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by 卓 坂牛
北大集中講義最終日は1時間半設計をした。まあ一つの経験としてみなやってみてもいいのだろうと思った。
北大建築は教員が20人以上いるのだが、意匠の先生は一人で孤軍奮闘している。というわけで学生も意匠の意識はそれほど高くなく、街づくりや歴史の意識の方が高いようである。そういう学生相手にデザインの話をするのにはこちらも試されるのだろうと途中からなんとなくわかって来た。他大でお話するとき、普通は意匠に飢えているような学生を相手にすることが多いわけである。そういう時は何を話しても乾いたスポンジに水を撒くようにスーッと吸い込まれていく。かたや今回のような場合は一見吸い込まれたような水は実は周囲から溢れているのかもしれない。それゆえこういう学生からの授業に対する意見は貴重である。最後に今回の講義を書籍化するためのアドバイスを書いてもらった。活用したい。
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by 卓 坂牛
北大集中講義二日目9時から6時まで途中昼食一時間を除き8時間連続トーク。こんなぶっ通しで話したのは初めて。さすがに終わるとのどが痛かった。(昨日から合わせると7コマ連続である)内容は建築の条件。全8章を一章一時間。ジェンダー、視覚、主体、消費、倫理、階級、グローバリゼーション、アート。昼食後はお互い眠たかったですが、徐々に挽回し最後の方は駆け足でした。6時に終えて宿題をだして(山城さんの家のプランを暗記する)日建北海道社長の木谷先輩と寿司を食べに。2次会は社長行きつけの素敵なお店「そな田」へ。100年前の民家を改装した内部空間は落ち着く。マスターはなんと元パターナーとのこと。次の札幌があったらまた是非来たい。
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by 卓 坂牛
北大集中講義に向かう飛行機の中で今年の芥川賞小野正嗣『九年前の祈り』を読んだ。シングルマザーとなった主人公が外国人との間にできた子供を九州の田舎で育てる話である。その選評を読んでいたら、村上龍と川上弘美が二人共この小説には「切実さ」があると書いていた。そしてその切実さとは「言いたいこと」があるわけでもないし、「伝えたいこと」があることでもない。そうではなくて小説を書くという行為の中にある書く人間の無意識を刺激する装置をどのように使って言葉を紡いだか、その経緯の中に書いた人の「切実さ」が浮かび上がると説明していた。
なるほどこれは建築という行為にも言えるように思った。それは例えば昨日の修士設計などを見ているとそういうことをつくづく感じる。修士設計とはもちろんつくるコンセプトを論文として紡ぎながらそれを建築化していくのだが、文章が建築に1対1対応で変換されるわけではない。そこではスケッチを描きながら、模型を描きながら、「建築する」という行為に内在する設計者の無意識を刺激する装置が駆動しているのである。そしてその装置が紡ぎ出した形や空間の連なりは最終提示された模型やドローイングの中に読み取れるものである。それは必ずしも論理的なものではいのかもしれない。それが「切実さ」なのだろう。そしてそれが伝わるものにしかやはりいい建築は生まれてこないのだろうと私には思える。
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by 卓 坂牛
修士論文設計の発表会。最後の一ヶ月は見ていなかったので今日は結構サプライズであるし、どういうふうに最後をまとめのかは今日初めて見た。思ったより皆きちんと出来ていたのが嬉しかった。我々先生たちは言いたいこと言っていい悪いという審査をしているけれどそんなことはどうでもいい。君たち自身がそれを満足できたものかどうかということが一番大事である。
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by 卓 坂牛
9時のあずさで甲府へ。現場定例。外装は張り終わり、内部もボードがだいぶ貼られてきた。昼を食べてからクライアントの車で小さなパン屋を目指して南大沢へ。その名もCicouote bakery(チクテ・ベーカリー)へ。スタッフの佐河君が多摩美の近くに6畳くらいの小さなしかし日本全国に名を馳せるパン屋があったという話をクライアントにしたら、今日行こうということになった。というのも今作っている子供の施設の敷地にパン屋やカフェを作り界隈をつくりたいというのがクライアントの希望だからである。パン屋はしかし現在は引越して少し大きなパン屋となっていた。バゲットが焼きあがるまでコーヒーを飲んで20分待っている間客足は途絶えない。すごいパン屋である。
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by 卓 坂牛
石上純也『建築の新しい大きさ』青幻舎2010を近美で見つけた。これは2010年に豊田市美術館で行われていた展覧会カタログである。こんな展覧会やっていたとは知らなかった。タイトルにあるようにこれはサイズに対する挑戦である。展示物のタイトルは「雲を積層する」「森を計画する」「地平線をつくる」「空に住む」「雨を建てる」得体の知れない大きさ、無数の縦の線、無限の横の線、針のような細さ、それらは自然界にはあっても人工物としては成立しなかったようななにかなのである。
僕は見ていないので分からないのだが、説明を書いている青木淳が言うようにこれは模型ではあるがそれは建築の代替物としての模型ではなくそれ自体が建築なのである。
昔博士論文を書いた時にそれまで東大でやっていた「建築の質量と形式」という講義録を整理した。その時にそこに足りないのは建築の大きさだということに気づき一章設けた。というわけでこの石上さんの挑戦はとてもよく理解できるし、そこに展示されていただろうものにとても興味がある。見られなかったけれど少なくともこのカタログに出会えて良かった。
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by 卓 坂牛
夕刻娘と一緒に兄貴、親父に会い西荻に行く。親父は今年90。だいぶゆったりとした感じである。孫と会って話をしている姿は息子たちから見ると微笑ましい。来年留学するという話を聞いた親父は目的が明確でよろしいとのこと。その後兄、娘と西荻でワインを飲む。西荻にはいい店が多い。
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by 卓 坂牛
午後の大学の会議、雑用を終えてからアルゼンチン大使館へ。ハビエル・ゴリシェフスキ文化参事官の退任お祝いのディナーパーティーである。ハビエルには去年ロベルトやダニエルがアルゼンチンから来た時に夕食に招待していただいた。加えて彼と彼の部下の柏倉さんがワークショップのオリエンテーション、最後のクリティーク、そしてセルバンテス文化センターでのシンポジウムそしてその夕食まで濃密にお付き合いいただき、クリティークではアルゼンチンの経済状況を踏まえた専門的な批評まで頂いた。国際ワークショップをするとこういうプラスアルファの人間関係が生まれ自分の世界が広がるものである。さて大使館についてみると、私は7時ぴったりに着いたのに誰もいない。あれっ時間を間違えたのかと思ったら皆のんびりやってくるのですよと柏倉さんが言う。7時半くらいに皆さん来たところで大使がファビエールに感謝の言葉を述べなんとなく食事が始まる。今回はファビエールの懇意にしている人だけ呼んだということで20名くらいしかいない。そのおかげで皆さんとゆっくり話ができた。政治的な関係者はほとんどいなくて、文化的な方ばかりである。原美術館の副館長、世田谷パブリックシアターのダンスキュレーター、写真美術館の映像プログラマー、写真家、音響プロデューサー、富士吉田でなにかやりませんかと言うと、皆さん興味津々であった。時を忘れて語ることができた。こういうパーティーの中では珍しく大変楽しいものでした。ファビエールとは9月にまたお会いできるとうれいしい。ご招待いただき感謝。
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by 卓 坂牛
朝から大学の入試、昼をとって午後も入試。終わって急いで麹町のセルバンテス文化センタへ。『ソーシャル・アーキテクチャ』というタイトルで国際シンポジウム。参加建築家はフアン・パスクアル(スペイン)、ホルヘ・アルマザン(スペイン)ミゲル・ファルチ(ブラジル)、フェデリコ・レルネル(アルゼンチン)そして私。ブラジル大使、スペイン大使、アルゼンチン公使たちが来て議論も盛り上がった。終わって信州大、理科大の学生たちと一杯。
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by 卓 坂牛
本棚の本の背がひとつだけ出っぱているのが気になって引っ張り出すフセイン・チャラヤンの作品集である出版社はRizzoli。中を開けてしげしげと見ると、どう見ても字や写真が本の四辺と平行ではない。定規を当ててみるとやはり斜めである。もう一度本を閉じて角に三角定規を当てると90度ではない。これってわざと?だよねチャラヤンならやりそうだよね。こんな買ってから半年も気づかないような微妙なことするんだ。ちょっと感動した。