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Nov 2013

テレビ人の矜持

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by 卓 坂牛

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「題名のない音楽会」をはじめ数々の名番組を作り続けるテレビマンユニオンとはいったいどんな会社なのだろうか?
重延浩『テレビジョンは状況である―劇的テレビマンユニオン史』岩波書店2013は1979年からほぼ現在まで社長会長を続けてきた重信氏による私的社史である。
テレビ番組作りなど視聴率とスポンサーばかりを気にしたただの売り物だと思っていたがこの本を読んで少し考えが改まった。表現の世界に共通する魂のようなものを感じるし、崇高な理念、理想を掲げて、しかし現実を前にして苦闘しているテレビ人の矜持がひしひしと伝わる。何にもまして創造の哲学が感じられる。
著者の最も気になる人はスティーブ・ジョブズであり、ジョブズが「頭をオフにするときはテレビをオンにして頭をオンにする時はコンピューターをオンにする」という言葉を残していたことにショックを受けて頭をオンにする番組を目指すことが一つの目標だったようだ。そしてそのために二つのことが掲げられる。一つはこれもジョブズの言った言葉であり「顧客が望むものではなく顧客が望むようになるもの」を創るである。そしてもう一つは「デジタルテクノロジーの時代であるからこそ逆に人間が共生、共感する哲学、ソフトの創造」である。つまりは人より一歩先にある人々の共感を生み出すということになる。
創るといいうことはそういうことだと共感する。テレビ人だからこその時間性を感じる。僕らには欠けていることかもしれない。

高圧洗浄

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by 卓 坂牛

今日はマンション各住戸の排水口高圧洗浄の日。風呂、洗面、洗濯機、台所の排水口に高圧洗浄ホースを突っ込んで洗ってくれる。このホースは駐車場に止めてある高圧ポンプにつながっている。家族は朝早く出かけてしまったので僕が立ち会った。洗浄屋さんに聞くとこの高圧水はとんでもなく高圧で直に手にあてたりすると指が切れると言っていた。ホースは横引き菅から縦菅約3メートルくらいまで挿入して洗う。水の音でだいたい縦菅の位置や内部の汚れまで分かると言う。さすがプロは違う。経験的には横引きが3メートルを超えるとゴミがたまりやすいと言う。へえそんなもんか。しかし3メートルを超えない横引きにするにはファミリータイプの住戸なら数か所PSがいるわけで設計もなかなか大変である。でも覚えておこう。横引きは3メートルまで。

中性脂肪減った!!

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by 卓 坂牛

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秋に受けた健康診断の通知が送られてきた。血圧が下がり、そして最も恐れていた中性脂肪が88から50に下がった。この数字がどの程度の意味を持つのか全然わからないがとりあえず下がったというのはなんだかうれしい。いい気になってまたワイン飲んじゃいそうだ。

グローバル化に備えるとは?

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by 卓 坂牛

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与那覇は社会のグローバル化とはハイコンテクストな社会(人々が多くの価値を共有している社会)がローコンテクスト化する(価値の共有が希薄化する)ことであると述べている(与那覇潤『日本人はなぜ存在するか』集英社2013)。それを踏まえ与那覇はグローバル化に対応した教育とは英語を話せるようにさせることでは無く(もちろん話せるにこしたことは無いが)日本人の村社会の文脈で自明であることを自明視せずに自分たちとは全く異なる背景や前提の人たちに自分の考えを説明できる力を養わせることだと言っている。全く同感である。昨今いろいろな国で自分の建築を説明しながら痛感することである。
篠原一男が住宅しか作らなかったけれどグローバルな建築家だったのも、村野藤吾が文化勲章までもらってドメスティックな建築家であったのも理由はこれに尽きると思う。もちろん彼らの時代にはそれらが選べたのでありどちらが良いと言うことでは無かったのだと思う。しかしこれからの時代は恐らく世界がどんどんローコンテクスト化するなかで既述の求められる。もちろん学生にとってもそうした技量を身につけることが必須のことになることは言うまでもない。

究極の人間主義建築ー待庵

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by 卓 坂牛

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利休の茶室「待庵」は二畳である。二畳と言うことは身長180センチの人がごろんと横になって手を横に伸ばすとこの平面にぴったりとはまることになる。藤森照信と山口晃が待庵を見に行って藤森さんがそうやってこの空間を確かめたそうだ(藤森照信×山口晃『日本建築集中講義』淡交社2013)これぞダヴィンチの人体解剖図(ヴィトルヴィウス理論の説明図)と同じ発想であると藤森さんは説明したとか。
『人間主義の建築』(Architecture of Humanism)を翻訳していた時にヒューマニズム建築とはつまり人体寸法建築よねと自分の中で結論付けていた。それもあって邦訳を人間主義としたのだが、待庵こそがルネサンス建築なんて超越した究極の人間主義建築なのかもしれない。もう一度行って僕もひそかにごろりと横になってみたい。

白石一文の小説

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by 卓 坂牛

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白石一文『ほかならぬ人へ』。久しぶりに小説を読んだ。本屋の店頭に並んでいるのを何気なく手に取ったものだがとても面白かった。短い描写の中にリアルな人間社会が切り取られていた。
裕福家庭の三男に生まれるも、肌が合わず家を出て持ち前のパワーで一流会社に勤務。たまたま接待で行ったキャバクラの女と結婚したがその女が昔の男を忘れられなく家を出ていく。たまさかその頃の会社の女上司と人間的なつきあいをした挙句に結婚。ところが数年してこの女性の昔手術した肺がんが再発し数か月でなくなる。言葉にしてしまえば小説なんてなんだってこんなものなのだろうが、淡々とした描写がよかった。
思わず昨日同じ作者の違う作品を二冊買ってしまった。

褒めて育てる

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by 卓 坂牛

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配偶者の教え子との展覧会を見に銀座へ。大黒屋に行く前にポーラ美術館アネックスを覗く。その後ギャラリー小柳で池田亮司を見たかったが日曜日休館だった。
新しいヴィトンの外壁のディテールを見た。へこんだところは円が基本形だとわかる。金属と塗り材のコンビネーションがいい感じである。夜景を見たい。
4時ころ展覧会場(大黒屋ギャラリー)に行きご挨拶。今日は最終日で5時に全日程が終わると配偶者が教え子たちの作品を一つずつ解説し批評していた。基本的に全員褒めているのだが褒め方が多彩でお見事だった。教え子20人は皆結構な年輩の方。配偶者曰く、歳をとればとるほど褒めると育つとのこと。確かにもし自分が書道始めて怒られてばかりいたらやめちゃうだろうなあと思う。

坂本一成のスケール感

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by 卓 坂牛

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坂本先生の散田の家を拝見させていただいた。この家は坂本一成26歳(1969)、強く意識された白の家ができてから3年後の作品である。白の家同様の正方形平面。中央の柱。平面の2分割という特徴があるように見えるが、実は正方形からはみ出る大きな出窓(のような部分)。空中梁で途切れる柱。2分割と見えるが実は入れ子。など規準とした白の家から微妙な逸脱をしたのが坂本一成による篠原一男への反逆の始まりだったわけである。それにしても篠原のスケール感を換骨奪胎させた坂本一成の空間は決して日常的なそれでもない。散田にしても水瀬にしてもぐっと低く抑えられた天井、手摺、家具がある一方すっと抜けた吹き抜けの高さが高低の強いコントラストを生み出している。そして増築によって生まれた中庭の程よいスケールは水瀬の増築によってうまれた中庭と同様秀逸である。坂本一成のスケール操作に改めて感服した。

今日は結婚記念日

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by 卓 坂牛

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今日は結婚記念日。26回目。そろそろ半生を一緒に過ごしたことになる。毎年この日になると仲人をしてくれた恩師David Stewartの言葉を思い出す。彼に仲人をお願いした時に言われた言葉「結婚はアクシデントだけどミスティクではいけない」。未だにこの言葉を思い出すのは全くその通りだと思うからである。そしていまのところアクシデントだったけれどミスティクじゃなかったと思えるので喜ばしい。あと何年生きるか分からないけれどきっとこの気持ちは変わらないのだろうと理由のない確信がある。それも喜ばしいことである。というわけで感謝のお花を家に飾ろう。

山口長男の抽象

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by 卓 坂牛

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配偶者に絵葉書くださいと言ったら山口長男の絵葉書をくれた。いいなあ、これ。昔どこかで見たような気がする。なんともあっさりとした抽象とドライトマトのような色が素敵。