今年からの研究室の論文研究項目として都市の公共空間を挙げることにした。そして3名の学生がそのテーマで論文を書いている。ただ重要なのは公共空間という言葉が単なる公の保持する公共空間を意味しているのではない。所有者が公であれ私であれそこにおいて精神的にも物理的にも何かを強要されない場所をここで公共空間と呼んでいる。そしてこうした興味の連続で年末の国際ワークショップをしたいと思っていたところワークショップ指導者であるバルセロナのエンリクよりメールが来た。
For the workshop I wanted to deal in some way with public space, which we can say that in Japan doesn’t exist as a social space detached from commercial purpose. My initial idea is to stress the fact that after Fukushima people gathered in public spaces to protest, so there is a possibility to use public space in Japan in a socio-political way. The question is: can architecture help to improve and enhance this existing dynamics in Japanese society, so that public space becomes charged with more layer of meanings other than commercial? In order to do that the workshop perhaps would be not so much a specific project but to find and generate the right conditions for this new purpose to happen. Perhaps we end up with a action I a public space.
曰く、日本には商業目的と切り離されたパブリックスペースが乏しくて、建築がこの状況を乗り越えて商業性以外の多層な意味をパブリックスペースに加味できるかを問いたいというのである。
なんと僕が考えていることに実に近い。これには驚いた。これはかなり世界的に普遍的な問題意識なのかもしれない。
先日コンピューターが熱暴走してバックアップを取り忘れていた10個くらいのファイルが他界した。その一つに蔵書リストがあった。前のコンピューターに2011年春までものがあったので、ブログを見ながら復旧作業をした。夕刻2013年の春までの2年分を復旧し、残りは週末やることにした。
復旧しながら思うのは「あれ?こんな本読んでいたっけ?」と驚く本が多いということである。タイトルを見ても内容が思い出せず、ブログに書き記していた荒筋を読んでおぼろげにその本のことが思い出されるのである。そしてそういう印象に残っていない本に限って大したことが書かれていない。いや、正確に言うと「自分にとって」大したことが書かれていないものである。となるとそんな本を読んだ時間はほとんど無駄だったということにもなる。これが名著であれば自分にとって大したことが書かれていなくてもそれを手に取って目次を眺め著者の文字の流れを追うだけでも意味はある。しかしそうでない本であれば本当に時間の無駄である。そういう目で二年分の本を振り返ってみると実に時間の無駄となる本をたくさん読んでいたことに気づかされる。そしてその種の本は新書が多いということも分かった。
本屋に行くと分厚い単行本はつい忙しさにかまけ敬遠し、とっつきやすい新書を手にすることが多いのだが、これは気を付けた方がいい。長い目で見れば新書はかなりの良書でなければ体には残らないようである。残りの人生本読む時間も貴重である。乱読は避けるべし。
コンピュータークラッシュのおかげで大事なことに気づかされた。
年初のシンポジウムで「公共性」について考えた。スペイン語圏の建築家と広場について語った。スペインの建築家は「広場はすでに使われていない。重要なのは駅や空港だという」。一方アルゼンチンの建築家は広場の重要性を訴える。同じ町の構成を持ちながら考え方が違うのは二つの国における町の使われ方の違いによるのだろう。
公共空間において重要な言説を残しているアーレントによれば公共空間とは「現れの空間」だという。その意味は公共空間とは単に人々が共に集まる場所ではなく、人々の相互行為(ともに会話し行為する)によって顕在化された空間だということである(篠原雅武『公共空間の政治理論』人文書院2007)。アーレントの言葉を尊重するならば、駅や空港は共に集まる場所ではあれども、相互行為が生まれている場所とは言いにくい。交通空間は時間に追われているからである。時間に追われる場所に相互行為は起きにくい。さて駅や空港はたくさんある日本だが、広場も公園も少ない東京のどこに公共空間は生まれるのだろうか?それはもはや私的空間の中に求めるべきものとなるのだろうか?
このところの空気がのしかかってくるような暑さが今朝はなかった。空気が乾いているし空が透き通っていた。連日こんな調子ならいいなあと走りながら思った。
ドロップボックスを真剣に使い始めて結構な量をアップロードしていたらあっという間にポケットWi-Fiの速度制限に陥り月末まで使い物にならなくなった。仕方なく早朝から事務所に来て昨日考えた出張計画をもとに方々にメール。
午前中ジムで走り、午後来月末からの出張の計画を練る。ヨーロッパ3~4都市を回る。その間、6人くらいの方にお会いし、二つの大学でレクチャーをする予定。みたい建築もピックアップしながらいつ彼らに会うかの細かな調整をしないといけない。先日CPUがクラッシュしたのでレクチャーのデーターも0から作らなければならない。まあそれも新鮮でいいかもしれないが。
栗生田弓・小林杏編著『1985/写真がアートになったとき』青弓社2014を本屋で見たときに1985に何があったのか?と気になった。読んでみるとその年につくば万博があり、その博覧会用に「つくば写真美術館」なるものが作られたということがわかる。そしてその美術館設立を契機に日本では写真がやっと美術品になっていったということのようである。
もちろんそれ以前に細江英公は70年代の初頭に銀座のギャラリーでオリジナルプリントを販売し75年には西武美術館が「日本現代写真史展」が開かれているのだが、まだ助走だったのだろう。それにしても写真家のオリジナルプリントが価値を持ち出したのが70年代以降だというのはちょっとびっくり。加えて写真に対しても先見の明があったのが西武だったというのにも改めて驚かされる。
三宅一生の自伝的ビデオがある(『三宅一生未来のデザイン』岩波書店2013)。このビデオの中にフランス5月革命(1968)の話がでてくる。彼がギラロッシュの店で働いていた時である。革命の熱に促され店を飛び出し自由の空気に酔ったという。その後ジバンシーの店に入り飛躍的に成長する彼にとって、クチュリエのスタート地点が五月革命の「自由」だったと言う。
80年代にはいり彼はデザイナーを辞めたいと思った時期があり、パリコレのあと何も持たずに一人でギリシアに旅をした。そこで再度感じた「自由」の空気に触発され何か新しい世界あるのではと感じプリーツへ行きついたのだという。
彼の服はプリーツを含め一枚の布というコンセプトから生まれており、体と布の間に多くの空気がはいっていている。とても建築的であり触発されるところが多い。加えてその創作の原点にあるのは自由であることを知り、創作の精神的原点はやはり自由なのだと再確認させられた。
ティム・インゴルド工藤晋訳『ラインズー線の文化史』左右社2014は世界の文化あるいは表現とは線を描くことであるという認識から言語、詩、音楽、地図、素描、書道、建築まで含めて分析する。モダニズムは直線でポストモダンはフリーハンドという分析は少々イージーだという気はするがおよそ表現とは時間がかかわっている以上線であることは間違いない。
さまざまな表現者の線を説明する中で書家のそれが面白い。たとえば中国の大家、王羲之は漢字を描くためには自らの腕を雁の首のごとくしなやかな流れを描こうとしたこうとした。また宋代のこれまた大家である黄庭堅は長江の船乗りの櫓を操る姿にヒントを得たという。つまり書家とは書くことを装いつつ自ら観察する字とは別の何かを描いていたのだという。この話はどうも書道に限らないのではないかと思えてくる。おそらく建築もそうではないか?その建築が発する意味とは関係なくぼくらは僕らが観察する何かを描いているのではないかと思う時がある。実は詩も音楽もそうなのではないか?それらが発すべき何かを作ることを装いつつ、それとは関係ない何かを描いているのではないかと
ついにVAIOは復活せず、泣く泣く新たなノートを手に入れた。さすがに熱暴走した同じVAIOはもう嫌だし、電気の先生が2年ごとに2回も壊れて泣いたレッツノートも勘弁。ということで消去法によりNEC。おそらくどれだって壊れる確率は同じなのだろうけれど。それにしてもこのノートは恐ろしく軽い。プラスチックのおもちゃのようである。
東工大3年生の前期後半課題の最終講評会を奥山先生の設計した緑が丘6号館で行った。午前中から行って45人全員の採点をしてから発表者15名を一緒に指導していただいた金箱さんとともに決めた。決めた後に発表できない人を短時間ではあるが一人ずつ講評して2時から選ばれた発表者が一人10分の持ち時間で発表クリティークを行った。クリティークには私、金箱さん、ゲストで竹中の萩原剛さん、金箱事務所OBの木下さん、アルゼンチン建築家フェデリコ、常勤の奥山先生、塚本先生、スチュワート先生、安田先生、が来られた。予想はしていたが図面の質は高い。ただ構造模型50分の1を課しているので全体模型200分の1が少々雑だった。それにしても全体のできはいいのではなかろうか。A1判8枚を仕上げた学生もいて殆ど卒業設計レベルの量をこなすガンバリ屋がいたりするのはとても嬉しい。
課題はテクトニックな側面に集中できるようにプログラムは比較的簡単なもの。僕の設計したリーテムファクトリーの敷地を少々大きくしてそこに現在の工場機能+ミュージアムとカフェを挿入せよと言うものである。課題の主旨は現在閉塞的なビルディングタイプも今後ますます公共性を帯びて機能ミックスが起こり閉塞性が除かれ周辺と相互浸透するような建築が生まれると言う期待と予見に基づいている。
坂牛賞に選んだ作品はテクトニックには無理が沢山あったが、ファクトリー機能とミュージアム機能とが数枚のHPシェルによって表裏に分けられているというものである。機能を構成で分けるのではなく表裏の空間で分けるアイデアを買った。
自分たちが3年生のころからするとプレゼンははるかにデジタル化して上手になった。ただ建築を奥の方から考える思考の次元はどうなのか?今回のテクトニックな課題ではちょっと分からなかったがその部分にも彼らの思いが行くことを先輩として深く願うものである。
夕方神楽坂でマストミーティングがあり東工大を早々に出た。ミーティングの後、今度は理科大4年生のプレディプロマの講評会である。今年はコンテクスト、プログラム、エンジニアリングのどれか二つに注目しながら自由課題をこなすというものだった。プレディプロマなので形を作らずリサーチだけでも良いと言う要求にしたのだが、どうもできが悪い。リサーチだけならリサーチにそれだけの密度や思考が必要なのだがそれを満たしているリサーチは殆ど見られなかった。結局こういいうやり方をすると手を抜くだけだと言うことが分かり少々残念だった。ただ、いくつかの形にこぎつけた案には面白いものも見受けられた。また実験的な案として、カーンの光と闇をテーマに実験的空間を作りその断面模型を本のようにして見せるという提案があった。空間のコノテーションとしてチャレンジングで嬉しい案だった。
今日は腹いっぱいの日であった。お腹が空いたが頭は一杯である。ワインを飲んで眠ろう。