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Jan 2015

繊細の精神とは

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by 卓 坂牛

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パスカルは『パンセ』の中で人間には繊細の精神と幾何学の精神があると言っている。これを聞くと数学者パスカルの考えは数学者篠原一男の精神を見事に言い表しているように感ずる。篠原の空間はまさに大胆な幾何学と繊細な空気感を両立させるところに生まれているように思う。
話は飛ぶが、あの紙の会社である竹尾が原研哉編『SUBTLEサトル:かすかな、ほんのわずかの』竹尾2014という本を作った。その中でパスカルのこの話は原研哉と数学者森田真生の間で話題となっている。たしかに紙をデザインするということはまさにこの二つの神経の交錯するところに生まれると思う。この本に登場する作品を見ているとよくわかる。どちらかに神経が偏ってもいい作品はできないのだろうと思う。さて建築はというと??繊細さを単に質料的なとしてしまうと話は歪曲されてしまうので、これはあくまで幾何学精神と繊細精神と考えておきたい。
繊細とは何か、壊れやすい、虚弱な、力弱い、、、、言葉はいろいろ出てくるのだが、言葉にしてしまうとどうにもしらけてしまうので、今日の作品集のなかで一番繊細に見えた葛西薫の作品を記録として残しておきたい。これはマット紙の上に小さな宝石をおいてその上に和紙を被せた作品である。

建築理論を語る難しさ

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by 卓 坂牛

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東京大学建築学専攻編『これからの建築理論』東大出版会2014によれば東大の建築学科では建築学専攻に4つの軸を作っているという。それはデジタル、サスティナブル、メディア、そしてシンクタンクだそうだ。どこにでもありそうなテーマではあるが、早速行動に移し、本まで作っている行動力が素晴らしい。とまあそのお膳立てはともかく、本の内容はいささか散漫ではある。隈研吾司会の原、槇、磯崎鼎談は目玉なのだろうが、まあお話はまったく噛み合わない。それは彼ら自身言うようにその昔はまだしも、30年くらい前から3者の間に会話も何も無いという状況なのである。それはそうだ80年代のポストモダンとは皆が好き勝手を語る時期なのだから。
こういう本を読むと、建築理論を語ることの難しさを改めて感ずるのだが、もう少し議論の範囲を絞れば噛み合うのだろう。その手の現代建築理論を系統だてた参考書(洋書)に沿って、その中のどこを扱うかを定める必要があるだろう。もちろんそのどこをテーマとするかを決めるのが難しいかもしれないが。僕なら現象学とその限界などが面白いと思うが。

反グローバリズムの克服とは脱グローバリズムに繋がる

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by 卓 坂牛

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年の初めに少し自分の意見を客観視しようと思い、自分と逆の意見と一見思える本に手を伸ばす。今書いている文章で批判しようとしているものがいくつかあるが、その逆の立場からの意見として八代尚宏『反グローバリズムの克服――世界の経済政策に学ぶ』新潮選書2014を先ずは読んでみた。さて読んでみると反対すべきこともあるが賛同できることも多々あることに気づく。そもそも僕は反グローバリズムではなく脱グローバリズムなのだと自らの立場を改めて考えた。つまりグローバル全てを悪だと思っているわけではないし、グローバリズムと密接に絡むネオリベラリズムの主張である競争を何でもかんでも不要と考えているわけではない。国際性なき地方主義に未来はないと思っているし、全てに平等を主張する怠惰は回避しなければならないと思っている。そうした視点からすると、八代氏が指摘するように中途半場な政府介入が破綻仕掛けた金融機関を救済し、それによって民間はそれを見越して行動し、より高いリスクの商品を生み出すインセンティブ(誘因)となるというような指摘はその通りだと思う。こういう人がグローバリズムを是々非々で記してくれると良いと思うのだが。

資本主義は不平等を解消できるか?

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by 卓 坂牛

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日記を振り返ってみると2001年の正月から年の初めは両親と兄家族と初詣をして食事をとるようになった。そしていつのころからか、年の瀬に青山に皆で宿泊して初詣をして食事をするようになった。この週間は兄家族が海外に居る時も正月だけは帰国して続き、3年前に母が他界してからは、初詣の前に墓参りをして吉祥寺でフグを食べるようになった。15年続く年始の行事になった。となっているので年始はどこにもいかないで家にいる。そもそもこの頃の旅行は値段が高いという問題もある。
今年は陸郎はデンマーク、太平はオーストラリアにいるので欠席。オヤジは杖をつかずに歩けるようになり驚きである。頭脳も明晰である。朝刊にでていたトマ ピケティ『21世紀の資本』の話は既に知っており資本主義が不平等を解消できるかと投げかけたら、それは難しいだろうと返された。
そういえば夜タモリがテレビで同じようなことを言っていた、資本主義でも共産主義でもなく、その間のような主義が世の中の問題をより多く解決することを期待する、、というような、、、