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Feb 2014

アルフレックスのショールームに初めて行った

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by 卓 坂牛

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その昔20年くらい前に自宅の丸テーブルとイスをアルフレックスで購入し、双方足を5センチくらい切ってもらった。デザイナーには悪いと思いつつ狭いリビングでソファとイスの両方置くなんてできないのでゆったり座れるようにした。その当時アルフレックスは青山あたりにあったような気がする。その後恵比寿に引っ越してアルフレックスを入れるような仕事は無かったのだが今の仕事のクライアントがアルフレックスを入れたいということで始めて恵比寿のショールームに行った。
なんともリッチでゴージャスでリラックスできる家具はあるものだ。お値段も立派だが。

造形教育のコンテンツを議論

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by 卓 坂牛

来年度の建築造形の演習を担当してくれる西沢徹夫君と製図基礎を担当する中島壮君の3人で打ち合わせをした。この二つの演習は1年生意匠系の重要な基礎演習である。
西沢君が持ってきた演習テーマがとてもいいものだった。それは単に何かを作らせたり描かせて終わりというものではなく(やりっ放しではなく)、何かを作らせたらそのどこが面白くて、魅力的で、どこがつまらなくて、いかさないのかを読み込んで(reading)それを直して再度造形化する。さらにそれを読み込んで(reading)再度造形化するというプロセスを教えようと言うものである。
つまり2年生3年生になってから製図をやり始めた時に学生たちが最もできない「デザインデヴェロップ」の基礎を教えようとするものである。
そのためには例えばプロのデザイン(グラフィックだったり、写真だったり、漫画だったり、プロダクトだったり)を見てそのどこがポイントなのかを示し、あるいは議論し、その視点で自らの造形を作ると言うようなことも一つの方法である。それによって作ることの裏にあるものの見方を同時並行的に学ぶわけである。
これはなかなか画期的な初級造形教育の視点だと思う。4月からが楽しみである。

2回目のアクアライン

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by 卓 坂牛

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東京湾アクアラインを通り木更津から勝浦へ。クライアントと敷地を見に行く。木更津には未だ雪がところどころに残っているが勝浦まで来るとかなり暖かい。それでも金曜日は雪だったらし。三井不動産の分譲別荘地だが、大半は既に定住しているそうである。もちろん住人は東京のリタイアメント組とのこと。さて実際の敷地を見ると予想していたことと少々異なることに気付く。先ずは一か月時間をもらい最初のスキームを練ることとする。
帰りも横断道路を川崎へ。アクアラインは日建時代に景観設計をほとんど一人でやっていた懐かしい仕事。とは言え車に乗らない僕にとってはできてからこの道路を使ったのは二回目である。

一本の木

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by 卓 坂牛

一昨日の大雪、昨日の雨が一転今日は快晴。朝起きてジョギングをしながら今日は植樹会日和だと安心しました。建築を30年やってきて様々な式に出た経験はありますが、植樹式と言うのはこれが初めてです。そんな式が世の中にあると言うことさえ知りませんでした。それにしても少々大袈裟、たかだか木一本のためにここまでするのかと思わなくもありません。しかし木一本されど木一本というところがあります。
数年前私の卒業した小学校を訪れた時のことを思い出します。私の小学校は西武池袋線の江古田にありました。当時はそのあたりの団地に住んでおりました。師走の夕方、江古田の駅を降りて記憶を頼りに小学校を目指します。きっと様々な懐かしい風景に触れることができるのだろうと期待しました。ところがそんな期待は裏切られます。なぜかと言うとどこもかしこも建て替わっているからです。駅前の日大芸術学部も新品に入れ替わり、住んでいた団地もピカピカのマンションのようになり、そして小学校も昔の木造2階建ての面影はどこにもありません。鉄筋コンクリートの建物に代わっていました。そんな小学校の敷地の中をうろうろしているとふと懐かしい感覚におそわれたのです。それは卒業の時に記念に植えた木のあたりの風景でした。植樹した場所は芝生広場の一画。そのあたりには数本の木があり一体どれが自分たちの植えたものか分かりません。それでもそのどれかであり、とても大きくなった木を見ながら小さかった40年前が想像されるのです。そしてその時のことがノイズの入ったテレビ映像のように脳裏に蘇るのです。建物は建て替わっても木はそこにずっと生きていると感じました。木が自分と一緒に40年間を過ごしたその時間が現れているようでもありました。
私が生きている間に金町キャンパスが建て替わり、この木だけがここに残るというようなことはまずないでしょう。しかしこれから数十年後に自分が死ぬ前にこのキャンパスを訪れて大きくなったこの木を見ることはきっとあるでしょう。その時にこれから経過する時間をこの木は体現しているはずです。自分もだいぶ年寄りになっていることでしょう。木と私はその時間を分かちあうことになるのです。そして数十年前の晴れた日だったなと今日を思い出すのだろうと思います。

卒制発表会

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by 卓 坂牛

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昨日は修士、今日は学部の卒業制作発表会。OB諸氏の審査でOB賞(築理会賞)を決定。雪の中皆さん来られるか心配したけれど無事行われ白熱議論。ごくろうさまでした。
審査後、審査委員の方々と昨日の修士設計を見たけれど、やはり修士の制作はいろいろな意味で一枚上(当たり前かもしれないけれど)ということを確認。

修士論文、設計発表会

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by 卓 坂牛

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修士論文、修士設計の発表会。僕の研究室も論文1人、設計5人。皆よくやったと言いたいところだけれど、終わってから審査要旨を書いていると冷静に各人のいいところ悪いところが見えてくる。

5年前に止まったプロジェクトの再開

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by 卓 坂牛

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5年前に基本設計まで行ったところで補助金の目途がつかず座礁していた情緒障害児短期療養施設のプロジェクトが再開しそうである。というわけで2009年の日付の入った図面を見ながら事務所に残された模型と睨めっこしていたのだが、どうも図面と食い違う。最新図面の模型は作らなかったのだろうかと頭を抱えていた。するとなんとクライアントのところに最新図の模型はあった。そういうことだったか。半日この模型を見ながらどこからどのように進めるかを話し合った。分棟型のこれらの施設に一度に補助金が下りる見通しはない。更に将来の動向を見据え老人施設を組み込む可能性はあるかなど1時から結局夜までああでもないこうでもないと議論は続いた。

頑張る

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by 卓 坂牛

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マンションンの中庭には未だ雪だるまが溶けずに頑張っている。大学の雑用を朝から処理しワークショップブックレットの打ち合わせをして、夜東工大に行く。非常勤講師の懇談会。来年から3年生の製図を金箱さんと一緒に見る。さてどんな課題にするか?考える暇がない。安田さん塚本さん金箱さん藤岡さんと二次会。藤岡先生は肝炎だったのが奇跡的に実験薬が効いてお酒が飲めるようになった。塚本さんと南北線で四ツ谷に帰る。つい二人でもう一軒。

アルビン・ラングドン・コバーンとの邂逅

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by 卓 坂牛

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本日は理科大二部建築学科の社会人特別選抜の入試。朝10時から新入生の試験。午後は編入生。3時ころには終了。久しぶりに帰りがけにジムに行って汗をかく。帰宅すると定期的に送っていただいている『美学芸術学研究』31号が届いていた。これは東大美学芸術学研究室で発行している査読付き論文集である。何しろ美学だから対象範囲はとても広く自分の興味に近いものはいつも1~2割。しかし今回は掲載五題ともとても興味深い内容。デカルトの音楽論、バシュラールの触覚、A.L.コバーンの世紀初めのニューヨークの写真読解、アリストテレスの感性論などである。そこでジムの疲れもなんのその、コバーンの写真読解を早速読んでみる。著者は院生の調文明さん。この当時のニューヨーク写真の一般的な解釈であるピクトリアリズム(絵画的写真)からモダニズム(造形的)への移行という枠を超えて近代構造物への畏敬とそれを支えるプロレタリアートの世界の二重構造などコバーンの視点を細かく分析している。
ニューヨークの摩天楼写真分析は私の修士論文のテーマでもありA.L.コバーン(Alvin Langdon Coburn 1882~1966)は名前が分かっていたけれど資料を手に入れることができなかった。30年ぶりにその写真を見ることが(挿絵だけれど)できたのは何とも感激である。さらに修論での分析結果では当時の摩天楼は霧、霞、あるいは夜の空間に現象することが多くそれは近代の畏怖の念の現れではないかと推測していた。そして今回遭遇したコバーンの写真も(はっきりしないが)そうしたソフトフォーカスな空間に現象しているようでその頃の傾向を裏付ける事例なのかもしれない。

インテリアデザインと建築の境は?

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by 卓 坂牛

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今村創平さんからこの本を頂いたのは去年。年末年始の忙しさでとてもこの大部の書を開く時間が無かったのだが、やっと一段落して読み始めた。タイトルは『インテリアデザイン史』(オーム社2013)である。インテリアデザインとは何かと昨今考えたことはないのだが、その昔一度だけ真剣に考えたことがある。それは学部3年生のいくつめかの課題が倉又史郎によるショップのインテリアだったからである。その時の結論は「建築は構築、インテリアは現象」というものだった。しかし今考えてみるとそれは浅はかで、建築だって現象するしインテリアだって構築が要るわけである。しかしそれはやはり程度問題。インテリア、特に店などにおけるそれは一つのイリュージョンでさえあるのだろうと思われる。インテリアと建築の境界なんて考えることが愚かとも思えるがしかしその職能も業態も未だに少々異なるのは故なきことでもあるまい。この本はそんな何かを明らかにしてくれそうである。