナ:建築学科長。長崎全権特認大使。ベレン・モネオ:ラファエロの娘、気さくで賢くてとてもいい人。そして僕。
グアテマラに来た目的の一つはITSMO大学で年に一回行う建築会議で活動し、スピーチをすること。もう一つはコンペの審査。午前中はその敷地視察。グアテマラシティは旧市街と新市街に分かれている。旧市街は歴史遺産が有るものの少々荒れ気味。例によってそばにはスラムもある。市は復興局のを設置。ダウンタウンが荒れるのはアメリカも同じ。今はどうか知らないが、僕がLAにいた時はダウンタウン開発局があり、その活動の一環で磯崎さんのMOMAができた。僕の修士設計もダウンタウンのインターベンションだった。おそらく何処でも新しい街が隣接あるいは周りにできる場合は古い街が閑散とする(例外は北アフリカのメディナ)。
復興局を先ず訪れ彼らの作業を聞く。かなり高度な作業をしている。彼らの提案はInternational Architecture Biennale Rotterdamで銀賞を受賞したそうだ。彼らに連れられてコンペの敷地である大きな市場とその周りのバスターミナルを見学。驚くべきことにこの視察に警察官が2人随行。案の定ジャンキーおじさんがよって来た。
この審査はBelen Moneo(ラファエロ・モネオの娘)とその旦那Jeff Brock と一緒に行う。彼らはコロンビア大学の同級生で南京のシンポジウムで友達になったReinhold Martinの友達だった。世の中狭い。
昼はITSMO大学建築学科長のアナに連れられ新市街へ。20分行くと突如風景はアメリカの郊外の。こんな調子だから彼らはアイデンティティを語りたいのである。さて昼を食べたところはスパニッシュコロニアル風の開発。飲食物販住居のコンプレックス。彼女はまるでディズニーランドだと怒っている。これってコロニアルスタイルじゃないの?と聞くと全然違うしたとえそうだとしてもナンセンスだと憤る。こんなコピペは僕がいた長野でもあったと言うと、問題はへんちくりんなものを人々が好きだと言うところだと言う。そう言えば中国でも売れるマンションはボザールコピーだと嘆いていた。世界中で同じことが起こっているを知る。
夕方大学でプレスコンフェレンス。大使館から大使と書記官がいらっしゃった。書記官が「最近まで中国にいらっしゃったそうで」とおっしゃるので驚く。ブログを見ているという。プレスコンフェレンスではいきなり振られて焦る。大使が僕の説明を十分にしてくれていたようなので、アイデンティティは難しいと語りお茶を濁す。
それが終わりSASAKIアソシエイツのやっているワークショップを覗く。10チームが全て違う未踏の敷地を選び3000㎡のインフォメーションセンターを設計中。2日で何ができるか楽しみである。
その後8時からは大学と産学協同しているコンクリート会社のエンジニア10人くらいとカクティルミーティング。フォーティーを読むことを勧める。
長い一日がやっと終わる。そうそうミーティングの途中で隣地の動物園からライオンの鳴き声が聞こえたのには驚いた。

グアテマラのステーキも美味い、厚い、安い

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by 卓 坂牛



午前中スピーチ原稿をなんとか完成さえビジネスセンターで印刷してもらう。それを読もうと思ったら時間。ITSMO大学のロールデス先生夫妻が迎えに来てくれた。佐々木アソシエイツのアソシエイトスタッフも一緒である(名前忘れたが彼はアルゼンチン生まれ)。佐々木アソシエイツはすでに創設者の佐々木さんは亡くなったものの250人のスタッフを抱えボストンに本拠地を置く巨大事務所である。現在ITSMO大学のマスタープランを作っているのだそうだ。
ロールデス夫妻が我々を近所のレストランに連れて行ってくれた。彼らは(昨日のアンナもそうだが)とても初めて会った人には思えない人懐っこさ。ファーストネーム連発であっちこっちを見ろ見ろと指し示しながら説明する。そしてレストランではメニューの説明。ここではとにかくステーキを食べろという。おおおアルゼンチンと同じである。そしていろいろな種類の中から一つ選んでくれて残していいから12オンスを食べろと言う。約350グラムである(ちなみに値段は1500円くらい)。この進め方もアルゼンチンと同じ。そして、実にうまい。アルゼンチンといい勝負である。素晴らしい。そして果物野菜も何でも上手い。
初日から食べ過ぎると胃が壊れるので少し残す。食後は旧市街の方をぐるっと回ってくれる。何処でもダウンタウンは少々怖いがここも一人では来たくない感じである。怖いところに隣接してきれいな公園がありそこにはグアテマラ全土の水平方向10,000分の1、垂直方向2000分の1の巨大模型があった。模型を見るための2階建の物見台が二つ置いてある。これを見るとよく分かる。国の中央を東西に山脈が貫いているそしてその中に火山が沢山ある。朝見た富士山のような山もそこにありそれは水の火山なのだという。????どうも火山の裏の高地に湖がありその昔の噴火で山にひびが入りその水が流れ出し周囲の街を水没させたのだそうだ。数日前爆発したのもこれだそうだ。3万5千人が避難したようだが、どうなったのだろうか、滞在中に噴火するだろうか?

グアテマラに富士山発見

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by 卓 坂牛


例によって時差で朝4時くらいに目覚めるが必死にベッドで寝る努力。7時ころ明るくなったので仕方なく起きてベランダから外を見る。昨日はキッコーマンに驚いたが、今日は富士山そっくりの山に驚く。来る時読んでいたグアテマラガイドブックに街はけっこう危ないと書いてあるのでジョギングしても大丈夫かとレセプションに聞く。このホテルの周りは安全だというので、一回り。しかしホテルのゲートやエントランスには明らかにベルボーイではない風体の屈強な背広姿の男たちがいるし。エレベーターはカード差し込まないと動かない。危険の匂いぷんぷん。ホテルのまわりは何かイベントでもあるのだろうか?広場に子供がたくさんいた。アルゼンチンと違ってヨーロッパ系の顔した人は殆どいない。そう言えば昨日あったAnnaも混血だった。ジョギングから戻り朝食の場所を聞いた受付の女性が研究室のHさんにそっくり。日本人移民が最初に来たラテンアメリカの国はグアテマラだそうだ。

グアテマラに減塩醤油あり

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by 卓 坂牛


中南米に行く時のトランジットはだいたいアメリカだが、いちいち入国してまた出国というこの手続きが鬱陶しい。前回のアルゼンチン同様今回もヒューストン。6時間待って8時の飛行機でグアテマラまで2時間。夜中の10時ころ到着。ISTMO大学の建築学科長ANNA が夫婦で迎えに来てくれていた。ほっとした。今まではずっとロードレスという教授とやり取りしていたのだが今日は学科長。彼女はお父さんが外交官でグアテマラ生まれだが3歳でアメリカ、その後オランダ、フランス、10年前くらいに母国に戻ってきたそうだ。英語がとてもうまい。これからの予定を聞くといろいろと詰まっている。シンポジウムのオープニングにはVICE PRESIDENTも来ると言う。大学の副学長?て聞くとNO!副大統領だとか。一体このシンポジウムって何なのだろうか?そのシンポジウムの基調講演を僕がするってどういうことなのか?謎が多い。
ホテルについてお腹が減っていたのでレストランを探す。二つあって一つは何と日本食。じゃあちょっと覗いて見ようと入るとフレンチのインテリアで日本食。テーブルには減塩醤油ものっているのにはびっくり。

今日のホテルを聞き忘れていた!!!

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by 卓 坂牛


母子は朝早く墓参りに出かけ、僕はスピーチ原稿を打ち続ける。昼、家を出て成田へ。ユナイテッドのカウンターが厳しくて荷物が規定より2キロオーバーの25キロなので小分けにしろと言う。仕方なくキオスクで袋買ってそれに靴やジーンズを入れて預かり荷物を二つにする。こんな小さな紙袋(ガムテでぐるぐる巻きにしたのだが)遠く中米まで間違われずに届くだろうか??
先週まで中国にいて、その前一週間くらいはその準備で頭が一杯だったので、グアテマラのことはスピーチ以外のことはまったく頭に入って無い。昨日も遅くまでべったり大学にいたのでパッキングもかみさんに任せた。そもそも自分の泊まるホテルも知らない。そう言えば誰が迎えに来てくれるのだろうか???夜着くのにやばいな。治安がいい所でもなさそうだし、、、、あせってメールしたけれど、返事が来ていない。
機中はさっぱり眠れぬまま乗り換え地ヒューストン到着。ひどく眠い。グアテマラシティ行きの飛行機まで4時間ある。一昨年マドリードでゲートで寝ていたら、いつの間にかゲートが変更になって飛行機をミスした苦い経験がある。早めにゲートに行くと危険なので今日は人が沢山いるところでうろうろする(寝ないように)後4時間何したらいいのか?難しい本読むと寝そうだし、酒飲むと寝そうだし、スピーチ原稿推敲するには頭冴えてないし、、、、、、
おっとこの空港ワイファイフリーだ。アメリカでは初めての経験!!!

伝統は創作の出発点ではありえても回帰点ではない

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by 卓 坂牛


昼から近代建築ランチゼミ。2時から4年卒論ゼミ、後期はM1も参戦。4時から講義、今年から始めた一部、二部合体の建築空間論。6時から3年生の製図。今日はイントロ。
夏休みも終わり後期開始。
近代建築ランチゼミは2時間金子君、天内君と徹底討論。と言っても、分離派プロ天内とメタボリズムプロ金子相手に坂牛はそれを結び付ける糸をひたすら質問しながら探すという格好である。中国で感じた徹底討論の面白さを是非日本でも持続したい。話を曖昧に終わらせずに突き詰めていく姿勢を忘れないようにしたい。
日本のモダニズム概念は誰がいつどのように生み出したのか?馬鹿の一つ覚えのように自問自答している。日本はそれを確立する前にそれをマニエリスティックに活用することに走ったのか?いやそれが日本のモダニズムだったのか?例えば丹下さんの桂の美への肉薄はそれを表している。そして篠原さんはそれをはねつけるかのようにこう言った。
Tradition may constitute a point of departure for creation, but never a home to come back to.
篠原さんの象徴空間で有名なのは白の家の柱だけれど、このSDの表紙を見ると、ここにも床柱の象徴性が無意識のうちに入りこんでいるように見える。もちろん回帰点でゃなく出発点として。