On December 31, 2012
by 卓 坂牛
娘に万年筆を買ってあげたく銀座の伊東屋へ。大晦日の銀座は驚くほど人が少ない。そして伊東屋にも人がいない。こんな伊東屋を見たのは初めてである。万年筆売り場はアネックスに移動していた。10本近く試し書きをしてイタリアのスティピュラを購入。
帰りがけ、教文館書店の店先で東京の古地図の複製が売られていた。明治から昭和まで数十種類。明治40年と昭和2年の二つを買ってきた。これを見て一番の驚きは路面電車網がすでに明治時代からかなり整備されていたこと右が昭和二年、左が明治40年。どちらも赤い線が路面電車である。今はご存じのとおり荒川線しかない
On December 30, 2012
by 卓 坂牛
今日は朝から大掃除。しかし我が家の大掃除は不思議なもので、私、娘が、配偶者から分担場所を言い渡され、(もちろん配偶者自身の分担場所も大いにあるのだが)それを好きな時に勝手にやるというもの。僕は今日、朝から一人で勝手にベランダと風呂場を掃除した。娘は昨日自分の分担である壁を掃除してどこかへ消えた。
夕方事務所で平瀬さんに会うまで山本紀夫『梅棹忠夫―「地の探検家」の思想と生涯』中公新書2012を読んでいた。先ずこのブログを読んで梅棹忠夫を知らない大学生は同じ中公新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』を呼んでほしいと思う。僕は高校生のころこの本を読んで目から鱗だった。そして古典的名著だけど単なる古典ではない。今読んでもおそらく新鮮だろうし、実際2012年の段階で90刷140万部のロングセラーである。とはいえなぜそこまで勧めるかというと、学校では知識を教えてくれるが知識の獲得の仕方を教えてくれず、そういうことがここには書かれてあるし、おそらく僕はここに書いてあることの8割をその後実行し有効だと実感しているからである。
さてその著者梅棹さんのことを描いたこの本を読んでまた目からうろこである。知の巨人とはこういう人なんだとつくづく感じ、尊敬の念が一段と高まった。彼が言う生態学という言葉に再度注目してしまう。死んだ昆虫を集めても得られることは少なくて、生きている全体系を観察するのが生態学だと言うその認識が数十年たった今でも新鮮である。建築もつくづくそうのだと思う。建築とその周辺を含む全体系の中で観察することが重要だ。つまり「建築生態学」である。生態学はecologyなのだが、いわゆるエコという響きとここで言う建築生態学はなんの関係もない。
On December 30, 2012
by 卓 坂牛
今日は年賀状をやっと全部書き上げて(と言ってもプリンタが宛名をしてくれるのですが)それをもって東京駅の中央郵便局へ。料金別納なので枚数を聞かれますが、わかりません。すると10枚だけ重さを量り後は重さで値段を決めるのが面白いです。結局2万円払ったので400枚ということです。そのあと東海道線から横須賀線に乗り継ぎ鎌倉へ行きました。
毎年12月29日に渋谷でやっている忘年会があります。坂本研のOBである僕、奥山さん、塚本さん、柳澤さん、木島さん、小川次郎さん、貝島さん、篠原研の武田さん、石田さん、はたまた竹中の萩原さんなど、いつも柳澤さんが段取りしてくれるのですが、今年は柳澤邸ができたので鎌倉でやろうと言うことになり今日ははるばる鎌倉で飲むことになりました。しかし鎌倉だと帰りが気になってとてもじゃないけれど酔えません。というわけで9時くらいにはさっさとお開きで静かに帰宅しました。健康的ではありますが少々静かな忘年会でした。帰ってドアを開けたらかみさんが娘の帰宅と思ったようで「誰?ふみ?」と娘の名を呼んでいました。「僕だよ」と言うと驚いていました。帰るのが早いし、酔っていないし。明日は家の大掃除。
On December 28, 2012
by 卓 坂牛
●リドー第二
毎朝のジョギング探検を日課として半年。寒さにも強くなってきた。さて今朝発見した不思議なビルをFBに載せたらいろいろとご意見をいただいた。みなさん気になるビルだったようで、ネットで調べてみた。建物の名前はりリドー住吉ビル。その隣の隣が第二リドーと呼ばれている。どうもこれは僕の記憶が正しければ土岐新さんの設計である(間違っていたらごめんなさい」。それでリドー住吉ビルはネット情報では下記の通り。
「リドー住吉についての発見:-日本のガウディとして知られる梵寿綱設計の建造物。まだ、梵寿綱と名乗る前のもので、以後の作品よりすっきりとしたデザイン。-1969年当時(おそらく建設年)、賃貸で千葉真一さんと谷隼人さん、他に当時の流行歌手ひとり住んでいた」
http://cm-song-movie.blogspot.jp/2010/07/blog-post_28.html
なるほどね。こんなビルを設計しようと思って設計できるのはやはり梵さんしかいないということか。しかし確かに梵を名乗る前の梵さんは秩序ある古典的な作風だったんだ。これいいよなあ。本当に。
●リドー住吉ビル
On December 27, 2012
by 卓 坂牛
今日の朝日の夕刊にニューズウィーク紙の発行これが最後(Last Print Issue)と報じられていた。すでに知ってはいたが改めて新聞で見るとショッキング。これからは電子版だけとなる。それは、しかし雑誌新聞のこれからの宿命とも感じる。僕は朝日新聞の紙もデジタルもとっているがそれは双方を体感したいからである。その結果、正直言ってどちらがいいとも感じてない、風呂とトイレではデジタルだが食卓では紙である。外出してまでニュースを知りたいとは思わないが、読みたい人はデジタルの方が便利だろう。まあいずれにしても両方必要だとは感じない。そうなると省資源、速報性から言って、電子版が残るのだと思わざるを得ない。
さて建築界にもその波はもちろん来ている。図書館から来年の雑誌定期購読の件で電話が来た。『2G』は来年紙媒体は無いですよと言う。本当?何度も問い直してもらったが正しいそうだ。この状況が『2G』で終わるわけはない。よほどの理由がない限り、おしなべてほとんどの雑誌も同じことになると思う。さて紙媒体がなくなると一体どういうことになるのだろうか?そもそもニューズウィークのようなテキスト媒体と異なり、視覚情報がメインの建築電子媒体の情報は売れるのだろうか?その情報を買う買わないはその希少性と質にかかわっている。つまりそこにしかない情報かどうかということと、その情報の質(写真ならその解像度やアングルの)である。さてその希少性だが建築の場合その視覚情報がそこにしかないということがもはやほとんどなくなっている。設計者のホームページに行くまでもなく、どこかの建築HPで手に入れることができる場合が多い。もちろん雑誌の電子媒体の情報の方が若干質が高いことは確かだが、あえて雑誌の電子媒体を個人が買うだろうか?となると雑誌電子媒体の生き残る道は二つ。ひとつは写真、あるいは動画の個性と質、今までのような客観的写真ではもうだめなのかもしれない。そして次は思想である。それを生み出すのは評論であり、編集方針である。すなわち雑誌全体の個性が建築思潮を語っているかどうかという点である。そうした骨のある電子媒体が登場することを皆が期待しているのだろう。
On December 26, 2012
by 卓 坂牛
松岡正剛が平仮名は日本人の唯一にして最高の発明だと『日本という方法』の中で書いていた。それはそうだと思うのだが、ではカタカナは?とふと思う。本日水戸への往復で網野善彦『日本の歴史を読み直す(全)』ちくま学芸文庫2005を読んでいたら文字についてという章があった。そこでは日本人の識字率の高さや女性が平仮名をあやつり文学を作ったことなどは世界に類をみないと指摘され、加えて片仮名の世界について語られている。現代では片仮名は擬態語、外来語、発音などの表記にぽつぽつと登場するのだが、時代と内容によっては文章全部片仮名だった。片仮名はそもそも口頭で語られる言葉の表記に使われそれは神仏とかかわりを持つ場合が多かったそうだ。
辞書には平仮名は万葉仮名の草体化、片仮名は略体化と説明されているだから片仮名には字の美しさの追及が欠如しているのかもしれないし、それはまあ明らかではあるが、しかしこんな片仮名だけの書というのもいくらでも芸術化可能に見えてくる。昨今ではなんでもかんでも全部カタカナで書く流行があるようだが、それは中世の落書きのようなある種の批判精神の現れなのか?なんだかこの文字は何時の時代でもちょっと異種な内面の現れを伝える道具なのかもしれない。
On December 25, 2012
by 卓 坂牛
午前中現場、今日は長野で使っていた山用のロングダウンコートを着て靴にはホカロンをそれぞれ2つずつ入れて行った。さすがにこれだと耐えられる。いっしょにいたスタッフは足先の感覚が麻痺したと言っていた。いつもはこの現場を終えると駅まで歩けないほど足首が痛くなるのだが、今日は余裕。西荻で昼をとり研究室に行き打ち合わせ。夕方神楽坂で会議を終えて四谷に戻る。駅ビル「アトレ」で明日の施主への手土産を買い、ついでにワンパック900円の大きなイチゴを家族へのX‘masプレゼント。事務所へ戻り久しぶりにインターオフィスとアクタスの方とお会いして昨今の家具の話を聞く。インターオフィスでも一脚2万円台のかわいい椅子が結構たくさんあることを知る。例えば写真のもの、Edward Barber & Jay Osgerbyという若手二人組のデザイン。ポリプロピレンン製で若干前に傾く。この前傾チェアが最近の流行らしい。コンピューター操作など、少々前傾すると骨盤から背骨、頭蓋骨の位置が理想的なS字カーブの上に乗るそうだ。一脚二万円台ならちょっと試してみたい。
On December 24, 2012
by 卓 坂牛
昨日、配偶者に「日本」という名前がこの国の名称となったのはいつか知っている?と聞いたら日出る国の後だから700年台と言う。あれいい線いっている。僕より歴史センスありそう。正解は689年。天武天皇が編纂を開始して死後その皇后の持統が施行した浄御原令(きよみはらりょう)に記されていたとされるそうだ。僕にはそんな知識は全くなかった。網野善彦の『歴史を考えるヒント』新潮文庫(2001)2012に歴史の言葉は今持っている意味を挿入してはいけないという教訓の最初の事例として取り上げられていた。
この教訓は例えば『言葉と建築』にも当てはまる。ここで書かれていることはまさにそのことなのである。例えば形、例えば空間、例えば機能。これらが今僕らが知っている意味になったのはたかだか100年前くらいのことである。それまでは建築を説明する言葉として存在しないか違う意味だったわけである。歴史の中で出会う言葉、いやそもそも言葉とは常にそういう目で見ていないと危ない。
On December 24, 2012
by 卓 坂牛
江戸名所図会で有名な斎藤月岑が描いた荒木町の絵のコピーがとんかつ鈴新のマスターから送られてきた。絵の上の文字を配偶者に解読してほしいとの依頼である。こんなものすぐできるのかと思いきや、そうでもなさそうで悪戦苦闘中。
絵の方は荒木町策の池(むちのいけ)あたりの江戸の様子が忍ばれる。それにしても松平の屋敷内の様子をこんな風に描いてしまってよかったのだろうか?