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Feb 2013

暗い空間の上に現れる白い家

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by 卓 坂牛


今朝はひどく寒かった。風が強くて体感温度は0度くらい。9時ころ家を出て現場へ向かう。10時から完了検査の予定。ところが現場に着いたら担当者が「終わりました」と言う。検査官が9時半に来たらしく、20分くらいで終わってしまったそうだ。検査は最近担当に任せているのだが、ここは担当が初めてということで応援に来たのだが不要だった。「おいおいちゃんと見たのかよ?」と思いつつも、こんなものさっさと終わるに越したことはないわけでさっぱりした。これで立派に法律を守った建物となった。
内部は塗装もほぼ終わる。暗い空間の上に白い家形をした吹き抜けが現れる。家の中にもう一つの家が現れたように見える。。未決事項を手早く決めて12時に現場を後にする。来週は施行会社の自主検査をして、再来週は事務所検査。その週末オープンハウス。
午後大学で会議、打ち合わせ。来年のTAの数を数えていたら頭が痛くなった。こういう作業大嫌い。9時に大学ロックアウト。明後日は社会人特別選抜である。

理科大理工の修士設計講評会

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by 卓 坂牛


午後、理科大理工学部の修士設計の講評会に行ってきた。理科大は僕のいる工学部建築学科と理工学部建築学科がある。理工学部は千葉県の野田市の大きなキャンパスにある。広いせいか制作スペースもゆったりあり模型も工学部に比べるとやや大きい気がする。
今年は常勤の先生たちに加え、宮本佳明さん、池田昌弘さん、メジロスタジオの古澤さん、末光弘和さん僕がゲストで呼ばれた。なかなか豪華な顔ぶれ。発表者は14人いて最初に全員プレゼンした後、講評者で投票して票の少ない順に議論し、最後再投票して最優秀、優秀を決めた。そのプロセスはさながらコンペの公開審査である。作品の内容は工学部も理工もいい勝負だけれど、工学部が5人しか修士設計をやる人間がいないのに比べると選手層が厚いかんじであるし、何と言っても学生と対話しながらの最終選考まで進む進め方ははるかに理工学部のシステムは素晴らしい。見習いたいところである。最優秀案は新たな構造原理による場の創出を模索したもの。修士設計はこれから設計していく自分の考えの核を創る場である。これが彼の背骨となって今後素晴らしい設計者として生きていくことを期待したい。

松岡聡さんたちによる狂気の配置図集に驚嘆

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by 卓 坂牛


松岡聡さんから本を頂いた。『サイト―建築の配置図集』学芸出版社2013。いただいてしばらく目を通す暇がなかったのっだが、今日じっくりと眺めてみた。80近い建物の配置図が描かれているのだが、配置図と言ってもその範囲がとてつもなく広い。一般に我々が配置図と呼ぶ図面の範囲を遥かに超えている。このとんでもない一種の狂気ともいえる着眼点と作業量に先ずは驚かされた。
上の図は一体どの建物の配置図か分かるだろうか?というより対象建物がどこにあるのか分かるだろうか?じっくり見ていくとやっと分かる。サボワ邸である。それはおそらく、あのU型の一階平面が描かれているからである。建物と周囲の関係だけでサボワ邸を認識できる人は少なくともここを訪れたことのある人だけであろう。
僕自身サボワに行って最初に驚いたのはその建ち方だった。もちろんサボワ邸をその単体の特徴(たとえば5原則の具現化)として捉えることは間違いではないけれど、この建物が宇宙船のように空から舞い降りてきて野原に着陸した(ように見える)ということもサボワの最重要項目の一つだと僕は思っている。
かくのごとく建物とは建ち方である。そしてそれは敷地内での位置であることは固より、もっと広い範囲での風景の一コマなのである。
この図がどのような方法で描かれたのかは分からないが(google earthをトレースしたのだろうか)周辺の建物の屋根の形状、密度、植栽の形、密度が刻銘に描かれていて二次元でありながら3次元を想像させるに足る情報量を持っている。恥ずかしながら行ったことのない建物だらけなのだが、写真などでは伝わらない建物の現れがこの図の中には建ちあがる。この図が持つ情報を頭の中で組み立てることは若い建築学徒にとって必須のトレーニングではなかろうか。

無自覚ないいものに気づくこと

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by 卓 坂牛


●地の家の隣に第二地の家
桑沢デザインの大松さんに呼ばれ、2年生のスタジオの講評をした。課題は大松さんが7年間くらい続けているもので篠原一男の住宅を一つ与え、その隣地に同じエッセンを受け継いだ住宅を計画せよというもの。ゲストは篠原研のOBがずぅーっと呼ばれてきているとのこと。白澤さん、坂本さん、武田さん、高橋さん、安田さん、というわけで、順番で僕のようだ。しかしよく考えると依然奥山さんと二人で呼ばれ対談した気もする。あれとこれは同じスタジオなのだろうか?古い話でもう分からん。
最初に20くらいある作品から8個選んで発表してもらうのだが、この8選ぶのが難しい。さすが桑沢だと思わせられた。はずれという作品が少ない。これは工学部の建築学科では考えられないこと。やっと選んだ8つを講評しながら思ったのは、これも桑沢ならでは、なのだが、コンセプトで主張していることよりもっといいことが見つかること。もちろん「言っていること」と「やっていること」が「合う」ということがとても重要なのだが、往々にしてこれははずれる。そして往々にして言っていること以上のものは見受けられない。しかるにここでは言っていることよりいいことが見え隠れする。それに自覚的になれればしめたものである。それを自覚して自分の技にすれば少しずつ決め技が増えるはずである。

幕末の不思議

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by 卓 坂牛


今日から大学も入試試験が始まる。裏門から職員証を見せて入校。大学の中はもちろんとても静か。雑用を片付け副査になっている修士論文を引き続き読む。とても全部一辺には読み切れない。
夜は読みかけの文庫本半藤一利『それからの海舟』筑摩書房2008を読む。著者も言うようにこの人がいなかったら江戸末期は内戦がおこっていてもおかしくなかったと思う。そんなことになっていたら一体日本はどんな国になっていたのだろうか?歴史は不思議なものである。

坂本一成の小ささによる親しみ

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by 卓 坂牛


午前中代田の町家を見学に行った。売りに出されており、買主が見つかる前に最後のお披露目ということのようだ。以前一度見せていただいたことがありその時の印象が鮮烈で2度見る必要はないかなと思ったのだが、やはり名残惜しくまた行った。
印象は変わらない。最初の印象通りである。それは一言で言えばスケールである。坂本先生のこのころの建物の垂直方向の高さのとり方は曰く言い難い。簡単に言えば低く感じるように作られているのである。先ずファサードが低い。いや実際にはそんなには低くないのかもしれないが低く感じられる。そして内部に入るとやはり低い。いやこれも全体的にべったり低いわけでもないので低く感じられると言った方がいいのかもしれない。高いところもあるのだから。それは天井だけではない。椅子とか手すりとかキャビネットとかが低いのである。
一般論で言えば和室は床に座るのでその関係性で周囲が少し低めに抑えられる。一方椅子に座る部屋なら周囲は少し高くてもおかしくない。だから椅子の場所が高くて畳は低いというのが一般論でありこの家でもそれはそうである。しかし世の中一般のそれとは少し違う。例えば広間は二層吹き抜けである。木造住宅のごく普通の階高を考えれば5メートルくらいあってもいいのだがそんなに無い。おそらく4メートルちょっとというところだろう(間違っていたら恥ずかしいけれど)。そしてそこにある作り付けのソファが低い。SH300無いしソファー上に頭を押さえつけるように庇が出ている。2階の和室は片流れで低い方は1800くらい高い方は2500くらいはあるかな?洋室は天井が切妻型で結構高いが普通800くらいある窓台が椅子の高さである。二階の廊下は片流れで低い方は頭がぶつかりそうである。そして手すり兼収納は500くらい。
かくのごとくどこも少しずつ低く感じられる。決してとんでもなく低いわけではない。だから逆にボディブローのようにじわーっと効いてくる。
四方田犬彦が『かわいい論』の中でかわいいの本質の一つに小さいことを挙げていた。つまり世の中に出回っている寸法より少し小さいものには何か子犬を見るような可愛らしさを感じるということである。そしてかわいらしさは親近感に通ずる。坂本建築をいろいろ見てきたがこの親しみがいいのだなああと思うに至った。

2週間で400万

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by 卓 坂牛

日工大で博士論文の審査して理科大に戻って博士論文の審査。頭がぐるぐる回る。研究室に戻るとコンペの一等賞の話あり。300万とのこと。素晴らしい。先週も一等賞で100万。金を有効に使いなさい。

理科大修士論文、設計発表会

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by 卓 坂牛


論文発表会最後の波の修士論文と、設計発表会朝九時からみなさんご苦労様。昼休み後は少々眠いけれど、意匠、構造、環境、やはり修士になると、説明時間が長くなるのと、説明も上手になるのとで異分野もわかりやすい。神楽坂で論文発表やって、九段に移り設計の発表。設計が5人しかいないのは少々残念。内容もピンキリ。先ずはご苦労様。これで自分の大学は全部終わった。来週は他大で二つ。