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Dec 2014

1年の反省

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by 卓 坂牛

1年の終わりに今年の反省。
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1月に国際交流基金の援助を得て、アルゼンチンの建築家二人を招き理科大でワークショップをした。またセルバンテス文化センターでバルセロナの建築家も加わり日本・アルゼンチン・スペインの3か国の展覧会、シンポジウム、レクチャーを行った。彼らを連れて極寒の京都に行けたのは楽しい思い出。その後二人の建築家が所属するアルゼンチンのパレルモ大学と大学間協定を結ぶことができた。
●国際交流基金の助成は今後とも継続的にもらうようにやることを考えていきたい。一度やり方が分かったものは継続するのがお得な気がする。
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3月末にセントルイスのワシントン大学での篠原一男展に呼ばれシンポジウムに参加した。スチュワート先生や塚本さんも一緒。また現地ではキースクローラックにも会えた。そして何といってもサーリネンのゲートを見ることができたのはこの旅の収穫。
●久々のアメリカだったがネイティブ英語のシンポジウムは本当に冷や汗もの。もっと英語勉強しよう。
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5月に同世代の建築家15名くらいと台湾の竹中工務店による客家センターや伊東さんの台中オペラの工事現場などを見に行った。弾丸ツアーだったけれど修学旅行のようでたまにこういう旅もいいものだと思った。
●億劫がらず出かけていくことが大事。フットワークは軽く。
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6月に上海の篠原一男展の最終日を見に行けた。上海現代美術館の館長さんともお話できて篠原はこの美術館で最初の建築家の展覧会だと説明された。自国の建築家をさておき日本の建築家を展示するのに驚いた。
●中国との関係は継続的に長い目で行うべし。
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8月にバルセロナ、アムステルダム、コペンハーゲンと自転車都市の視察を行った。どの都市でもとにかく自転車に乗り、彼らの自転車をベースとした街を体感した。道の整備を数十年かけて行ってきて初めて成り立つのだと痛感。東京も遅ればせながらそこに取り組まないといけない。コペンハーゲンではロイアルアカデミーでまたオルボーに足を延ばしウッツォンセンターでに自作についてレクチャーをした。フレームとしての建築を多くの人が理解してくれるようになった。
●自分の考えを人に伝える努力を惜しまず、継続していくと伝え方もうまくなるし、そのコツも分かるようになる。何よりも建築家は人に理解してもらえてなんぼのものである。
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12月にはバルセロナから建築家エンリクが来日して理科大でワークショップを行った。テーマは祭り。考えた企画を実際に神楽坂で行った。実行日当日だけ雨が降り天に見放されたが多くの方が来てくれた。建築家の職能について教えさせられるWSだった。
●建築家の職能と祭りとのつながりが最初は僕もよくわからなかった。しかしエンリク曰く都市は多くの人が自由に使える場所であり、その認識を持つために祭りは有効。街の自由(公共性)なくして楽しい都市は実現できないということを体で学んだ。
今年は外国との交流が多い1年だった。残念ながら竣工した建物がないのだが、秋ごろに3つの建物が立て続けに着工した。来年春から夏にかけて3つとも竣工する。また翻訳中の本は夏を目途に、グラフィックの本は秋を目途に、建築の条件は冬を目途に出版できればと思っている。3つの建築と3冊の本。それ以外に6月にバルセロナにワークショップをしに、年末にはまたどなたか海外から建築家を呼んでワークショップを行えればと思っている。
やるべきこと、やった方がいいだろうなあと思うことは年々増えている。なのでいつかパンクするだろうとびびっている。生活スタイルを調整したり、時間を有効に使う方法を考えたりしながら、体力、精神力もよく考えながらいい仕事をなるべく多くしていければと思っている。

作る設定の柔軟性

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by 卓 坂牛

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昨日は恒例の忘年会、塚本夫婦、奥山さん、石田さん、小川さん、ヨコミゾさん、柳沢さん、東さん、萩原さん、木島さん、もうこの会は何年続いているのだろうか?長く続いているのは楽しいから。今日はやっとこの連日の忘年会から解放され、家の掃除をして、溜まった書類に目を通したり、原稿書き足したり、のんびり過ごした。先日エンリクに勧められて買ったA+Uの12月号のタイトルはexperiments建築の実験であり、その領域の拡張というようなテーマである。建築がファッション同様現在その領域を拡張しているのは言うまでもない。我々が建築家であって単なるエンジニアではないのはこういう拡張性を柔軟に持ちうる点なのである。一方で建築家が建築を作るということもおそらく未来永劫なくならない。つまり作る領域を柔軟に設定できることが常に求められているということだろう。

渡辺裕『聴衆の誕生』再読

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by 卓 坂牛

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渡辺裕『聴衆の誕生』春秋社1989は初版の時にちょうど私が東大の美学科で授業を持っていたので渡辺先生本人からいただいた。頂いた時にさらりと読んでジェンクスは建築家ではなく歴史家ですよと説明したのを覚えている。あれから25年もたった。再読したく本棚を探すのだが見つからない。仕方なく文庫本(中公文庫)を買ってじっくりと読んだ。音楽社会学というのだろうか?音楽の社会的受容の問題をこれほどわかりやすく書いた本は少ないのではないかと思う。特にチャールズジェンクスの引用部分が建築をやっている人間にはわかり易い。ジェンクスは『ポストモダニズムの建築言語』においてモダニズム建築を批判するがその時モダニズムの建築家はモダニズム建築を理解する「神話的近代人」という高級な人種を想定していたのだと言う。一方渡辺は音楽を集中してき聴きとる「近代的聴衆」なるものが登場してきたのだとして、音楽や建築(もしかすると、絵画や彫刻も)を受容する新しい人種が近代において誕生してきたことに注目しているのである。しかしそうした近代人の受容とは文化の公式的態度に過ぎず、実は近代以前にそうであり、そしてポストモダニズム期にそうなったように、音楽は集中的に聞いて理解し、解釈するようなテキストという面のみならず、軽やかにその快さを受け取るような側面も持ち合わせている両義的なものであることを示した。もちろんこのことは音楽のみならず、およそ全ての文化を観る視線であることは言うまでもない。

ランチ、見学、編集会議

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by 卓 坂牛

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今年私の研究室で修士を修了した学生5人(一人は現在海外)と神楽坂でランチ。5人全員がやっと設計事務所に就職できたとのこと。おめでとう。今年の修了生はみなアトリエ事務所素晴らしい!!!ランチ後に隈さんがデザインしたla kaguを見に行く。倉庫を改修したレストラン、本屋、家具屋、洋服屋さんである。入口前の大階段が都心の住宅密集地にゆとりを作っている。3時から今年最後の新刊本の編集会議。来年9月末(新学期)に店頭に並べられるように逆算してロードマップを作った。そうなると脱稿がゴールデンウィーク明け。おお結構忙しい。そして出版社の方と共著者と忘年会。

哲学が音楽を作る

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by 卓 坂牛

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音楽史の本をざーっと読むことにした。したのだがやっと一冊目が読み終わった。野村良雄『世界史のなかの音楽』新時代社1971著者は1908年生まれ。しかしこの本は世界史というよりは哲学史と音楽を並べて語っている。もちろんそこには時代の思潮が音楽を作っているという音楽史観があるからである。面白い。

廃校利用のアートスペースを見学

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by 卓 坂牛

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廃校小学校の再利用計画の参考とするために都内の廃校利用を学生と一緒に二つ見学。最初は西巣鴨にあった朝日中学校の再利用を見学。ここは3つのNPOが使っているがメインはアートネットワークジャパンによる、にしすがも創造舎。ここは主として演劇グループの練習場所となっている。区から無償で貸与されており、5千万かけて主として体育館を演劇練習場として大幅に改修。かなりの稼働率で使われている。後者の一角にはカフェがありNPOの職員が軽食を出していた。二つ目は有名な千代田3331。いつもは展覧会を見に来るのだが、今日は上から下までどんな使われているかをくまなく見学。ギャラリーからオフィスまでこちらは多彩な使われ方がしているし、もちろんかなりお金をかけて手を入れている。重要なのはその仕組みづくりであることはどちらも同じである。さてこれらの事例の何が使用可能なのかはよく考えてみないと、、、
千代田3331を出てきたら恐るべき焼き芋屋さんに遭遇、、、

建築本大人買い

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by 卓 坂牛

昼から構造の伊藤先生を招いて、茨城町廃校小学校利用計画の耐震補強についてアドバイスをもらう。耐震の値をチェックする計算方法など概略の考え方を教えていただく。夕方神田の南洋堂、源喜堂で大量に建築、都市、アート、写真、の本を購入。いつも年度末に残った図書費を使いにやってくる。正直言って僕にとっては建築の本を買うのは年に数度くらいしかなくなってきたのでこの日は建築をキャッチアップする大事な日でもある。しかしそれくらい建築の読みたい本がないというのも少々問題か?

今年最後の講評会。ゲストはランドスケープアーキテクト石井さん

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by 卓 坂牛

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ランドスケープデザイナーの西田さんと信大の高木先生と一緒に都心3区の地形や緑の理想的な保全の仕方と、それによるヒートアイランドの解消を考察中。午後その打ち合わせ。夕方M2の修士設計の打ち合わせ。夜2年生の製図講評会。公園のある図書館という過大なのでゲストはランドスケープアーキテクトの石井秀幸さん。的確な好評に感謝。

一年ぶりの付属同級生が宮の家で極上ワインをいただきました

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by 卓 坂牛

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本日はとても長い日。朝甲府の現場に行って上棟を確認し、午後明治大学の大学院建築専攻の国際コーススタジオのファイナルレビューを見せてもらい、そしてそこを中座して前から約束していた中高同級生の宮くんの家でのパーティーに遅れて参加。既に配偶者も参加しており着いた時には200本ある宮くん自慢のワインセラーから5本のワインが消費されていました。彼はフランスワインしか飲まないのだが、私が南のワインが好きだということでイタリアワインを用意していてくれた。美味しいなあ。長い一日を締めくくるには素敵なひとときでした。

建築家の職能あるいは教育について

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by 卓 坂牛

エンリクとのワークショップが終わった。今回は建築家の職能あるいは教育について深く考えさせられた。
神楽でビッグスケールとスモールスケールを一週間考えていたらなぜこの二つがバトルするのだろうかという素朴な疑問にぶち当った。なんでスモールスケールを攻撃するビッグスケールがあるのだろうか?
そこで感じるのは現在の日本にはビッグスケールを経済原理で作るという行為とスモールスケールを経済を二の次にして保護する行為が真っ二つに分かれているということに気づく。これがヨーロッパでは双方建築的行為なのでありそれを調停するのが建築なのである。そこには日本ほどのバトルは無い。日本では二つの行為の間には埋めがたい溝があるのである。どうしてか???その一因はヨーロッパで建築をつくるなら(イギリス以外は)アトリエ事務所しかないのである。ビッグスケールもスモールスケールも同じ人たちが考えているのである。一方日本ではスモールスケールを作るアトリエと、ビッグスケールを作る組織やゼネコンが半世紀前から対立的に存在しているのである。これは藤村龍至さんが言うように、日本では(ビッグスケールを作る)工学鵜呑み建築家と(スモールスケールを作る)反工学建築家に別れているということを例証する現実である。
さて問題はその次である。教育の話である。ヨーロッパではその意味でひとつの価値観で建築が動いているのだから教える方もその価値観で教えればよろしい。一方日本では二つの価値観が蠢いているのだからどっちを教えるべきなのかということになる。藤村さん的に言えば双方をアウフヘーベンさせるのだということになる。そうである双方のいいところを教えてそしてそれを昇華すればいいということになる。理科大でも院ではそれに近い教育を意識的に行っている。しかし本当にアウフヘーベンするのだろうか?と教えながらヒヤヒヤする。それは言うは易し、行うは難しである。いやもちろんアウフヘーベンの方向はないとは思わないのだが、そんな建築的な思考が強烈な経済原理と併存するには強力な意識と人々の民度が必然だろうと思われる。社会全体がそういう意識を持って初めてアウフヘーベンは可能である。前回の選挙のような状態ではとてもそういう社会は覚束無い。