場所のAuthenticity
都市には自由空間が必要でその自由こそが都市を活気づけると思っている。シャロン・ずーキン(Zukin, S.)内田奈芳美、真野洋介訳『都市はなぜ魂を失ったか』を読むとそれ以外にも都市を活気づけるものがあることに気付かされる。それは彼の言葉で言えば場所のAuthenticityと呼ぶべきもの。町の由来に基づく真正性であり個人と組織の相互作用によって生まれる社会的正当性の二つ。本書はそんなAuthenticity がニュヨークの中で生まれたり死滅したりするさまを丁寧に描写している。死滅する場合は往々にして大きな資本が入り込み元々あったAuthenticityをブルドーザーの如くはぎ取ってしまうときである。その後にはクリーンで高価な新しい空気が流れている。そしてそれは往々にして世界中どこにでもあるような、さえあれば手に入るような何かなのである。
魂を失わない都市をつくる(というよりかは守る)にはなんとしても経済原理で街を解体しないとことなのだと思う。丁寧なデヴェロップが必要なのである。
ハウスメーカーの家
韓国の会社にいる友人が正月で一時帰国しているので会食した。話が家のことに及び彼があらたまって「家を建てているんだ」と言う。僕の友人は僕に家の設計を頼む人もいるが、彼は以前から奥方の作りたいように作らせたいので僕には頼まないと宣言していた。なので「ほーそれは良かったねえ」と頷き「工事は順調?」と聞くと基礎が出来上がったと言う。どういうところに頼んだのかと聞くと某ハウスメーカーとのこと。あれあれそれは奥方の好みにはできないだろうなあと思ったら案の定彼曰く「それがさあ、まったくの期待はずれなんだよ」と言う。そりゃそうだろう。何が不満か聞くと彼らはこちらの要求をそのまま何も考えずに図面にするし、いくつかの代替案と言うものもない。ふむふむそんなの火を見るより明らかだな。50センチの物が欲しくても50センチの部材がないから60センチに成ったりすると言う。それもまあ当然だな。まあそれでも安いからいいんじゃないのというとオプションオプションでちっとも安くないと言う。まあこれもよく聞く話だ。
そんなことを知らずに発注したお前が馬鹿だと言うと。買った土地がそのプレファブメーカーの建築条件付きだったそううだ。不動産屋さんからはご丁寧に条件付きですがいいですかと念を押されたそうだ。なるほどそれなら尚更自己責任だ。まあ彼は土地が素晴らしいから買ったのだと言っていたが、、、、それにしてもこの手の話はよく聞くのだが、それでも売れているのだから不思議なものだ。
この人その昔マティスの背中をみて衝撃を受けアーティストになったという
朝から家人は出かけたようでシャワーから出たら誰もいなかった。午前中家でぶらぶらして新聞読んだり、本を読んだりテレビ見たりしていたのだがお天気がよく暖かくなってきたので午後ジムに行ってストレッチをした。ジムを出て家に帰ろうかと思ったが、エルメスギャラリ―の展示がいいと先日ダニエルが言っていたのを思い出し地下鉄に乗る。エルメスは丸の内線銀座のすぐそばなので便利である。ソニープラザには既にバレンタイチョコが並んでいる。
展示はフランスのクリスチャン・ボヌフォワ(Christian Bonnefoi)の絵画だが、透明な版(ガーゼだったりアクリルだったり)に塗ったり貼ったりなのでコラージュのようでもある。
23区の所得格差はニューヨーク並み?
『都市はどんどんつまらなくなっていく』を読んだら橋本健二『階級都市』が気になった。昔読んだのだが。23区の所得格差が結構あるというのは知っていたが、それは2000年代にますます増幅しているのを再読して再確認。現在23区平均を1とすると最高の港区は約2.6最下の足立区は約0.6。4倍である。70年代は港区約1.6足立区約0.7なので約2倍。格差は倍になったということである。これって先日ニュースで見たニューヨーク並みである。先進国の中でも所得格差が深刻なアメリカの、、その中でも格差が大きいと言われるニューヨーク並みってちょっと驚きである。下町住民が蜂起して騒ぎ出さないのが日本ということか??
手術
皮膚に脂肪がたまりニキビのような物が数か月前に太腿の上にできた。放っておいたら少し大きくなってきた。その昔義母の喉におできのようなものができ、放っておいたら大きくなっていつしか癌になり帰らぬ人になった。小さなうちに切除せよと医者から言われたのに、忙しさと医者嫌いが悲劇を生んだ。そのことを思い出し、心配になって近くの皮膚科に行ったら「心配いりませんよ、気になるなら切ってもらってください医者を紹介しましょう」と言われた。
切除と言われてまた昔のことを思い出した。その昔やはりこんな脂肪の固まりが耳たぶの裏にできた。ニキビかと思ったのだが手術しますと言われた。新宿厚生年金病院の本格的手術室でビビッていたらものの5分で手術は終わった。今回もあの時と同じなのだろうと思ったら気が楽になった。「手術室」と書かれた部屋に通されたが予想通り手術はものの5分で終わってほっとした。しかしとった固まりを「病理検査します」というのでまたビビる。ただの脂肪の固まりじゃないのですか?と聞くと「脂肪ではありません」と言われた。「では何ですか?」と聞くとそれを調べるために検査をするのだと言う。とりあえず傷みがなくなったので楽になったのだが体に異変が起こるとちょっとしたことでも心配になる。歳のせいだろうか?
都心はどんどんつまらなくなっていく!!
三浦展さんの『東京は郊外から消えていく』光文社新書2013は膨大な調査資料をもとに東京及びその郊外の意識調査を行っている。あまりに細かな統計資料が並んでいるので著者の理解には限られた時間からは到達できない気がするが、それなりに興味深い。特に自分の住んでいる場所のひとたちがどんな意識を持っているのか、周りからどんなふうに見られているのかも理解できる。
調査データーはそれぞれ納得のいくものだし、予想を大幅に超えるものもないのだが、その中でも一番納得のいったのは都心は住みやすいし便利だがつまらなくなってきたと言う指摘。都心に住んでいる僕としてはそれを実感するしますますそうなっていくことを危惧している。なんといってもそれを助長しているのは高層マンション、高層ビルの再開発である。これらが都心をますます均一で平坦なものにしているのは間違いない。なんとかならないのだろうか??
ジョリパットを大々的に使ったら賞をいただきました
朝九時から金町で会議。大学にこんな早く来たのは理科大に赴任してから初めてである。というのも僕は二部の教員なので労働規約上の私の業務時間は午後3時から夜9時半なのである。とは言え会議は平気で午前中からあるし、昼間部の授業ももちろんあるし、大学院の教員でもあり大学院には夜も昼もない。ということはこの業務時間というものにはほとんど意味がない。
朝早く来たので午後は早々に大学を後にして事務所に。スタッフのT君がアイカの施行例コンテスト表彰式から帰ってきて賞状をくれた。オレンジ色の派手なジョリパット仕上げが審査員の目を惹いたようである。
都市のαスペース
最近、都市の自由空間に興味がある。それもプライベートプロパティの中にあるパブリックな空間に興味がある。発端は去年のブエノスアイレスで行ったワークショップのテーマである「αスペース(住宅に公共的なもう一つの空間を挿入する)」だが、先日のアルゼンチン・スペイン建築シンポジウムンのテーマも都市の公共性ということだった。
都市の発生原理からしてスパニッシュな国と日本では大きな差がある。彼らは中央のプラザからグリッド状の広がりを形成するのに対して日本の都市は人々の集う広場というようなものは明示的には存在しない。道それ自体が人々の集う場なのである。
こんな議論は昔からあろうと思って調べると鳴海 邦碩氏が1982年に『都市の自由空間―道の生活史から』中公新書という本をお書きになっている。副題は道の生活史となっているが、道に限らず人々が集まって暮らす上で住居の外部には必ずや人々が集えたり遊べたりする自由空間が必要であることを訴えている。更に重要なのは広場や道など誰もが思い浮かべる公の場所に限らず公共、共有、私有のそれぞれの領域に自由空間がありそれをどのように生み出せるかを考察しているところである。そしてそれは先日ジョアン・ロイグ、も指摘していた。今重要なのは駅や空港の公共空間だと。しかしそういうそもそも公共性の高い場所がそうであるのは当然だし、駅や空港はそんなにたくさんあるわけでもない。もっと世の中にたくさんある施設に自由空間(αスペース)が欲しいものである。コンビニ、オフィス、郵便局、銀行、、、、、