信大・理科大合同OB OG会
坂牛研信大、理科大合同OB OG会を飯田橋で行いました。信大幹事中尾君、理科大幹事岡崎さんの活躍で50人近い人が集まりました。大きなスクリーンのある場所ですでに働いている人は最近の仕事を披露してくれました。僕も先日のアメリカ出張のお話をしました。4月25日の誕生日を花火付アイスクリームでお祝いいただき夫婦箸をプレゼントされました。
ありがとうございます。
坂牛研信大、理科大合同OB OG会を飯田橋で行いました。信大幹事中尾君、理科大幹事岡崎さんの活躍で50人近い人が集まりました。大きなスクリーンのある場所ですでに働いている人は最近の仕事を披露してくれました。僕も先日のアメリカ出張のお話をしました。4月25日の誕生日を花火付アイスクリームでお祝いいただき夫婦箸をプレゼントされました。
ありがとうございます。
午前中事務所で打ち合わせ。軽井沢の別荘がそろそろ見積もる段になってきた。早草さんに電話をして軽井沢の施工事情を聞く。貴重な情報をいただく。事務所を出て神楽でうどんを食べて主任会議。1時から始まって終わると4時半。3時間半の会議って耐え難いと思うのだがだらだらやっているわけでもない。伝えることの量がとんでもなく多いから仕方ない。会議資料がA4で100枚以上もある。
4時半に会議室を出て2時半から始まっているゼミの部屋に行く。ちょうど輪読が終わったところ。学生が多いのにびっくり!!狭い部屋が学生で溢れている。研究室にはいつも誰もいないのだが。一時間設計の課題を出してから3年生の製図の授業へ。
3年の第一課題は荒木町の集合住宅。非常勤、川辺スタジオ、高橋堅スタジオ、塩田スタジオ、若松スタジオ、木島スタジオ、呉・坂牛スタジオの全部で6スタジオが同じ課題をそれぞれのコンセプトで進めている。我々はライノとフローデザインで模型を作らず課題に取り組もうと言うコンセプト。今日は初日で学生にライノ講習。果たしてどこまで到達できるか?
塩見枝子『フルクサスとは何かー日常とアートを結び付けた人々』フィルムアート社2005
を読んでびっくり。あの電子楽器を日本で最初に作ったのは東京理科大学の人(学生)だったという事実。これは一柳 慧が60年代に帰国し日本のフルクサスグループと共演した時に著者が面白い楽器はないかと探している時に見つけたもの。それを見つけた場所が理科大だったそうだ。手が宙を舞うだけで様々な音色がでる不思議な物体に著者は惹きつけられ、なんとかその物体を貸してほしいと頼んで実現したようである。
理科大ではテルミンの設計図でも手に入れて電磁気の実験として制作したのだろうか?
夕刻高橋堅さんの新作を見学に行く。高橋さんの建物はスライドレクチャーでは散々見ていたが本物を見るのは初めてで予想にたがわぬピリピリと緊張した空間に目を見張る。コンクリートの扱いが僕なんかとは全然違う。砥石で磨いたようなテクスチャーと輪郭である。そして壁を二重に張り巡らし外側の壁に正方形の開口を穿つ大きな造形が繊細なディテールと強烈なコントラストを生み出している。内部のディテールも分かっちゃいるけれど出来がいい。開口を制御するその仕組みは高橋オリジナルなものがある。いいものを見せてもらいました。
現場でばったり石黒さんにお会いした。彼女は4月から前橋工科大学の准教授になったとのこと。おめでとう。これからは教員ネットワークの一員としてよろしくお願いいたします。
初年度最初のゼミ。金町と神楽を又にかけて先生は授業を学生はTAをしており結局神楽でゼミをすることにした。しかし神楽も混んでいて部屋がなかなかとれず、初回のゼミは製図室。一人30分の6人3時間。初回にしては充実していた。着実にデヴェロップしていってほしい。その後3年生の計画・意匠2の講義。終ると9時をまわる。
4時から9時まで5時間何も食べられないと思い、大学に行く前に事務所近くでつけ麺の大盛りを食べた。満腹で眠くなると思い眠くならないドリンクを飲んだら、確かにこれが効いて快調にゼミを終えた。更に大盛りつけ麺も効力を発揮して9時半に帰宅してもまったく空腹感は無かった。つけ麺大盛り恐るべし。
老眼鏡は安いのを買ってそこらじゅうにおいておけばいい。そうすれば眼鏡を探すこともなくなると友に言われた。そこで先日金町の100円ショップに行ってみた。本当に100円で売っていたのには驚いた。手帳とお揃いである。
午後ジムに行って走ってサウナに入ったら近くに住むK先生にばったり会った。最近このジムの会員になったそうだ。これからは裸の付き合い。その後事務所でK出版の川尻さん、佐賀から飛んできた平瀬さん、グラフィックデザイナーの中野さんと打ち合わせ。しっかり2時間半。
最近のヤンキーは第三世代ヤンキーで喧嘩はしない。地元が好きで、空気を読んで友達の和を大事にする閉じた人間関係の外に出ない人たちだそうだ。第一世代は地元志向だけれどワイルドな不良、第二世代は中央志向でワイルドないわゆるヤンキーから比べて第三世代はマイルドである。しかし依然として彼らは独自の自由な世界を築いているように見える。(原田曜平『ヤンキー経済』幻冬舎新書2014)
自由と言えば最近売れているもう一つの本、岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社2014ではアルフレッド・アドラーの自由論が子弟の会話の形で語られている。ここでは自由とは「人の期待に応える承認欲求を捨て」「他者の課題を切り捨て」そして自分を生きることで初めて獲得できるものであると説く。一見このアドラーの自由はヤンキーの自由と重なるが似て非なる自律的な生き方であることに気付く。
どちらがいいとは言わないが後者の方が楽な(自由な)生き方だと僕には見える。
神楽坂と外濠をテーマとしたレクチャーとトーク会が理科大の森戸記念館で夕方行われた。伊藤裕久先生のレクチャーを聴きながらああこの間ふらふら歩いていた横寺町は近世に集められた寺なのだと知る。なんとも面白かったのは三つほどあった。一つは外濠の外側である神楽坂などは江戸城ができて放射状に発展した街であろうという予想に反し、じつは中世、戦国時代に既に築きあげられていた構造を下敷きとして発展した場所であるということである。二つ目はこの神楽坂という町が酒井藩邸を中心とした小城下町のような空気を持っていたということ。そして三つ目は江戸と言う都市が江戸城を中心として放射状に発展した街ではなく、神楽坂のような江戸以前の都市構造を基盤とする小城下町がモザイク状に付置された都市であるという点である。
レクチャーの後宇野先生(理科大)、伊藤先生(理科大)、福井先生(法政大学)、福井会長(神楽坂商店会)によるレクチャーをネタにトークが行われた。そこで出た面白い話。神楽坂の路地は多様性がある。という福井先生の観察に対し、伊藤先生がその理由の一つは神楽の路地は私有地であり、それぞれの土地所有者がそれぞれの個性で築きあげたからだろうとおっしゃった。これは目から鱗である。なるほど。