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Feb 2014

歴史はすべて偶然か?

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by 卓 坂牛

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昨日パーティでお会いした大森さんが来季から理科大の近代建築の授業で「名建築のちょっと見慣れない写真」とか、「あまり知られていないけどいい建築の写真」を紹介すると言っていた(気がする)。それを勝手に理解して「傍流こそ主流だ!」というようなタイトルで「作られた近代建築史」を少々破壊する様な話をしたら面白いと言った。
今日小谷野敦『日本人のための世界史入門』新潮社2013を風呂で読んでいて、彼の「歴史は偶然の連続である」という言葉に半分共感した。そうであるまさしく近代建築史も偶然の連続をあたかも一つのお話の如く語るのは嘘だろうと思うわけである。よって大森さんの話を拡大解釈して一人で面白がっていた。
とは言え、近代建築史がすべて偶然かと言えばそれも正直言えば?である。ある法則(合理性と機能性の追求が建築を進化させるというような)がその時代を暗黙裡に前進させる力となっていたのも事実のような気がするわけである。コルビュジエもミースもライトもたまたまフランスとドイツとアメリカに偶然現れたとは考えにくい。

鵜沢さんの大賞受賞パーティーは白銀の世界で

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by 卓 坂牛

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朝の打ち合わせもどうなることかと思ったがクライアント夫婦は完全武装で登場した。ありがたい。11時から2時間半50分の1の模型を前にいろいろなことが決まった。今日やれてよかった。クライアントと一緒に事務所を出て僕は横浜を目指す。副都心線ができたおかげでこちら方面に行きやすくなった。みなとみらいに着いたら吹雪である。鵜沢さんの神戸ビエンナーレ大賞受賞記念パーティー会場は展示場の海側にあるフレンチレストラン。ここに行くには一度クイーンズモールを出なければならない。ここが大変な状態である。とても横浜とは思えないストーム。長野にいてもこんな吹雪に会うことは滅多になかった。この会場は普通なら海が見えるところだが今日は白銀の世界である。
乾杯の発生をされた白澤先生が今日はあいにくの天気だけれどこれから雪を見れば鵜沢さんの作品を思い出しますと言っていた。

グズネッツ曲線

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by 卓 坂牛

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ある国の環境汚染度とその国の所得の関係を調べた統計データーがある。それによると国民一人当たり年収が8000ドルを超えると環境への意識が芽生え環境が改善される。これを調べた経済学者サイモン・クズネッツにちなみこのグラフを環境クズネッツ曲線と呼ぶそうだ。ところが最近の研究において二酸化炭素排出量に関して調べるとその変曲点は年収30000ドルのところにあるそうだ。目に見えぬ二酸化炭素に対しては反応が鈍ると言うことなのだろうか?
(ソニア・アリソン土屋昌子訳『寿命100歳以上の世界』阪急コミュニケーションズ2013より)

一級建築士講習会

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by 卓 坂牛

今日は一日一級建築士の3年に一度の定期講習会。日建学院の映像による講習。金箱さんや、伊香賀さんが登場するのでなんとなく身近な感じでいいね。たまに法改正のことなど聞いておくのも悪くない。それでも5年に一度で十分だろうと言う気はする。それにDVD見てるだけなのに一万円以上とるのは取り過ぎだろう。

マスク

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by 卓 坂牛

風邪気味だった娘が朝起きてきて熱が9度あると言う。医者に行ったらインフルエンザ。あれあれ。さてこちらはどうしたものやら?事務所は事務所で風邪気味が4人もいるし、こうなれば大学にさっさと避難するしかない。
今日は何の因果かインフルエンザで卒論発表できなかった学生の日替わりの発表審査。二人の発表を聞く。マスク嫌いの私も今日は一日マスクをしていた。そうしたら帰りの金町駅で非常勤の中島先生に遭遇。彼も風邪気味でマスク。マスクな一日である。

完全な民主主義なんてない でも民主主義の近傍はあるはず

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by 卓 坂牛

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ジャック・デリダは民主主義は完成しない(我々が我々を統治するということの完成型などない)けれど目指されなければならないと言い、それを「来るべき民主主義」と呼んだ。デリダ研究者である國分功一郎の『来るべき民主主義』幻冬舎2013は著者による道路敷設反対運動の実体験+デリダの思想を軸とした民主主義への提言である。
これほど民意が反映されない政治をなぜ民主主義と呼べるのか疑問に感じた著者の結論は明快である。それはルソーによって「立法権を主権(住民)が掌握することを民主主義と呼ぶ」と決められたからである。しかし現在我々の周りの様々なことを決めているのは立法の場(議会)ではなく、実は行政の場であり。そして我々は行政の決定に手も足も出ず、行政の人間を選ぶこともやめさせることもできないということに著者は思い当たるのである。そこで著者の提言はでは行政の決定に反対できる実効的な制度として住民投票を確立せよというのである。
シンプルな着眼点と対策だが「来るべき民主主義」に近づくための実効的な提言ではないかと共感する。

日本全国節分デモ

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by 卓 坂牛

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大学から自転車で帰る途中防衛省の前でお祭りのような騒ぎ。何事かと思って近づいてみると米軍基地辺野古移設反対のデモだった。それが何でよりよって今日やっているのかと言うと節分にかけて豆を撒きながら「鬼は外」とデモっているのである。なんとウィットの効いた楽しいデモではないか。いいなあと思って帰宅後ネットを探るとあれあれ金沢でも反原発節分でもが行われているとか。こりゃ日本各地でやっているのだろう。確かに日本の政治には鬼がうろうろしている。早々に退場してほしいものである。

フルシチョフの建築

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by 卓 坂牛

昼から翻訳会。今日は第5章コンクリートと政治。コンクリートが社会主義国でどのように扱われていたかが詳述される。彼らは徹底した合理化で国を作ろうとしており、そこでコンクリートの安さが注目され、更に品質管理の点からプレコンの研究が進む。フルシチョフはその昔建設現場で働いた経験をもとにプレコンを利用した規格化建築を提唱する。そのためにスターリン時代の新古典主義(これもプレコンでつくられていた)を廃止して装飾をはぎ取った。さらに数十あった建築規格を合理的ではないとして一つにせよと指示したとのこと。社会主義建築と言うのが中国でも大きなジャンル(スタイル)として議論されるのはまさにこういう政治的介入があるからなのであろう。考えてみれば社会主義国ではすべての社会資本は国の物なのだからこれほど国家を体現するメディアは無いわけである。しかし正直言うとそのあたりのソ連の建築は全く知らない。

留学生試験無事終了

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by 卓 坂牛

午後大学院の留学生試験を行う。試験科目は英語、建築専門科目、即日設計、面接である。10時から3時半まで。受験者は今年は中国から1名。彼女は既に去年の4月から僕の研究室の研究生。大連理工大学の建築学科を卒業して日本に来てから3年間日本語を学びそして拙著『建築の規則』を読み、僕のところで学びたい思ったとのこと。日本人でもこんな学生は少ないわけでとても嬉しい話だった。去年一年間僕の授業は欠かさず出席。ゼミも出席率が高かった。製図の試験結果はなかなかどうして巧みなスケッチを描いておりその辺の日本の学生よりうまい。1年間研究室で鍛えた甲斐があった。試験前は連絡がとれずちゃんと受けるのだろうかと心配だったが、これで一安心。

二部卒業設計

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by 卓 坂牛

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昼から理科大工学部二部建築学科の卒論と卒計の発表会。二部は論文と設計が選択制で今年は卒論が47題、卒計が35作品。二つの部屋で同時進行に発表が行われ常勤の先生は時間を決めてどちらかの部屋にいるように割り当てられている。加えて非常勤の先生もほぼ全員来られて採点する。毎年そうだが設計の採点者は作品数ぐらいいる。
論文はインフルエンザの一人を除いて全員発表できた。おめでとう。設計の方は提出遅れが数名いたが、発表できないのが一人ということでまあこちらもなんとかなったというべきか?設計の傾向はというとコンセプトで終わっているものが多い。さあこれから設計という手前で終わっている。これはとても残念である。他の大学もこの傾向が強いと懇親会で非常勤の先生が言っていた。来年からはもっと早く設計をスタートさせてほしい(と毎年思うのだが)。