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Jun 2013

アクソメ図が日本の卒制に登場するのは昭和

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by 卓 坂牛

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第三回目の分離派研究会に行く。場所は東大。前回、とても有益な話を聞けたが、今回もまた実に面白い。前半は岩岡さん、大宮司さんによる山田守の作品紹介。後半は明治期の建築学の成立過程を研究する角田真弓さんによる20年台前後の東大建築教育の変遷。この話は面白い。カリキュラム、卒業論文タイトル、卒業設計、の変遷を実際の図面スライドを見せていただきながらお話していただいた。
分離派からは少々離れるが、卒制の3次元表現の変遷も面白い。ずーっと透視図だったものが昭和に入り突如アクソメが登場する。その嚆矢が前川国男である。前川の持つ近代性がますます気になる。

住宅における生活臭問題

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by 卓 坂牛

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大学時代の建築史の平井聖先生の放送大学での教科書『日本人の住まいと住まい方』放送大学出版2013を読んでみた。ユニークである。章立てがこうだ。ねる、すわる、はきものをぬぐ、かこむ、たべる、まかなう、しまう・すてる、ゆあむ、あらう・はく、しつらえる、もてなす、くつろぐ、たくむ、つたえる。である。生活の様々な行為で建築を切り分けようと言うお話である。どちらかというと民俗学的な視点である。モダニズムの生活臭の無い建築が最も嫌った生活臭の話である。例えば篠原一男の建築にこういう話はおそらくほとんど登場しないわけである。篠原をあげるまでもなくコルビュジエ、ミース、ライトを含め20世紀の建築家にとってこれらのアイテムは建築を見つめる視点としてお呼びではない。さて僕らはこれらにどうたち向かう(向かえる)のだろうか?重要な問題である。