朝一で山梨のクライアントと打ち合わせ。補助金事業の悲しい性か、10月まで正式な補助金のお知らせが来ないということで10月に公告、入札、11月着工と言うスケジュールが、役所の計らいで(と言えば聞こえはいいが)それが早まった。うーんどこまで早められるか??まあ頑張るしかないのだが、、、トホホ。まあ発注業の宿命ですね。それにしてもいつも思うが年度で設計、施工して竣工するっていうこの悪しき習慣をやめるわけにいかないのだろうか?ゼミがあるので私は一足先に東京に戻る。お土産に名物のトウモロコシをいただいた。これがめちゃくちゃ美味しい。
前回のゼミ輪読本だった佐々木敦の『テクノイズ・マテリアリズム』につながる同じ著者による『「4分33秒」論―「音楽」とは何か』Pヴァイン2014を熊本への往復で読んでみた。その中で著者はこの曲をこう解説する「・・聞こえていたけれども聴いてはいなかった「音」を聴くように仕向けられる。そして送り手の側は受け手を「聴取」に誘導している・・」これは言い換えると、ピアニストがステージに出てきて4分33秒間何も弾かずに譜面をめくる音だけを残して帰っていくという一連の行為の中で、聴く(listen)側は演奏を予期しながらなにも聴(listen)えてこないことに苛立ちながらも耳をこらすことで、普段は聞(hear)きながら聴(listen)いていなかった譜めくりの音や聴衆の咳払いを聴く(listen)ようになるということである。著者はこの聞く(hear)から聴く(listen)への変化によって今まで聴いていなかったものを受け取ることを聴取と呼ぶ。
つまり4分33秒の無音が示したことは敷衍して考えるなら、Nothingをある時間と場所の中に投じることでそこにすでにあった意識されていない何かを顕在化させたということである。
ケージが聴覚でおこなったことを視覚の上で思考実験するなら、ラウシェンバーグの「ホワイトペインティング」などを想起しそうだがここにはケージの意図は無い。そこで例えば、建築に置き換えて考えてみるならケージの行為は、真っ白な図面を描いてそれを施行者が現場で見ながら何も作らないということになる。ケージの4分33秒には多くのCDがあるのだからこの何も作らない施行者をDVDすれば4分33秒の建築を商品化できる。
これは4分33秒をべたに建築に置き換えたものだが、そうではなく先ほどの解釈。すなわち「・・・聞(hear)こえていたけれど聴(listen)いてはいなかった「音」を聴くように仕向ける・・・」を視覚に置き換えるなら「・・・見(see)えていたけれど見(look)てはいなかったものを見(look)るように仕向ける・・・」ということになろう。
つまり何が言いたいか?
ある時間と空間の中にある「空白」(nothing)の建築を投じることでその場所にすでにあった見(see)えてはいたけれども見(look)てはいなかったものを見る(look)ように仕向けるような建築が無いのかという問いである。既存の建築的ヴォキャブラリーで言えば、潜在化しているコンテクストを顕在化する様な空白建築の可能性ということになる。そんな建築があるのだろうかと考えていたら昼に見た西澤、佐藤の二つの駅広が頭をよぎる。あれらはまさに最小限の構築物をあの場に投じることであそこにあったものを顕在化しているのではなかろうか?
4分33秒が問いかけるものの射程は長くそして有効であることに驚く。。
中岡義介+川西尋子『首都ブラジリア―モデルニズモ都市の誕生』鹿島出版会2014を読んだ。近代都市計画の失敗と言われ続けたこの都市を逆に20世紀の快適な都市の傑作として再読しようという試みである。去年ブラジリア、リオ、サンパウロなどを訪ねた感想としてはブラジリアの全体観はやはり同じ人工都市であるキャンベラやチャンディガールと近く機能的で清潔ではあるが人工的で無機質である。唯一予想に反して人間的だと思えたのはレジデンシャルエリアのスケール感と緑の量である。ここは住めるなと思った。
何故だろう?何が「人工的」なものとして感じられるのだろうか?一言で言えば人間が計画してできた「計画性」が視覚的に一目瞭然だからだろう。しかし所詮都市など多かれ少なかれ人工的なのだから、もう少し時間がたってルールを逸脱する現象が起こり、この「計画性」が鼻につかなくなるのかもしれない。
午後一で大学へ。3時までコンペの打ち合わせ。3時から輪読ゼミ。今日は佐々木敦の『テクノイズ・マテリアリズム』を読んだ。これはテクノミュージックの概説書でもある。以前読んだときは知らないミュージシャンの名前が多かったが、今回読むとほとんど知っているのは嬉しい。またマテリアリズムの意味は音楽の形式(form)に対する物質性(materiality)だと思っていたがどうも読み返すと必ずしもそうではなさそう。今回は登場するミュージシャンの音を助手の佐河君に持ってきてもらった。発表者が説明をする後ろで音を流してもらった。理解が深まり楽しいゼミとなった。
シザが若いころ家族と過ごした家についてまとめられた小さな冊子がある(『「家」とは何か―アルヴァロ・シザの原点』新建築社2014)この建物は古い建物の改修でシザもその図面を描いたとインタビュにこたえている。そして改修前後の図面が載っているのでそれを比較すると面白いことに気付く。昔の図面には無くて改修後の図面に出てくる不思議な独立柱がある。まるで白の家の柱のごとく。しかし文章を読むとこの柱はその下の階にある窓のない浴室の換気パイプであることが分かる。この無造作に露出しているパイプが謎かけのようでなんともシザらしい。加えてこの頃から不思議な巾木の連続が見られる。原風景なのだろうか?
事務所の打ち合わせが長引き昼抜きで金町へ。午後大学の専攻会議、教授総会などなど。夜岩本町のホタルイカへ。日建同期で西村君の名古屋所長転勤の遅ればせながらの送別会。4月に行ったのに今頃送別会と言うのもなんなのかよく分からないけれどまあともかく旧交を暖める。久しぶりのホタルイカ、10年以上経っているけれどまあきれいに使っていただき店も存続しているので一安心。同期の皆も立派な身分になって忙しそうだけれど元気そうである。
夜事務所にアルゼンチンから来客。ブエノスアイレス大学で教員をしながら建築家をしているフェデリコ。昨年ブエノスアイレス大学でのレクチャーを段取りしてくれた友人である。国際交流基金の助成金を見事にゲットして日本建築研究にやって来た。2か月間滞在するということでいろいろな協力をする予定。彼はブエノスアイレス大学を卒業してカタルーニャ工科大学でPHDを取った。アルゼンチンで建築のPHDを持っているのは50人くらいしかいないと聞いてびっくり。その意味では彼はこれからどこかの教授になるのは確実。理科大でもレクチャーしてもらいたい。彼からお土産に北方のKOLLASという民族のテキスタイルをもらった。いいねえ。
昼から東工大でエスキスチェックをして夜理科大でエスキスチェックをしながら思った。
学生に対して
その1 提案をしていない場合は持ってきてはいけない。時間のむだだから。
その2 提案をしていてもなんだかよく分からないアイデアのかけらみたいのは禁止。やっぱり時間の無駄だから。
自分に対して
その1 教育的配慮から一般解を想定して客観的に教えることは禁止。どんどん他人事みたいになってしまうから。
その2 あくまで自分の仕事として考えたらこうあるべきだと主観的に考える。真剣になれるので。
以上をお互い守るといいエスキスチェックになる
空港にはだいぶ早く着いてしまったのでbund のピースホテルで買った、ピースホテルの歴史を読んでいたら当時の(30年代)上海市の建築法で上部をセットバックする、テーパーを付けるという規制があったと書いてあった。ピースホテルはアールデコではないが、上海アールデコを促進したのはその法律があったからだろう。あるいはアールデコ調に街を統一したくそういう法律ができたのかもしれない。昼に成田に着き大学へ行って専任会議。今日は議題が盛りだくさん。夜は意匠計画の講義。