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by 卓 坂牛
昨日は恒例の忘年会、塚本夫婦、奥山さん、石田さん、小川さん、ヨコミゾさん、柳沢さん、東さん、萩原さん、木島さん、もうこの会は何年続いているのだろうか?長く続いているのは楽しいから。今日はやっとこの連日の忘年会から解放され、家の掃除をして、溜まった書類に目を通したり、原稿書き足したり、のんびり過ごした。先日エンリクに勧められて買ったA+Uの12月号のタイトルはexperiments建築の実験であり、その領域の拡張というようなテーマである。建築がファッション同様現在その領域を拡張しているのは言うまでもない。我々が建築家であって単なるエンジニアではないのはこういう拡張性を柔軟に持ちうる点なのである。一方で建築家が建築を作るということもおそらく未来永劫なくならない。つまり作る領域を柔軟に設定できることが常に求められているということだろう。
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by 卓 坂牛
渡辺裕『聴衆の誕生』春秋社1989は初版の時にちょうど私が東大の美学科で授業を持っていたので渡辺先生本人からいただいた。頂いた時にさらりと読んでジェンクスは建築家ではなく歴史家ですよと説明したのを覚えている。あれから25年もたった。再読したく本棚を探すのだが見つからない。仕方なく文庫本(中公文庫)を買ってじっくりと読んだ。音楽社会学というのだろうか?音楽の社会的受容の問題をこれほどわかりやすく書いた本は少ないのではないかと思う。特にチャールズジェンクスの引用部分が建築をやっている人間にはわかり易い。ジェンクスは『ポストモダニズムの建築言語』においてモダニズム建築を批判するがその時モダニズムの建築家はモダニズム建築を理解する「神話的近代人」という高級な人種を想定していたのだと言う。一方渡辺は音楽を集中してき聴きとる「近代的聴衆」なるものが登場してきたのだとして、音楽や建築(もしかすると、絵画や彫刻も)を受容する新しい人種が近代において誕生してきたことに注目しているのである。しかしそうした近代人の受容とは文化の公式的態度に過ぎず、実は近代以前にそうであり、そしてポストモダニズム期にそうなったように、音楽は集中的に聞いて理解し、解釈するようなテキストという面のみならず、軽やかにその快さを受け取るような側面も持ち合わせている両義的なものであることを示した。もちろんこのことは音楽のみならず、およそ全ての文化を観る視線であることは言うまでもない。
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by 卓 坂牛
音楽史の本をざーっと読むことにした。したのだがやっと一冊目が読み終わった。野村良雄『世界史のなかの音楽』新時代社1971著者は1908年生まれ。しかしこの本は世界史というよりは哲学史と音楽を並べて語っている。もちろんそこには時代の思潮が音楽を作っているという音楽史観があるからである。面白い。
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by 卓 坂牛
廃校小学校の再利用計画の参考とするために都内の廃校利用を学生と一緒に二つ見学。最初は西巣鴨にあった朝日中学校の再利用を見学。ここは3つのNPOが使っているがメインはアートネットワークジャパンによる、にしすがも創造舎。ここは主として演劇グループの練習場所となっている。区から無償で貸与されており、5千万かけて主として体育館を演劇練習場として大幅に改修。かなりの稼働率で使われている。後者の一角にはカフェがありNPOの職員が軽食を出していた。二つ目は有名な千代田3331。いつもは展覧会を見に来るのだが、今日は上から下までどんな使われているかをくまなく見学。ギャラリーからオフィスまでこちらは多彩な使われ方がしているし、もちろんかなりお金をかけて手を入れている。重要なのはその仕組みづくりであることはどちらも同じである。さてこれらの事例の何が使用可能なのかはよく考えてみないと、、、
千代田3331を出てきたら恐るべき焼き芋屋さんに遭遇、、、
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by 卓 坂牛
昼から構造の伊藤先生を招いて、茨城町廃校小学校利用計画の耐震補強についてアドバイスをもらう。耐震の値をチェックする計算方法など概略の考え方を教えていただく。夕方神田の南洋堂、源喜堂で大量に建築、都市、アート、写真、の本を購入。いつも年度末に残った図書費を使いにやってくる。正直言って僕にとっては建築の本を買うのは年に数度くらいしかなくなってきたのでこの日は建築をキャッチアップする大事な日でもある。しかしそれくらい建築の読みたい本がないというのも少々問題か?
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by 卓 坂牛
ランドスケープデザイナーの西田さんと信大の高木先生と一緒に都心3区の地形や緑の理想的な保全の仕方と、それによるヒートアイランドの解消を考察中。午後その打ち合わせ。夕方M2の修士設計の打ち合わせ。夜2年生の製図講評会。公園のある図書館という過大なのでゲストはランドスケープアーキテクトの石井秀幸さん。的確な好評に感謝。
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by 卓 坂牛
本日はとても長い日。朝甲府の現場に行って上棟を確認し、午後明治大学の大学院建築専攻の国際コーススタジオのファイナルレビューを見せてもらい、そしてそこを中座して前から約束していた中高同級生の宮くんの家でのパーティーに遅れて参加。既に配偶者も参加しており着いた時には200本ある宮くん自慢のワインセラーから5本のワインが消費されていました。彼はフランスワインしか飲まないのだが、私が南のワインが好きだということでイタリアワインを用意していてくれた。美味しいなあ。長い一日を締めくくるには素敵なひとときでした。
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by 卓 坂牛
エンリクとのワークショップが終わった。今回は建築家の職能あるいは教育について深く考えさせられた。
神楽でビッグスケールとスモールスケールを一週間考えていたらなぜこの二つがバトルするのだろうかという素朴な疑問にぶち当った。なんでスモールスケールを攻撃するビッグスケールがあるのだろうか?
そこで感じるのは現在の日本にはビッグスケールを経済原理で作るという行為とスモールスケールを経済を二の次にして保護する行為が真っ二つに分かれているということに気づく。これがヨーロッパでは双方建築的行為なのでありそれを調停するのが建築なのである。そこには日本ほどのバトルは無い。日本では二つの行為の間には埋めがたい溝があるのである。どうしてか???その一因はヨーロッパで建築をつくるなら(イギリス以外は)アトリエ事務所しかないのである。ビッグスケールもスモールスケールも同じ人たちが考えているのである。一方日本ではスモールスケールを作るアトリエと、ビッグスケールを作る組織やゼネコンが半世紀前から対立的に存在しているのである。これは藤村龍至さんが言うように、日本では(ビッグスケールを作る)工学鵜呑み建築家と(スモールスケールを作る)反工学建築家に別れているということを例証する現実である。
さて問題はその次である。教育の話である。ヨーロッパではその意味でひとつの価値観で建築が動いているのだから教える方もその価値観で教えればよろしい。一方日本では二つの価値観が蠢いているのだからどっちを教えるべきなのかということになる。藤村さん的に言えば双方をアウフヘーベンさせるのだということになる。そうである双方のいいところを教えてそしてそれを昇華すればいいということになる。理科大でも院ではそれに近い教育を意識的に行っている。しかし本当にアウフヘーベンするのだろうか?と教えながらヒヤヒヤする。それは言うは易し、行うは難しである。いやもちろんアウフヘーベンの方向はないとは思わないのだが、そんな建築的な思考が強烈な経済原理と併存するには強力な意識と人々の民度が必然だろうと思われる。社会全体がそういう意識を持って初めてアウフヘーベンは可能である。前回の選挙のような状態ではとてもそういう社会は覚束無い。