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Jan 2015

篠野教授最終講義のタイトルが素晴らしい「我が悲しき論文指導失敗の思い出」

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by 卓 坂牛

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東工大の篠野先生の最終講義を聞きにすずかけ台にやってきた。篠野さんの部屋には以前一度拙著『建築の規則』ゼミをさせていただきに伺ったことがある。このキャンパスは山あり谷ありの中にあるのでアップダウンが激しい。3時の開始に遅れるかと思ったがぎりぎり滑り込む。講義タイトルが振るっている。「我が悲しき論文指導失敗の思い出」である。これはガルシア・マルケスの本のタイトルを文字ったものだそうで、そのペダンチックなところが篠野さんらしいし、自分の失敗談を語るというマゾヒスティックなところもまた篠野さんである。とは言えそんな自虐的なストーリーでしっかり自分を語るところがまた篠野さんである。この失敗談はしかし実は失敗談ではなく篠野さんのチャレンジの歴史と見るほうが正しい。型にはまった安全な論文を作り続ける凡庸な学者であることを捨てて、常に未開の地に新たな武器を持って突撃する勇敢な学者の勲章だと私には思える。
30年前と全く変わらぬ精悍な外観とはつらつとした喋り口に元気と勇気をもらった。彼がいなければ僕らのコルビュジエ論文は生まれなかったと確信もした。今日はとてもいい日である。

卒計締切

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by 卓 坂牛

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今日は二部卒業設計の提出日。展示会場には6時から9時半までの間に模型を置いて図面を貼るのだが、その場で制作している学生が沢山いる。手伝いの学生も溢れていてさて9時半の締切までに終わるのか????製図室の片隅には先生をあしらった劇画??悪者?

サブカルチャーの震源地

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by 卓 坂牛

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以前信大の輪読ゼミで80年代論をやったことがあった、宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義2006 白夜書房 / 原宏之バブル文化論―ポスト戦後としての1980年代 2006 慶応大学出版会などを読んで議論した。当時なぜか長野駅前の平安堂には80年代論コーナーがあり、密かにブームだった。その時の宮沢さんの本が面白く、『ニッポン戦後サブカルチャー史』NHK出版会2014を通読。サブカルチャーの始まりは56年のアメリカでありビートニク、ロックンロールそして日本に来て太陽族。サブカルチャーという言葉が日本で最初に使われたのは68年の美術手帖だそうだ。そしてその中心地は時代を追って移動。60~70年代は新宿、70~80年代は原宿、70~90年代は渋谷というのが宮沢の観察である。僕の学生時代は80年代前半だから時代は原宿だったのだろうが通学路だった渋谷によくいたかもしれない。そのころはただ賑やかな町というだけでサブカルチャーに触れていたというような意識は0。たまに原宿や麻布のレッドシューズ辺りに行くとそういうたぐいの人たちがウロウロしていたというのをよく覚えている。
宮沢さんって早稲田で教えていたときやはり先生だったので早稲田出身だと思っていたら多摩美なんだ。

やれやれ

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by 卓 坂牛

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2月にシンポジウムがあるので参加できますかと12月ころ聞かれて日程次第と申し上げていたら、昨日2月11日に行いますとメールが来た。ネット上には既に僕の名も他の参加者もそしてシンポジウムのテーマを掲げられていた。これは参った、テーマも、他の参加者も、日程も何の相談もなしに決まり決まったことだけ告げられたという形である。そしてその日は大学の入試があるのでシンポジウムの始まり時刻までには間に合いそうもないと言ったのだが、入試が終わり次第おいでくださいとかなり強引である。やれやれ。

○○の無い建築

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by 卓 坂牛

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大学院のデザイン論の講義は拙訳『言葉と建築』が教科書。モダニズムを生み出した言葉空間、機能、形、柔軟性などなどを一回一つずつ講義した。この授業の最終レポートとしてこうした言葉の欠如した建築すなわち〇〇の無い建築を考えよという小設計を課題とした。今日最終講評会でゲストに奥山信一さんを及びして講評した。20近い受講者の作品を一つずつ手短に議論。知的ゲームはこちらも頭をフルに動かさないとついていけない。しかしなかなか実りある課題である。

流しのしんちゃん

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by 卓 坂牛

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夕食時にテレビを見ていたら「路地裏の名店」と称して、立石、銀座、西小山、八重洲、そして荒木町が登場した。行ってみたい場所オンパレードである。なかでも西小山は行ってみたい。というのも学生から聞いて知っていたけれど数年後に再開発でクリアランスされて無くなってしまうから、なんとも悲しい話である。なんとかしないと本当に東京からこういう場所が消えていくかも知れない。
荒木町ではあの流しのしんちゃんが登場した。前カメラマンの浅川さんと飲んでいたら彼が入ってきてなんと浅川さんとデュオしたのにはびっくりした。こんな人もいなくなってしまうのだろうか???

拡大レンズ

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by 卓 坂牛

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修士論文の梗概をチェックし始めた。最近ますますだけれど小さい字は見えない。たしかに老眼に合わせて文字サイズを決める必要はないかもしれないけれど、もう少し大きくてもいいだろう。せめて新聞程度になりませんか?そもそも彼ら自身こんな小さい字は見えているのだろうか?というわけでこのごろ拡大レンズは必携である。

ホタルイカ

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by 卓 坂牛

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夜ホタルイカhttp://www.ofda.jp/sakaushi/works/type/04commercial_facility/01/index.html#で会食。できてから12年たち入口脇のシートが取れたままになっている。加えて隣の建物がなくなって駐車場になったのでそちら側につけていた設備機器が丸見えになっている。そこまで予測して作れということか?それとももうすぐとなりも建つはずだと思えばいいことか?

メロディというオブジェクト

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by 卓 坂牛

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だいぶ前に事務所のCDプレイヤーが壊れてCDを載せるトレイが出てこなくなった。そこで事務所に結構たくさんあるCDを少しずつ家に持って帰ることにした。とはいえ家も置き場所がないので厳選して聞きたいものだけに絞り、今日は「リプレー・ドビュッシー」というタイトルで、有名なエレクトロニクス、ミュージックコンクレートなどのミュージシャンがドビュッシーの同じ曲をアレンジしたCDを持ち帰った。聞きながら思うのだが、メロディーの力は大きい。メロディーがしっかりあると、音質を変えようと、リズムを変えようと、そう簡単に音楽の全体形は変わらない。坂本龍一もピエール・ヘンリーもポルター・リックスも兄弟である。やはり調性音楽はメロディーが力を持っている。おそらくメロディが感じられないような曲になれば彼らのアレンジは強くその差異を鮮明にするだろう。メロディは造形で言えば形であり音質は素材の色や肌理となる。メロディーの力とは形の力である。どちらも耳と目に訴えるオブジェクトなのである。

鈴木理策の目

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by 卓 坂牛

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Photo © Risaku Suzuki/ Christophe Guye Galerie.
鈴木理策の『sakura』という写真集がある。ピントがどこにあっているのか分からない満開の桜の花が揺らいで見える写真集である。それには鷲田清一の文章が載っている。曰く
「桜」という、だれもが何かを歌いたくなる、そんな〈物語〉への陳腐な誘惑をかわし〈意味〉による盛り上がりを禁じながら、どこに向かうかも分からない妖しい軌道を描く。これが妖しいのは、なんらかの意味に寄りかかってみることの軽さを一方でつきつけながら、その軽さがそれでも匿しもっている「見る」ことの野性を、たっぷり過ぎるほど厚く撮すからだ。
つまりここに写っているものは桜なのか花なのかピンク色なのか模様なのかただのぼやけなのかもはやそれが何かという意味性を問題としていない。目に見えてきたもの、いたもののみを掬い取っているということを鷲田は言いたいわけであり、僕も同感である。これはモノをゲシュタルトとしてその全体性を見ていたモダニズム的な視線とは明らかに異なる。ものを全体性でみるスタンスはそのものの意味性に拘っている。しかし人間の目は常にモノの全体性などを見ているのではなく、目に入ってくるものとはおおむね断片なのである。その自然な視覚の状態が現代の視線であり、鈴木の目なのだと思う。