Archive

Aug 2014

もうこうなるとほとんど詐欺

On
by 卓 坂牛

140821aimakkusu%E5%86%99%E7%9C%9F%20%281%29.JPG
ポケットWi-Fiが頻繁に速度制限に陥るので解約した。すると担当者はそもそもこれはパソコンに使うのは無理がありますからと言う。そう言うことは買うときに言うべきではないのか?売るときはPCとスマホ両方に便利ですと勧めていたのはなんだったのか?それじゃ詐欺でしょう。
同日新宿で薄いワイマックを手に入れた。これは新製品。曰く薄いものは厚いもに比べて待ち受け時間が短く500時間ですと言う。しかし今回の泊り出張で充電はあえなく切れた。
おそらく何かの条件下ではこうなるということなのだろうが、その条件は言っても分からないから言わないのか、知らないのか、言うように上司から言われていなのか知らないが、とにかく僕は知らない。

骨のある施主

On
by 卓 坂牛

一昨日の図面チェックで30項目ぐらいは未定のことがあると分かり、今日の打ち合わせはそれを1からつぶしていきたいのだが、クライアントのボスはそう簡単には決めてくれない。それぞれの思想的根拠にまで遡りそして判断を下す。さっさとその根拠にたどり着ければ問題ないが、それを探す作業から始まるので横道から横道へとそれていく。4つくらいきめるのにはや3時間。気が付いたら夜である。こういう彼の体質は別に今に始まったことではなく初めて会ったその日から彼の思想を滔々と聞かされた記憶がある。とは言え実施設計の詰めの詰めで9月頭に公告という状況を鑑み、こちらに協力的にものを決めてくれるのではという淡い期待もあった。でもそれは見事に打ち砕かれ、「今日決まらなかったことは現場でね」という軽いノリでとりあえず終わる。
焦りとちょっとした憤りもあるものの、何かをなす人ってこういうことだよなと思い、改めてこの施主を尊敬した次第である。

やっぱり泊まり

On
by 卓 坂牛

140821kouhu%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
1時のかいじで甲府。実施設計最後の打ち合わせ。今日は決めなければいけないことが山のようにあり、もしかしたら終電では帰れないと思っていたら案の定終わらなかった。施主ももう終わりにしたいという様子だったが今日決めないと公告には間に合わないのでお付き合願った。やっとのことで今日決めねばならないことはなんとか方がついた。予期してはいたが結局泊まり。トホホ、、、

荒木町―人間の街

On
by 卓 坂牛

140821araki%E5%86%99%E7%9C%9F%20%285%29.JPG
140821araki%E5%86%99%E7%9C%9F%20%284%29.JPG
140821araki%E5%86%99%E7%9C%9F%20%283%29.JPG
昨年のレネワークショップの教科書。ヤンゲール『人間の街―公共空間のデザイン』鹿島出版会2013。今年翻訳が出て再度読んでみました。改めていい本だと思います。大きすぎてはいけない。街路のアクティビティは人の数と滞在時間の積である。など本質をついていると感じます。そんな目で荒木町を見るとやはりここはいい街です。

図面作成スケジュール表と睨めっこ

On
by 卓 坂牛

140821sukejyu-ru%E5%86%99%E7%9C%9F%20%283%29.JPG
午後から山梨の児童養護施設の査図(図面チェック)。突如補助金の関係で1か月余り締め切りが早まり、T君の夏休みは消え去り加えてOBのN君に助っ人を頼み何とかオンスケジュールでここまで来た。とは言え詳細図は十分に描けないので言葉で書き込み見積もり期間中に書き足していくしかない。400平米程度の施設だけれど二棟なので仕事量はしっかり住宅二件分である。図面枚数は結構ある。出張を前にして、出張期間中が締め切りというプロジェクトが3つあるというのは胃が痛い。ところで今日締め切りだったアートイベントの作品は無事搬入できたのだろうか?

さてこれが何になるのか?

On
by 卓 坂牛

140820sinjuku%E5%86%99%E7%9C%9F%20%283%29.JPG
午前中神田のクライアントのところへ。今日も朝からとても暑い。昼を食べながらランドスケープデザイナーの西田さんとコンペの打ち合わせ。その足で大学に行きコンペの追い込み。A1サイズ4枚の提出物に悪戦苦闘。まだボードがスカスカの感じである。どこまで密度が上がるか?隣の模型部屋ではアートイベントへの出品作制作中。なんと聞いたら明日搬入とのこと?いろんな締め切りが大学も事務所も迫りくる。ああ恐ろしい胃が痛い。一体このアートは何にどうなるのかよくわからないが健闘を祈る。頑張って!!さてこれから事務所に戻り今月で事務所をやめるK君と結婚したMさんのお祝いパーティー大幅遅刻!!

オランダ自転車文化

On
by 卓 坂牛

%E5%86%99%E7%9C%9F%20%281%29140819jitensya.jpg
少しずつ読んでいたけれどやはり5冊くらい残っている自転車まちづくりの本を端から斜め読み。この手の本は日本語のものは大体読み物かローカルな話題が多い。そもそも日本は自転車後進国だからそんな世界のデーターが蓄積していない。海外のものは、徹底したデーター集積した論文のようなもの。自転車レーンのタイポロジーと技術的アドバイス。そして建築家書いただろうまちづくりもの。そして今読んでいるのはなかなか面白くて社会学的枠組みで自転車文化を語るもの。Steven Fleming Cycle Space-Architecture and Urban Design in the Age of the Bicycle nai010publishers2013 著者はタスマニア大学の建築史の先生。世界諸都市の自転車文化を様々な視点から語る。たとえばオランダに自転車文化根付いたのは町が平らだからとか町がコンパクトだからとか埋め立て地で駐車場を地下に作れないからだというような理由ではないという。それはオランダ改革派の改革精神が根付いているからだと分析する。それは自転車施設の設計にも現れていて、かたやアメリカではかっこいいステーションを作って車利用者を自転車に惹きつけようとするが、オランダではたとえ中央駅の駐輪場でさえこれほど質素なのだと写真を示す。アメリカではリンカーンに乗れれば貴族だけれど、オランダでは自転車で雨の日も移動することがエリートの条件なのだとか、、、、面白いね国民性。

風景の見方

On
by 卓 坂牛

140818milani%E5%86%99%E7%9C%9F%20%281%29.JPG
ピクチャレスク研究している学生がいるのでこんな本をチェックしてみた。ラファエル・ミラーニ深田麻里亜他訳『風景の美学』ブリュッケ2014。風景が近代絵画の中で確立してきた経緯が説明される。つまりは風景とは時代ごとに場所ごとにその視線の枠組みが(これを文化と言ってもいいだろうし、趣味という人もいるが)生み出してきた自然の(あるいは場合によっては都市の)見方なのであう。ピクチャレススクは19世紀の自然の見方の一つなのだということであろう。この物の見方が昨今研究対象として盛んなのだと書いてある。何故なのだろうか?20世紀へのアンチテーゼとして19世紀を再考しようということなのか?

神楽坂に煙が

On
by 卓 坂牛

140817drymist%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
午前中原稿の草稿を練る。昼から神楽で勉強会。粛々と翻訳読み合わせ。神楽の坂の下から上を見ると煙が見える。これはボヤかと思ったらドライミストだった。今日はさほど暑くないが、やはりミスと周辺は少し涼しい。朝思いっきり走ったせいか3時ころ睡魔が襲う。5時ころ読み合わせを終えて秋葉原へ。カメラ周辺アクセサリーなど買い物して帰宅。

東浩紀も旅に出る

On
by 卓 坂牛

140815scumahiroki.JPG
『弱いつながり―検索ワードを探す旅』幻冬舎2014の中で東浩紀は概念も大事だけれどモノを見るのはもっと大事。そしてそうしたモノやら人やらとの偶然の出会いを彼は弱い絆と呼び、ネット上での人間関係などとは異なるという。またネットは様々な情報が転がってはいるけれど検索しなければ出てこない。だから知識を広げるには検索ワードを増やさなければいけない。そのためには旅に出よというわけである。なんでこの人がこんなことを言い始めたかというと、ネットにべったりくっついて情報を得るのに体力の限界を感じたというのが本音のようである。そもそもネットに張り付いて生きてこなかった僕らの世代としては最初から旅をしてきたのであえて東から教えられるまでもないのだが、旅に関して一ついいこと言っていた。それは「旅先では新しい情報に出会う必要はなく、新しい欲望に出会え」というものである。昨今旅の情報は事前に多く手に入る。しかし旅先のゆったりとした時間の中でその情報をモノとして見ることでそれが心からの欲望に変わる場合があるということである。これはつまり知っているから見なくてもいいということではなく、それでもモノを見ることの意味を言っている。面倒くさがりの僕には耳が痛い言葉である。また彼がネットから旅へという方向転換を始めているもう一つの理由は「ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないし皆自分が書きたいことしか書かない」だからそこに転がっている情報は真実ではないと述べている。これもかなり正しい。確かにネットから得る情報は欲しい情報を知らず知らずに探している。本屋に行く意味は意外な出会いや発見があるからである。